2024/12/30

勝手にコトノハ映画賞2024年②(邦画)


個人的に今年は邦画の当たり年。以下の4本は特に良し。

●最優秀作品賞

『正体』(監督:藤井道人/製作2024年、日本)


以前から「今も悪くないけど、将来的に凄くいい役者になるだろうなあ」と注目していた横浜流星主演のサスペンスドラマ。監督は「新聞記者」「やくざと家族」等の藤井道人。

まあ、この監督とキャスティングで外れることはないだろうな…と思っていたが、期待通りの大当たり。「逃亡犯・鏑木慶一」役の横浜流星の確かな成長、その表現力に心打たれつつ、緊迫感みなぎる逃亡劇に見入った。(「鏑木」を追う刑事・又貫を演じた山田孝之の“らしからぬ重厚感”も印象的。で、新発見。吉岡里帆って、こんなにイイ役者だった?)


優秀作品賞

『青春18×2 君へと続く道』(監督・脚本:藤井道人、原作:ジミー・ライ/製作2024年、日本・台湾合作)

これも藤井道人監督作品(脚本まで手掛けている)。しかも“青春映画の宝庫”台湾も舞台になっていると聞けば「観たい」と思うのは(私的に)必然。18年前の台湾と現在の日本を舞台に、国境と時を超えて紡がれるLoveストーリー、その意想外の展開に「なるほど、そういう事だったのか…」と、驚きつつ、少し濡れてしまった目を凝らしながらの123分だった。

(で、そのエモーショナルなストーリーもさることながら、この作品の最大の魅力は稀有な“初恋の記憶”を観客の胸に強く残した二人の存在、清原果耶と台湾の人気俳優シュー・グァンハン。とりわけ、初恋に心躍らせる18歳の素朴な台湾男子と、人生の岐路をそれなりに乗り越え大人の魅力を漂わせる36歳のジミーを見事に演じ分けたシュー・グァンハンの演技と佇まいは、台湾スターらしい確かな輝きを放つものだった。)

 

『ラストマイル』(監督:塚原あゆ子/製作2024年、日本)

この「ラストマイル」に関しては観る前から、評判の高さも含めてかなりの情報が頭に入っていて、期待値上がり過ぎ…の感あり。それ故、鑑賞後の満足度は中の上or上の下、と言ったところだが、もちろん面白かったし、「観て損はなかった」と思える一本。労働条件が悪化し続けるエッセンシャルワーカーの過酷な現実を描き出した面でも、評価されて当然の作品だと思う。満島ひかり、岡田将生の好演は言わずもがな。個人的には、11月に亡くなった「俳優・火野正平」の姿をスクリーンで拝めたことが嬉しかった。(「こころ旅」の一ファンとして、改めて合掌)

『侍タイムスリッパ-』(監督:安田淳一/製作2024年、日本)

今年8月、私もちょくちょく利用するレトロな映画館「池袋シネマ・ロサ」一館のみで封切られ、口コミであっという間に広がり、いまや全国100館以上で順次拡大公開されている超話題作。(監督・脚本・カメラ・キャスティング・宣伝ポスター等々、すべてを一人の人間が行い、信じられないほどの低予算で製作されたことでも話題を呼んだ)

何故それほど多くの人たちに支持されたのか? まあ、それは映画を観れば分かることだが、一言で言えば「本当に面白くて、楽しめて、人の心に添える優しい映画だから」ではないだろうか。ドラマ「JIN-仁」の桂小五郎役、「剣客商売」の秋山大治郎役が記憶に残る主演・山口馬木也の演技と殺陣も見事だった。


さて、残すところ、今年もあと1日。

来るべき2025年が皆様にとって良い一年でありますように。



 

 

 

 

2024/12/29

勝手にコトノハ映画賞2024①


●最優秀作品賞(甲乙つけがたい2作品)

『ホールド・オーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(監督:アレクサンダー・ペイン/製作:2023年、アメリカ)

観終わった後の何とも言えぬ心地よさ。長く記憶に残るであろう珠玉のヒューマンドラマ。

 

『ソウルの春』(監督:キム・ソンス/製作2023年、韓国)」

[韓国映画、恐るべし]を改めて実感させられる必見の軍事サスペンス&極上エンタメ作品。歴史の闇を明るみに引きずり出す“映画の力”をまざまざと見せつけられた思い。(こういう映画が年間1位の動員数を獲得する国・韓国……やはり日本とは「民主主義」の在り様が違うようだ)


優秀作品賞

『密輸1970』(監督:リュ・スンワン/製作:2023年、韓国)

最強の「海女映画」ここにあり!の傑作。韓流的70年代サウンドも心地よく響いた。

 

『オッペンハイマー』(監督:クリストファー・ノーラン/製作2023年、アメリカ)

「原爆の父」オッペンハイマーの自伝的映画(数奇な運命に翻弄される稀代の科学者の姿をキリアン・マーフィーが見事に演じている)。被爆国・日本での上映に際して反対運動も起こったが、私的には「日本人こそ観るべき映画」だと思った。

 

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(監督:アレックス・ガーランド/製作2024年、アメリカ)

「アメリカで19の州が離脱し、テキサスとカルフォルニアの西武勢力vs政府軍の内戦が起こっている」という、観る者には「ただそれだけしかわからない」状態で物語は進んでいく(「何故?」という問いは胸に残したまま)……後は、戦場さながら銃撃戦の只中に(マジで怖い!)。時折、低い視線で映される野の花や草の美しさに少しだけ心を癒されるが、それすら哀しく思えてくる。

というわけで、恐怖と緊張感に縛られ、時折ため息もつきながら鑑賞し終えた一本。衝撃度(&疲労度)で言えば、今年一番の作品かもしれない。

(「この映画はフィクションではあるけれど、50%は実際に起きていることだと思っている」と、監督自身が語っているように、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていくアメリカの様&得体の知れない「レイシスト」の冷酷な行為等、今まさに、世界で、身近で、起きていること。切に戦争の終結を願うが、どうすりゃいいのさ、この世界?!)

