「関白宣言」→ 東京五輪「開幕宣言」
「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」「福島はアンダーコントロール」……嘘から始まった五輪は、嘘で終わるしかないのかも。
(多分出てくる「東京でのコロナ感染の拡大は、オリンピックが原因ではない」もしくは「オリンピックが原因だとするエビデンスはない」という論)
昨日の東京、気温33度。感染者数3177人(過去最高)。
「関白宣言」→ 東京五輪「開幕宣言」
「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」「福島はアンダーコントロール」……嘘から始まった五輪は、嘘で終わるしかないのかも。
(多分出てくる「東京でのコロナ感染の拡大は、オリンピックが原因ではない」もしくは「オリンピックが原因だとするエビデンスはない」という論)
昨日の東京、気温33度。感染者数3177人(過去最高)。
とは、最近読んだ『岸恵子自伝』(岩波書店)の副題になっている言葉。「居心地のよい生活を壊してでも、未知の世界に踏み入ってみろ」というフランスの諺(ことわざ)らしい。
著者・岸恵子さんは人生で3回「慣れ親しんだ卵を《えいっ》とばかりに割った」と言う。
1回目は、「1957年5月1日に、パリのあなたのもとに行きます」と、イヴ・シャンピ氏に電報を打った24歳の時。「恋に落ち、映画も祖国も捨てて着いたパリは眩しかった。24歳の私が受けた文化的、情緒的ショックはただならないものだった」とのこと。
(イヴ・シャンピ氏は日仏合作の映画『忘れえぬ慕情』の監督。その長崎ロケの合間、とある料亭で「日本はいま自費での海外旅行を禁じている。ぼくが招待するからヨーロッパやアフリカを見てみませんか?」「《卵を割らなければ、オムレツは食べられない》という諺がある。でも、いろいろな国を見て、やっぱり日本がいいと思ったら、帰ってくればいい。卵は二者択一の覚悟が決まったときに割るほうがいい」と、婉曲にプロポーズ。
「そんな勝手をしていいの?」という岸さんの問いに、氏は「あなたは自由なんだよ。あなたの意志を阻む者がいるとしたら、それはあなた自身だけだ」と答えた)
2回目は、「熟慮もせず、我武者羅な負の情熱に突き動かされて」その愛する夫イヴ・シャンピとの離婚を決意し「すずらん祭りの日差しが凱旋門を紅に染めたとき、我が家と思って住んだ夫の家を去った」1975年5月1日。
その日、まだ建築中でガスも引けてなかった引っ越し先で、車に積んでいた大量の本を重ね、その上に「寿」と染め抜かれた赤い風呂敷を掛けて作った即席のテーブルを、職人さんが忘れたらしいトンカチで叩きながら『よさこい節』を調子っぱずれな声で歌ったそうだ。(以下、186頁より抜粋)
《狂ったようなわたしの哀しみを感じたのか、(娘の仲良し)ナタリーと娘が、お菓子とシャンパンを買ってきて乾杯をしてくれた。「ママンの新しい人生のために」
紙コップに注いだシャンパンをちらっと舐めて顔をしかめた二人の少女に、わたしもシャンパンを捧げた。
「18年前の今日、わたしは日本という祖国から独立したの。今日はかけがえのない夫からの独立なの」
わたしはポロポロと涙を流してキラキラと笑った。娘が背中に隠していたらしいすずらんの花束を、濡れた瞳で、わたしに放り投げるようにくれた。》
そして3回目は、《「自分の眼で見て、肌で感じる」と言ったイヴ・シャンピ氏の言葉に後押しされ、事件の2ヶ月後,わたしは単身、イランの首都テヘランに降り立った》1984年4月……イヴ・シャンピ氏が旅立って1年5ヶ月後、岸恵子さん51歳の時。
当時、フランスに亡命していたイランの元将軍が、パリのど真ん中でイスラム教ジハッドに射殺されるテロ事件があり、その現場が恵子さんの友人が住む建物の前だったらしい。
《門の前に数台分の駐車場があり、わたしはその日その時間、彼女と会うために車を止めるはずだった。突然の長電話で時間に遅れ、テロ現場に居合わせなかった。
何かの因縁を感じたし、フランスの新聞が、この事件を「暗殺」と言わずに、「処刑」というニュアンスで書き立てていることに興味を持った。その実態を垣間見たいと、わたしは無謀な行動に走った》……国際ジャーナリスト・岸恵子誕生の瞬間。
《「芸ひと筋」の人生はいやだった。世界に起こるさまざまな事件の焦点、それに身を絡ませて生きていきたかった。それがわたしの生きたい人生だった。》と語る彼女が、世界のいまを、時代のうねりを、五感で感じ取りながら、そのすべてを血肉として、自らの「自由を手に入れる」旅の始まりだった。
というわけで、心の自由とは何かを考え行動し、求め続けたその人生の「潔さ」と「豊穣な孤独」に圧倒される、一気読み必至の自伝本。(超オススメ!です)
※ちなみに、読み終わった後、これまでの人生の中で、自分はいくつ卵を割っただろうか…と考えてみたが、「卵を割った母」に連れられ東京に出てきた7歳の時から今日まで、とくに思い当たることがない。(もちろん、進路、恋愛、仕事など「転機」は幾度もあったが…)
要するに今のところ「潔さ」からも「豊穣な孤独」からも、ほど遠い人生なのだろう。
まあ、それはそれで悪くはないのだが……自分の人生にも「無鉄砲」という武器が必要な時は幾度かあったはず。その時、私が撃ったのはせいぜい紙鉄砲か水鉄砲程度だったように思う。改めて御年88歳の岸恵子さんに敬服する次第。
P.S.
