2023/10/31

手術・入院の10日間③


107日(土)

朝、排便の際に若干いきんだ所為か出血があり、トイレの水が薄く赤色に染まった。その旨、看護師さんに伝えると「便器の底が見えないくらい真っ赤になるようだと問題ですが、その程度は全く心配ないです」との返事。

土曜のため診察は午後ではなく11時。待合室は外来の方々で混みあっていた。(2030人ほどいただろうか。男女比は半々、若い人が多く在日外国人の方の姿もチラホラ……自分が患うまでは気にも留めなかったが、老弱男女及び国籍問わず「尻友」の数は思いのほか多いようだ。ちなみにこの病院の治療実績は年間約300件、そのうち手術件数は約200。それを一人の医師の手で行っているのだから驚く。ゴッド・ハンドと称される所以)

術後の経過は順調。この日も昼食後は院内の「談話室」で本を読んだり、歌を詠んだり……だったが、同室のTさん(御年61歳、風貌は「温和で優しい“お坊さん”」)が入ってきたので、本を閉じ1時間ほどダべリング(珍しく、私が聞き役)。

「若い頃、自転車で日本一周」「その後、バイクでも日本一周」「以前、毛巣洞(という癌)で大手術。お尻の肉を3分の1ほど切った」「職場で陰湿なイジメにあい退職(“付き合いが悪い”と絡まれ、5,6人にボコボコにされた)」「移った職場はとても居心地がよく、信頼できる人にも出会い、楽しい日々を送った」「でも、その人が急死…すごいショックで、職場にも行けなくなり退社」「草サッカーで仲良くなったペルー人の少年も事故で死亡(その家族とも親しくて追悼ミサにも参列…でも、家族みんなペルーに帰ってしまった)」「なぜか、親しくなった人が突然、自分の前からいなくなる(そんな運命)」「職を転々…今は無職」「親の老齢年金と自分の貯金で生活」「でも、お父さんが死んで、今は自分のお金だけ」「お母さんはアルツハイマー…自分で摘便して家の中が“うんこ”だらけになったことも」「兄弟は連絡もしてこない。ひとりで世話をしている」「今は自分が入院したため自宅から少し離れた施設に」「お母さんは話すことも歩くこともできず、目を動かすだけ。意思を伝えられないのでとても可哀想(といって自分一人で介護できるような状態ではない)」「これからどうすればいいのか…もう、早く死にたいですよ」云々。

「人と話をするのが好き」と言うが、知り合ったばかりの人間にこんなことまで話していいのだろうか…と思うような、濃密かつ数奇でやるせない話を聞かされた。(それでいて語った本人は至って自然体。「高校時代の恩師と今も手紙のやり取りを続けている」「高校以来ずっと心配して励ましてくれる」という話も聞かされ、本当にナイーブでピュアな人なんだなあ、と思った。談話室を出る間際に住所と電話番号を交換したが、退院後、再び会う日は来るのだろうか?)

胸を衝く無垢なる記憶そのものが無二の人生、生きててくれよ

108日(日)

休日の為、診察なし。午後4時過ぎ、ツレが差し入れを持って会いに来た。(病室には入れないので、病院前の路上で立ち話。この間メールでの話題は「ジャック」「日々の食事」「術後の経過」だったが、この日は「Tさん」ことも…)

109日(月・祝)

寒い一日。(病室にいるとあまり感じないが、部屋を出るといきなり冷気が…)

朝食の前に2人部屋への“引越し”準備→朝食後、即移動。(Tさんとは別室に)

この日、病院は休みだったが、入院患者のみ診察あり。「変わりなく順調。明後日退院しましょう」とのこと。ベッドで過ごす1日は長いが、あっという間の1週間だった。

1010日(火)

《パレスチナ暫定自治区のガザ地区を実効支配するイスラム組織「ハマス」が突如、イスラエルへの攻撃を開始》……また戦争が始まった。

1011日(水・退院)

退院の日。外来の方の診察が始まる少し前の850分頃、入院中最後の診察。「経過は順調。問題ありませんね。退院おめでとうございます」と言う医師に、「お世話になりました。ありがとうございます」と挨拶、帰宅準備のため病室に戻った。

9時過ぎ、お世話になった看護師さん、食堂の方々にお別れと感謝の言葉を告げ、スーツケースを手に1階受付へ。待合室にいたツレと合流し会計を済ませ病院を出た。

(総診療費224,410円→2割負担で44,800円、食事・室料等保険外負担32,190円。合計88,570円。もちろん痛い出費だが、手術及びその後のケアを含めてこの病院への満足度は高く、その金額にも納得以上のものがある)

11時過ぎ帰宅。玄関のドアを開けるとジャックと目が合ったが、人の顔を見るや否や階段を駆け下り、そのまま押し入れに引きこもり。暗くなっても出てこないので仕方なく私が宥めに行くと、ようやく機嫌を直したようで「ニャー」と言いながら出てきた。(引きこもりは恐らくジャックなりの怒りの表現。私が黙って10日間も家を空けたのが相当気に入らなかったようだ。人間ならとても付き合いきれない「めんどくさいヤツ」だが、猫だからね~)

翌日は打って変わって、朝から晩まで私に纏わりついて「ニャー、ニャー」「ニャー、ニャー」かまってコール、煩いほど鳴きまくっていた。

1013日(金)

退院後、初の診察。切除した「瘻管」が“良性”だったことを聞かされた。(悪性の場合は「痔瘻癌」ということで「人工肛門しか手立てがない」らしい。が、その前に、良性か悪性かを調べる生体検査の件も「痔瘻癌」のリスクがあったことも初めて聞く話。退院後にそんな話をされてもなあ……と、ホッとすると同時にゾッとした)

 

P.S.

現在、退院して3週間経過……週一の診察、薬の服用、ガーゼ交換は変わらず続いているが、痛み・出血はほとんどなく順調に回復している(と思う)。

先日(25日)は9月中旬の墓参り以来、ほぼ1カ月ぶりの遠出も敢行。前から気になっていた「デイヴィット・ホックニー展」(東京都現代美術館で開催中)に行ってきた。

(とにかく、凄い!の一言。御年85歳のアーティストの瑞々しい感性と恐るべきエネルギーに圧倒されつつ、久しぶりに楽しい時間を過ごさせてもらった)



 

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