古い新聞・雑誌を片付けていたら、整理袋の中で地味に拉げているチラシが目に入った。手に取ると、市議会議員(無所属)の「議会報告」……
何気に読んでいたら、昨年末に市議会で「議場に日の丸を掲揚することが強行可決された」という記事にぶつかった。どうやら市民から「議場に国旗を掲揚すべし」という陳情が提出され、それを審議・採択したらしい。「住民福祉の向上」を図るべき議会で、市民の陳情とはいえこんな個人的信条を大げさに取り上げて審議するというのも解せないが、それを強行可決したというのは、もっと唖然。これも大阪維新の会の影響か……と、途端に気分が悪くなった。
一市民の立場で言えば、議場に日の丸が掲揚されようがされまいが、どっちでもいい話だが、なぜ「強行可決」に至るまでの間で「市民の声とは言え、思想的・信条的対立を生むような陳情は却下しよう」とか「反対の人がいるなら、無理に掲揚する必要もないのでは」とか「みんなが賛成できる市の旗でも作りますか?」というような柔軟な意見&発想が出てこないのだろう(別に私は“市旗”など不要ですが)。
大体こういう議題は、歴史認識とイデオロギーの違いを浮き彫りにするだけで、何ら生産的な話し合いにはならず、最後は「個人の意思」の押し付けによって感情的対立に行き着くのは、普通の大人の頭で考えればすぐに分かること。
私は、「日の丸」と「君が代」が、右翼と左翼の思想的対立軸となっていた時代も知っているが、右翼・左翼という区分けすら意味をなくした今、多様な住民の存在に思いを馳せることなく暇で偏狭な市民の陳情に便乗し、わざわざ過去の亡霊を甦らせるような対立軸を設けて、今後の議会運営に禍根を残すだけの審議・採決を行うことにどれほどの意味があるのか、単なる「税金のムダ遣い」ではないか……と、納税者の一人として甚だ不快に思う。
で、賛成票を投じたという女性議員(自民党・東大卒)のブログを読んでみたら……
「今年は絆が求められた1年でした。日の丸を見て、安心感を覚える。素直にそう思っていいのだよ。
日の丸を見て嫌悪感を覚える人がいるのは確かです。ですから、強要はいけないと思います。しかし、嫌悪感の強要もやめてほしいです。」
と書いてあった。オイオイ、子どもかよ!と突っ込みたくなるような支離滅裂な文章だが、どうやらこの人は「絆=日の丸」と思っていて、反対派から「嫌悪感を強要され、それが嫌で自分の素直な気持ちを反対派に強要した」らしいことは分かった……あな恐ろしや、アホらしや(野村監督風に言うと“バッカじゃなかろかルンバ”)。そろそろ「絆」という言葉にも気をつけないといけないなあ。
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