東京五輪開会式……「諸々、ちゃんと見届けよう」と思っていたが、特に目を奪われるようなパフォーマンスもなく、入場行進の途中で寝落ち。MISIAの「君が代」と、上半身裸で行進したトンガの旗手(テコンドーの選手らしいが)の強烈な肉体美が印象に残っただけ。
で、MISIAの「君が代」だが、歌は本当に凄かった。これほど聴かせる「君が代」は生まれて初めて、と言ってもいいかも。心底「凄いわ、さすがだなあ…」と唸らされたが、「多様性」を象徴するレインボーの衣装で「君が代」ってところが、う~ん、違うんじゃない?と、かなりな違和感。(だって、相当緩めの「LGBT理解増進法案」ですら、与党・自民党の反対〈特に安倍一派が猛反発〉で見送りになってしまう国だよ? 彼女の気持ちは尊重したいけど、どんなに善意の心情であろうが、結局、単なるイメージとして政治利用されちゃうわけで…)
にしても、今回の東京五輪、「多様性」「差別のない」「連帯」みたいな言葉があふれすぎでは? 私的には「一体、どの口、否、どの国が言う?」という感じで、只々シラケる。(もちろん、近い将来「嘘から出た実」になればいい、とは思いますが)
●「色々ダメだね、東京五輪」
《開会式と閉会式ともにショーディレクターを小林賢太郎、音楽監督をFPMの田中知之が務め、開会式は「コーネリアス」小山田圭吾(52)らが楽曲を担当することになった。 開会式のコンセプトは「United by Emotion」。世界中の人々への感謝や称賛、未来への希望を感じる時間を作りたい、という願いが込められている》
という記事を読んで1週間……
「United by Emotion」は、「多様な人々が互いに感動を共有して一つになる」という意味らしいが、“一つになる”どころか、言った側からバラバラに。
まず開会式の楽曲を担当する「小山田圭吾」が辞任。
(音楽雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」1994年1月号で、少年時代の“障害者いじめ”を得意げに話していたことが問題視。そのインタビュー記事が拡散され大炎上したため……だが、〈いじめ〉の内容たるや、口に出すのも憚られるほど非道極まりない虐待行為であり、決して〈いじめ〉などと矮小化するものではない。本人はもとより、「インクルーシブ教育」を謳いながら、日常的ないじめ・虐待の横行を見過ごしていた学校、そして、いちミュージシャンが判断力を失い無防備に語ったおぞましい“自慢話”を、誰も止めず、記事にして世に出した出版社及び音楽ジャーナリズムの責任は極めて大きいと思う)
続いて、7月22日にショーディレクター「小林賢太郎」が解任。
(お笑いユニット「ラーメンズ」時代のコントで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という文言を使い、ホロコーストを笑いのネタにしていたことが発覚。米ユダヤ系人権団体から非難声明も発せられ、問題の早期終息を図るため政治主導で?解任……って、普通、ディレクターに起用する際に、過去の言動も厳しくチェックするのでは? 特に「ホロコースト」に絡んだ侮蔑的な発言・表現は一発レッドカードなわけだから)
現状、残念ながら、「スポーツの力」を届ける前に、今の日本における人権感覚の希薄さを世界に届ける・知らしめるオリパラになってしまった感がある。
(小山田圭吾氏に関しては「人命軽視、利権優先な強欲暴力イベントの音楽担当者には実にふさわしい人選」という強烈な皮肉を込めた“つぶやき”も目にした。また《【速報】五輪組織委は、小山田圭吾氏の作品の代わりに、ジョン・ケージの「4分33秒」を開会式で使用へ》というデーブ・スペクター氏のつぶやきに思わずニヤリ、その鋭いセンスに脱帽)
で、人権感覚と言えば、21日に札幌ドームで行われた女子サッカー(英国代表VSチリ代表)の試合前に、両国の選手が片膝をつき、人種差別への抗議の意を表したそうだが(今大会は表彰式や競技会場での政治的・宗教的・人種的な宣伝活動を禁じる五輪憲章第50条の規制が一部緩和され、一定の条件下での表現行為は可能になった)、東京五輪のSNSチームはその写真を載せないように指示されている。と英ガーディアン紙が報道している。
まったく、情けない話だが、「ナチスにも学ぶところがある」的なことを公言したアホ―な総理大臣経験者もいたし、開催都市・東京で過去に起きたヘイトクライム(朝鮮人虐殺)を認めない都知事もいるし(過去の笑いネタでディレクターが解任されるほど歴史軽視に厳しい五輪なら、小池氏もオリパラに関わる資格なし!では?)、「入管」はメチャクチャだし、「人権感覚の欠如」は、今に始まったことではなく、その根も深い。
