昨日の朝、パラパラと新聞をめくっていたら「ギュンター・グラス死去」の見出しで目が留まった。
「ギュンター・グラス」と言えば、代表作『ブリキの太鼓』で世界的に有名なドイツの作家、享年87歳。(記事中には、《我々は第2次大戦中の生活について、日本の「ブリキの太鼓」を書く作家を持たなかった。これが日本とドイツの戦後の歩みの違いを象徴している》という池澤夏樹の追悼コメントが載っていた)
私自身はギュンター・グラスの作品を読んだことはないが、20代後半に観た映画『ブリキの太鼓』(監督フォルカー・シュレンドルフ/製作1979年/西ドイツ、フランス)の記憶は、主人公の少年オスカルの奇声と共に今も鮮烈に残っている。
映画の舞台は、ナチス台頭期のポーランド。主人公オスカルは、3歳の誕生日を迎えたその日から、大人の世界を醜悪なものとして嫌悪し、自らの成長を止めた……その3歳のオスカルの目線で、ナチスドイツの侵攻によって第2次世界大戦の混乱の中を生きた家族の軌跡を描いた異色作。スクリーンは狂気の時代が産んだ奇異なキャラクターとグロテスクな描写に溢れ、その毒気たるや凄まじいものがあった。(私も毒気に当てられ、ヘトヘトになって映画館を出たような気がする)
そして、その不思議で不気味な映画にシャンソン歌手「シャルル・アズナブール」が出ていたことにも驚かされた(役柄は、オスカルにいつも新品の太鼓をプレゼントするユダヤ人のおもちゃ屋さん)。定かな記憶ではないが、彼のファンだった私は、画面の緊張感とは無縁に、ひとり座席で「あっ!アズナブールだ」と興奮の声をあげたような気がする。
ところで、「ブリキの太鼓」は何のメタファーだったのだろう。私は当時、ナチスドイツの高らかな軍靴の音に対する民族の抵抗の象徴ように理解したが、いま思えば、銃撃戦の中でも自分の太鼓だけに執着していたオスカルの姿は、閉ざされた憤怒で自分の自由を守り、残酷なまでに絶望的な未来を予感しながらも「自分自身が世界によって変えられないために」必死で抗う人間の姿だったのかもしれない。
醜悪な邪魔者(父親)が死んだ後、その棺にブリキの太鼓を投げ入れ、「ぼくは行動すべきだ!」と再び成長することを決意した少年は、「絶望的な未来」を含め、次世代の子供たちに何を伝えていくのだろう?
そのオスカルの姿と、名ばかりの独立・平和国家で生きる私たちの姿は、決して無縁ではないと思う。
そのオスカルの姿と、名ばかりの独立・平和国家で生きる私たちの姿は、決して無縁ではないと思う。
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