 

『アイアンクロー』(監督:ショー・アーキン/製作2023年、アメリカ)

プロレス好きでなくても、多分、同世代の男なら大抵の人は、その得意技「鉄の爪=アイアンクロー」と共に、名前くらいは耳にしたことのあるアメリカの伝説的プロレスラー「フリッツ・フォン・エリック」。その彼を父に持ち、プロレスの道を歩むようになった兄弟の実話をベースに描いたドラマ。

で、父としての「フリッツ・フォン・エリック」はどうかと言うと、今でいう「毒親」そのもの(しかも超ド級)。世界王者になれなかった自分の代わりに息子たちを「王者」に仕立て上げようと自己流のスパルタ教育を施すのだが、そのスパルタ(というか洗脳)が仇となり、息子たちが次々に死んでいく……(あまりの悲劇に、アメリカでは「エリック家の呪い」と言われていたそうだ)

もう、観ていて腹が立つやら痛ましいやらで仕方なかったが、「毒親」の酷さと「洗脳」故に反抗できない息子たちの不憫さが微妙に相まって、スクリーンに釘付け。「毒親崩壊」の結末を見届け、最後はホッと安堵の息を吐きながら、映画館を後にしたように思う。(得体の知れない磁力すら感じる強烈な一本)

 

 

 

2024/12/28

読書メモ③+近況


『太宰治との奇跡の4日間』(著者・櫻井秀勲/きずな出版)

現在93歳の著者が、14歳の時に湯治場で見知ったある男……それは「太宰」ではなかったか?という話。(14歳の少年が体験した戦時下らしい“秘話”を興味深げに聞く人物。確かに太宰っぽいなあ、と私も思った)

松本清張、三島由紀夫、川端康成との交流や、故・坂本龍一のお父上(坂本一亀)が『文藝』の辣腕編集長だった(「出版界の鬼才」と言われていたらしい)など、長く出版業界に身を置いていた人なればこその裏話もあり、“昭和文壇史余談”的に気軽に楽しめる一冊。


『ただ生きるアナキズム』(著者・森 元斎/青弓社)

こんなに元気で尖がった学者(長崎大学教員、専攻は哲学、思想史)がまだ日本にいたんだね~、と感心しつつ驚き、少し嬉しくさせられた本。《国家や資本主義が私たちの欲望をさまざまに制限する現代にあって、「ただ生きる」とはどういうことか。「ただ生きる」ために、私たちは何をすべきなのか》を、解きつつ問う…といった内容だが、とりわけ《地を這う精神「はだしのゲン」》と題された章が印象に残った。
《私たちはゲンである。むろん原爆の惨状を経験していない世代だとしても、私たちはゲンの生きざまに見習うべきである。少年漫画としての『はだしのゲン』は、子どもの成長劇、青年のロマンが描かれている。身体的な生育だけではなく、精神の涵養を私たちは見て取ることができる。その精神の涵養にうってつけの反骨精神が色濃く描き出される。思春期の成長にうってつけの素晴らしいマグナム・オパスなのだ。反対せずにどう生きろというのだろうか。それ以外に正しい答えなどどこにもない。放射性物質がまき散らされている現在にあって、そしていまだ終わりを告げることがないアメリカによる日本支配の現在にあって、反核以外の、そして反米以外の道筋など私たちに存在しないのではないか。放射能と放射脳がこの世界をつくる。民衆が天皇という最高責任者によって戦争を強いられたという、そして民衆が大量に(友軍・皇軍からさえも)虐殺されたという「頑固な事実(matter of fact)」(ホワイトヘッド)は、阿呆くさい(天皇は利用されただけなどという)「歴史事実」(笑)とは異なるからこそ、反天皇以外の、そして反政府以外の道筋など私たちには存在しないのではないか。「頑固な事実」がこの世界を作る。民衆がいかに愚劣であっても、私たちは民衆であり、そして「頑固な事実」を経験するのは民衆なのである。そして、その一人がゲンである。》

改めて読み直すと「こんなこと言っちゃって、大学での立場は大丈夫なの?(しかも国立の大学だし)」と、少し心配にもなるが。別に間違っていることを言っているわけでもないしね~……まあ、兎に角、そういう忖度無しの“熱さ”も含めて今後も注目したいアナキスト・森元斎。次作を楽しみに待ちたい。


『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(著者・森永卓郎/フォレスト出版)

末期の膵臓がんを患いながら、ジャニーズの性加害問題に端を発し、財務省の利権問題、そして日航機墜落事故の真相等、日本のタブーに切り込んだ渾身の一冊(本人曰く「これは私の遺書である」)。私的に「ザイム真理教」信者が減り、「森永真理教」信者が増えれば、日本も少しは良くなるのでは?……と思えた“希望の書”。強大な権力に立ち向かう一人のアナリストの“命がけの戦い”に心からのエールを送りたい。

 

[ちょっとした近況報告]

9月から連れ合いと共に、地域の小学校で週1回「日本語ボランティア」として、海外にルーツを持つ子どもたちの学習支援(漢字の読み書き、算数など)を行っている。

ボランティア未経験の私が、その重い腰を上げたきっかけは4月に配られた市の広報誌。「日本語ボランティア入門講座 受講生募集」の記事を見たツレの「行ってみない?」という誘いに、「(自分自身の“学び直し”にもなるだろうし)外国から来た子どもたちの手助けになれるのなら…」と、割とすんなり応じた次第。(で、5月末から7月末まで12時間・全8回の講座に参加、7月末の日本語教室見学を経て、夫婦共々その教室の一員として加わることに決めた)

