2024/12/30

勝手にコトノハ映画賞2024年②(邦画)


個人的に今年は邦画の当たり年。以下の4本は特に良し。

●最優秀作品賞

『正体』(監督:藤井道人/製作2024年、日本)


以前から「今も悪くないけど、将来的に凄くいい役者になるだろうなあ」と注目していた横浜流星主演のサスペンスドラマ。監督は「新聞記者」「やくざと家族」等の藤井道人。

まあ、この監督とキャスティングで外れることはないだろうな…と思っていたが、期待通りの大当たり。「逃亡犯・鏑木慶一」役の横浜流星の確かな成長、その表現力に心打たれつつ、緊迫感みなぎる逃亡劇に見入った。(「鏑木」を追う刑事・又貫を演じた山田孝之の“らしからぬ重厚感”も印象的。で、新発見。吉岡里帆って、こんなにイイ役者だった?)


優秀作品賞

『青春18×2 君へと続く道』(監督・脚本:藤井道人、原作:ジミー・ライ/製作2024年、日本・台湾合作)

これも藤井道人監督作品(脚本まで手掛けている)。しかも“青春映画の宝庫”台湾も舞台になっていると聞けば「観たい」と思うのは(私的に)必然。18年前の台湾と現在の日本を舞台に、国境と時を超えて紡がれるLoveストーリー、その意想外の展開に「なるほど、そういう事だったのか…」と、驚きつつ、少し濡れてしまった目を凝らしながらの123分だった。

(で、そのエモーショナルなストーリーもさることながら、この作品の最大の魅力は稀有な“初恋の記憶”を観客の胸に強く残した二人の存在、清原果耶と台湾の人気俳優シュー・グァンハン。とりわけ、初恋に心躍らせる18歳の素朴な台湾男子と、人生の岐路をそれなりに乗り越え大人の魅力を漂わせる36歳のジミーを見事に演じ分けたシュー・グァンハンの演技と佇まいは、台湾スターらしい確かな輝きを放つものだった。)

 

『ラストマイル』(監督:塚原あゆ子/製作2024年、日本)

この「ラストマイル」に関しては観る前から、評判の高さも含めてかなりの情報が頭に入っていて、期待値上がり過ぎ…の感あり。それ故、鑑賞後の満足度は中の上or上の下、と言ったところだが、もちろん面白かったし、「観て損はなかった」と思える一本。労働条件が悪化し続けるエッセンシャルワーカーの過酷な現実を描き出した面でも、評価されて当然の作品だと思う。満島ひかり、岡田将生の好演は言わずもがな。個人的には、11月に亡くなった「俳優・火野正平」の姿をスクリーンで拝めたことが嬉しかった。(「こころ旅」の一ファンとして、改めて合掌)

『侍タイムスリッパ-』(監督:安田淳一/製作2024年、日本)

今年8月、私もちょくちょく利用するレトロな映画館「池袋シネマ・ロサ」一館のみで封切られ、口コミであっという間に広がり、いまや全国100館以上で順次拡大公開されている超話題作。(監督・脚本・カメラ・キャスティング・宣伝ポスター等々、すべてを一人の人間が行い、信じられないほどの低予算で製作されたことでも話題を呼んだ)

何故それほど多くの人たちに支持されたのか? まあ、それは映画を観れば分かることだが、一言で言えば「本当に面白くて、楽しめて、人の心に添える優しい映画だから」ではないだろうか。ドラマ「JIN-仁」の桂小五郎役、「剣客商売」の秋山大治郎役が記憶に残る主演・山口馬木也の演技と殺陣も見事だった。


さて、残すところ、今年もあと1日。

来るべき2025年が皆様にとって良い一年でありますように。



 

 

 

 

2024/12/29

勝手にコトノハ映画賞2024①


●最優秀作品賞(甲乙つけがたい2作品)

『ホールド・オーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(監督:アレクサンダー・ペイン/製作:2023年、アメリカ)

観終わった後の何とも言えぬ心地よさ。長く記憶に残るであろう珠玉のヒューマンドラマ。

 

『ソウルの春』(監督:キム・ソンス/製作2023年、韓国)」

[韓国映画、恐るべし]を改めて実感させられる必見の軍事サスペンス&極上エンタメ作品。歴史の闇を明るみに引きずり出す“映画の力”をまざまざと見せつけられた思い。(こういう映画が年間1位の動員数を獲得する国・韓国……やはり日本とは「民主主義」の在り様が違うようだ)


優秀作品賞

『密輸1970』(監督:リュ・スンワン/製作:2023年、韓国)

最強の「海女映画」ここにあり!の傑作。韓流的70年代サウンドも心地よく響いた。

 

