2012/04/28

源一郎さんの「正しい」つぶやき本


あの日の後、政治家は声高に自らの「正当性」を主張し、作家は小声で「正しさ」についてつぶやく……どちらが私たちにとって本当に必要な言葉なのだろうか。

昨日、作家・高橋源一郎の『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』を読み終えた。

この本は、彼が3.11以降にTwitterでつぶやいたものと、その間に発表した文章を時系列で並べて纏め上げたものだが、特に印象深かったのは、明治学院大学国際学部の先生として、卒業する教え子たちに向けて発信した言葉の数々。

ここで書き出すとあまりにも長くなるので詳しく紹介はできないが、《「午前0時の小説ラジオ・震災篇」・「祝辞」・「正しさ」について》と題された2011321日の“つぶやき群”は、その圧倒的な意思の強さと、しなやかな思考力によって研磨された平易な言葉の力によって、よくも悪しくもはっきりと読者に「あの日の日本」と「あの時の自分」を思い起こさせてくれる。そして彼が《気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです》と危険信号のように発する「正しさ」について深く考えさせてくれる。(多分、「あの時」にTwitterを読んでいたら、一時「正しさ」に捉われていた私も、彼の“教え子”のように心の底から湧き起こる感情を抑えきれず、涙を流していたかもしれない)

高橋源一郎の言葉は、常に真上ではなく真横から「そう思わない?」と問いかけてくる。だから、ひねくれ者の私でも素直にやられてしまう。この本と並行して、金曜(27)の朝日新聞「論壇時評」の《入学式で考えた ぼくには「常識」がない?》と題された記事も読んだが、「そうだよなあ」「なるほどね~」とノー文句で頷かされてしまった。それは多分“人は誰しも「あいまいな存在」である”ことをよく知っている人の言葉だからだと思う。普通の人の普通の感覚・感情を大切にする人は、何事に対しても断定的な言い方をしない。人を責めるための「正義」の仮面を身につけない。故に彼の言葉は「あいまいさ」を嫌う人々や、それを認めない社会に対しての強い警戒心とともに放たれるのだろう。

私にとって、その言葉は思考の栄養ドリンクのようなもの。自分の存在の希薄さに心が萎え、共同体の意味すら見失いそうな時、今の日本にこういう人がいることをとても心強く思う。

但し、その言葉への信頼感とは裏腹に、彼の競馬予想はまったく信用できないけれど。(たまにはドカンと当てようよ、源一郎さん……)

2012/04/21

「言葉の海を渡る舟」を作る物語


《「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」「人は辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」「海を渡るにふさわしい舟を編む」》

今月10日、2012年本屋大賞に選出された『舟を編む』(著者・三浦しをん)の中で、ベテラン編集者・荒木が語る言葉だ。一目で想像力を掻き立てられる印象的な書名はそこから付けられている。“辞書編纂”という馴染みのない深遠な世界へ読者を導くに相応しい気品漂う力強いタイトルだと思う。(まず、そのセンスに◎)

主人公は、“まじめが取り柄”の変わり者・馬締光也(まじめ光也)……出版社の営業部に在籍していた彼が、「荒木」に“次代の辞書編集部の主にふさわしい!”と白羽の矢を立てられ国語辞書編集部に異動。言葉の海に溺れながら「大渡海」という名の辞書作りに奔走する物語である。(思わず頬が緩む恋愛模様も孕みつつ)

「三浦しをん」は、職業のディテールに拘った作品を多く執筆していることから「職業小説の名手」と呼ばれているらしいが、その定評に偽りなし。本作でも辞書作成にまつわる様々な苦労と工夫が描かれておりとても興味深かった。

惜しくも2位で大賞を逸した『ジェノサイド』(著者・高野和明)が一気に脳内の血を沸騰させる弩級のノンストップ冒険小説ならば、こちらは心地よい速度で体中の血を浄化してくれるような清々しい極上の大衆小説。読み終わった後、こんなにいい気分になれる小説は久しぶりだ。(でも、私に大賞を選ぶ権利あれば、興奮度MAXの『ジェノサイド』に一票!)

それにしても、冲方丁の『天地明察』(暦作りの物語)といい、池井戸潤の『下町ロケット』(ロケット製作の物語)といい、毎年のように“モノづくり”を描いた作品が私を含め多くの読者の関心と共感を呼び、心を熱くしてくれるのは何故か。やはり、人が情熱を傾けて仕事に打ち込む様、強い使命感を持って一心に自分の道を突き進む姿の尊さに、誰もが自分の仕事や人生を重ねながら、「斯く在りたい」と我が身を鼓舞するように魅せられるからだろう。その苦難と達成のストーリーこそ、“職業的自己実現”を求める人々と社会の活力の源泉、いつの時代も大衆小説における不変のテーマであるに違いない。私も自分に恥じない仕事をしたいと思う。(それより、もっと仕事をさせてくれよ~!というのが本音だけど)

2012/04/18

視聴率は低いけれど……面白い!