毎週火曜の午後3時~5時まで、学習支援のみならず、教室に集う生徒たちと一緒に「坊主めくり」や「UNO(ウノ)」「あやとり」等をして遊ぶことも多い。

(まさか、この歳になって、ミャンマーの小1女子と一緒に「あやとり」をやることになるとは……しかも、全然上手く出来ず、「そうじゃなくて、こうするの」と、手を取って教えてもらうハメになるとは…)

   ジャック日和







 

 

2024/12/27

読書メモ②


『七年の最後』(著者:キム・ヨンス/橋本智保訳、新泉社)

2024年、最も心に刺さった小説。まず、帯の文に惹かれた。

「夜は昼のように、昼は夜のように。水は火のように、火は水のように。

悪が善になり、善が悪になる。その廃墟を見つめること、それが詩人のすること――」

この本を読むまで、その存在すら知らなかったが、韓国の詩人たちに最も敬愛されている詩人の一人が、伝説の天才詩人「白石(ペクソク、19121996)」。白石は1930年代後半から40年代前半に活躍した詩人で、解放後は故郷のある北朝鮮に残り、体制になじめず筆を折った(らしい)。『七年の最後』は、その筆を折る1962年までの最後の7年間を、現代韓国文学を代表する作家キム・ヨンスが《構想30年。膨大な資料をもとに、記録された文献や歴史書の中に埋もれた人たちの声に生命を吹き込み、できるかぎり想像を膨らませて(訳者あとがきより)》蘇らせた長編作。キム・ヨンスによると「この小説は、白石はなぜ詩を書くのをやめたのか、書く自由を奪われた詩人を生かし続けた力は何なのか、などの疑問から始まった」とのこと。帯には《書かないことで、文学を生き抜いた詩人、白石》とも記されている。

で、私が最も印象に残った一節(咸興出身、モスクワの国立映画大学シナリオ科在籍の留学生リ・ジンソンに語らせたもの)……

時代という吹雪の前では、詩など、か弱いロウソクにすぎない。吹雪は散文であり、散文は教示するものだ。党と首領の言葉は、吹雪のごとく吹き荒ぶ散文である。峻厳で恐ろしく、緻密である。だが、詩は語らない。詩の役目は、吹雪の中でもその炎を燃やすところまでだ。ほんのいっとき燃え上がった炎によって、詩の言葉は遠い未来の読者に燃え移る。

それを受けた訳者のあとがきも印象的だった。

《(前略)そう考えると、『七年の最後』は、人間の力を信じることと、私たちが大切にしているものは権力によって壊されることはない、という著者の思いから出来上がった小説だといえる。その思いが白石が生きたと思われる架空の世界をつくりあげ、その中で白石は詩人として生き続けたのだ。それは皮肉にも、白石が詩を書かない選択をしたからこそ可能だったのだが、その結果、彼は自分の詩を守り、遠い未来の読者に燃え移り記憶されている》

(にしても、ノーベル文学賞を受賞した「ハン・ガン」しかり、韓国を代表する現代作家の力量、というか「読ませる力、その世界に引き込む力」は想像を軽く超える。確固とした信念と深い考察に導かれながら、さらに何故、このように繊細で美しく、その意志と悲しみをまとったような稀有な文体で綴ることができるのだろう)


『私たちが起こした嵐』(著者・ヴァネッサ・チャン/品川亮訳、春秋社)

舞台は、1930年代のイギリス植民地時代と1940年代の日本占領下のマラヤ(現マレーシア)。主人公となるのはユーラシア系(ヨーロッパ系を自負するが実際には浅黒い肌のアジア系として見下され、差別的に扱われていた)主婦セシリーと、その子供たち。セシリーはイギリス植民地時代に日本軍のスパイ「フジワラ」に惹かれ、彼の唱える「アジア人のためのアジア」という理想に共感して間諜行為に協力するのだが、「日本占領下」その子どもたちに数々の悲劇が訪れる……という、かなり陰鬱で辛いストーリーだが。それでもページを繰る手が止まらないのは「もし歴史を影で動かしている女性がいたとしたら…」というテーマ設定が生み出す予想外の展開とその緊迫感故だろうか。「心やさしい読者のみなさんへ」と題された、著者の長い“まえがき”も「日本人」的にかなり強烈な印象を受けた。

心やさしい読者のみなさんへ

《マレーシアでは、孫たちには話さないというのが、祖父母たちの愛のかたちでした。より具体的には、1941年から1945年までのあいだのことについては、ということです。それは、マラヤ(独立前のマレーシアはこう呼ばれていました)を侵略した日本帝国軍が、イギリスの植民者たちを追い出し、平穏だった国を内戦のただ中に突き落とした時期にあたります》(中略)

《『わたしたちが起こした嵐』を書く前のわたしは、日本による占領について、五本の指で数えられるほどの事実しか知りませんでした。日本人たちが巧妙にも、タイを経由して北から自転車を使って侵攻したということは知っていました。その間、イギリス軍の機関砲は、南の海に向けられていたのです。日本人たちは残忍で、情け容赦なく殺したということも、自分たちが侵略しておきながら、同時に(アジア人のためのアジアを)と訴える赤い宣伝ビラを空中から撒いたことも。それは、警告であるとともに、武器を取って立ち上がれという呼びかけでもありました。》(中略)

《話が長じるにつれて、祖母から真実を聞き出すことが、おしゃべりをとおした探し物ゲームのようになっていきました。占領下のクアラルンプールで過ごした、10代の頃の生活はどうだった?占領下の生活はどうだった?と尋ねると、祖母はいつもこう答えたものです。「普通さ!みんなといっしょだよ」

それでも最終的には長い年月をかけて、真実だけを伝える冷静な声によって、わたしはさらに学んでいきました。だれもが家族を飢えさせないようにするのに必死だったこと。学校は閉鎖されたこと、日本の凶暴な秘密警察である憲兵隊が、イギリスの行政官たちを投獄し、中国系住民の抵抗運動をジャングルの奥でひねり潰したことを。》





