2018/08/18

8月初旬メモ①(本、映画、TVなど)




82日(木)
『どんなことが起こっても これだけは本当だ、ということ。』(加藤典洋/岩波ブックレット)読了。(本書は、第19回信州岩波講座2017「変わる世界 私たちはどう生きるか」での講演に大幅に加筆修正したもの)

わずか70頁ほどの薄い本だが、いま考えたいこと・考えなければならないことに確かな視座を示してくれる“目からウロコ”級の一冊。(「千と千尋」から始まって、「吉本隆明さんとのやりとり」「シン・ゴジラ」「連合赤軍」「攘夷思想の変態力」を経て「憲法九条」へ……という話の流れの中から見えてくるのは、「開かれたかたちで、考える」という指標)

例えば……
加藤さんは「どんなことが起こっても『これだけは本当だ』と言い切れる」腹の底にしっかりすわっている身体実感(地べたの普遍性)と、「こういうふうに考えるのが正しい」という知的確信(イデオロギーとしてより純化された思想領域)の間には必ず不整合が生じるとして、攘夷運動における薩長と水戸藩の違いを語りながら、それを二階建ての建物に例えるのだが(「身体実感」が一階で、「知的確信」が二階という風に)、そこから「護憲論の二階建て構造」という本論の核心に迫っていくあたりはゾクゾクするほど刺激的。表紙の言葉通り《紋切り型の「正しさ」を内側から覆す、新しい思考の流儀》を、たっぷり味あわせてもらった。

夜は、NHKの生中継「長岡の大花火」。まさに壮観、「すごい!」の一言。もう何十年も間近で花火を観たことも、観たいと思ったこともないが、この花火は、いつか生で観たいなあ……と心から思った。ちなみに「長岡花火」は長岡空襲の犠牲者への鎮魂と平和を祈念する目的で始まったとのこと。

83日(金)
以前から楽しみにしていた『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の劇場公開初日ということで、ツレと一緒に隣駅のTジョイへ。

正直、『ミッション:インポッシブル』を除けば、『レインマン』が記憶に残っているくらいで、トム・クルーズの出演作はほとんど観ていないし、彼のファンでもなんでもないが、このシリーズのトムだけは別物&別格。
今回も期待通り、お馴染みの相棒たちを引き連れ、56歳という年齢を感じさせない凄まじいアクションを見せてくれた。(そのアクションシーンたるや“驚愕”を通り越して、もはや“異常”レベル。これがCGなしとは、とても信じられない!)

というわけで、ストーリーの多少の粗さも関係なし。
ハラハラドキドキの連続に、これぞイーサン!これぞミッション:インポッシブル!と、テンション上がりまくりの2時間半。久々に興奮絶頂、気分上々、頭を空っぽにして楽しんだ。
(途中、隣席のツレは、いつも通りに“すやすやタイム”。どんな映画でも寝ちゃえるというのは、習性というより特技と言ってもいいほどだが、後日、本人が言うには「93%は観ていた」とのこと…
なに、その半端な数字?)

85日(日)
新宿武蔵野館で『スターリンの葬送狂騒曲』(監督:アーマンド・イワヌッチ/2017年、イギリス、107分)を鑑賞。

原題は「The Death of Stalin」……1953年の旧ソ連を舞台に、独裁者スターリンの死によって巻き起こった政権内部の争いを辛辣かつコミカルに描き、ロシアで上映禁止となって話題を集めたブラックコメディ。

上映開始から15分ほど。スターリンが虫の息で床に倒れている状況下……「医者を呼ぶには委員会を開いて全会一致が必要」「腕の良い医者はみんな投獄されています」というスターリン政権下の恐怖政治を痛烈に皮肉ったセリフが飛び出し、館内はクスクス笑いに包まれるのだが、そんな“ブラックジョーク”がエンドロールまで続く。

で、エンドロールが流れた後、シニカルな笑いと共に心に残るのは何とも言えぬ薄気味悪さ……映画を通じて、付和雷同と寝返りを繰り返しながら展開される狂った椅子取りゲーム(権力闘争)のあさましさ、おぞましさを存分に見せつけられたせいだろうが、それ以上に、いま世界で起きている現実の政治(ショー)が、本作の呆れるほどのナンセンスぶりを凌駕しつつあるように思えたからかもしれない。









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