『オッペンハイマー』(監督:クリストファー・ノーラン/製作2023年、アメリカ)

「原爆の父」オッペンハイマーの自伝的映画(数奇な運命に翻弄される稀代の科学者の姿をキリアン・マーフィーが見事に演じている)。被爆国・日本での上映に際して反対運動も起こったが、私的には「日本人こそ観るべき映画」だと思った。

 

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(監督:アレックス・ガーランド/製作2024年、アメリカ)

「アメリカで19の州が離脱し、テキサスとカルフォルニアの西武勢力vs政府軍の内戦が起こっている」という、観る者には「ただそれだけしかわからない」状態で物語は進んでいく(「何故?」という問いは胸に残したまま)……後は、戦場さながら銃撃戦の只中に(マジで怖い!)。時折、低い視線で映される野の花や草の美しさに少しだけ心を癒されるが、それすら哀しく思えてくる。

というわけで、恐怖と緊張感に縛られ、時折ため息もつきながら鑑賞し終えた一本。衝撃度(&疲労度)で言えば、今年一番の作品かもしれない。

(「この映画はフィクションではあるけれど、50%は実際に起きていることだと思っている」と、監督自身が語っているように、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていくアメリカの様&得体の知れない「レイシスト」の冷酷な行為等、今まさに、世界で、身近で、起きていること。切に戦争の終結を願うが、どうすりゃいいのさ、この世界?!)

 

『アイアンクロー』(監督:ショー・アーキン/製作2023年、アメリカ)

プロレス好きでなくても、多分、同世代の男なら大抵の人は、その得意技「鉄の爪=アイアンクロー」と共に、名前くらいは耳にしたことのあるアメリカの伝説的プロレスラー「フリッツ・フォン・エリック」。その彼を父に持ち、プロレスの道を歩むようになった兄弟の実話をベースに描いたドラマ。

で、父としての「フリッツ・フォン・エリック」はどうかと言うと、今でいう「毒親」そのもの(しかも超ド級)。世界王者になれなかった自分の代わりに息子たちを「王者」に仕立て上げようと自己流のスパルタ教育を施すのだが、そのスパルタ(というか洗脳)が仇となり、息子たちが次々に死んでいく……(あまりの悲劇に、アメリカでは「エリック家の呪い」と言われていたそうだ)

もう、観ていて腹が立つやら痛ましいやらで仕方なかったが、「毒親」の酷さと「洗脳」故に反抗できない息子たちの不憫さが微妙に相まって、スクリーンに釘付け。「毒親崩壊」の結末を見届け、最後はホッと安堵の息を吐きながら、映画館を後にしたように思う。(得体の知れない磁力すら感じる強烈な一本)

 

 

 

2024/12/28

読書メモ③+近況


『太宰治との奇跡の4日間』(著者・櫻井秀勲/きずな出版)

現在93歳の著者が、14歳の時に湯治場で見知ったある男……それは「太宰」ではなかったか?という話。(14歳の少年が体験した戦時下らしい“秘話”を興味深げに聞く人物。確かに太宰っぽいなあ、と私も思った)

松本清張、三島由紀夫、川端康成との交流や、故・坂本龍一のお父上(坂本一亀)が『文藝』の辣腕編集長だった(「出版界の鬼才」と言われていたらしい)など、長く出版業界に身を置いていた人なればこその裏話もあり、“昭和文壇史余談”的に気軽に楽しめる一冊。


『ただ生きるアナキズム』(著者・森 元斎/青弓社)

こんなに元気で尖がった学者(長崎大学教員、専攻は哲学、思想史)がまだ日本にいたんだね~、と感心しつつ驚き、少し嬉しくさせられた本。《国家や資本主義が私たちの欲望をさまざまに制限する現代にあって、「ただ生きる」とはどういうことか。「ただ生きる」ために、私たちは何をすべきなのか》を、解きつつ問う…といった内容だが、とりわけ《地を這う精神「はだしのゲン」》と題された章が印象に残った。
《私たちはゲンである。むろん原爆の惨状を経験していない世代だとしても、私たちはゲンの生きざまに見習うべきである。少年漫画としての『はだしのゲン』は、子どもの成長劇、青年のロマンが描かれている。身体的な生育だけではなく、精神の涵養を私たちは見て取ることができる。その精神の涵養にうってつけの反骨精神が色濃く描き出される。思春期の成長にうってつけの素晴らしいマグナム・オパスなのだ。反対せずにどう生きろというのだろうか。それ以外に正しい答えなどどこにもない。放射性物質がまき散らされている現在にあって、そしていまだ終わりを告げることがないアメリカによる日本支配の現在にあって、反核以外の、そして反米以外の道筋など私たちに存在しないのではないか。放射能と放射脳がこの世界をつくる。民衆が天皇という最高責任者によって戦争を強いられたという、そして民衆が大量に(友軍・皇軍からさえも)虐殺されたという「頑固な事実(matter of fact)」(ホワイトヘッド)は、阿呆くさい(天皇は利用されただけなどという)「歴史事実」(笑)とは異なるからこそ、反天皇以外の、そして反政府以外の道筋など私たちには存在しないのではないか。「頑固な事実」がこの世界を作る。民衆がいかに愚劣であっても、私たちは民衆であり、そして「頑固な事実」を経験するのは民衆なのである。そして、その一人がゲンである。》