 

2024/12/23

読書メモ①


色々な物の値段が上がる中、本の価格も上がる一方。

(値上げの大きな原因は需要減。いわゆるZ世代を中心に活字離れが進み「本や新聞を読む日本人が少なくなった」こと。文化庁の調査によると「本を月に1冊も読まない人が6割を超えている」とか……以前、誰かが「SNSの進展は知の衰退をもたらす」と言っていたが、玉木率いる「国民民主党の躍進」「兵庫県知事選」「在日クルド人へのヘイト」等の現状を見ると、その通りの世の中になってきた気がする。「(人との出会いはもとより)いつの時代も、映画と音楽と本は、人を変える」と、当たり前の様に思い生きてきた人間としては、何とも寂しい限り)

特に、発行部数の少ない海外文学作品などは12000円~3000円が普通で中には5000円を越えるものもあり、とても手が出しにくくなっている。

というわけで「買うより、借りろ!」……7月頃から市内の図書館を利用することが多くなった。ここで取り上げる何冊かもその図書館で見つけたもの。

まずは台湾発ハードボイルドタッチのミステリー小説『台北プライベートデイ』から。(最近は海外小説、とりわけアジア文学中心の読書生活。その感想を一言で言うなら「俺はアジア(文学)を知らなさすぎた&読まな過ぎた」……本当に興味深い作品が多いし、感性瑞々しく鋭い素晴らしい作家たちがいる)

『台北プライベートアイ』(著者:紀蔚然(きうつぜん)/船山むつみ訳)

主人公は元演劇科大学教授というプロフィールを持つ駆け出しの私立探偵「呉誠(ウーチェン)」(年齢は50歳手前)。酒の席での失態が原因で仲間を失い、(パニック症候群など精神的問題を抱えている故か)妻にも逃げられ、何もかもなげうって私立探偵を始めた…という、かなりハチャメチャな人物(ひねくれたユーモアが好みで、毒舌全開の独白で憂さ晴らし。風体はダサいのに音楽の趣味はめっちゃイイ…というあたりは「ハードボイルド」小説ファンにはたまらない味付け)。その「呉誠」によって語られる台北の街(主に下町)、人、文化、歴史…とりわけ「台湾人観」が実に興味深かった(言うならば「読めば台湾・台北の事が分かったような気になれる」ハードボイルド小説。元気過ぎる呉誠の母、つれな過ぎる妹、倫理感ゼロのマスコミ、頼りない警察、探偵ビギナー揃いのダサ面白い仲間たちなど、いい加減だが憎めない。という「台湾らしさ」を感じさせる脇役陣にも自然に興味を惹かされた)。

ちなみに「台北」は、(数少ない海外旅行の中で)私的に好きな街ランキング3位の街(ちなみに1位はホーチミン、2位はベネチア)。この小説を読んで、「もう一度行ってみたいなあ」と、より「台北」の魅力が増した気がする。(続編『DV8 台北プライベートアイ2』も現在読書中)


『黒い豚の毛、白い豚の毛』(著者:閻連科(えんれんか)/谷川毅訳)

中国の農村や軍隊(著者自身も入隊していたことのある人民解放軍)を舞台・題材として展開されるマジック・リアリズムの世界を作り上げ、フランツ・カフカ賞をアジアでは村上春樹に次いで受賞するなど、世界的評価が高く(一方、その鋭い寓意に満ちた作品は、本国では「軍を侮辱した」などとして発禁処分も受けてきたそうだが…)ノーベル文学賞の有力候補との呼び声もある著者・閻連科の自選短編集(2002年~2018年の間に綴られた作品群)。

表題(の短編)『黒い豚の毛、白い豚の毛』とは、クジをひかせるために用意した毛(黒い毛なら当たり、白ならハズレ)。で、そのクジの景品は何かというと《自動車事故で人を轢いてしまった鎮長(「鎮」は県より少し小さい都市や町のことで、その「長」。即ち市長もしくは知事といった所だろうか)の身代わりになる権利》……はっ?何それ?と思うが、「貧しく冴えない現状から抜け出すには市や村の有力者に取り入るほか無し」と考える人たちが普通に多い超格差・村社会。「罪を被って牢に入ることで恩を売り、出獄の暁にはたぶん出世が待っているはず…」と、うだつの上がらない男たちが次々にクジを引くことになる。結果、見事当たりクジを引いた男に待っていたのは「出世」ではなく…という話(想像通りの哀しい結末)。

その他、《未婚の中隊長を結婚させるために、軍をあげての嫁探し。どうにも上手くいかず、最終手段としてイケメンの部下が「中隊長」と偽り、自分の写真と恋文をターゲットの女性に送りつける。そして遂にその女性が中隊長のもとに現れるのだが…》という、ほとんど性暴力としか思えない、あまりの人権無視&驚愕の結末に唖然とさせられる『革命浪漫主義』、また、限界集落を一から建て直す郷長(集落の長)の執念が凄まじい『柳郷長』、晩年になってからキリスト教を信じるようになった老婆を翻意させるため(共産主義を標榜する国家・中国。実際は多様な宗教文化が存在していて、建前上も禁止していないものの「ない方が良い」というスタンス。とりわけ「キリスト教」は中国共産党政権の一番の標的、キリスト教会の十字架破壊、撤去及びそれに抗議する信徒たちの逮捕など、習近平政権下、弾圧が続いている)、元村長の隣人が様々な策を講じる『信徒』なども、深く印象に残った。








2024/08/01

もろもろ“雑感”②(名作2本)


◎映画『ホールド・オーバーズ 置いてけぼりのホリディ』

(監督:アレクサンダー・ペイン/製作:2023年、アメリカ)

