2012/08/28

『東京プリズン』読了



1ヶ月以上前から手元にあって、今日ようやく読み終えた小説『東京プリズン』(著者・赤坂真里)

残り100ページ(最終章)からは“一気”だったが、それまでが、なが~い道のり。過去と現在が頻繁に行き来するSF的展開、そして独特の身体感覚&観念的表現になじめず、幾度も挫折しかけた。

それでも何とか踏みとどまれたのは、戦後の日本の在り方とアメリカという国家に対して著者と同様の違和感というか“モヤモヤ感”があったから。

「天皇の戦争責任」というテーマも、私たちが未来へ向かって歩き出すためには、どうしても激突せざるを得ない問題だと思うし、「自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでもしなければならないのです」と、16歳の少女“マリ”から発せられる言葉も、様々な国家間の問題に立ち向かう視座として重く胸に残る。

とはいえ、小説として面白いかどうかは別の話……

終戦から67年、いまだに解決されていない問題に挑んだ著者の意欲には感嘆せざるを得ないが、自分の世界観で重い空を押し上げ、他者の胸に割ってはいるような筆力……というか想像力をこの小説から感じ取るのは難しく、期待したほどのカタルシスはなかった。


2012/08/22

独立国家のつくりかた?


昨日は、香川真司のプレミアリーグ・デビュー戦「マンチェスター・ユナイテッドVSエヴァートン」を観るため、無理やり朝4時に起床(月額1,365円で、今月からプレミアの試合を生視聴!)。それ故、少し頭がボーッとしていた午前中だが、ラジオから流れる威勢のいい声に目を覚まされた。

《「キミが死んじゃ、マズイよ」と人に思わせるのが、ぼくのコミュニケーション。それが経済につながる》

面白いことを言うヤツがいるなあ……と思って、番組終了後その声の主「坂口恭平」をネットで調べてみたら、「建築家・作家・絵描き・踊り手・歌い手」とのこと。『0円ハウス』『独立国家のつくりかた』などの著書があり、今年5月には「自殺者ゼロ」を公約にかかげる“新政府”を一人で樹立、初代内閣総理大臣に就任し、毎日2万人以上の国民(フォロワー)Twitterによる「新政府ラジオ」を発信しているそうだ。(“総理大臣”直通の「いのちの電話」も開設したらしい)

そういえば『モバイルハウスのつくりかた』というドキュメンタリー映画を、何かの映画の予告編で観たことがあり記憶に薄っすら残っていたが、その主演の「建築家」が彼だったか!?……と改めて思い出し、俄かに興味が湧いてきた。


思考力の低下(老化)をジンワリと感じている最近、そろそろこういう鋭い元気な感性に、頭の中を叩かれる必要があるのかも知れない。まずは、『独立国家のつくりかた』でも読んでみようか。こんな動画も見ちゃったし……


2012/08/19

「桐島」とは何者か?




終戦(敗戦)記念日の15日、NHKの深夜番組「20min. (特攻隊“マンガ少年”の戦争」を録画しようと思ったら、先週まで問題なく動いていた「DVDレコーダー」がウンともスンとも言わず、早々に諦め不貞寝。翌朝、メーカーに電話で状況を説明したところ、どうやら内部の部品が壊れたらしく「修理には税込で25千円程かかる」とのこと。新品の「ブルーレイレコーダー」が3万円台で買えるご時勢、ナニその修理代?……というわけで、一昨日(17は新品を求めて池袋西口のビッグカメラへ。で、折角“ブクロ”に出たのに、買い物だけでは味気ないと、「シネ・リーブル池袋」で上映中の『桐島、部活やめるってよ』監督・吉田大八を観た。

ソコソコ評判の“学園モノ”しかも夏休み中ということで、開演前のフロアは女子高生のグループや若い男女で溢れんばかり。その熱気に気圧されたわけでもないだろうが、平日の映画館を賑わすはずの、オバサン・オジサンの姿が「あれっ?」と思うくらい少なかった。まあ、タイトル的にも“若向き”だし、熱くて甘酸っぱい青春などから遠く離れた方々の触手が動かないのも当然か……と、私の期待度もさほど高くはなかったが、これが予想外の面白さ!

