2012/06/25

あの時君は若かった



 60年代後半に流行っていた「ザ・スパイダース」の曲名だが、その頃私は16、7の高校生。井の頭線浜田山駅から歩いて10分ほどの所にある都立高に通っていた。もちろん共学で男女比は2:1、1クラス40数名で1学年9クラスもあった。校風的に制服はなく通学の服装も髪型も自由。でも、オシャレに疎い男子は金も気もつかわない学ランが基本……今ではとても考えられないが学ランに下駄履きという“蛮カラ”ファッションで登校するヤツもかなりいた。(私も一時、学ラン&下駄履きで自転車という通学スタイルだったが、ある日、ペダルに下駄の歯と歯の間がガッチリ嵌まった状態でブレーキをかけたため足を地面に下ろせず、自転車ごと道の側溝に落下……以降、無難な革靴派に転身)

振り返れば高度経済成長期の只中、大学さえ出れば大多数が上場企業に就職できた時代……全国の大学を席巻した全共闘運動の余波をモロに受けたせいで、「権力に組せず、どう生きるべきか」という哲学的()な悩みを背負わされたが、進路の選択肢は豊富。将来的に“働き口がない不安”など感じることもなく部活に励み、流行りの音楽や本&漫画に親しみ、社会や異性に年齢なりの関心を抱きながら、それぞれ自由に多感な青春時代を満喫していたように思う。

で、先週の土曜(23)、その高校のクラス会が6年ぶりに開かれた。会場は新宿・伊勢丹会館内のレストラン「AEN」・開始は午後5時半、参加者は17(10、女7)40数名のクラスだったが、既に他界した仲間が5名いるので半数近くが集まった計算になる。

私は5時半少し前に会場へ到着。既に10人ほどが席に着いていたが“ヤァ!ヤァ!ヤァ!”と何の躊躇いもなく会話の輪の中へ。42年ぶりの再会となった懐かしい顔もあったが、学園紛争に揺れる中、共に濃密な日々を過ごした仲間同士、楽しくも侘しく無謀だった“あの頃”へ直ぐに戻って語り合い、笑い、茶化し罵り、また笑い……長い歳月によって熟成したそれぞれの人間味に料理の美味さも加わって、あっと言う間に楽しい3時間が過ぎてしまった。(私は幹事の一人として、案内状の文面とデザイン&会場予約を担当したが、どちらも好評だったので一安心。タダ働きのデザイナーのH君にも感謝!)

二次会は伊勢丹会館から徒歩2、3分の場所にある「キリンシティ」へ。MAX12名で席予約をしていたが予想に反して2名オーバー(みんな別れ難かったんだね~)……すし詰め状態の中でも会のテンションは落ちず「今度、みんなで1泊旅行にでも行こうよ!」「○○の退職祝いをやろう!」などなど、早くも次に集まる話が沸騰。癌手術を無事に乗り越えて参加した悪友が、話の先頭に立って場を盛り上げているのを見ながら、“死ねば死にきり”やっぱり生きていなきゃなあ……と、逝ってしまった5名の仲間の顔を思い浮かべていた。

ところで、クラス会では確認できなかったが、高校時代の出来事で今も気になっていることが一つ……ある日の朝、かなり早めに教室へ入ったら、後ろの黒板に「義理と人情はかりにかけりゃ女が重たい男の世界」とチョークで大きく書かれてあったこと。もちろん、健さん主演の映画『昭和残侠伝・唐獅子牡丹』の主題歌の詞「義理と人情はかりにかけりゃ義理が重たい男の世界」を捩ったものだが、思わず「意義なし!」と叫んだほど妙にリアリティを感じる“笑える落書き”だった。でも、ヤクザ映画ファンらしきクラスメイトに心当たりがないし、女が重たく感じるほど“モテキ”だった男も分からず、未だに誰が書いたか謎のまま。(みんなに聞いてみようと思っていたのだが、酔いがまわってすっかり忘れてしまった)

それと同様に、ん?な話がもう一つ。クラス対抗の合唱コンクールで「女ひとり」を歌ったらしいこと(日曜の朝、二次会途中で帰った友からのメールがあり思いだした)。“京都 大原 三千院、恋に疲れた女が一人~♪”という出だしで有名なデューク・エイセスの歌だが、いくら個性派揃いのクラスとは言え、シブ過ぎる選曲。どう考えてもコンクール向きではないし、そもそも高校生が大勢で歌うようなモノだろうか?!……と、曲が決まった経緯を考えているうちに、新たな疑念が沸々と湧いてきた。ひょっとして提案したのは、オレだっけ?


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