2023/10/29

手術・入院の10日間①


異常な暑さが続いていた8月半ば……妙に熱っぽい上に、腹部からお尻(肛門)にかけて鈍い痛みを感じた。

「コロナじゃないの?」と、ツレは心配そうに言ったが、「いや、コロナではないと思う。多分、腸か肛門内に何か問題がありそうな気がする」と感覚的に判断。即、以前かかりつけの医者に「大腸肛門系はココがいいよ」と教えてもらった練馬区の病院「豊島園 大腸肛門科」へ。

受診後(採血及び肛門部の触診など)、そこで下された病名は「肛囲膿瘍」(肛門と直腸の境の歯状線につながる肛門腺に感染が起こり、肛門周囲に膿の溜りができたもの)、若干「鈴木エイト」似の先生(院長)に「炎症を抑える薬を出すので、1週間後にまた来てください。辛い物やアルコール類は当分控えるように」と言われ、「この時期ビールもワインも飲めないのは残念だけど、炎症が治まればそれでOKなのかも?」と、ほっと胸をなでおろして1週間……2度目の受診結果は「要するに、痔瘻(肛囲膿瘍が破れて、膿の管ができたもの)」「緊急性を要するわけではないが、手術しないとダメ」とのこと。また、私の場合「通常、膿瘍は下に向かって広がるのに、上に向かって伸びて直腸にまで達しているレアケール」らしく、手術の主たる目的は「悪化防止」(直腸を傷つける恐れがあるので全摘は無理)。また「腸に何らかの疾患があり、それが影響しているのかも…」ということで、「手術に併せて大腸検査も必要」(年齢的に「大腸がん」の疑いも?)と言われた。

手術&大腸検査?!……思ってもいなかった言葉に少し動揺したが、そうと決まれば早めに対処した方が身のため。病院で渡された「入院される方へ(入院案内)」を熟読し、その2、3日後に病院に連絡、4人部屋(無料)を予約できる「102日」の入院が決まった。(手術後、完治までは1ヶ月半~2ヶ月程度かかるそうで、必然、写真機メンテの仕事は101日~1115日まで休業することに)

101(入院前日)

入院準備(事前に用意していた衣類、洗面用具、洗濯洗剤、本3冊、ノートなどをスーツケースに詰め込んだ)&大腸検査準備の一日。

朝・昼・夕の3食とも病院で渡された「大腸検査食」(朝:鯛がゆ、昼:和風ハンバーグ、間食:ビスコとゼリー、夕:コーンポタージュ)を食べ、早めに就寝。

102(入院及び大腸検査)

5時起床。下剤を服用後、液体の腸管洗浄剤(1800ml)を2時間かけて飲み、腸内を空っぽに。9時過ぎにツレと一緒に病院へ向かった。

10時過ぎ到着。すぐに、入院手続きを済ませ(彼女とはここでバイバイ)病室に案内された後「内視鏡検査室」へ。11時過ぎ、麻酔注射を打ち、ほどなく検査が始まった。(事前に「ポリープがあれば、その場で切除します」と言われていたので、「ポリープの一つや二つは……」と、それなりの覚悟はしていた)

検査自体は麻酔が効いているので痛くはないが、多少お腹は張る感じ……開始から4、5分後、看護師さんの指示に応じて検査中のモニター画面に目を向けると、「直腸から入って、結腸を通って、ここが(終点の)盲腸……」と先生の説明あり。

そこに映し出された我が大腸は、薄いピンク色でS状に曲がりくねった長い管。細い血管が四方八方に広がるその空間は不思議にとても美しく見えた。

「で、先生、ポリープは?」と聞くと、「無かったですね。至って正常」との返事。思わず「良かった…」と呟くと、「良かったですね」と看護師さんも笑顔で応えてくれた。

70年間、特に節制することもなく好きなだけ食べて飲んで過ごしてきたのに、ポリープ一つ無いとは……「ありがとう、オレの大腸!」と、感謝の念すら覚えた)

検査後、麻酔が切れるまで30分ほど休んでから起き上がり病室に戻ったら、すぐに昼食(おでん、かやくご飯など)が運ばれてきた。

午後1時過ぎ、7日間を共に過ごす3人が次々に入室。(入院から退院までの10日間、そのうち無料の4人部屋に居られるのは7日間、残りの3日は19900円の2人部屋…というのがこの病院の決まり)

午後は他に検査もなく暇なので、テレビと本で時間潰し(各ベッドにテレビが付いており、視聴するには11000円のカードを購入する必要あり)。テレビでは丁度「ジャニーズ記者会見」が行われていた。

その会見、「2時間縛り、11問1答」という加害企業側が決めたルールに大半の記者たちが黙って従っている時点で“これはダメだ…”と思ったが、特に解せなかったのは、会見の進行に抗議の声をあげる人たちに対して「(テレビを見ている子どもたちに)ルールを守る大人の姿を見せたい。どうか、どうかお願いします」と、あろうことか「子ども」を利用して自分たちのルールに従わせようとした「イノッチ(井ノ原氏)」の発言及びそれに対する記者席からの拍手……(もう、ヤバい!の一言。ジャーナリスト廃業を表明したに等しい愚行では?)

少年(こども)への罪を問われし者たちが「ルール守れ」と子どもを盾に

その後、ベッドの上で持参した『歴史と戦争』(著者・半藤一利/幻冬舎新書)を読んでいたら、こんな一文にぶつかった。

新聞は「沈黙を与儀なくされた」わけではなく 『朝日新聞』は自社の70年史で書いています。「昭和6年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが、柳条溝の爆発で一気に準戦時体制に入るとともに、新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた」とお書きになっていますけれど、違いますね。沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ。つまり、ジャーナリズムというのは、基本的にそういうものでね。歴史を本当に学んでいないんですよ。こう言っちゃ身も蓋もないけれど、いまのマスコミだって、売れるから叩く、売れるから持ち上げる、そんなところだと思いますよ》(保阪正康氏との対談『そして、メディアは日本を戦争に導いた』より)

半藤さんのおっしゃる通り。

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