「“もんじゅ"が爆発すれば、福井県から北陸一帯を人間の住めない土地に変えたあと、やがて放射能の雲は、わずか一日のうちに、東京・名古屋・大阪の空をおおうはずである。またたく間に、百万の生命が消える。いや、百万ですむはずがない」と不安を煽られようが、「東京を含む東日本地域住民の中で、これから癌や心筋梗塞などが必ず激増します」と命を脅されようが、ジャーナリストとしての調査能力が極めて疑わしい男の言葉などに耳を貸す気はないが、この人の話は聞きたい。イヤ、聞かなければ!……と思い、一昨日(8日)「ポレポレ東中野」で観てきた映画『大地を受け継ぐ』。
《原発事故の被害に遭った農家が東京の若者たちに語る「福島の苦悩」をとらえたドキュメンタリー》だ。(上映時間は80分、ほぼ一人の男の独白で構成されている)
2015年5月、東京から福島へと向かうマイクロバスの前に集まった11人の若者たち(16歳~23歳)。見知らぬ同士、少し戸惑いながらも、まるで学校の課外活動に参加するような、その軽い笑顔と和やかな雰囲気を捉えつつ映画は始まる。(若者たちの引率者は、本作のインタビュアーも兼ねる弁護士・馬奈木厳太郎氏。「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟弁護団の事務局長を務めている)
彼らが向かったのは、須賀川市(福島第一原発から約65キロ)で代々続く一軒の農家、樽川和也さんと母・美津代さんの自宅。二人の笑顔に迎えられ、居間に座った11人(学生たちに混じって、『永続敗戦論』を著した気鋭の政治学者・白井聡さんの顔も見える)……そして語り始められた「息子と母の4年間の物語」。その孤独と悲しみ、怒りと無念がにじむ声の重さに圧せられるように、彼らの顔から笑顔が消えていく。
大学卒業後、会社員をしていた和也さんは、父が手がけていた農業を継ぐため、脱サラして須賀川に戻ってきた。その一年後に震災が起きる。
「ほうれん草とか柿菜っていう摘んで食べる野菜が出荷停止になり始めたんですよ。で、だんだん出荷停止の品目が多くなってきて、結球野菜の出荷停止のファックスが来たんで、キャベツとブロッコリーで8000個が全滅しました。で、晩御飯を食べ終わったときに親父にそのファックスを見せたんですけど、したら私に、「おめえのこと間違った道に進めた」って言われたの。農業を継がせて失敗したと思ったんですね。」
この会話の翌朝(2011年3月24日)、父・久志さんは、農地の横に立つ太い木の枝にロープをかけ、自ら命を絶った(享年64)。
遺体の第一発見者でもある和也さんは、父がまだ生きていると思い「なにやってんだ、バカ、この~っ!」と叫びながら必死で木から久志さんを降ろそうとしたが、降ろしきれず、仕方なく一番その姿を見せたくなかった母を呼び、二人がかりでロープから降ろしたという。(しばらくの間、父の死という現実を受け止めることができないでいた和也さんだが、3か月後、父が遺した土地で農業を続けることを決意し、放置していた畑に線香をたむけ、作業を再開した)
その後インタビューには、時折、美津代さんの声も加わり、和也さんの話は続くのだが、彼の声が最も怒気を孕んだのは、「原発事故で死者は出ていない」という自民党政調会長(現・総務大臣)の発言にふれた時。「高市早苗、あのバカ!……発言撤回?謝罪?どの口が言ってんだって!」「あんなことを平気で言う人間が政治家って……なんか、おかしな国じゃない(この国は)!?」
徐々に若者たちも口を開き始める。一人の学生からこんな言葉が発せられた。「うちの母は今でも福島産の作物は買わないと言っています」
和也さんは答えた。「正直なところ、この汚染されたところで採れたやつ、食いたくねえもん。そりゃ測って放射能でないとしたって、それは人間そうでしょ?福島県のものを喜んで食べる、心から喜んで食べる人なんて、この日本国民のどこにいる?いないでしょ、同情では買うかもしんねえけど。風評じゃねえんだよ現実なんだよ、それが。あの福島原発がああいう状態である限り、いま言う風評被害ってやつはずっと続くから。」
樽川さん一家の憤りと無念が、自分の感情として込み上げてくるのを感じながら、しばし私(の目)は大写しされた和也さんの手に釘付けになった。ありあまる感情を抑えるように、それを噛みしめるように、何度も指を交差しながら、しっかり組まれた両手。土の色が染みついた、しなやかな鋼のような、見たこともない手だった。
そして迎えたラスト……父・久志さんがロープを結んだ木の切り株に目を向けながら、「たった一日の食と命の体験」を終え、柔らかな笑顔で農地を歩く樽川さん一家と若者たち。その出会いと思いに沿うように流れた曲は、フラワーカンパニーズの「日々のあぶく」。
毛細血管がぶちぶちと 音をたてながら
1本 2本 3本 4本と 切れていくように
今まであった出来事が 確かにあった出来事が
あぶくのように毎日少しずつ 弾け飛んでゆく
もしも記憶のバケツが いっぱいになってるんなら
これから起こる新しい出来事から 消して欲しい
未来とか可能性とか そんなあやふやなものより
今まであった出来事を ひとつ残らず忘れずに
愛したい 自分の周りぐらい
愛してみたい 出来る限り 出来る限り
曲が終わった瞬間、余韻を遮るように拍手の音が鳴り響いた。拍手の主は並んで座っていた二人の中年女性。「思いがあるなら、少しの間、一人その胸にしまっておけよ」という言葉を胸にしまい、私は黙って席を立ち、出口でパンフレットを買い求めた。表紙には、ついさっき目に焼き付けた、土と生きるために筋を通そうとしている誠実な男の美しい手があった。
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