「自衛隊が合憲であることは明確な一貫した政府の立場だ。国民投票で、たとえ否定されても変わらない」というのなら、そもそも改憲する必要性ゼロでしょ。→安倍首相:「自衛隊合憲は不変」 改憲国民投票否決でも - 毎日新聞
松尾貴史
え先程来ですね、ずっとですね、聞かれた事に答えないという、まさに時間の浪費をするばかりのですね、ごまかしの状況において、いわばですね、いわば日本語がですね、通じているのか、という事すら危ぶまれる状況にあるわけでありまして、まさにですね、しっかりと、取り組んでいないわけであります。
デモクラシーな言葉
戦後60年振り返ってごらんなさい。アメリカくらい、戦争している、あるいは海外派兵している国はありません。朝鮮戦争からベトナム戦争、それからアフリカでの戦争、中東での戦争。毎年平和だって言って、どこかで戦っている。これに、いつまでもお付き合いできますか。(後藤田正晴元副総理)
春待ち能町みね子
貴乃花部屋の弟子の子たちは何も悪くないから、あんまり露骨に今の貴乃花さんの宗教への没頭ぶりとか、背任容疑の人とのおつきあいとか、はっきり書くのは遠慮してたんですけど、あまりにテレビ報道の「もみ消し」がひどいので結局全部書いちゃってるんだよな。。。悲しい。。。
小田嶋隆
しかしまあ、ここしばらくのワイドショーや週刊誌の持ち上げ方が影響しているのだとは思うけど、「腐敗した協会の体質は高潔な英雄的人物の力で根本から改革されるべきだ」みたいなお話を鵜呑みに信じ込んでしまっている人たちの数が少なくない事実にしみじみと恐ろしさを感じることです。
布施祐仁
憲法9条があって日本がアメリカに一方的に守ってもらっているうちは日米地位協定を対等になんてできるはずがないと言っている人は、日米安保や自衛隊の実像が見えていないか、日米地位協定を変えたくないか、あるいは地位協定の問題を9条改憲に利用しようとしているかのいずれかだと思う。
内田樹
おはようございます。名護市長選の結果を見て、日本もアメリカと同じように「国民的分断」の局面に入ってしまったなと思いました。「分断」とは政治的な対立が「同じ現実について別の表現や別の判断を下す」ことではなく、「それぞれ違うものを見て違うことを言っている」状態になっていることです。
アメリカでは民主党共和党の支持者たちの多くは「相手はフェイクニュースを見て、嘘を現実だと見間違えている」と信じているそうです。それでは対話も妥協もすり合わせもできるはずがない。どちらも「メディアは嘘をつく」という点だけでは合意しているのですが、それが国民的分断を生み出している。
メディアの劣化はかなりの程度まで政権が仕掛けたものですが、それが奏功して、国民の分断はしだいに回復のむずかしいところまで進行しています。ナショナリズムは「国民」の構成要件をできるだけ狭く限定して、残りを「非国民」として排除する態度のことですが、それを抑制する言論が弱っています。
星田英利
「あさイチ」イノッチも有働アナも辞めちゃうのか。。。朝ドラカーネーション時代に僕が演じてた役が死んだ時、スタジオ受けで「北村死んだー!!!」と叫んでくれて“北村死んだ”がトレンド1位になったことは忘れません。笑
何回か出して頂いた時も本当にトークがしやすくて。名コンビ、寂しいな。
コトノハ舎(ツイートもどき)
映画『スリー・ビルボード』……真っ赤な3枚のビルボードに込められた「怒り」。その怒りを発端に巻き起こる負の連鎖の果てに、人々の心はどこへたどり着くのか? 怒りと赦し(あるいは暴力と神)をテーマに、アメリカ社会が抱えるジレンマをブラックユーモアをちりばめながら淡々と描き出したヒューマンドラマ。とにかく、すごい!の一言。言うならば、コーエン兄弟とクリント・イーストウッドの作品を足して割ったような渋くて深い味わい。ぜひ、劇場で!
(以下、リツイートもどき)
今は亡き吉本隆明さんの長い「つぶやき」……吉本隆明『「ならずもの国家』異論』(2004年/光文社)より。
自衛隊についていってみます。自衛隊はどういう場合に動かせるのか。どういう場合に動かせないのか。まずそれをはっきりさせる。つまり自衛隊を動かすなら、どういうときに動かすことができるんだという組織と制度を国内的にちゃんとつくることです。たとえば、各職業、各階層から100人なら100人の委員を任意に選ぶ。そしてその委員たちの全面的な同意がなければ自衛隊は動かせないという、真の意味でのシビリアン・コントロール(文民統制)にしてしまうのです。そうすれば自衛隊は国軍というより自警団にちかい存在になって、非戦の条項にも一歩ちかづくのではないかとおもいます。
憲法改正についていえば第9条は取ってしまうのか、そうではなくてなおさら重くするのか。ぼくじしんは平和憲法第9条についてこういう思いを抱いています。あの非戦の条項は敗戦間もないころの国民大衆の実感に適っていたし、しかも百数十万人の国民大衆の戦争死によってあがなわれた唯一の戦利品だということです。敗戦直後の焼け野原、食べ物その他の生活必需品の欠乏、あるいは職もなく家もないという情況のなかで、戦争はもうたくさんだという国民大衆が心底から同感した条項、それが第9条でした。思想的にも世界に先駆けた優れた条項で、どの資本主義国にもどんな社会主義国にもない「超」先進的な世界認識だといえます。だからぼくは、日本はこれを外に対しても具体的に主張したり宣明できるようになるべきだとおもっています。いいかえれば、この非戦条項を外に対しても打ち出すことによって、アメリカやロシアという軍事大国だけでなく、世界中の国家意思を変更させること、それを日本の積極的な外交活動の目標とすべきだとかんがえているのです。
憲法にある「非戦」という思想をできるだけ広く開くこと。どこかの国が攻めてきた場合以外は自衛隊を動かせないというのではなくて、動かせないならもっと広範囲に動かせないようにしてしまうこともかんがえてもいいわけです。
平和を保持するために、また非戦条項を国際的にするために、非戦や平和ということについて日本が主導権をもち、また責任も負うようなかたちで世界を変えてしまうことができるなら、それがいちばんいい。
理想論、空想論でもいいから、日本の姿勢をはっきり打ち出すことが重要です。
いちばんまずいのは、いまのようにどんな変え方もしないことです。第9条と前文とはそのままにしておいて、それに違反すること、たとえば自衛隊の存在や活動は内緒にしておいたり、一時的な取り決めをつくって曖昧にしてしまうことです。いまのまま条文は何もいじらないで、アメリカとそれに敵対する勢力との確執や戦闘がはじまった場合はつねにアメリカ一辺倒で、アメリカを全面肯定するというのがいちばんだめなやり方です。どこにも進歩がないし、何も変わらないからです。
どこからはじめるか、何から手をつけるかはともかく、すこしずつでも改変していくならまだ希望がもてますが、いまのままだらだらと憲法もいじらないし、自衛隊もいじらない、非戦条項もそのまま放り出しっぱなしでアメリカ一辺倒というのでは話になりません。これほどひどい偏り方はないじゃないかといいたくなるほど片方に寄ってしまうわけです。それがいちばんつまらない、いちばんよくないやり方です。
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