で、その内容だが……表層的なモテ度によって形成された“学園生活ヒエラルキー”の最上層にいるスポーツ万能モテモテイケメン(らしい)「桐島」が、親友や彼女に知らせることもなく突然部活を辞め、数日間登校もせず連絡を断ったことによって生じる“上層・中層の混乱”を軸に展開される「社会派青春ムービー」といった感じ。まず設定が面白い。タイトルが臭わす主役は「桐島」だが、名前が飛び交うだけで「桐島」は最後まで画面に姿を現さない。つまり、「桐島」は目に見えない“既存の価値観”の象徴として学園に存在(君臨?)するだけ。その日常の価値観が急に失われた時、「上層」と「下層」の心的立場は逆転し、学園生活のヒエラルキーそのものが崩れる(無価値になる)ということを、この作品は「下層」に位置する“映画おたく神木隆之介”のささやかな抵抗を描きつつ示唆してくれる。言い換えるならば《「おたく」の勝利、「リア充」の敗北》……それは、「既存の価値観」に依拠することで組織の上層・中層に留まろうとする多数の人々と、その様なヒエラルキーの危さに無自覚な日本社会への警鐘であると同時に、地位や経済力ではなく「自分の価値観」に拠って生きることの幸せ&豊かさ、その「個性」が形作る未来の社会を信じたいという、切実な希望のようにも感じられた。高橋優の主題歌「陽はまた昇る」も映画の余韻にぴったりハマって、心に響く

2012/08/10

聖地で咲いた「なでしこ」の花



サッカーの聖地「ウェンブリー・スタジアム」で行われた五輪女子サッカー決勝戦。結果は周知の通り2-1でアメリカの勝利に終わったが、男女を問わずサッカー日本代表が負けた試合の後で、これほど爽快な気分になるとは……と自分で驚くほど見事な「なでしこ」の戦いぶりだった。
まあ、レベルの高いチーム同士が互いの持ち味を存分に発揮して戦えば、こういうエキサイティングで素晴らしい試合になるということ。敗戦を惜しむより、女子サッカーの更なる発展を予感させる「ベストゲーム」&誇り高き銀メダルに心から拍手を送りたい。もちろん、勝者である宿敵アメリカにも大拍手

というわけで、今日は「なでしこ」の健闘を称えつつも、そこかしこで「大儀見のシュートが入っていれば…」「先に2点目を取られなかったら…」「宮間の調子(パス)がもう少し良ければ…」など様々な“たられば論”が交わされたと思うが、これもサッカーの楽しみのひとつ。私も仕事仲間と電話で少々……と言っても今回は「よくやったよね。立派だったなあ」という賞賛の言葉が“たられば”を完全に凌駕&封印した感じ。

おまけに、ゲームのみならず、表彰式も喜怒哀楽をオープンに表す「なでしこ」らしく“お茶目”で良かった。それに何と言っても入場の際の「グレイシートレイン」……試合終了直後の涙から一転、弾ける笑顔で出てきた一列の彼女たちを見て“これぞ、女子力”と、思わず感嘆し笑みがこぼれた私だが、総合格闘技ファンの方は呆気に取られて苦笑いかも?(多くのメダリストのように“メダルをかじるポーズ”を見せなかった点も個人的に評価したい……アレは見苦しいし、もう止めた方が良いのでは?)

さて、明朝は五輪での銅メダルをかけた男子サッカーの日韓戦。なでしこVSアメリカ以上に厳しく激しい戦いになるだろうが、とにかく良いゲームを!そして勝利を!

2012/08/08

U-23に、何があった?



