《今回の災害報道で気がついたが、この政権がやろうとしているのは「命の選別」だと思う。選ばれた一部のエリート以外の庶民の命には価値がないことを繰り返しメッセージとして出してくる。死んでもいいと思っているから、原発事故にも災害被害にも興味がないんだと思う》
というツイートに出会い「確かに…」と、深い憤りとともにその“碧眼”に頷かされた先週。(「赤坂自民亭」は言わずもがな。高プロ制度(過労死法)、種子法廃止、水道民営化、生活保護切り捨て等々。すべて「一部のエリート以外の庶民の命には価値がない」というメッセージに等しいもの)
思えば『基本的人権、国民主権、平和主義を無くしてこそ自主憲法なんです』と息巻いている連中(自民党と日本会議&神道議連)の言葉から窺えるのも、民族主義と選民思想をベースにした“とんでもエリート主義”。各界エリート(気取りorもどき)によって主導される専制的な国家体制の構築こそ、彼らの真意ではないか?と思う。
(動画を見ては、虫唾が走りまくりの安倍政権。ホント、早く終わりにさせないと!)
(動画を見ては、虫唾が走りまくりの安倍政権。ホント、早く終わりにさせないと!)
で、今日は朝から、朝日の世論調査に溜息。「安倍政権が5年半続いている理由は何だと思いますか」と一択で尋ねたところ、「政治姿勢や政策がよいから」「政治に変化を求めていないから」「景気がよいから」はいずれも10%以下で、圧倒的に多かったのは「他に期待できる人や政党がないから(69%)」という理由……猛暑が日本列島を襲う中、お寒い政治状況は相変わらず。(安倍内閣を支持する理由のトップも「他よりよさそう(53%)」)
要するに政治の事は「他人任せ」。自分であれこれ考えるのが面倒だから「現状を容認する」と言っているだけ(それこそ正に「主権の放棄」なのだが)。誰かも言っていたが、ナチス政権下のドイツ国民のように、権威に従属・依存することで安心を得る『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム、懐かしい!)状態に多くの人が陥っているということなのだろうか。
(メディアも酷いが、国民も……ったく、どうすりゃいいのさ、思案橋)
(メディアも酷いが、国民も……ったく、どうすりゃいいのさ、思案橋)
さて、日頃の「愚痴」はこのくらいにして、この間(6月~7月中旬)に観た映画の感想をサクッと。
●『タクシー運転手 約束は海を越えて』(監督:チャン・フン/2017年製作)
1980年5月に起こった光州事件を題材にした韓国映画(6月某日、新宿シネマートにて鑑賞)。故に、全編を通して緊迫感の漂うシリアスな展開になるのでは……と思ったが、意外にも前半はかなりコミカルな雰囲気。そこから徐々にシリアスというかメロドラマチックな流れになっていくのだが、そのエンタメ的な転調が微妙に感情移入を妨げる感じで映画としての満足度はイマイチ。
まあ、それでもまんまと泣かされてしまうのがコリアン・ムービーなわけで……名優ソン・ガンホの表情を追っているだけで、涙がポロリ。名脇役ユ・ヘジンの人情味あふれる熱い演技で、またポロリ。(韓国内ではその転調による《ユーモアと感動の“糖衣”が奏功》したことで1200万人超を動員する2017年最大のヒット作となったようだ)
まあ、それでもまんまと泣かされてしまうのがコリアン・ムービーなわけで……名優ソン・ガンホの表情を追っているだけで、涙がポロリ。名脇役ユ・ヘジンの人情味あふれる熱い演技で、またポロリ。(韓国内ではその転調による《ユーモアと感動の“糖衣”が奏功》したことで1200万人超を動員する2017年最大のヒット作となったようだ)
ところで《当時はまだ、独裁政権は「事実が広く伝わるとヤバイ」との前提に立って厳しく情報統制や検閲をしたわけだが、現代の問題は「事実が広く伝わってもみんな騒がないので案外ヤバくない」ことにあるように感じる。深刻さが一段階上である》とは、最近この映画を観たらしい映像作家・想田和宏氏の言葉。けだし同感。
●『偲ぶ、中野重治』(監督:土本典昭/1980年製作)
昭和に生きたプロレタリア文学作家、中野重治(1902-1979)の葬儀・告別式を記録したノンフィクション映像(6月20日、ポレポレ東中野にて鑑賞)。
葬儀の司会は文芸評論家・小田切秀雄。故人の思い出を語る「知人・友人」は、桑原武夫、臼井吉見、本多秋吾、宇野重吉、尾崎一雄、山本健吉、石堂清倫など、錚々たる顔ぶれ(どの方も故人ですが)……式の終り近く友人代表として挨拶に立った小説家・佐多稲子さん(故人)の凛とした姿と、その言葉の美しさがとても印象的。会葬者の流れに重ねられる「雨の降る品川駅」「わたしは嘆かずにはいられない」の朗読も心に沁みた。
というわけで、青春期に幾度か口ずさんだこともある詩「雨の降る品川駅」……
辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する
李よ さようなら
も一人の李よ さようなら
君らは君らの父母の国にかえる
君らの国の川はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る
海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる
君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す
ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる
雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる
君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる
シグナルは色をかえる
シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ
君らは出発する
君らは去る
さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら 女の李
行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰かれていた水をしてほとばらしめよ
日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで
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