197012月の、ボストン近郊にある名門バートン校。誰もが家族の待つ家に帰るクリスマス休暇が近づく。しかし、学校に残る者たちがいた。

生真面目で融通が利かず、皆に嫌われている古代史の教師ハナム。彼は冬休み返上で、帰れない生徒の面倒をみることに。学校に残る生徒の一人は反抗的なアンガス。ベトナム戦争で息子を失ったばかりの料理長メアリーも一緒にクリスマスを過ごすことになる。

孤独な彼らにはそれぞれが心を開かぬ理由があった。それでも、反発し合いながらも、彼らの関係は少しずつ変化してゆく――》(『THE  HOLDOVERS』パンフレットより)

6月某日鑑賞。孤独な3人が「疑似家族」のように過ごしながら、失望を乗り越える術を互いに教え合うという、皮肉と優しさとユーモアに満ちた珠玉の人間ドラマ。(どこかクリント・イーストウッドの名作『グラントリノ』を想起する人生観あり)

観終わった後の、何とも言えぬ心地よさ(「勝手にコトノハ映画賞2024」暫定ベストワン決定!)……絶妙の語り口で矛盾だらけの人生を生きることの悲しさと可笑しさを等配分して、温かみのある極上の後味を残してくれた名匠アレクサンダー・ペインに感謝。

(心温かき皮肉屋ハナムがピュッとウイスキーを吐き出すラストシーン……台詞は無かったが、私には聞こえた。「そうさ、まだ生きていける」と)


 ◎映画『密輸1970』(監督:リュ・スンワン/製作:2023年、韓国)

映画評論家・町山智浩氏の話によると映画界には「海女映画」というジャンルがあるそうだ(知らなかった!)。その先がけはソフィア・ローレンが大スターとなるきっかけにもなった『島の女』(1957年、アメリカ)。続いて、浜美枝が海女役で登場する『007は二度死ぬ』(1966年、イギリス)、最近ではジェームズ・キャメロン監督の『アバター2』(2022年、アメリカ)もその一つに数えられるとのこと。で、そんな町山氏のお眼鏡にもかなって大ヒット中の最新「海女映画」が本作『密輸1970』。(舞台は70年代半ば、韓国の漁村クンチョン。海洋汚染の影響で失業の危機に瀕していた海女さんVSチンピラ風ギャングVS密輸王VS税関職員……“四つ巴の金塊争奪戦。最後に勝利するのは?)

監督は『モガディッシュ 脱出までの14日間』のリュ・スンワン、主演は韓ドラファンなら誰もが一度ならずその演技と目力に魅了された経験を持つ(はずの)名優キム・ヘス。さらに《海を舞台に巨額の金塊を巡って繰り広げられる騙し合いの行方を実話に着想を得て描き、2023年・第44回青龍映画賞で最優秀作品賞など4冠に輝いたクライムアクション》と聞かされれば、私的に「観ずに死ねるか!」となるのは必然。即、公開初日(712日)新宿ピカデリーに飛び込んだ。(結果、もちろん大当たり!)

地上でも海の中でもアクションが凄いのは言わずもがなだが、一癖も二癖もあるような登場人物たちが織りなすコンゲームの圧倒的な面白さ!

加えて、70年代のサイケなファッションも楽しめるし、流れる音楽もノリノリ&ソウルフル(70年代の韓国のロックバンド「サヌリム」のアルバムとのこと)。そしてラストは、爽快なシスターフッド(女性同士の連帯)で締めくくる……というエンタメのお手本のような「海女映画」だった。(当然、超オススメ!だが、既に上映終了かも?)





2024/07/28

もろもろ“雑感”その①


庄野真代の歌ではないが《割れてしまえ地球なんか!》と、分厚い空に声をぶつけたくなる様な連日の猛暑。皆さま元気でお過ごしでしょうか。(私自身は特に変わりなし。日々体力の衰えは感じますが年相応に元気で過ごしています)

というわけで、久しぶりのブログ更新……あまり旬な話題ではありませんが、まずは、77日に行われた東京都知事選について。

(年の所為か「集中して一気に書く」というのがけっこうキツイ。必然アップするのに時間がかかるし、時間がかかれば書いた内容も古くなる。という悪循環で徐々に「書く気も失せてくる」わけですが、変わらず本は読んでいるし、映画も韓ドラも「虎に翼」も観ている。おまけに8月からは初めてのボランティア活動もスタート……以前ほど、筆は進まなくなりましたが、書きたい事があるうちは続けたいと思っています。今後とも宜しく)

◎都知事選1(小池百合子強し!)

N党が仕掛けた「掲示板ジャック」、ある候補者によるほぼ全裸ポスター掲出、聴くに&見るに耐えない政見放送など、「(良識も常識も真摯な姿勢も“悪意・冷笑・金儲け”の渦の中に巻き込まれるような)メチャクチャな世の中になっちゃったなあ」と、改めて「底の抜けた日本」を感じさせられた17日間の選挙戦は77日、大方の予想通り「現知事・小池百合子」の圧勝で幕を閉じた。

(「ぜひ、この人を!」と積極的に推せる候補者が見当たらない中、私自身の投票方針は「戦略的一択」。「反自民・反小池都政」及び人権&護憲という観点から蓮舫さんに一票を投じた。但し、彼女も旧民主党政権の中枢にいた一人。経済政策的には「緊縮財政派」の印象が強く、新自由主義を是とする他候補と大差なし。政治家としての真摯な姿勢及び人間性はどの候補者よりも信頼できるが、大胆な改革はあまり期待できないだろうなあ。と思いつつの一票)

で、この結果……小池都政の終焉を願った身としてはもちろん喜ぶことはできないが、あまりの大差負け&次点も逃すという惨敗に「ここまで負けるとはなぁ…笑っちゃうしかないね」と、若干寂しくテレビの前で脱力。

(にしても、学歴詐称・電通及び三井との癒着等、あれだけ疑惑が取り沙汰され、自ら答弁の場に立たない傲慢な都政運営を問題視されてもこの強さ。しかも、女性票のダントツの多さ!)

