3日目(11/14)
終日自由行動の3日目。事前の計画通り「非武装地帯(DMZ)ツアー」に参加するため(ちなみに「板門店」に行くツアーは現在中止されている)、早目に朝食を取り7時20分にホテルを出発。タクシーに乗り、集合場所となっている明洞近くの「プレジデントホテル」へ。
その7階に催行会社のオフィスがあり、窓口でパスポートを提示して参加手続き完了。少し休んだのち、ホテル前からマイクロバスに乗り込んだ。(参加者は私たちを含め15名ほど、男女比はほぼ半々。単身で参加した女性、大学の友人同士など、若い人たちの姿も)
予定時間より30分ほど遅れて9時出発。ソウルの街中を抜け、左手に漢江を見ながら1時間超……最初の見学場所「臨津閣(イムジンガク)」公園へ。
(道すがら、ガイドの鄭(チョン)さんが、現在の文在寅大統領が兵役期間の短縮を公約に掲げていることに触れ、「母親としては大切な子供を1年半もの間、危険な所で働かせたくはない。いま大学生の息子のことがとても心配」と語ってくれたのが印象的)
ここ「臨津閣」は、軍事境界線から7kmの場所にある平和祈念公園。民間人統制線の手前にあり、現在でも一般の人が自由に行ける最北端の場所ということで、北朝鮮に離散家族のいる人や見学者などが多く訪れるそうだ。
敷地の一角には、望拝壇(北の故郷にある家族の墓を訪ねられない人のために設けられたもの)や、かつて京義線を走っていた列車(朝鮮戦争の最中に被爆し脱線した列車。砲弾の痕が生々しく今も残っている)、爆破された橋の遺構などが残されており、川に面した鉄条網には「祖国統一」「平和」を願うハングルの短冊が無数に結びつけられていた。
(望拝壇の裏側には、1953年に朝鮮戦争の休戦協定が締結された後、戦争捕虜たちが「自由万歳」と叫びながらこの橋を渡ってきたという「自由の橋」があるが、見学時間の関係で行くことができなかった。残念!)
見学後、マイクロバスから専用の大型シャトルバスに乗換え(一般車両は通行不可)、統一大橋検問所へ。そこで身元チェックを受けたあと(バス内に韓国軍の兵士が乗り込んできて、乗客のパスポートと人数を確認)、いよいよ非武装地帯(DMZ)へ。
(DMZは、1953年の停戦協定に基づいてつくられた緩衝地帯。軍事境界線を中心とした南北それぞれ2kmの地帯を指す)
「DMZ」最初の見学場所は、検問所を出て15分ほど走った所にある「DMZ展示館」。そこでの目玉は、北朝鮮が韓国へ侵攻するため秘密裡に掘削したトンネル「第3トンネル」……1978年、脱北者の証言により存在が明らかになり、板門店(パンムンジョム)南方4km地点で発見されたこのトンネルは、1時間に3万名の武装兵を移動させられる規模とのこと。ソウルまでわずか44kmの距離にあるため、発見時、韓国民に大きな衝撃を与えたそうだ。
ということで、早速、荷物を入口ロッカーに預け、備え付けのヘルメットを被り、シャトルエレベーター(という名のトロッコ)に乗って、長さ1635m、幅2m、高さ2mの狭いアーチ型のトンネルの中へ。(写真を撮りたかったが、トンネル内は撮影不可)
思いのほか長い下りが終わった所でトロッコを降り、そこから足場の悪い(天井も低い)道を中腰になりながらひた歩き、そろそろ眼と鼻の先に北朝鮮が見えるのでは?……と思った辺りで、コンクリートの壁に阻まれ行き止まり。(後で知ったが、そこが軍事境界線まで約200mの地点)
踵を返し、再びトロッコに乗りこんで地上に出ると、未だ戦争が続いている韓国の現実に触れ、“学びの旅”の魅力を実感したのか、ツレたちも興奮気味。「面白かった」と語る義姉の手をふと見ると、その指先が煤で黒く汚れていた。(国連の場でトンネルの存在を韓国とアメリカに追及された北朝鮮は、侵攻の意思を誤魔化すため、「石炭を発掘していた」と主張。壁に炭をこすりつけるという偽装工作を行っていたようだ)
「第3トンネル」を訪ねた記念に、外のモニュメントの石段に座り記念撮影。(モニュメントは、二つに割れてしまった朝鮮半島を一つにしようという、統一に向けた意思を表したもの)……バスの中「統一といっても、(政治体制も違うし)韓国人の多くは同じ一つの国になることを望んではいない。私たちはただ安全で平和な暮らしが欲しいだけ」と語っていたガイドの鄭さんの言葉が胸に残った。
