2017/01/12

年の始めの10日間①


1日(元日)
届いた年賀状は自分が出した数と等しく40通ほど。
俳人・T君の新春詠は「まんなかに秘めたる希望 寒卵」。
岩手・大船渡で暮らす“読書人”MASA君の賀状には私が送った写真集の中の言葉への返しだろうか「悲しいかな春を待っている自分がまだ此処に居る」との文言あり。
そして、「年頭から暗いハガキよこしやがってバカヤロ!と言われそうですが、今年もよろしく」としたためられたRITSUさんの賀状のメインビジュアルは、オホーツクの流氷をバックに佇む人間を描いた墨一色の木版画。そこに「斧のひと振りより遠くへ/敵を想定するな/のばした腕の四十インチむこう/きみの目測は そこまでいい/斧の位置まではきみが思考し/そこからさきは 斧が思考する……」という鋭いメタファーに貫かれた石原吉郎の詩が付されていた。

RITSUさんの言葉に触発されたせいだろうか、その詩「支配」の印象に重なるように、ふと太宰の言葉が頭に浮かんだ。
「アカルサハホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」……たぶん暗さにも質がある。その質を鋭く問いながら一人静かに生きている人もいる新春。


初詣は例年通り近場の東伏見稲荷。1時間ほど並んで参拝を済まし、引いた御籤は「凶後丙」(凶後吉ならまだしも、丙とは…)。 「旅立…悪し」「待人…来ず」「失物…出ず」「商い…買売共に悪し」など、当然のように良いことは何ひとつ書かれていない。


新年早々、参拝者への気遣いもなく、いきなりイヤな気分にさせるとは「なんて神社だ!」「なんて正月だ!」と、お気に入りの芸人でもあるバイきんぐ・小峠のネタを真似て毒づきたくもなったが、ここ5、6年の間に幾度も引いた「凶」絡みの御籤同様、今回も「緩んだ心を引き締めよ」という神様からのメッセージと受け止め直し、「丙」のツレ、「中吉」の愚息と共に静かに帰路に就いた。

3日(火)
バイトはじめ。作年末の大混雑から一転、駐輪場は閑散としていた。
なので仕事は暇、同僚のNさんと軽く映画談議(ネタは、年末に観たアニメ映画『この世界の片隅に』やスコセッシの新作『沈黙』など)を交わしたりしながら何事もなく終わったが、去年のクリスマス前、買物客でごった返すイブイブの駐輪場でこんなことがあった。


整理に追われている私の前に10代半ば?の女の子(今どきの中・高校生という風情ではない)が近寄ってきて、「すみません」と声をかけてきた。話を聞くと、停めておいた自転車にロックがかかってしまい駐輪ラックから出さなくなったとのこと。精算機で駐輪料金100円を払えばロックは解除されるのだが、家にサイフを忘れてきたらしい。だったら一旦歩いて帰って財布を取ってくれば……と思うのだが、家が遠いらしく歩きだと往復2時間以上かかり、その間にさらに駐輪料金が加算される云々…と、暗に金を無心してくる。その話の流れと彼女の表情から「ちょっと変だなあ」と思ったが、女の子を問い詰めるのも忍びなく、その“おどおど”に免じて「じゃあお金を貸してあげるから……ちゃんと返しにきてね」と100円を渡した。
結局、それ以来、駐輪場で少女の姿は見かけない。あの100円は何かの足しになれたのだろうか?

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