というわけで、コロナ感染者急増の折(今日の東京は1979人)、何とも恐ろしい国辱イベントと化した東京五輪。
「やめるのは簡単」と、総理自らが言っているのだから、これ以上恥をさらす前に、さっさとやめるべきだと思うけど、明日は開会式……流石にもう、止まりそうもないなあ。
(最近、朝は日本のニュースを見るのが嫌で、BSのワールドニュース…BBC、CNNなどを見ているのだが、派遣された記者が忖度なしに日本の惨状を的確に伝えてくれている。その影響は、後々、海外を旅する日本の人たちや、海外とビジネスする人たちに不利益としてのしかかってくるのではないだろうか)
P.S.
2回目のワクチン接種から3日経過。副反応かどうか分からないが、昨日(21日)は立ち眩み&眩暈が数回……ほとんど経験したことがないグラグラ感に、「どうなってんだ、オレ? 自律神経がいかれちゃったのかな?」と、すこし焦ったが、今日は回復。ビール旨し。
●「IT’S SHO TIME! 大谷翔平」
MLBでの衝撃的な活躍により日米で人気爆発。今や時の人となったエンジェルスの大谷翔平選手。
二刀流を目指した日ハム時代からのファンだった私も、今の大谷翔平の姿には、只々驚くばかり。3年連続の手術を経て復活し、ホームラン王を争うほどの選手になるとは、予想だにしなかった。(以前から、投手として大成するとは思っていたが)
というわけで、多くのファン同様、私も大谷ウオッチャーの一人に……テレビやネットで抜かりなく彼の活躍をチェックする日々…時には「海外の反応アンテナ」を通して、大谷に関するアメリカの人たちの声を拾ったりもしている。
その中で、特に印象に残ったのは、ヤンキースの絶対的エースであるゲリット・コールの「彼は新たなウエーブを創造している」「人々はショウヘイがいかに古い見方を覆して可能にするかを見ている」というコメント&「子供のころに楽しんだ野球を、ショウヘイが取り戻してくれたよ」というオールドファンの声。(50数年前の野球少年だった私も、まったく同じ気持ち)
とにかく投げても、打っても(打たれても、打てなくても)、自然体。一流選手にありがちなストイックさ、というか孤独のオーラも纏わず、いつも楽しそうにプレーしているところが観ていて実に気持ちいい。本当に野球が好きなんだな…と、何だかコチラまで楽しくなってくる。
で、もう一つ、大谷翔平を楽しく気持ちよく観ていられる理由は、どこかの国の“アスリート”やオリンピック委員会のように、「感動を与える」とか「勇気を与える」「夢と希望を与える」といった傲慢で安っぽい発言をしないこと。
私を含め、国を挙げての「感動の押し売り」に辟易している今、多くの日本人が、素直に夢と希望を感じる唯一無二の二刀流スター。それがメジャーリーガー・大谷翔平なのだと思う。
●「直木賞決定。大激論?」
14日に直木賞が決まった。受賞作は佐藤究氏の「テスカトリポカ」と澤田瞳子氏の「星落ちて、なお」。
選考委員の林真理子氏によると、佐藤究氏の「テスカトリポカ」を受賞作とするかどうかで3時間にわたる大激論になったそうだ。
理由は「あまりにも暴力シーンが多く、子どもの臓器売買という読む人にとっては嫌悪感をもたらすような内容」であったから、とのこと。
「直木賞という賞を与えて世に送り出してよいものか」その是非について、「こんな描写を文学として許してよいのか」「文学とは人に希望と喜びを与えるものではないのか」、またそれに対して「描かれたことは現実世界のこと。目を背けてよいのか」など様々な意見が飛び交ったという。(大激論の結果、女性委員に支持する声が大きく、受賞決定)
ちなみに直木賞選考委員は
浅田次郎、伊集院静、北方謙三
角田光代、桐野夏生、高村薫、林真理子、三浦しをん、宮部みゆき
もちろん「大激論」及び「受賞決定」は良いとして、長年「文学」に親しんできた身として、甚だ疑問あり。
「文学とは人に希望と喜びを与えるもの」って、いつからそんな前提が?(オリンピック委員会じゃあるまいし)
「感動と喜び? なに言ってんだお前。やめちまえ、そんなつまらんもの!」と、天の上で名だたる文豪たちが嘆いているんじゃないだろうか。(例えば太宰とか三島とか安吾とか…)
※今日(18日)の東京・練馬は34.9度……私はその練馬でポカリスエットを飲み飲み仕事をしていた。
写真機の中は気温以上の暑さ。仕事はいつも通り午前中一杯で終わったが、疲労感はいつもの倍。家に帰って食べたスイカが美味かった。
明日は2回目のワクチン接種。(1週間前に終えた家人は、その日に発熱したが、さて私は?)
