引き続いて映画の話。
アルコール依存、飲酒運転、差別発言、DVなどなど。酒に酔っては暴力・暴言事件を繰り返しハリウッドから追放状態にあった俳優メル・ギブソンが、10年ぶりに監督として復帰を果たしたことで話題を集めた『ハクソー・リッジ』(平日昼間、観客もまばらな「Tジョイ」で鑑賞)……
タイトルのハクソー・リッジとは、太平洋戦争における沖縄戦の激戦地である前田高地のことを指す米軍の呼称。(前田高地にある148メートルの垂直に切り立った崖の形を“ノコギリ”に見立てて名付けたそうだ)
この映画の公開にともなう宣伝(CM、新聞広告など)では、何故か“沖縄戦を描いた映画”という事実が配給会社によって隠されていたため、私を含めそれを知らずに観た人も多かったはず。生き延びた兵士が「ありったけの地獄を一つにあつめた」と称した壮絶な肉弾戦がその「ハクソー・リッジ」で繰り広げられたことを知るのも映画の終盤になってからだった。
では、なぜ公開時のプロモーション動画や広告で“沖縄戦”が隠されたのか? 当然のようにネット上では「“反日”攻撃を恐れた過剰な自主規制の典型」という批判の声もあがっているが、その点に関して、『野火』を撮った塚本晋也監督はこう述べている。
「沖縄の戦争の悲惨さは、住民の人が圧倒的に亡くなったことですので、映画はそういうところには触れませんでしたから、沖縄戦を描いた、というよりは、実在の人が働いた場所が沖縄だった、というあくまで“アメリカのひとりの英雄の姿を描いた娯楽作品”と思うべきなのかも知れません。宣伝文句から「沖縄戦」が消えているのは、そんな理由があるのでしょうか」……(観た印象として、私も同感)
確かに、メル・ギブソンが映画を通じて描こうとしたのは“悲惨な沖縄戦”でも、“反戦平和の願い”でも、“(自国を美化する)好戦的ヒロイズム”でもなく、自ら陸軍に志願しながら信仰を理由に「いかなる武器も持たない」(生死を分ける戦場においても「決して、加害者にはならない」)という意志を貫き、衛生兵として赴いた沖縄戦において、たった一人で75人の兵士の命を救った男の「真実の物語」(主人公の「デズモンド・ドス」は終戦後、良心的兵役拒否者としてアメリカ史上初の名誉勲章を授与された実在の人物)――臆病者の謗りを受けようが差別的な扱いを受けようが、信念を揺らがすことのなかった青年の出自とその成長する姿だった。(特に、第一次世界大戦に出征した経験を持つ“信心深く暴力的”な父との関係が興味深い)
戦争という凄まじい暴力のエネルギーが激突する場にあってもそれに染まらず、それをも超える信念の強さで仲間はおろか敵兵の命までも救い(戦闘中、洞穴の中で出くわした瀕死の日本兵を救うシーンは本作の核心。とても印象深かった)生き抜いた主人公ドス。
それはまさに、「人格破綻者」とまで言われながらも「映画表現への信念」を失わず、己の内なる暴力と対峙しようとする監督メル・ギブソンの求める姿なのかもしれない。(彼には、「反ユダヤ主義」の父の影響を受けた伝統主義カトリック教徒という“顏”もある)
以上、一人の英雄の半生を興味深く描いた見事な“娯楽作品”でありながら、戦場の惨たらしさを容赦なく感じさせてくれるという意味でも傑出した戦争映画。そのリアリティと緊張感を最後まで緩めることなく描き尽くした監督の手腕と才能に、敬服するのみ。(老若男女問わず必見の一本だと思うが、特に若い人たちに観てほしい)
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