2018/03/27

デモクラシーな日曜日(?)




春とはいえ少し肌寒い日曜日(25日)。映画『ラッキー(LUCKY)』(監督:ジョン・キャロル・リンチ/製作:2017年、アメリカ)を観るため、9時前に家を出て、新宿「シネマカリテ」に向かった。

『ラッキー』は、20179月に91歳でこの世を去った名脇役ハリー・ディーン・スタントン(ヴィム・ベンダース監督の『パリ、テキサス』でのトラヴィス役が印象的)の最後の主演作。
初メガホンをとる監督ジョン・キャロル・リンチが、スタントンに当て書きしたという90歳の気難しい現実主義者ラッキーを主人公に、人生の終りに近づいた男の静かな日常を淡々と描いたものだが、

《俺は真実にこだわる。真実は実体のある物だ。真実は自分が何者で何をするかであり、それに向き合い、受け入れることだ。宇宙の真理が待っているから。俺たち全員にとっての真理だ。すべてはなくなるってこと。
君もお前もあんたも俺も、タバコも何もかも、真っ暗な空(くう)へ。管理者などいない。そこにあるのは無だけ。空だよ。無あるのみ。
――無ならどうする? 微笑むのさ》

《人はみな生まれる時も、死ぬ時も一人だ。“独り(alone)の語源は、“みんな一人”(all one)なんだ》

などなど……1年以上もの間「忖度」が話題になっているご時世、誰にも忖度しないラッキーと友人たちの本音の会話やモノローグが人生の核心を突きながら胸に響く作品。招かれたパーティの場で、突然ハリーが歌いだす「ボルベール、ボルベール」(メキシコ音楽マリアッチの恋歌)の枯れた声の響きも心に染みた。

映画の後は、大塚家具の通り沿いにある中華料理店「達磨」で焼きビーフンを食べ、その近くの喫茶店「らんぶる」で2時間ほどコーヒーを飲みながら読書。
『ラッキー』のプログラムを熟読後(ボブ・ディラン、ショーン・ペン、ジャック・ニコルソンとの交流や映画に対するスタントンの考え方が語られているインタビュー記事は必読モノの面白さ!)、
読みかけのままになっていた『改憲的護憲論』に再び着手。(ようやく残り20頁)

14時半に「らんぶる」を出て、その日の予定通りに伊勢丹前に足を運び、一人「内閣総辞職を求める緊急新宿大街宣」(主催:「未来のための公共」他)の群衆の中に入った。

デモは民主主義の実践。
「彼らの言葉ではなく、私たちの言葉を残していかなければなりません」と叫んだ女子大生、“通りすがり”にも関わらず堂々と飛び入りスピーチした30代の男性、そして「あなたが変わった瞬間から社会も変わっている」と抗議デモへの参加を強く呼びかけた26歳の大学院生……若者たちのストレートな怒りの声が眩しく、頼もしかった
(居並ぶ政治家たちの中では八王子市議の社民党・佐藤あずさ氏の演説がダントツの迫力)

※今日の証人喚問は予想通りの残念な展開&結末。大学時代の佐川氏は「高橋和巳」の本を愛読していたそうだが、ひとり罪を被ったように見える彼自身の「わが解体」は何処に向かっているのだろう……と、哀れというか少し寂しい気分。


 


 

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