昨日、ネットで「サンスポ」の芸能ニュースを見ていたら、先週の日曜(15)にスタートしたフジTVの連続ドラマ『家族のうた』(毎週日曜夜9)の初回視聴率は6.1%。その裏でやっていたSMAP・中居くん主演の『ATARU(TBS日曜劇場)19.9%だったという記事が載っていた。

なんで?

私は両方とも観たが(一方は録画で)、断然『家族のうた』の方が面白かった。オダギリジョーの“落ちぶれロッカー”ぶりも妙にハマっていて楽しいし、少し謎を孕んだスピーディなストーリー展開とコミカル&ソウルフルなテイストは、次回以降へ十分な期待を抱かせるもの。さらに、ユースケ、藤竜也、武田真治ほか脇役陣もいいし、斉藤和義の主題歌『月光』とThe Birthdayの挿入歌『ROKA』もgood!……もう、私的には春ドラマNo.1を、早くも決定しちゃいたいほどの“お気に入り”。
それにひきかえ高視聴率の『ATARU』は、中居くん&栗山千明の演技力は買えるとして、大して面白くもないネタが多すぎて疲れる。展開的にも緊張感に欠けるし、見ているうちにキャラ的魅力もドラマへの興味も半減。当然、次回お付き合いする気も失せてしまった。

というわけで、あと2、3週で、視聴率は逆転するはず……と、勝手に予想している。

で、同じフジテレビの春ドラマだが、昨日初回の『リーガル・ハイ』(毎週火曜夜9)も面白い。テンポよし、キャラよし(堺雅人!)、逆転ストーリーよし。文字通りハイテンションの堺雅人と正義の新米弁護士・ガッキーの一見不釣合いなコンビが、今後どんな難題にぶつかり、それを法廷の場でクリアしていくのか、興味津々。これもハマりそうだ。

ついでに言うと、NHKの朝ドラ『梅ちゃん先生』も、徐々に面白くなってきた感じ。基本的にヒロイン役の堀北真希は“大根”だと思っているが、今回は役柄的に彼女に合っているのかも……アキラ流(小林旭)に言わせてもらえば「料理次第で、いい味の出る大根」かもしれない。(でも、まだ始まったばかり。予断を許さない状況ですが)



2012/04/15

胸いっぱい、腹いっぱい。


諸々の仕事もようやく一段落。先週の木曜(12)は久しぶりに旧友たちとの飲み会で新宿へ(恒例の中年男子会)

で、いつも通り“飲食前・映画”……テアトル新宿で『KOTOKO』を観た。監督は鬼才・塚本晋也、主演はシンガーソングライターのCocco。若い女性を中心に映画ファンの熱い支持を集め、社会学者・宮台真司が「ここには確かな福音がある。涙なくして観ることができない」と絶賛した作品だ。

と言って、塚本作品にもCoccoの歌にも、あまり馴染みのない私が、宮台氏のように深く感情移入できるだろうか……と多少懐疑的だったのだが、あにはからんや、最初から最後までほぼ金縛り状態で画面に釘付け。スクリーンを通して胸に突き刺さってくる“痛み”に何度も息を呑んで見入ってしまった。

とにかく、Cocooの存在感が際立っている。

平和な日常に忍び寄る恐ろしい影(暴力、放射能、震災、戦争……)を全身で感じ取り、人も社会も二重に見える世界で生きる主人公・琴子。その世界で人を愛すること、愛する者を守ることの難しさに耐え切れず、恐怖と苦悶の中で精神のバランスを崩していく一児の母をCoccoは激しく、鋭く、柔らかく、見事に演じきっていた。特に、ラスト近く、生きる意志を天に告げるように、激しい雨に濡れながら歌い踊る姿は、その透明感のある声の響きと相俟って神々しい天女のよう……ベネチア国際映画祭・オリゾンティ部門(斬新さと先鋭性の作品を集めて競われる部門)に於いて、日本映画初の《グランプリ》を獲得したというのも、納得の作品だった。(「日本アカデミー賞」も、こういう映画を作品賞にノミネートできると全体の質も格も上がると思うんだけど……)

しかし、飲む前にえらい映画を観てしまった。気が置けない仲間の集まりとはいえ、今は誰とも話したくないし、困ったなあ……と思いつつ映画館を出たが、なぜかとても静かに見える新宿の街を歩いているうちに、今度は無性に人と話したくなった。腹も減ってきた。もちろん酒も飲みたくなった。

10分遅れで、いざ、『鼎』へ。そこには既に、酒を飲んで料理をパクついている友二人(男四人の集まりだったが、“あっ、忘れてた!”と一人ドタキャン)。当然、その夜も盛り上がり、多彩な話題と旨い酒&肴で腹いっぱいでありました。

2012/04/05

時計を止めて


春の嵐が来る前に、駅前のTUTAYAで借りたDVD『探偵はBARにいる』……昨年9月に劇場公開された映画だが、同じ東映作品で大ヒットした劇場版『相棒』の製作スタッフが再結集して手掛けたものだとか。ならばハズレの不安はない。レビューの評価も高かったので、前から見たいと思っていた。

