「八頭のサラブレッドが出走するならば、そこには少なくとも八編の叙事詩が内包されている」とは競馬が大好きだった寺山修司の言葉。
若い頃から私は、彼の短歌同様、そのエッセイが好きだった。
特に、「モンタヴァル一家の血の呪いについて」というエッセイの中に書かれていた、不運な血統の馬モンタサンに捧げた一篇の詩が……
1967年の皐月賞。長引く馬丁ストライキの影響で体調を崩し、病み上がりの状態で出走してきた「モンタサン」は、「たとえ三本足で出てきても、おれはモンタサンに賭ける」というファンの声援も空しく惨敗……寺山はその宿命を哀しみつつ、愛した。
なみだを馬のたてがみに
こころは遠い高原に
酔うたびに口にする言葉は
いつも同じだった
少年の日から
私はいくたびこの言葉をつぶやいたことだろう
なみだを馬のたてがみに
こころは遠い高原に
そして言葉だけはいつも同じだったが
馬は次第に変わっていった
今日の私は
この言葉をおまえのために捧げよう
モンタサンよ (寺山修司『馬敗れて草原あり』より)
「競馬が人生の比喩ではなく、人生こそが競馬の比喩だ」という警句を残した彼は、よく「競馬ファンは馬券を買っているのではなく、自分自身を買っているのだ」と言っていたものだ。すなわち、どの馬に勝ってほしいかは、自分がどう勝ちたいかに他ならないと。
さて、長い前置きになってしまったが……
先週の土曜日(2日)、POG仲間8人と朝9時に西船橋で待ち合わせ、中山競馬場へ出かけた。
みんなはチョクチョク行っているようだが、私的には4年ぶりの競馬場(その時も同メンバー)。2月初め、仲間の一人であり仕事の盟友でもあったRyuちゃんに「ゴンドラ室が当たりました。行けますか?」とメールで誘われ、ゴンドラ室から観戦する競馬がどんなものか興味が湧き、即「行くよ~!」と返答し“軽い腰”を上げた次第。
駅から競馬場行きのバスに乗り、着いたのは10時少し前。正面玄関近くの窓口で入室手続きを済ませ、場内のエスカレータで5階のゴンドラ室へ……部屋の雰囲気はゆったりと仕切られた会議室と言った風情で、特にゴージャス感もない殺風景な空間だったが、正面のガラス戸を開けてテラスに出ると風景は一変。頭上に広がる青い空、眼下に伸びる緑のターフが心地よく目に映え、ゴールめがけて疾走する馬たちを俯瞰で眺めることのできる魅力的な場所だった。
で、1レースから最終11レースまで約6時間、こころを遠い高原に馳せながら(?)久しぶりの競馬観戦を楽しんだのだが、思いのほか馬券が当たり、年甲斐もなく「ヨシ、来た!取った~!」と大騒ぎ(“遠い高原”は何処へ?)。用意した軍資金もほぼ倍増(と言っても驚くような額じゃないけど)……寺山が言うように「自分自身を買っている」というドラマチックな感覚を味わうことなく、上機嫌で仲間と共に競馬場を後にしたのだが、ふと思えば“人気のない馬を狙う”“ベタな良血馬は買わない”というスタンスは、その感覚に近いのかも。
というわけで、今日の〆は、1973年秋JRAのCMで流された寺山修司の言葉。
人はだれでも二つの人生を持つことができる。
遊びは、そのことを教えてくれる。
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