私には“あれだけ怪しい”小池百合子を選んだ女性たちの理由がよく分からないが、少し目線を小池氏側に寄せれば、その選挙戦の姿は「正義を振りかざす政治的マッチョな男たちに叩かれても(“小池やめろ!”コールに演説を遮られても)、騒がず怒らず、微笑みながら余裕で受け流す老練で頼れる政治家」と見えなくもない。言い換えれば「学歴社会・男性社会の中でしたたかに生きる術・出世する術を身につけ、己を偽ってでもひたすらトップの座を目指し、次代の女性たちに道を切り開いた稀有な人物」……そう捉えると、女性たちの圧倒的支持も頷けなくはない。

(といって、私自身は、レイシスト的発言が多く歴史修正主義体質の小池氏を人間的にも政治家としても好きにはなれないし、今後も「反小池」に変わりはない。

兎に角、アメリカ大統領選を見ても分かるように、選挙は生ものであり感情的なもの。「正しさ」だけで人を動かすことはできないし、現状に対する正当な抗議や怒りが必ずしも票につながるわけではない。その逆に「緑のタヌキ」などという揶揄や「やめろ!嘘つき!」等の野次・怒声には鋭く反応し、顔をしかめる人が多いと聞く。改めて、センシティブな女性票を舐めてはいけないなあ…と思った)

◎都知事選2(「蓮舫」選挙戦&選挙後)

一方、負けた蓮舫さんの選挙戦はといえば(私は街頭演説の動画を逐一見ていた)、“ひとり街宣”のきっかけとなった区長選の勝者、杉並区長・岸本聡子さんを始め、様々な分野で活躍する女性たち及び市民活動家や立憲・共産・社民の女性議員たちが次々に車上に立ち、かなりな盛り上がりを見せた序盤は文句なし。「これはひょっとするかも?」と思ったが、後半、リベラル陣営からも「オワコン」と呼ばれる旧民主党・現立民の古株議員たちの登場によって一気に失速した感じ(「オール都民」で戦うはずが、野田佳彦、枝野幸男、長妻昭等が異口同音に小池批判&自民党批判を展開する様は、まるで「立民演説会」。動画を見ながら「野田、早くやめろ!」と声が出そうになったほど)。せっかく党を離れて、一人のリベラルな政治家として立ち上がったのに、これでは旧民主党のネガティブなイメージが増幅するだけで私のようなリベラル&無党派層の支持も遠のく。「これではなあ…」と敗北を予感した。

(選挙後、「共産党と組んだことが敗因」などと、相変わらず共産アレルギーの連合会長や国民民主の玉木などが言っているが、それは彼らの単なる思惑。個人的には「蓮舫(の応援)」よりも今後の政局及び代表戦を睨んで、連合に忖度しつつ立民と自身の存在感をアピールしたい「オワコン」連中が、共産を含めた幅広いリベラルの結集を促すどころかぶち壊したのが敗北の一因になったように思う)

で、そんな私が憤り心底イヤになったのは選挙後。「権力から遠い者&負けた側は容赦なく叩け」とばかりに、蓮舫氏が3位で敗れた事をあざ笑うかのような連日の「蓮舫バッシング」……安全な場所から差別的な言葉を浴びせ続けるSNSの匿名連中はもとより、「あまり人気のない蓮舫ならからかっても、何を言ってもイイ」風に、「2位じゃダメなんですか」という民主党政権時代の彼女の発言を未だに揶揄して流し傷つけるテレビ局、新聞社。「生理的に(蓮舫氏を)嫌いな人が多い」などと偏見に満ちた発言を知った風にほざく低劣なコメンテーター&芸能人。

一体、彼女がどんな悪い事をしたというのだろう。単に一人の政治家として政府と都政の腐敗を追及し、力及ばず負けただけではないか(しかも叩いている側には何も言わず、名誉棄損レベルの言辞で叩かれている側には「冷静になれ」というアホらしいほど歪んだ感覚)。彼女が批判した小池都政の中身には一切触れず、彼女の個性でしかない「出自」「服装」「容姿」「言い方」を叩く、非難するという、その邪悪なエネルギーの半分でも疑惑まみれの小池百合子や自民党(とりわけマイナカード利権に群がる連中の意のまま保険証廃止をごり押し、反論・疑問・質問を一切無視する河野太郎デジタル相!)に向けてみろよ!と文句の一つも言いたくなる。ホント何なんだろうね、この国は!?

(「蓮舫叩きはリベラルな政治家への見せしめ」と誰かが呟いていたが、当たらずと雖も遠からず。しかしこれほどリベラルな政治家、考え方・主張が嫌われ、揶揄われる国になるとはなあ……ということで一言。そんなにリベラルが嫌いならまず一番にやるべきは、自分が支持する党の党名変更を要求することではないだろうか。

《自由民主党=リベラル・デモクラティック・パーティー》のままだと、諸外国から「自由と民主主義を党是に、社会的公正や多様性を重んじる」進歩的な党だと勘違いされちゃって、色々辻褄合わせに困ると思いますが…?)

◎都知事選3(3位は石丸伸二?!)