改めて読み直すと「こんなこと言っちゃって、大学での立場は大丈夫なの?(しかも国立の大学だし)」と、少し心配にもなるが。別に間違っていることを言っているわけでもないしね~……まあ、兎に角、そういう忖度無しの“熱さ”も含めて今後も注目したいアナキスト・森元斎。次作を楽しみに待ちたい。


『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(著者・森永卓郎/フォレスト出版)

末期の膵臓がんを患いながら、ジャニーズの性加害問題に端を発し、財務省の利権問題、そして日航機墜落事故の真相等、日本のタブーに切り込んだ渾身の一冊(本人曰く「これは私の遺書である」)。私的に「ザイム真理教」信者が減り、「森永真理教」信者が増えれば、日本も少しは良くなるのでは?……と思えた“希望の書”。強大な権力に立ち向かう一人のアナリストの“命がけの戦い”に心からのエールを送りたい。

 

[ちょっとした近況報告]

9月から連れ合いと共に、地域の小学校で週1回「日本語ボランティア」として、海外にルーツを持つ子どもたちの学習支援(漢字の読み書き、算数など)を行っている。

ボランティア未経験の私が、その重い腰を上げたきっかけは4月に配られた市の広報誌。「日本語ボランティア入門講座 受講生募集」の記事を見たツレの「行ってみない?」という誘いに、「(自分自身の“学び直し”にもなるだろうし)外国から来た子どもたちの手助けになれるのなら…」と、割とすんなり応じた次第。(で、5月末から7月末まで12時間・全8回の講座に参加、7月末の日本語教室見学を経て、夫婦共々その教室の一員として加わることに決めた)

毎週火曜の午後3時~5時まで、学習支援のみならず、教室に集う生徒たちと一緒に「坊主めくり」や「UNO(ウノ)」「あやとり」等をして遊ぶことも多い。

(まさか、この歳になって、ミャンマーの小1女子と一緒に「あやとり」をやることになるとは……しかも、全然上手く出来ず、「そうじゃなくて、こうするの」と、手を取って教えてもらうハメになるとは…)

   ジャック日和







 

 

2024/12/27

読書メモ②


『七年の最後』(著者:キム・ヨンス/橋本智保訳、新泉社)

2024年、最も心に刺さった小説。まず、帯の文に惹かれた。

「夜は昼のように、昼は夜のように。水は火のように、火は水のように。

悪が善になり、善が悪になる。その廃墟を見つめること、それが詩人のすること――」

この本を読むまで、その存在すら知らなかったが、韓国の詩人たちに最も敬愛されている詩人の一人が、伝説の天才詩人「白石(ペクソク、19121996)」。白石は1930年代後半から40年代前半に活躍した詩人で、解放後は故郷のある北朝鮮に残り、体制になじめず筆を折った(らしい)。『七年の最後』は、その筆を折る1962年までの最後の7年間を、現代韓国文学を代表する作家キム・ヨンスが《構想30年。膨大な資料をもとに、記録された文献や歴史書の中に埋もれた人たちの声に生命を吹き込み、できるかぎり想像を膨らませて(訳者あとがきより)》蘇らせた長編作。キム・ヨンスによると「この小説は、白石はなぜ詩を書くのをやめたのか、書く自由を奪われた詩人を生かし続けた力は何なのか、などの疑問から始まった」とのこと。帯には《書かないことで、文学を生き抜いた詩人、白石》とも記されている。

で、私が最も印象に残った一節(咸興出身、モスクワの国立映画大学シナリオ科在籍の留学生リ・ジンソンに語らせたもの)……

時代という吹雪の前では、詩など、か弱いロウソクにすぎない。吹雪は散文であり、散文は教示するものだ。党と首領の言葉は、吹雪のごとく吹き荒ぶ散文である。峻厳で恐ろしく、緻密である。だが、詩は語らない。詩の役目は、吹雪の中でもその炎を燃やすところまでだ。ほんのいっとき燃え上がった炎によって、詩の言葉は遠い未来の読者に燃え移る。