皆さま。暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛のほど。
●「はい論破!」
つい最近《大学ゼミの討論で「はい論破!」を繰り返す痛い学生たちが増殖中》という記事を目にした。
このコロナ禍、政府が変だと、巷でも変なものがはやる。別に相手より優位に立ちたいために議論するわけじゃないだろうに……と、言論封殺的な言葉・態度に何故か惹かれる“学生たちの増殖”を、若干、嘆かわしく思ったが、何も今に始まったことではない。70年代の日本にも同じように「ナンセーンス」と、あちこちで叫んでいた学生・若者はたくさんいた。
若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、「はい論破!」を繰り返す学生も、“手頃な敵”を断罪し、頭の中のモヤモヤを振り払うように「ナンセーンス」と叫んだあの頃の私(たち)も、似たり寄ったり…のような気がする。多かれ少なかれ、やはり“痛い学生・若者”だったのだ。
●「都議選・初めてのこと」
7月4日、連れ合いと投票に行った際、初めて「出口調査」(NHK)に遭遇。
「NHKですが、アンケート調査にご協力いただけますか?」「ん?NHKは嫌いなんだけど、2分程度ならいいよ」という感じで始まり、調査員の持つタブレットに表示された質問項目(支持政党は?誰に投票したか?小池都政のコロナ対策をどう思うか?五輪は?菅内閣を支持するか・しないか、など)に自分でタッチしながら答えるという感じ。
支持政党は「れいわ」、投票は「井手重美津子」、五輪は「中止」、コロナ対策「評価しない」、小池都政「支持しない」、菅内閣「(当然)支持しない」
今回、連れ合い共々、共産党の候補者に投票(生まれて初めてかも?)。「五輪中止」をはっきり訴えていたのが彼女だけだった、ということもあるが、いま一番真っ当な政党に思えるから。(結果は、自民と都民ファーストが当選。立憲と共産が落選)
にしても、投票率42.39%とは……数十年前「都民」と言えば、総じて「進歩的」と形容されるほど、政治に敏感でセンシブルな判断ができる人が多かったように思うんだけど。
「神奈川県民としては、投票所に行けず悔しい思いをしていましたが、こんな大事な時に投票しない半分以上の都民に怒りすら覚えましたね」と、メールをくれた相模原在住の友人O君の言う通り、ここ10年ぐらいの間、メディアの劣化・衰退とともに日本の「民度」が著しく低下しているのかもしれない。
●「ホントにやるの?東京五輪」
《「復興五輪」から「コロナに打ち勝った証としての五輪」になり、それがいつの間にか「安全安心の五輪」に変身し、ついに「緊急事態宣言下でも出来る五輪」になった。すごい。「神風五輪」「一億玉砕五輪」まであと一息》という以前の誰かの“つぶやき”が、いよいよ現実になってきた。
「安全・安心」の要だったはずのバブル方式は既に破綻。(頼みの綱のワクチンも、その不足が深刻化し自治体によっては接種予約停止に)
IOCへの不信感を払拭しに来たはずのバッハ会長は「チャイニーズ・ピープル」発言で火に油(北京五輪を控えた中国はIOCの最大のドル箱。つい本音が出ちゃったのかも?)。
で、相変わらずガースーは無内容な答弁・会見を繰り返すだけだし、「愚か者」丸川珠代並びにJOCの二人(山下泰裕・橋本聖子)は、おかしな精神論とマジカルシンキング一辺倒で発信力ゼロ、理解不能……
おまけにボランティアまで「ユニフォーム姿で会場に来るように」と、タダ働きの上に広告塔の役割まで負わされ、「石投げられるかも…」と嘆き節。(今からでも遅くない。辞退しようぜ!)
このまま突き進めば、開催中の感染爆発もありえるし、後々「一億」ではなく、「菅内閣玉砕五輪」と呼ばれるかも。
P.S.
「私達はあきらめない 東京五輪中止を!」キャンペーン及び
「IOCバッハ会長の広島訪問を中止してください!」キャンペーンに賛同署名。
何が広島だ。バッハも休み休み言え!