主役は大泉洋、ハードボイルドに付き物の“運命の女”には小雪。で、舞台は札幌の歓楽街ススキノ、探偵の“事務所”はオーセンティックなBARのカウンター……とくれば、どうしても業界人的に某ウィスキー・メーカーの“仕掛け”を想像してしまうが、勿論そんなあざとい落ちはない。かといって謎解きや結末に目新しさがあるわけでもなく、小技と小物を効かせて通の客をくすぐるベタな探偵モノ。でも、そのアナログな感じがたまらない。そして薫り立つ昭和テイスト……『三丁目の夕日』のようなステロタイプの「昭和」とは一味違う情緒とウィットが全編に息づいていた。

私自身、いきなり冒頭の「カルメン・マキ」の弾き語りシーンで胸がじんわり熱くなった後も、懐かしさ込みでラストまでゾクゾクしっ放し……そして、エンディングでジャックスの名曲「時計を止めて」(カルメン・マキのカバー)が流れて完全にノックアウト。久しぶりに“哀愁・情念・緊張感”の三本柱がビシッと胸前に立つ上質の和製ハードボイルドを楽しませてもらった。また、70年代後半の「遊戯シリーズ」(主演・松田優作)を思い起こさせるような気合いの入った小粋な東映魂を再び感じられたことも、かつての東映ファンとしては嬉しい限り。

では、今日の締めに、やはりこの歌。しびれます。



2012/04/01

もうすぐ、桜


 
毎週愛読している朝日新聞・土曜besongうたの旅人」。昨日の旅の舞台は私も好きな「東京・吉祥寺」、この街に在る成蹊大学卒の歌人・林あまりさんについて触れられていた。

彼女は高校時代に、寺山修司の歌「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」に心を射ぬかれ、短歌を学ぶため歌人・前田透(高名な歌人・前田夕暮の長男)が文学部教授を務める「成蹊」を進学先に選んだという。

大学では、部活(演劇部、同期の仲間に「片桐はいり」がいた)の傍ら前田透の研究室に入り浸り。短歌によって「人生の楽しみを生まれて初めて実感」した彼女は、「国語の先生になり、数年おきに歌集を自費出版する」という満ち足りた半生を思い描いていたようだが、そのつつましい望みは、大学3年の冬、進路も含めて支えとなっていた恩師・前田透の急逝によって消し飛ぶ。

大切な師とともに将来の指針をも失い悲嘆にくれる中、思いもかけず彼女はひとまわり年上の、妻ある男性と出会い不倫の恋に陥る。愛憎もつれる男と女の修羅場……短歌の作風は激変し、在学中に雑誌「鳩よ!」に大胆な性描写や不倫相手に対するやるせない心情を歌った作品を投稿、同誌編集長に見出され歌人として鮮烈なデビューを果たすのだが、その歌の激変ぶりに亡き恩師が主宰していた短歌結社の同人たちの批判が殺到(もちろん彼女も同人)、ついには孤立無援の状態になったという。

それから約10年後、その過激な歌の数々が「恋愛関係の女の間合いをうまく書ける人だ」と、名音楽プロデューサーの目にとまる。

「坂本冬美の歌の詞を書かないか?」……

その人に招かれた赤坂の路地裏にある小料理屋。ほろ酔い前の突然の打診に、林さんは即答で応じた。その瞬間、彼女の脳裏では《髪振り乱し、一心不乱にはだしで駆け出す女の姿が、とぎれとぎれの残像のようにスパークしていた》らしい。彼女自身が自分の心情を託すために生み出した「夜桜お七」(井原西鶴の好色五人女に描かれた「八百屋お七」になぞらえたヒロイン)……“冬美さんになら、あげてもいい”と思ったそうだ。

そうした経緯により生まれた、坂本冬美の名曲『夜桜お七』。

林さん曰く、《女ひとり、挫けず、たくましく生き抜くのよと呼びかける、やせ我慢の歌》だそうな。(う~ん、ハードボイルド。やせ我慢は男の特権だと思っていたけどなあ……)

(前略)
口紅をつけて ティッシュをくわえたら
涙が ぽろり もひとつ ぽろり
熱い唇おしあててきた
あの日のあんたもういない
たいした恋じゃなかったと
すくめる肩に風が吹く
さくら さくら
いつまで待っても来ぬひとと
死んだひととは おなじこと
さくら さくら はな吹雪
抱いて抱かれた 二十歳の夢のあと
おぼろ月夜の 夜桜お七
さくら さくら 見渡すかぎり
さくら さくら さよならあんた
さくら さくら はな吹雪
(「夜桜お七」 作詞・林あまり/作曲・三木たかし)

……「いつまで待っても来ぬひとと 死んだひととは おなじこと」。いよっ、座布団一枚!と言いたいくらい仰せごもっともな詞だが、別れた女に“あんた”と書かれ、紙の上で葬られる男も、とても恥ず悲しいものだと思う。あ~、げに哀れなりしはおなごか、おのこか。

さて、あんた、今年は誰と何処で桜を見ましょうか。

※ところで彼女の不倫の結末は、こう歌に記されているようだ。
なにもかも 派手な祭りの夜のゆめ 火でも見てなよ さよなら、あんた
(歌集『MARSANGEL』より)