それを受けた訳者のあとがきも印象的だった。

《(前略)そう考えると、『七年の最後』は、人間の力を信じることと、私たちが大切にしているものは権力によって壊されることはない、という著者の思いから出来上がった小説だといえる。その思いが白石が生きたと思われる架空の世界をつくりあげ、その中で白石は詩人として生き続けたのだ。それは皮肉にも、白石が詩を書かない選択をしたからこそ可能だったのだが、その結果、彼は自分の詩を守り、遠い未来の読者に燃え移り記憶されている》

(にしても、ノーベル文学賞を受賞した「ハン・ガン」しかり、韓国を代表する現代作家の力量、というか「読ませる力、その世界に引き込む力」は想像を軽く超える。確固とした信念と深い考察に導かれながら、さらに何故、このように繊細で美しく、その意志と悲しみをまとったような稀有な文体で綴ることができるのだろう)


『私たちが起こした嵐』(著者・ヴァネッサ・チャン/品川亮訳、春秋社)

舞台は、1930年代のイギリス植民地時代と1940年代の日本占領下のマラヤ(現マレーシア)。主人公となるのはユーラシア系(ヨーロッパ系を自負するが実際には浅黒い肌のアジア系として見下され、差別的に扱われていた)主婦セシリーと、その子供たち。セシリーはイギリス植民地時代に日本軍のスパイ「フジワラ」に惹かれ、彼の唱える「アジア人のためのアジア」という理想に共感して間諜行為に協力するのだが、「日本占領下」その子どもたちに数々の悲劇が訪れる……という、かなり陰鬱で辛いストーリーだが。それでもページを繰る手が止まらないのは「もし歴史を影で動かしている女性がいたとしたら…」というテーマ設定が生み出す予想外の展開とその緊迫感故だろうか。「心やさしい読者のみなさんへ」と題された、著者の長い“まえがき”も「日本人」的にかなり強烈な印象を受けた。

心やさしい読者のみなさんへ

《マレーシアでは、孫たちには話さないというのが、祖父母たちの愛のかたちでした。より具体的には、1941年から1945年までのあいだのことについては、ということです。それは、マラヤ(独立前のマレーシアはこう呼ばれていました)を侵略した日本帝国軍が、イギリスの植民者たちを追い出し、平穏だった国を内戦のただ中に突き落とした時期にあたります》(中略)

《『わたしたちが起こした嵐』を書く前のわたしは、日本による占領について、五本の指で数えられるほどの事実しか知りませんでした。日本人たちが巧妙にも、タイを経由して北から自転車を使って侵攻したということは知っていました。その間、イギリス軍の機関砲は、南の海に向けられていたのです。日本人たちは残忍で、情け容赦なく殺したということも、自分たちが侵略しておきながら、同時に(アジア人のためのアジアを)と訴える赤い宣伝ビラを空中から撒いたことも。それは、警告であるとともに、武器を取って立ち上がれという呼びかけでもありました。》(中略)

《話が長じるにつれて、祖母から真実を聞き出すことが、おしゃべりをとおした探し物ゲームのようになっていきました。占領下のクアラルンプールで過ごした、10代の頃の生活はどうだった?占領下の生活はどうだった?と尋ねると、祖母はいつもこう答えたものです。「普通さ!みんなといっしょだよ」

それでも最終的には長い年月をかけて、真実だけを伝える冷静な声によって、わたしはさらに学んでいきました。だれもが家族を飢えさせないようにするのに必死だったこと。学校は閉鎖されたこと、日本の凶暴な秘密警察である憲兵隊が、イギリスの行政官たちを投獄し、中国系住民の抵抗運動をジャングルの奥でひねり潰したことを。》





 

2024/12/23

読書メモ①


色々な物の値段が上がる中、本の価格も上がる一方。

(値上げの大きな原因は需要減。いわゆるZ世代を中心に活字離れが進み「本や新聞を読む日本人が少なくなった」こと。文化庁の調査によると「本を月に1冊も読まない人が6割を超えている」とか……以前、誰かが「SNSの進展は知の衰退をもたらす」と言っていたが、玉木率いる「国民民主党の躍進」「兵庫県知事選」「在日クルド人へのヘイト」等の現状を見ると、その通りの世の中になってきた気がする。「(人との出会いはもとより)いつの時代も、映画と音楽と本は、人を変える」と、当たり前の様に思い生きてきた人間としては、何とも寂しい限り)