選挙戦が始まる前から、小池・蓮舫・石丸の三つ巴に争いになるというのが大方の予想。早くから「蓮舫一択」と決めていた自分も新顔・石丸伸二の存在は気になっていた。で、「経済と地方自治のプロ」を自称する彼の人となりを知るべく安芸高田市長時代の動画(市議会での質疑応答、けっこう話題になった「恥を知れ、恥を」等)を何本か見たのだが、「(その中身はともかく)話が上手いなあ。若い人たちとの距離も感じさせないし…」と、少しばかり感心したのは、漫画・鬼滅の刃のエピソードを取り入れながら「かっこいい大人になってください」というお得意の言葉(その決め台詞、私的には気色悪い)で締めくくる「新成人へのメッセージ」一本のみ。他は「話にならない」ほど酷かった。

例えば市議会での答弁。極めて分かりやすい質問に関して(しかも事前に質問文を読み、答弁を準備する日数も与えられているのに)理解できないのか、理解する気がないのか分からないが、まったく答えようとせず、あらぬ方向に話を引っ張り意味不明な事を言う。あるいは質問に対して質問で返す(都知事選後にも見られた姿)。必然、会話が成り立たず、「そんなこと聞いてないよ」「何を言っているの?」という戸惑いの言葉が飛び交う議場になる(こんな質疑応答でも議場内が激しい野次や怒声に包まれたりしない「安芸高田市議会」の懐の深さに只々感心)…そんな光景も石丸支持者には“孤軍奮闘”の様に見えるのかもしれないが、市政のトップがこれほど会話能力・コミュニケーション能力が乏しくては、あらゆる物事が停滞することは必定。安芸高田市はよく我慢したなあ…と思う。

というわけで、私的には「都知事にしてはいけない候補一番手」だったが、何と蓮舫さんを30万票以上上回っての2位……(「本も新聞も読まない」らしい20代~50代の支持が圧倒的だった!ようだ)

「石丸現象は、日本人全体の知性の劣化と、幼稚化の結果であり、それは今後も拡大していくことは間違いない」と、ネットの記事に書かれていたが、残念ながら同意。このイヤな流れ、70代の私たちには止めようがないのかもしれない。

P.S.

727日、パリオリンピック開会式……

のっけから凄かった。フランス革命を想起させる映像が流れた後、ギロチンにかかったマリー・アントワネット(の生首)が革命歌「Ah, ça ira !(ア!サ・イラ)」を歌いだし、ヘビメタバンド「GOJIRA(ゴジラ)が歌に合わせて激しくギターを奏でる……そして真っ赤に染まるパリの街並み、画面に浮かぶ「LIBERTÉ(リベルテ=自由)」の文字。その《フランス革命、全力肯定!》とでも言うべき攻めた演出に、自ら自由を勝ち取った市民革命の歴史を持たない国に住む一人として、若干の羨ましさを覚えつつ「さすがだなあ~」と唸ってしまった。

(その他……ピンクの羽根のレディーガガも圧巻だったが、何といっても、ラストを飾ったセリーヌ・ディオン!「愛の讃歌」のあまりの素晴らしさに胸が震え、時間が止まった)

2024/04/03

2ヶ月分のメモ②(3月中のあれこれ)


31日(金)

ほぼ1日かけて練った「新潟・佐渡23日(526日~28日)の6人旅」プランを、Y君、O君にメール送信。(それぞれから「詳細なプラン作成ありがとう」の返信あり)

※旅の初日、共通の友人で新潟在住のN君と「古町」あたりで会食予定。

34日(月)

証明写真機の仕事。年明けから、売価変更や新千円札対応に伴う作業が増え、けっこう手間(その分、多少の割増手当は付くが)……で、利用料金がいくらになったかと言うとジャスト1000円(レギュラー)。私がこの仕事を始めた時は700円だったので、ここ45年で約30%上がったことになる。仕事的に釣銭切れの心配が減ったのはいいが、「何でも値上げ」のご時世とはいえ、正直「上げすぎじゃないの?」と思う。(なのに、「コロナ禍」の際の売上減少を理由に下げられたギャラ=委託料は、未だ回復せず)

315日(金)

午前中は仕事。その足で久しぶりに新宿へ。武蔵野館で韓国映画『梟―フクロウ―』(監督:アン・テジン/2022年製作)を観てきた。

李氏朝鮮時代の記録物「仁祖(インジョ)実録」に記された“王子の怪死事件”にまつわる謎を題材にしたサスペンススリラー。主人公は「暗闇では幾分見える」盲目の天才鍼医ギョンス(演じるのは、韓ドラ「応答せよ1988」での好演が記憶に残る人気俳優リュ・ジュンヨル)……病の弟を救うため、高収入を得られる宮廷で働くことを望み、運よく選抜され、願いが叶ったギョンスだったが、ある夜、王の子である世子(せじゃ)の暗殺を間近で目撃してしまい、おぞましい真実に直面する事態に。その「真実の吐露」により追われる身となった彼の運命や如何に?…という話。

基本「韓国の時代劇にハズレなし」を、ネットフリックスを通じて実感しているので、もとより期待度は高かったが、噂に違わぬ秀作。世代を超えて楽しめる良質な娯楽サスペンスだった。

321日(木)

MLB韓国シリーズ、ドジャースVSパドレスの第1戦終了後、大谷翔平の通訳であり盟友とも思えた水原一平氏の「ドジャースを解雇」という“寝耳に水”のニュースにビックリ。理由は《違法なブックメーカーで賭けるため「大規模窃盗」に手を染めた》ためとのこと……彼個人がやったことで大谷選手に責任はないだろうが、結婚もした矢先に身近で起きた忌まわしい出来事。ふと「好事魔多し」という言葉が頭に浮かんだ。

※後日、事実上“大谷選手を裏切った”形になった一平氏が「ギャンブル依存症」だったことが判明。以後、連日のようにメディアは一平氏の行為を非難しつつ、この問題を取り上げていたが、私自身は「病気の人がやったことを声高に非難したり、勝手に推測してもなあ」という暗鬱な気分になり、「事件」への興味を急速に失った。(それより、大谷選手のバッティングの調子がイマイチなのが気になる)

