とは、最近読んだ『岸恵子自伝』(岩波書店)の副題になっている言葉。「居心地のよい生活を壊してでも、未知の世界に踏み入ってみろ」というフランスの諺(ことわざ)らしい。
著者・岸恵子さんは人生で3回「慣れ親しんだ卵を《えいっ》とばかりに割った」と言う。
1回目は、「1957年5月1日に、パリのあなたのもとに行きます」と、イヴ・シャンピ氏に電報を打った24歳の時。「恋に落ち、映画も祖国も捨てて着いたパリは眩しかった。24歳の私が受けた文化的、情緒的ショックはただならないものだった」とのこと。
(イヴ・シャンピ氏は日仏合作の映画『忘れえぬ慕情』の監督。その長崎ロケの合間、とある料亭で「日本はいま自費での海外旅行を禁じている。ぼくが招待するからヨーロッパやアフリカを見てみませんか?」「《卵を割らなければ、オムレツは食べられない》という諺がある。でも、いろいろな国を見て、やっぱり日本がいいと思ったら、帰ってくればいい。卵は二者択一の覚悟が決まったときに割るほうがいい」と、婉曲にプロポーズ。
「そんな勝手をしていいの?」という岸さんの問いに、氏は「あなたは自由なんだよ。あなたの意志を阻む者がいるとしたら、それはあなた自身だけだ」と答えた)
2回目は、「熟慮もせず、我武者羅な負の情熱に突き動かされて」その愛する夫イヴ・シャンピとの離婚を決意し「すずらん祭りの日差しが凱旋門を紅に染めたとき、我が家と思って住んだ夫の家を去った」1975年5月1日。
その日、まだ建築中でガスも引けてなかった引っ越し先で、車に積んでいた大量の本を重ね、その上に「寿」と染め抜かれた赤い風呂敷を掛けて作った即席のテーブルを、職人さんが忘れたらしいトンカチで叩きながら『よさこい節』を調子っぱずれな声で歌ったそうだ。(以下、186頁より抜粋)
《狂ったようなわたしの哀しみを感じたのか、(娘の仲良し)ナタリーと娘が、お菓子とシャンパンを買ってきて乾杯をしてくれた。「ママンの新しい人生のために」
紙コップに注いだシャンパンをちらっと舐めて顔をしかめた二人の少女に、わたしもシャンパンを捧げた。
「18年前の今日、わたしは日本という祖国から独立したの。今日はかけがえのない夫からの独立なの」
わたしはポロポロと涙を流してキラキラと笑った。娘が背中に隠していたらしいすずらんの花束を、濡れた瞳で、わたしに放り投げるようにくれた。》
そして3回目は、《「自分の眼で見て、肌で感じる」と言ったイヴ・シャンピ氏の言葉に後押しされ、事件の2ヶ月後,わたしは単身、イランの首都テヘランに降り立った》1984年4月……イヴ・シャンピ氏が旅立って1年5ヶ月後、岸恵子さん51歳の時。
当時、フランスに亡命していたイランの元将軍が、パリのど真ん中でイスラム教ジハッドに射殺されるテロ事件があり、その現場が恵子さんの友人が住む建物の前だったらしい。
《門の前に数台分の駐車場があり、わたしはその日その時間、彼女と会うために車を止めるはずだった。突然の長電話で時間に遅れ、テロ現場に居合わせなかった。
何かの因縁を感じたし、フランスの新聞が、この事件を「暗殺」と言わずに、「処刑」というニュアンスで書き立てていることに興味を持った。その実態を垣間見たいと、わたしは無謀な行動に走った》……国際ジャーナリスト・岸恵子誕生の瞬間。
《「芸ひと筋」の人生はいやだった。世界に起こるさまざまな事件の焦点、それに身を絡ませて生きていきたかった。それがわたしの生きたい人生だった。》と語る彼女が、世界のいまを、時代のうねりを、五感で感じ取りながら、そのすべてを血肉として、自らの「自由を手に入れる」旅の始まりだった。
というわけで、心の自由とは何かを考え行動し、求め続けたその人生の「潔さ」と「豊穣な孤独」に圧倒される、一気読み必至の自伝本。(超オススメ!です)
※ちなみに、読み終わった後、これまでの人生の中で、自分はいくつ卵を割っただろうか…と考えてみたが、「卵を割った母」に連れられ東京に出てきた7歳の時から今日まで、とくに思い当たることがない。(もちろん、進路、恋愛、仕事など「転機」は幾度もあったが…)
要するに今のところ「潔さ」からも「豊穣な孤独」からも、ほど遠い人生なのだろう。
まあ、それはそれで悪くはないのだが……自分の人生にも「無鉄砲」という武器が必要な時は幾度かあったはず。その時、私が撃ったのはせいぜい紙鉄砲か水鉄砲程度だったように思う。改めて御年88歳の岸恵子さんに敬服する次第。
P.S.
東京五輪開会式……「諸々、ちゃんと見届けよう」と思っていたが、特に目を奪われるようなパフォーマンスもなく、入場行進の途中で寝落ち。MISIAの「君が代」と、上半身裸で行進したトンガの旗手(テコンドーの選手らしいが)の強烈な肉体美が印象に残っただけ。
で、MISIAの「君が代」だが、歌は本当に凄かった。これほど聴かせる「君が代」は生まれて初めて、と言ってもいいかも。心底「凄いわ、さすがだなあ…」と唸らされたが、「多様性」を象徴するレインボーの衣装で「君が代」ってところが、う~ん、違うんじゃない?と、かなりな違和感。(だって、相当緩めの「LGBT理解増進法案」ですら、与党・自民党の反対〈特に安倍一派が猛反発〉で見送りになってしまう国だよ? 彼女の気持ちは尊重したいけど、どんなに善意の心情であろうが、結局、単なるイメージとして政治利用されちゃうわけで…)
にしても、今回の東京五輪、「多様性」「差別のない」「連帯」みたいな言葉があふれすぎでは? 私的には「一体、どの口、否、どの国が言う?」という感じで、只々シラケる。(もちろん、近い将来「嘘から出た実」になればいい、とは思いますが)
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