2012/04/01

もうすぐ、桜


 
毎週愛読している朝日新聞・土曜besongうたの旅人」。昨日の旅の舞台は私も好きな「東京・吉祥寺」、この街に在る成蹊大学卒の歌人・林あまりさんについて触れられていた。

彼女は高校時代に、寺山修司の歌「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」に心を射ぬかれ、短歌を学ぶため歌人・前田透(高名な歌人・前田夕暮の長男)が文学部教授を務める「成蹊」を進学先に選んだという。

大学では、部活(演劇部、同期の仲間に「片桐はいり」がいた)の傍ら前田透の研究室に入り浸り。短歌によって「人生の楽しみを生まれて初めて実感」した彼女は、「国語の先生になり、数年おきに歌集を自費出版する」という満ち足りた半生を思い描いていたようだが、そのつつましい望みは、大学3年の冬、進路も含めて支えとなっていた恩師・前田透の急逝によって消し飛ぶ。

大切な師とともに将来の指針をも失い悲嘆にくれる中、思いもかけず彼女はひとまわり年上の、妻ある男性と出会い不倫の恋に陥る。愛憎もつれる男と女の修羅場……短歌の作風は激変し、在学中に雑誌「鳩よ!」に大胆な性描写や不倫相手に対するやるせない心情を歌った作品を投稿、同誌編集長に見出され歌人として鮮烈なデビューを果たすのだが、その歌の激変ぶりに亡き恩師が主宰していた短歌結社の同人たちの批判が殺到(もちろん彼女も同人)、ついには孤立無援の状態になったという。

それから約10年後、その過激な歌の数々が「恋愛関係の女の間合いをうまく書ける人だ」と、名音楽プロデューサーの目にとまる。

「坂本冬美の歌の詞を書かないか?」……

その人に招かれた赤坂の路地裏にある小料理屋。ほろ酔い前の突然の打診に、林さんは即答で応じた。その瞬間、彼女の脳裏では《髪振り乱し、一心不乱にはだしで駆け出す女の姿が、とぎれとぎれの残像のようにスパークしていた》らしい。彼女自身が自分の心情を託すために生み出した「夜桜お七」(井原西鶴の好色五人女に描かれた「八百屋お七」になぞらえたヒロイン)……“冬美さんになら、あげてもいい”と思ったそうだ。

そうした経緯により生まれた、坂本冬美の名曲『夜桜お七』。

林さん曰く、《女ひとり、挫けず、たくましく生き抜くのよと呼びかける、やせ我慢の歌》だそうな。(う~ん、ハードボイルド。やせ我慢は男の特権だと思っていたけどなあ……)

(前略)
口紅をつけて ティッシュをくわえたら
涙が ぽろり もひとつ ぽろり
熱い唇おしあててきた
あの日のあんたもういない
たいした恋じゃなかったと
すくめる肩に風が吹く
さくら さくら
いつまで待っても来ぬひとと
死んだひととは おなじこと
さくら さくら はな吹雪
抱いて抱かれた 二十歳の夢のあと
おぼろ月夜の 夜桜お七
さくら さくら 見渡すかぎり
さくら さくら さよならあんた
さくら さくら はな吹雪
(「夜桜お七」 作詞・林あまり/作曲・三木たかし)

……「いつまで待っても来ぬひとと 死んだひととは おなじこと」。いよっ、座布団一枚!と言いたいくらい仰せごもっともな詞だが、別れた女に“あんた”と書かれ、紙の上で葬られる男も、とても恥ず悲しいものだと思う。あ~、げに哀れなりしはおなごか、おのこか。

さて、あんた、今年は誰と何処で桜を見ましょうか。

※ところで彼女の不倫の結末は、こう歌に記されているようだ。
なにもかも 派手な祭りの夜のゆめ 火でも見てなよ さよなら、あんた
(歌集『MARSANGEL』より)

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