特に、発行部数の少ない海外文学作品などは12000円~3000円が普通で中には5000円を越えるものもあり、とても手が出しにくくなっている。

というわけで「買うより、借りろ!」……7月頃から市内の図書館を利用することが多くなった。ここで取り上げる何冊かもその図書館で見つけたもの。

まずは台湾発ハードボイルドタッチのミステリー小説『台北プライベートデイ』から。(最近は海外小説、とりわけアジア文学中心の読書生活。その感想を一言で言うなら「俺はアジア(文学)を知らなさすぎた&読まな過ぎた」……本当に興味深い作品が多いし、感性瑞々しく鋭い素晴らしい作家たちがいる)

『台北プライベートアイ』(著者:紀蔚然(きうつぜん)/船山むつみ訳)

主人公は元演劇科大学教授というプロフィールを持つ駆け出しの私立探偵「呉誠(ウーチェン)」(年齢は50歳手前)。酒の席での失態が原因で仲間を失い、(パニック症候群など精神的問題を抱えている故か)妻にも逃げられ、何もかもなげうって私立探偵を始めた…という、かなりハチャメチャな人物(ひねくれたユーモアが好みで、毒舌全開の独白で憂さ晴らし。風体はダサいのに音楽の趣味はめっちゃイイ…というあたりは「ハードボイルド」小説ファンにはたまらない味付け)。その「呉誠」によって語られる台北の街(主に下町)、人、文化、歴史…とりわけ「台湾人観」が実に興味深かった(言うならば「読めば台湾・台北の事が分かったような気になれる」ハードボイルド小説。元気過ぎる呉誠の母、つれな過ぎる妹、倫理感ゼロのマスコミ、頼りない警察、探偵ビギナー揃いのダサ面白い仲間たちなど、いい加減だが憎めない。という「台湾らしさ」を感じさせる脇役陣にも自然に興味を惹かされた)。

ちなみに「台北」は、(数少ない海外旅行の中で)私的に好きな街ランキング3位の街(ちなみに1位はホーチミン、2位はベネチア)。この小説を読んで、「もう一度行ってみたいなあ」と、より「台北」の魅力が増した気がする。(続編『DV8 台北プライベートアイ2』も現在読書中)


『黒い豚の毛、白い豚の毛』(著者:閻連科(えんれんか)/谷川毅訳)

中国の農村や軍隊(著者自身も入隊していたことのある人民解放軍)を舞台・題材として展開されるマジック・リアリズムの世界を作り上げ、フランツ・カフカ賞をアジアでは村上春樹に次いで受賞するなど、世界的評価が高く(一方、その鋭い寓意に満ちた作品は、本国では「軍を侮辱した」などとして発禁処分も受けてきたそうだが…)ノーベル文学賞の有力候補との呼び声もある著者・閻連科の自選短編集(2002年~2018年の間に綴られた作品群)。

表題(の短編)『黒い豚の毛、白い豚の毛』とは、クジをひかせるために用意した毛(黒い毛なら当たり、白ならハズレ)。で、そのクジの景品は何かというと《自動車事故で人を轢いてしまった鎮長(「鎮」は県より少し小さい都市や町のことで、その「長」。即ち市長もしくは知事といった所だろうか)の身代わりになる権利》……はっ?何それ?と思うが、「貧しく冴えない現状から抜け出すには市や村の有力者に取り入るほか無し」と考える人たちが普通に多い超格差・村社会。「罪を被って牢に入ることで恩を売り、出獄の暁にはたぶん出世が待っているはず…」と、うだつの上がらない男たちが次々にクジを引くことになる。結果、見事当たりクジを引いた男に待っていたのは「出世」ではなく…という話(想像通りの哀しい結末)。

その他、《未婚の中隊長を結婚させるために、軍をあげての嫁探し。どうにも上手くいかず、最終手段としてイケメンの部下が「中隊長」と偽り、自分の写真と恋文をターゲットの女性に送りつける。そして遂にその女性が中隊長のもとに現れるのだが…》という、ほとんど性暴力としか思えない、あまりの人権無視&驚愕の結末に唖然とさせられる『革命浪漫主義』、また、限界集落を一から建て直す郷長(集落の長)の執念が凄まじい『柳郷長』、晩年になってからキリスト教を信じるようになった老婆を翻意させるため(共産主義を標榜する国家・中国。実際は多様な宗教文化が存在していて、建前上も禁止していないものの「ない方が良い」というスタンス。とりわけ「キリスト教」は中国共産党政権の一番の標的、キリスト教会の十字架破壊、撤去及びそれに抗議する信徒たちの逮捕など、習近平政権下、弾圧が続いている)、元村長の隣人が様々な策を講じる『信徒』なども、深く印象に残った。