2012/03/17

雨の朝、吉本さんの死を悼んで。

昨日、吉本さんが亡くなった。

とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによって
きみはぼくらによって ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ     (1954年作『涙が涸れる』より)

まだ、「革命」が空想の物語でなかった時代、「ぼくら」と「ぼくらの好きな人々」との連帯を信じて綴った若き魂の気負いを「定本詩集」の中に残したまま、本当に遠くまで行ってしまった。

享年87歳……お年を考えれば、仕方ないことかもしれない。だが、この世界から吉本隆明がいなくなるなんて思いもしなかった。否、思いたくもなかった。

ここ数年、よく冗談半分に「クリント・イーストウッドと吉本隆明が生きていれば、他の年寄り(友人や市井の人ではなく政治家・知識人の類)は別にどうでもいいよ」と親しい友人に語っていたが、その人が逝ってしまった。悲しいなんてもんじゃない。ショックという言葉で収まりなどつくものか。
吉本さんの言葉に初めて触れた20歳の頃から今日まで、社会で何かことが起きるたびに「吉本さんなら、どう考えるだろう」と、生きる指針にしてきた人だ、急に思考の土台を崩され宙ぶらりんのまま、ただフワフワしている自分がいる。

「戦後思想の巨人」と表され、世間では“難解な思想家”というイメージがあるようだが、私にとっての吉本隆明は「話の分かる厳しくて優しいおじさん」……講演以外でお会いしたことはないが、ずーっとそうだった。市井で生きる人の気持ちが分かる人。それを思想の真ん中に置き何よりも優先し大事にする人。そんな吉本さんを、かつて自ら発刊した同人誌『試行』の創刊メンバーの一人、詩人・谷川雁は「庶民・吉本隆明」と称したが、その通り大衆的で懐の深い思想家だった。だから、「社会や他者との違和」を感じながら生活者として自分の心と向き合う人間に、吉本さんの言葉は胸にストーンと落ちるように強く温かく響いた。「こんな情けない俺でも、情けないままに考えるべきこと、やるべきことがあるじゃないか」と思うことができた。

3.11の後、吉本さんは親鸞の言葉を引いてこう言っていた。
《親鸞は「人間には往きと還りがある」と言っています。「往き」の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかし、それを終えて帰ってくる「還り(カエリ)」には、どんな種類の問題でも、すべてを包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと。善も悪も肉親も他人も、すべて関係なく。かわいそうだから助ける、あれは違うから助けない、といったことではなく「還り」は全部、助ける》……近しい誰かが言っていたが、瓦礫の山を一気にさらうブルドーザーのような力強い言葉だった。

総理大臣が「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」と戦争にでもいくように息巻き、社会が半ば震えながら「個より公が大事」という風潮に傾きかけている最中、太平洋戦争時の日本の状況と重ね、その後悔の思いを込めて「要するに簡単に言えば、個人個人が自分が当面してる、いちばん大切なことを、いちばん大切として生きなさい、という、それだけのことですよ。公にどんなことがあろうと、なんだろうと、自分にとっていちばん大切だと思えることをやる、それだけです」(ほぼ日刊イトイ新聞より)と語る吉本さんの元気な姿を、どれほど心強く思ったことか。

だから、まだまだ、吉本さんに生きていてほしかった。「原発」や「復興」だけじゃなく、ぼくらには分からないことがたくさんあるのだから、もっともっと話を聞かせてほしかった。でもそれは願っても叶わぬこと。

キヨシロウも、ヨシモトリュウメイもいなくなった日本……残念なだけで、楽しくも面白くもないが、それでもぼくらは、自分の頭で考え、自分の足で歩いて、残りの人生を生きていかなくてはならない。さっさと悲しみを拭って、買い物にも行かなきゃいけない。

外は雨……好きだった吉本さんの詩『佃渡しで』を一人部屋で朗読しながら、また書物の中でお会いするまでの“束の間”、お別れしようと思う。

佃渡しで娘がいつた
〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた
〈これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう〉
水はくろくてあまり流れない 氷雨の空の下で
おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ掘割のあいだに
ひとつの街がありそこで住んでいた
蟹はまだ生きていてそれをとりに行つた
そして沼泥に足をふみこんで泳いだ

佃渡しで娘がいつた
〈あの鳥はなに?〉
〈かもめだよ〉
〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
あれは鳶だろう
むかしもそれはいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞つていた
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水に囲まれた生活というのは
いつでもちよつとした砦のような感じで
夢のなかで掘割はいつもあらわれる
橋という橋は何のためにあつたか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみがあれば流すためにあつた

〈あれが住吉神社だ
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう〉
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの
窪みにはいつてしまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる

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