「たまには“男同士で映画”もいいんじゃない?」と企画した「映画デート(からの飲み会)」。その初デートに選んだのは話題のヒット作『新聞記者』。(男3人で観に行くはずが、「私も観たい!」「あっ、ワタシも」の声を受け、ツレとY君の連れ合いMARIちゃんが加わり5人での鑑賞。鑑賞日は17日、場所は「新宿ピカデリー」。映画の後は伊勢丹会館4F「あえん」で“ワイワイ”)
監督は若干32歳の藤井道人、原案は菅官房長官の“天敵”として有名な東京新聞「望月衣塑子」記者。
主役は二人、東都新聞記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)と、内閣情報調査室の若手官僚・杉原拓海(松坂桃李)……加計・森友問題とそれに絡んだ公文書改竄、元TBS社員で安倍総理と深い関係にある記者「山口敬之」によるレイプ事件など、現実に起きた事件とフィクションをリンクさせたストーリー展開が巧み。ただの一人も政治家を登場させない(巨悪の姿を見せない)という作り方もサスペンスの緊張感を生む上で効果抜群、真実を求める記者と政治の暗部に気付いた官僚の苦悩の只中に、ジワジワと私たちを引きよせる。
で、ラスト近く、「この国の民主主義は形だけでいいんだ」という作品中で最も印象的な一言が杉原の上司で内閣情報調査室のボス・多田(田中哲司)から発せられ、観客一同「こわーっ」「この国ヤバい」……となるのだが、もともとアメリカから与えられた民主主義。マッカーサーの指揮下で作られた現行憲法の改正(改悪)を一貫して目指している政権(及び日本会議や神社本庁)にとっては、その憲法同様に「戦後民主主義」も邪魔な存在。
「形だけの民主主義」以前に、現政権の中枢にいる政治家たちの理想郷はナチスドイツではないのか?とまで疑っている自分にとっては、「さもありなん」という感じで特に意外性もなく、改めて恐怖を覚えるほどのこともなかった。
「形だけの民主主義」以前に、現政権の中枢にいる政治家たちの理想郷はナチスドイツではないのか?とまで疑っている自分にとっては、「さもありなん」という感じで特に意外性もなく、改めて恐怖を覚えるほどのこともなかった。
寧ろ本当に「ヤバい」のは、その言葉に象徴された現政権の体質ではなく、誰もが一人の人間として自由に生き、自由に発言する権利を持っているはずのこの国で、多くの人が「立場」でしか話が出来なくなっているという現実のほう。
その立場が社会的に重ければ重いほど、個人の意思など何処へやら、「立場」で生きるほかなく、「立場」でしかモノが考えられなくなっていくことの怖さ・異常さ……
その立場が社会的に重ければ重いほど、個人の意思など何処へやら、「立場」で生きるほかなく、「立場」でしかモノが考えられなくなっていくことの怖さ・異常さ……
杉原が微かに口を開いて何かを呟いたラストシーンを改めて思い浮かべながら、この息苦しい言語環境を作ってしまった責任は、ほかの誰でもなく(もちろん「安倍のせい」でもなく)、日本社会を形成する「私たち」自身にあることを痛感せざるを得なかった。
(そんな「杉原」のラストの言葉……私には、「一個人としての思いを捨て、立場で生きる道を選んでしまった」ことに対する「ごめん」だったたように思えたが、如何に?)
まあ、何はともあれ、こういう政権批判を含む社会派サスペンス映画が選挙期間中に上映され、しかも大ヒットしたことは、映画界にとっても日本社会にとっても、良い兆し。
どんな時代であろうが、どんな社会で生きていようが、結局、最後は主人公ふたりのように「人としてどう生きるか」という個々の選択の問題なのだから、形だけでも「民主主義」が存在しているうちに、自分自身の「自由」を取り戻し、その権利を常に行使しながら“息苦しさ”を社会から払拭する努力を重ねること。それしか道はないように思う。
P.S.
元号が変わって既に3カ月。「令和」の“令”には未だに抵抗感を覚えるが、ひらがなの「れいわ」は目にも耳にも、しっくり馴染む今日この頃……
明後日(8月1日)は、「れいわ新選組」の国会議員2名(ALS患者の舩後さん、重度障害者の木村さん)の初登院。そして新宿駅西口では、参院選後、初の街宣となる「山本太郎 街頭記者会見」が行われる。
このところメディアへの露出度も一気に増したし、まさに「れいわ」の夏の始まり…と言った感じ。(鉄は熱いうちに…早く来ないか、衆院選!)
にしても今回の参院選、「N国(NHKから国民を守る党)」の実態をよく知らずに、NHKの受信料及び政権ベッタリの報道姿勢に疑問を感じて投票した人たちは(私の友人も危うく一票入れそうになった)、今ごろ、きっと後悔しているのでは?
続いて、相変わらずの「日韓」…
一昨日(28日)読んだデジタル版の日経新聞に「ソウルで数百人が反日集会 輸出規制強化に抗議」と題する記事が写真付きで載っていたが、その写真で、デモの参加者たちが掲げているプラカードに書かれた文字はハングルで「NO安倍」……(な~んだ、俺たちと一緒。全然「反日」じゃないじゃん!と、嫌韓を煽るメディアの姿勢に“喝”)
で、そのデモの心は?…「コリアンポリティクス」の徐台教(ソ・テギョ) 氏の呟きを読んで納得。
《ソウル光化門広場で行われている「安倍糾弾 第二次キャンドル文化祭」デモに来ています。見る人が見ればすぐ分かりますが、これは「日本不買デモ」ではなく、いわゆる自主派のデモです。安倍政権=韓国旧親日右翼=南北融和反対vs民族自主という図式です。敵は日本ではなく、冷戦守旧体制ですね。》
さらに徐さん、10日前にはこんなつぶやきも。
《東アジア再編を信じ、その過程で冷戦構造をはじめ朝鮮半島にまつわるあらゆる「くびき」を無くしたい韓国政府と、そんなものはそもそもあり得ないと切り捨て、既存の秩序を維持しそれを基盤に勢力拡大を目指す日本政府。日本から見る韓国は「妄想」、韓国から見る日本は「妄執」。交わらないだろう。》
いつまで続くぬかるみぞ……といった感じだが、まずは日本が自ら「妄執」を解き放つ道を探ること。それですぐに関係が改善するわけではないだろうが、隣国の「妄想」を、お互いの「夢想」に変えることはできるのでは?と思う。
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