昨夜のメキシコ戦、相手が強いのは分かっていたが、攻守一体の見事なサッカーで快調に突っ走っていたU-23日本代表が、まさか3-1で負けるとは思わなかった。(寝不足の上に「完敗」では、コチラの疲労感も増すというもの。今朝はかなりキツかった)

一体、どうしたのだろう?

「選手村入りしたことにより心身のリズムに狂いが生じた」と、その原因を「環境変化」に求めている新聞もあったが(事実、「食事が合わない」「色々な人がいて落ち着かない」と漏らす選手も多くいたらしい)、とにかく足が重そうで、動き出しが鈍い印象。ゲームを通じて「守備」も「攻撃」も、グループリーグや準々決勝とは別のチームのようにスピード感がなかった(スピードスター永井もお疲れ気味?)。特に後半は前線からの守備が遅れるようになって完全にメキシコのペース。危険な場面が幾度も続いた。強烈なダメージとなった相手の2点目は、GK権田の判断ミスとボランチ扇原のキープミスが重なって奪われたものだが(あまりのお粗末さに唖然)、全体的に集中力も欠いていたように思う。やはり体調管理も含め、試合に臨む「準備」が上手くできなかったのだろうか……。

とは言っても、まだ「負けて終わった」わけではない。10日の韓国戦は、ただの「3位決定戦」ではなく日本サッカー史にとって大きな意味を持つ90分。しっかり体調を整え、モチベーションを新たにして、44年ぶりの「銅メダル」を勝ち取ってほしい。

で、その前に「なでしこ」……これまで「なでしこ」らしいスペクタクルなサッカーが見られず、個人的にはあまり楽しくないが、ここまで来たら勝負に徹するのみ。アメリカの猛攻を凌ぎ切っての勝利を期待したい。その上で“女子版バルセロナ”と形容された本来のプレーを拝めれば最高なのですが。さて、如何に。


2012/08/04

守り勝ち



「素早い蚊」……これって褒め言葉なの? 2日に行われた今期公式戦初戦(欧州リーグ予選3回戦)で、ゴールをあげたインテル・長友に対するイタリアのスポーツ紙「ガゼッタ・デル・スポルト」の評価コメントだが(もちろん高評価)、歓んでいいやら悪いやら。いくら長友が小柄とは言え「蚊」ですか?「相手にとってやっかいな存在」という意味だとは分かるが、もう少し表現の仕方があるだろうに、と微妙に哀しかった。

と思えば日本では81日、「国民の生活が第一」というネーミングとスローガンの区別すらつかない人たちの集まりの場で、司会を務めた元“ヤワラちゃん”こと谷亮子議員が「国民の金メダルは、生活の金メダル」と宣言し座を盛り上げたとか……う~ん、五輪病にかかって悪い熱でも出ているのだろうか?と、そのあまりの能天気さにコチラも熱が……。(いっそ彼女を党首にして「生活の金メダル党」略して「生活金党」もしくは「国民金党」を名乗ればいいのでは?)

さて、なでしこVSブラジル戦。

試合後、ブラジルのバルセロス監督が「守備的な試合運びをした“なでしこ”は、優勝候補にふさわしくない」とコメントしたそうだが、逆に言えばブラジル代表は「攻撃力は傑出していても、守備で試合をコントロールできないチーム」と言っているようなもの(まさにその隙を突かれた2失点だし)。敗軍の将の弁としては潔さに欠けて、いささか情けないと思うが、「自分たちの戦術が間違っていた。守備力に差があった」とは簡単に認められない熱狂的な国内事情もあるのだろう。
ともかく、試合に負けた指揮官に妙な八つ当たりをされようと、90分を通じボールポゼッションで劣勢に立たされながらも、全員守備の意識を強く持って戦い抜いた「なでしこ」は見事(特に岩清水!)。持ち味である中盤のパスワークに精度を欠いているという不安は残るが、勝利への執念と闘志、そしてチームワークで勝ち取ったベスト4だと思う。グループリーグで精彩を欠いていた宮間と澤の調子が上がってきたのも心強い。
次は五輪前にテストマッチで負けているフランス戦。準々決勝同様「全員守備」の姿勢で臨むと思うが、W杯当時のような見事なパスワークで相手ゴールに迫り続ける攻撃的な姿も見せて欲しいものだ。

