2018/04/07

ジョージア発、『花咲くころ』(ひと月遅れの映画メモ)




ジョージア……と聞いて、すぐに頭に浮かぶのはレイ・チャールズが歌い世界的に知られるようになった名曲『我が心のジョージア(Georgia on my mind)』。

歌の中のジョージアはもちろんレイ・チャールズの故郷、アメリカ・ジョージア州のことだが、かつて「グルジア」と呼ばれたコーカサス地方の国が、「ジョージア」とロシア語読みから英語読みに切り替えられたのを3ヶ月ほど前に知った。(きっかけは、大相撲初場所の優勝力士「栃ノ心」がジョージア出身と報じられたこと)

で、3月初めの月曜(5日)、その「ジョージア」(現地語での正式名称は「サカルトヴェロ」)の映画が気にかかり、神田神保町の岩波ホールまで足を運んだ。

タイトルは『花咲くころ』(監督ナナ・エクフティミシュヴィリ&ジモン・グロス/2013年製作/ジョージア、ドイツ、フランス合作)。
映画の舞台は1992年、旧ソ連崩壊直後の混乱期にある首都トビリシ。主人公は、これから花開こうとする14歳の二人の少女、エカとナティア。その友情と成長の物語……

近年、女性監督の躍進が目立つジョージアにおいて、本作の監督であるナナ・エクフティミシュヴィリ(1978年生まれ)はその先頭に立つ存在とのこと。『花咲くころ』は、彼女の少女時代の鮮烈な思い出がもとになっており、主人公の少女エカは、言わば彼女の分身。

その“分身”の身近で起きる出来事を本流に、民族対立や戦争のきなくさい匂いに覆われた町トビリシの殺伐した風景と日常生活物資にも事欠く人々の荒んだ生活が描かれる(1991年暮れに発生した内戦から、民族紛争が一段落する1993年末までの約2年間は、ジョージア現代史の暗黒時代として記憶されているそうだ)。

必然、作品全体のトーンは暗い(硬質な映像と言うべきか)。加えて「誘拐結婚」「若年婚」といった当時の理不尽な現実も描かれ、やるせない気分にもさせられる。
でも、大人たちが繰り広げる愛と憎しみと暴力の傍で、女性としての困難に立ち向かいながらハードな思春期を過ごす14歳の少女たちのたおやかな姿(驟雨の中を二人が駆け抜けるシーンの美しさ! 祝宴の席でエカが踊るダンスの気高さ!)、その小さな決意の瑞々しさに心を揺さぶられながらの102分は、いまの日本への苛立ちを忘れさせてくれるほどの清々しさに満ちた至高の時間。
「憎しみの連鎖は、赦し、善良な行為、そして平和を尊ぶことによって断ち切ることができる」という確かなメッセージを世界と未来に告げる、力強く美しいジョージア映画との出会いだった。

ところで、コアな映画ファンからは“お教養主義(高尚だけど退屈な作品ばかり…という意)”と揶揄されることも多い岩波ホールだが、この『花咲くころ』を創立50周年記念作品第1弾として選択したのは“お見事!”の一言。「エキプ・ド・シネマ」の名を冠する劇場の伝統と矜持を久々に感じさせてくれた。
(去年から楽しみにしていた『マルクス・エンゲルス』も50周年記念の第3弾として今月下旬に公開。今年の岩波ホールはバリバリ気合いが入っている感じ)

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