2012/02/12

ちょっとウンザリな言葉


それは「維新」。

「大阪維新の会」を発端に、保守系の政治家たちがバカの一つ覚えのように、維新、維新と叫んでいる。まるで、自分を幕末の志士になぞらえているかのように……一体どういうセンスをしているのだろう。民主党のお陰で「変革」や「改革」という言葉を信じなくなった国民が、「維新」と言えば目を向けるとでも思っているのだろうか。それとも単に橋下人気に擦り寄ろうとしているだけなのか。白々しさを通り越して情けなく思う。
大体、今どき「維新、維新」って、右翼の街宣車じゃあるまいし……私などは「維新」と聞くと、政治変革の“新しい風”を感じるどころか、時代が逆行していくような気がしてただ胸糞が悪くなるだけ。

で、少し話は変わるが、20数年前(若貴時代の頃)に「維新力」という力士がいた。幕内に上がることなく引退したためその取り口は記憶に無いが、四股名だけは字面的に滋養強壮ドリンクのようだなあ……と感じて妙に印象に残っている(なのに愛称は爽やかで“平成の牛若丸”)
その「維新力」が引退して吉祥寺に店(バー)を出していた。私も偶然10数年前に飲み会の流れで立ち寄ったことがあったが、その店名も驚くほどベタで「維新力の店」。かつての愛称どおり店主・維新力は甘いマスクのイケメンで、店の雰囲気にもメニューにも“ギラギラ感”や“こってり感”はなかったが、それでも四股名絡みの妄想は消えずに残ったまま。

というわけで「維新力」には申し訳ないが、「維新」という言葉を聞くと、維新→維新力→強壮ドリンクという勝手な連想が働き、只でさえ胡散臭い政治家の我欲に満ちた血が騒ぎ出すような、いかがわしい空気を感じて余計にウンザリしてしまうのである。

さらに「維新」つながりで、橋下氏が開く政治塾が「維新政治塾」、維新の会が作り上げようとしている選挙公約が「船中八策」……彼の行動力・発信力には一目置いている私だが、坂本龍馬が起草した新国家体制の基本方針の名称を勝手にパクって政治的に利用するというのは余りにも無思慮、というか日本人の精神的な宝とも言える歴史的人物に対して甚だ失礼かつ傲慢な行為ではないだろうか。と不信感ばかりが募る。(世の龍馬ファンは何故抗議の声を上げないのでしょう?)
いくら龍馬が好きで、その行動力と精神を己の範にしたいという気持ちの表れにしろ、「日本を変える」という高い志を持つ人間ならば、人の言葉に頼らず、人の権威に縋らず、自分自身の言葉で堂々と時代に向き合い、人々の胸に発信するべきではないだろうか。
代表作『竜馬がゆく』を通じて、溌剌として颯爽とした美しい日本人の姿を私たちに知らしめてくれた司馬遼太郎さんも、ご存命ならばきっと厳しい苦言を呈したに違いない。

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