2015/08/06

色々かなしい「エンブレム」



連日の猛暑。お陰で、いわゆる「土方焼け」……サンオイルを腕と顏に塗り込んで仕事(バイト)に行っているのだが、半袖シャツの境目で膚の色を比べると、その差は歴然。「焼けたなあ~」とオイル効果の有無を疑うが、若い頃に戻ったようで気分的には悪くない。
もともと昔はガテン系、肉体労働者とネクタイ労働者の違いをはっきり示す「赤銅色」は、炎天下のキツイ労働の証。「俺もまだまだヤレるじゃん」と、齢60を過ぎてなお照りつける太陽の下で働ける体があることを少し嬉しくも思う。(もちろん、仕事中の水分・塩分補給は抜かりなし)

さて、そんなつましい日常とは裏腹に、世の中は相も変わらず嬉しくなれないことばかり。

先日も、デザイナーの友人ueちゃんが電話口で珍しく憤っていた。
「東京五輪のエンブレムのデザイン料、いくらだか知ってた?色んなアプリケーション込みで、たった100万だよ。冗談じゃないよね、まったく!……」

正直、聞いてビックリ。デザイン開発に要する多大な時間と労力、そして想像力と造形力の価値に無知・無頓着な役人が決めたのかも知れないが、国が推進する「クール・ジャパン戦略」の目玉のひとつでもある日本のデザイン力を世界に示すべき歴史的ロゴの対価が「たった100万!(しかも税込)」、高級腕時計や軽自動車程度の金額とは……国としての文化的レベルが低いというか、グラフィック・デザインに対する認識が甘いというか、呆れて言葉も出なかった。(「どんなに安くても歴史に残る作品になるのだから、多くの有名デザイナーがコンペに参加するはず」という、デザイナーの純粋な(?)創作的野心につけ込むあざといやり方としか思えない)
それに引き替え、新国立競技場の監修料の一部として、国が14年度までに建築家ザハ・ハディド氏に支払った金額は13億円とのこと。
建築デザインの世界をまったく知らないので、その額にケチをつける気など毛頭ないが、世界中の様々なメディアで長期的に使用され、数十億の人が目にするはずのロゴが、一部の競技しか使わない新国立競技場の監修料の「一部」の1300分の1では、「クール・ジャパン」の名が泣くというもの。(グラフィック・デザインの世界から、ますます夢も希望も消えていく)

しかも、「(最低でも)一桁違うんじゃないの?」と目を疑うような、ふざけたデザイン料にも関わらず、自分の作品を世界が注目する檜舞台に乗せたい一心(?)で参加し、何とかコンペに勝利した歓びも束の間、よもやの「盗作疑惑」……グラフィック・デザインとは無縁の人々にネット上でバンバン叩かれたあげく、「在日」といういわれなきレッテルまで貼られては、佐野研二郎氏ならずとも「やってられるか!」という気になるではないか。(まあ、少し意地悪く、理不尽なコンペに参加したツケ……と言えなくもないが)

さらに加えて、ザハ・ハディド氏デザインの新国立競技場にしても今回のエンブレムデザインにしても、その案を採用した側(日本スポーツ振興センターおよび東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会)に、デザイナーに対するリスペクトの姿勢および自分たちが選んだ作品を徹底して守るという姿勢がまったく感じられないのはどうしたことか?
昨日(5日)開かれた佐野氏の記者会見は「盗作疑惑」を払拭するに十分なものだったと思うが、彼に弁明の会見を求める前に、彼のデザインを選んだ審査委員会および組織委員会として示すべき態度があったはず。騒動の責任を一人で被らざるを得なかったデザイナーには気の毒というしかない。

で、計らずものっけからケチがついてしまった「エンブレムデザイン」についてだが……

業界内でも「凡庸で保守的」という声が多く聞かれるように、確かに印象としては「普通」そのもの。色々お疲れの佐野氏には申し訳ないが、オリンピックのエンブレムにしては躍動感がないし、「かっけー!」と目を見張るような新しさや強烈なオリジナリティも感じない。ただ、その分、シンプルで造形的安定感はある(端的に言うと「面白味はないが、普通に上手い」)……という作品ではないだろうか。つまり、もともと独創性に欠けるデザインなので、類似作品が生まれやすい(&見つかりやすい)のは仕方のないこと。故に、佐藤氏が言う「ベルギーに行ったこともないし、(劇場の)ロゴも一度も見たことがない」というのは本当であり、「(盗用は)まったくの事実無根」であると私も思う。
だって、「たった100万円」なのに創造意欲を抑えきれず?多大な時間と労力を使ってコンペ参加した有名デザイナーが「数十億の人が目にする歴史的ロゴ」を盗用制作する意味などあるわけないし、端からそんなバカげたリスクを冒すはずもないから。

では何故、これまで数多くの広告賞を受賞している気鋭の若手デザイナーが、そんな「凡庸で保守的」なデザインを作り上げたのか? その秘密は、どうやら「日の丸」にあったらしい。
まず前提として、2020年東京五輪は国家主義的な色彩の強い安倍政権の下で準備が進んでいくという明白な現実があること。そして最も重要なポイントは、デザイン選定にあたる最高責任者の「審査委員長」に、故・亀倉雄策(1964年東京五輪ポスター制作デザイナー)の盟友であり「日の丸」に強いこだわりを持つデザイン界の大御所・永井一正氏が起用されたこと。そこに“亀倉雄策へのリスペクト(1964年東京五輪ポスターデザインの呪縛)”が加わり、日の丸をモチーフにしたデザインでなければ「勝ち目がない」というのがコンペ参加者の共通認識になっていたようだ。

へえ~……である。

それが事実だとすれば(紛れもない事実だと私は思うが)「盗作疑惑」は、「国家主義的デザインの踏襲」という暗黙の圧力がもたらした予期されるべき「負の遺産」。
寂しい話だが、審査員の好みと時代の空気を敏感に察知した上での「ありふれたデザイン」は、コンペに勝つために古い権威と今の権力になびいた結果の産物だったのだと思う。

で、結論。「100万円」という対価を含めて、そんなコンペに参加してはいけない!

 

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