さあ、今夜はU-23日本代表VSエジプト戦! 舞台はマンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアム「オールド・トラッフォード」。別名「夢の劇場(シアター・オブ・ドリームズ)」で躍動する若き日本代表の勝利を信じたい。なでしこに続け!

2012/08/01

鋼鉄の蘭



Steel Orchid……「ビルマ(現ミャンマー)の母」と国民から慕われている民主化運動指導者アウンサンスーチー氏に冠せられた通称だそうだ。

マーガレット・サッチャーの通称「鉄の女」に比べて認知度は低いが(私も映画を観るまで知らなかった)、彼女の半生を描いたフランス映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』(監督リュック・ベッソン)を観れば「確かに」と誰もが頷けるはず。それほどに映画の中の彼女は凛として意志堅固であり、その立ち居振舞いは優しさと気品に満ちて心が洗われるほど美しかった。

映画『鉄の女の涙』では、主演メリル・ストリープの見事な演技以外、その人の人生及び政治姿勢に心を奪われることはなかったが、ガンジー主義(非暴力、不服従)を貫きながら国民の権利と自由を勝ち取るために、兵士の銃にも怯まず静かに歩を進める「鋼鉄の蘭」の姿には、ただただ胸を熱くし頭を下げるだけ。彼女の毅然とした意志と並外れた勇気に鼓舞されながら、無策無能・残虐非道な軍事政権との「闘争」の渦中に飛び込むように観続けた133分だった。

で、少し余談……通路を挟んで左隣の席から、ひっきりなしに聞こえてきた“すすり泣き”。「同年代だろうか?それとも若い女性だろうか?」と少し気になってエンドロールの終了後にチラッと横を見たら、20歳前後のメガネの男子。そのキョトンとした目&ややダサい風貌も含め妙にシンパシーを感じて、思わず「負けるな、青年!」と声をかけたくなったが、とにかくそれほど世代を超えて多くの魂を震わせる感動作。“アウンサンスーチーの魂までも表現した”と評される「ミシェル・ヨー」の演技も素晴らしかった。(老若男女問わず、黙って観るべし!)

ところで、この映画の成り立ちだが、2007年にイギリスの作家レベッカ・フレインの書いた脚本をミシェル・ヨーが手にしたことがきっかけ。その脚本に感動した彼女は「この役だけはやらないわけにはいかない」と、友人であるリュック・ベッソンに「魅力的な脚本があり、プロデューサーを探している」と助けを求めたところ、脚本を読んで感動のあまり“泣いてしまった”彼は、すぐにサポートを申し出るとともに「まだ監督が見つかっていないなら、自分が立候補する」とまで乗り気になって製作化が実現したそうだ。プロデューサーであるリュック・ベッソンの妻ヴィルジニー・ベッソン=シラも「どうせ悪戦苦闘して何年も関わるなら即座に心を掴まれる企画でなければ」とヨーロッパ・コープでの製作を即決したらしい。なんとも映画人の良心と力強い情熱を感じるエピソード、だからこその傑作とも言えるだろう。

というわけで今日の〆は、1ヶ月以上も前に新聞紙上で目にして以来、ずっと心に残っている「鋼鉄の蘭」アウンサンスーチー氏の言葉。
「完全な世界平和の実現は到達できない目標だ。でも、私たちは救いの星に導かれる沙漠の旅人のように、平和をめざして旅を続けなければならない」(2012617日、ノーベル平和賞受賞演説より)