続いてバスが向かったのは、軍事境界線から2km足らず、韓国最北端の展望台「都羅(トラ)展望台」。
建物の上部に黄色い文字で「分断の終わり・統一の始まり」というスローガンが書かれていたが、妙に威圧感のある迷彩柄に塗られた外観は、いかにも軍事施設といった風体で、その言葉とは不似合いな気がした。
で、展望台から北の空を臨むと「北朝鮮の都市が一望できる」という言葉に偽りはなく、北朝鮮の開城(ケソン)市や開城工業団地が肉眼でも視認できるほど近い……とはいえ、そこは7~8km先の街。もっとはっきり見るにはやはり望遠鏡の力が必要というわけで、ほとんどの人が備え付けの望遠鏡を覗く。(もちろん私も)
望遠鏡で見ると、右方向の奥に高く聳える旗(北朝鮮の国旗)と、その下の街並みが見え(実際には人が住んでおらず「宣伝村」と呼ばれている)、左方向には開城の市街地の一部が見える。
(開城市には韓国側の投資で出来た近代的なビルや工場群があるが、望遠鏡で見ても街からは煙ひとつ立たず、人の気配は感じられない。また、金日成の銅像も見えるとのことで、私も探してみたが見つけることは出来なかった)
そしてバスは、DMZツアー最後の見学場所、京義線「都羅山駅」へ。
駅の入口近くに日本語(及び韓国語、中国語、英語)で書かれた案内看板(見出しは「都羅山駅――大陸に向かう出発点」)があり、まずそれを読む。
「2000年6月15日の南北共同宣言に続き、同年7月31日に南北両政府は京義線鉄道の連結に合意した。そして、軍部隊が先頭に立ち鉄条網撤去や地雷撤去などの難工事の末、2002年4月11日に都羅山駅が新設され、2003年6月14日に南北の軍事境界線において京義線の鉄道軌道は連結された」
「都羅山駅はソウル駅から56km、北朝鮮の開城駅まで17km、平壌駅まで205kmの位置にある。建物の屋根の形は太極模様を利用して南北が互いに手をつないだ姿を表しており、都羅山駅が南北のつなぎ目となることを願う切実な願いが込められている。」とのこと。
駅の中に入った瞬間、その空間の広さと天井の高さに驚かされた。
現在、運行はDMZ観光列車一往復のみで(ソウル~都羅山間)、北朝鮮側には運行されていないが(線路はつながっている)、すでに「平壌行き」の案内表示やイミグレーション(入出国管理)エリアが設けられており、フロアの中央には今年4月に行われた南北首脳会談の様子を紹介する写真が展示されていた。(駅内の土産品売り場で、「北韓名酒」とラベルに記された1本2万ウォンの北朝鮮の酒を購入。帰国後、友人宅での飲み会の折に呑んでみたところ、味も香りも驚くほどインパクトに欠け、すっかり拍子抜け)
13時近く、大満足のDMZツアーが終わり、シャトルバスから再びマイクロバスに乗換え、地元の食堂らしき店でランチタイム。「プルコギ定食」(味は普通)と、「飲みきれないので、どうぞ」と同じツアーに参加した若者に勧められたマッコリを1杯いただく。
昼食後、バスは一路ソウルへ……時折、「日本語を学んだのはアニメとキムタクがきっかけ」と語る鄭さんの話に耳を傾けながら、15時半「プレジデントホテル」前に到着。
夕食予定の18時には間があるので、ロッテ百貨店を覗いたり、カフェでお茶したりしながら、ソウルの繁華街「明洞」をぶらぶら。
4日目(旅の終わり)
朝7時過ぎ、3人揃って路地裏散歩。その流れでホテル近くの老舗お粥専門店「軟粥(ヨンジュ)」に入り朝食。(メインの「牡蠣粥」、小鉢のイカキムチ、黒豆など、すべて文句なし。旅の最後に美味しいものを食べられて良かった)
9時半、ホテル前にバス到着&出発。途中、「韓国食料品店」に立ち寄り、仁川空港へ。
15時半に空港を発ち、18時少し前に成田到着……池袋まではリムジンバスを利用。21時頃、黒猫ジャックの待つ家に着いた。
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