3月某日

ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳/早川書房)読了。

《ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は真っ先に“湿地の少女”カイアに疑いの目を向ける。6歳で家族に見捨てられ、生き延びてきたカイア。村の人々に蔑まれながらも、生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へ想いを馳せ暮らしていた彼女は果たして犯人なのか? みずみずしい自然に抱かれた少女が不審死事件と交差するとき、物語は予想だにしない結末へ》と、カバー裏に書かれているように、一篇の詩によって導かれる“鳥肌モノの結末”が待っているミステリーの傑作だが、幼くして家族に見捨てられた少女の成長譚としても十分に読み応えのある作品。差別と偏見の眼を逃れながら過酷な境遇を生き抜き、持ち前の好奇心と瑞々しい感性&深い観察眼を基に蓄えた知識を「著書」として世に送り出すまでに至る一人の女性の存在そのものにも圧倒された。

328日(木)

昨年12月に亡くなった歌手・八代亜紀の「お別れ会」のニュースあり。私もその人柄も含めて大好きな歌手だったが、彼女の数ある名曲の中で、最も好きなのが「雨の慕情

https://www.youtube.com/watch?v=FZMWYN8pzG0

そういえば、敬愛する故・寺山修司も確かこの歌が好きだったはず。(もう40年以上経つだろうか)ふと読んだスポーツ紙の競馬コラムの中で「雨々ふれふれ もっとふれ 私のいい人(いい馬)つれて来い」とこの歌を引き合いに彼らしい“勝ち馬予想”をしていたことを思い出した。改めて合掌。

330日(土)

墓参り。母が眠る場所に向かう途中、今年最初の桜を目にした。



2024/03/29

2ヶ月分のメモ①(2月中のあれこれ)


28日(木)

午後1時~ 旧知の俳人2人(T君&K君)と新橋で飲み会(場所はニュー新橋ビル地下1階の居酒屋「ふみ」)。70過ぎの男3人、会えば気になる互いの「健康」……というわけで、最近の体調から話がスタート(当然、私の「ジロー話」も)。白内障の手術を行ったT君は「術後、目が見えすぎて眩しい」らしく、以来メガネをかけずに過ごしているとのこと。(50年以上付き合っているが、メガネの無い彼の顔を見るのは初めてかも?若干違和感あり)

その後は、イスラエル(のジェノサイド)、能登半島地震、岸田政権及び立憲の体たらく等々、政治関連の話題から文学(読み終えた2冊、『ラウリ・クースクを探して』をT君に、『日没』をK君に、その場でプレゼント)、映画(『福田村事件』『ナワリヌイ』など)、韓ドラ(沼落ち必至の名作『ムービング』!)まで、5時間近く楽しく語り合った。 


212日(祝)

河崎秋子の直木賞受賞作『ともぐい』読了。

本の帯に「新たな熊文学の誕生!!」(「熊文学」などというジャンルあるの?という疑問はさて置き)と書かれていたので、熊と人間の死闘を描いた所謂“マタギ小説”か?と思いきや、予想だにしない結末に「うわっ…“死闘の連続”ってこういうことだったか!」と、心を射抜かれる秀作。作家・東山彰良氏曰く「今日的な幸福というちっぽけなヒューマニズムでは測れないむきだしの物語だ」……私的に、ここ1年の間で読んだ小説の中では、重度障害当事者でもある作家・市川沙央の芥川賞受賞作『ハンチバック』に次ぐ面白さ&衝撃度だった。


216日(金)

シネ・リーブル池袋にて、脱北を試みる家族の“死と隣り合わせの旅”に密着したドキュメンタリー映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』(監督:マドレーヌ・ギャビン/2023年製作、アメリカ)鑑賞。

作品の中心となるのは、脱北者家族(幼児2人と老婆を含む5人)とそれを支援する韓国人のキム・ソンウン牧師、そして北朝鮮に息子を残したまま、一人、韓国で暮らす脱北女性(もちろん、その背景として南北分断の歴史、欧米と日本の戦争責任にも触れつつ、公開処刑・飢餓など“軍事ファースト”北朝鮮の現地映像も流れる)……その5人の家族の緊迫感漂う苛酷な脱出劇と脱出を図れず北朝鮮で拷問に合う息子に思いを寄せる母の姿に、否応なく感情移入させられつつ、スクリーンに釘付けとなる115分間。改めて、この世界はどうしてこうも悲しく、残酷なのだろう、と思う。

219日(月)

JR神田駅近くの居酒屋「神田っ子」で新年会あり。(メンバーは、広告業のJINさん、デザイナーのフェアリー&私の3人)

1年半ぶりの3人会だが、いつ会っても言葉は同じ。「美味しかった!」「楽しかった!」「また会おうね!」…変わらず会える良き仲間がいる幸せ。みんな、元気で!


 221日(水)

確定申告のため「東村山青色申告会」へ。例年通り、20分ぐらいで終わるだろうな…と思っていたが、担当の税理士さんが“新人”のようで、中々捗らず1時間もかかってしまった。(ようやくまとめた提出書類にチェックを受けるべく「これでいいでしょうか」と尋ねた先輩に「もっと、整理してから持ってきて」と冷たくあしらわれ、さらに焦って震える彼の手……「落ち着こうよ」と声をかけようと思ったが、余計に焦るかもしれないので、やめた)

 224日(土)

孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(菅野久美子著/双葉文庫)読了。

《ひとりで死に、長期間誰にも発見されることのない、孤独死。今後日本で100万人規模での発生が予想されている。孤独死が起こった現場はどうなるのか、残された遺族は何を感じるのか、故人が抱えていたものとは……。著者が実際に特殊清掃に同行したルポとともに、現代を生きる私たちが孤独死を防ぐためにどうすればいいかを探る》(カバー裏より)

という、まさに「他人事じゃない」現在的問題へアプローチした渾身の一冊。

孤独死の予兆である「セルフネグレクト」「生活不活発病」等は世代に関わらず起こること。高齢者のみならず誰もが孤独死に陥る可能性を秘めていることが、この本を読むとよく分かる。