2017/08/30

ミサイル&近況




「映画、面白かった?」
「う~ん、さほど……とにかく音がうるさくて、ぜんぜん眠れなかった」

職場の友人たちと『スパイダーマン』を観に行ってきたツレの呆れるほど平和な感想に、「はあ~っ?何しに行ったわけ?!」と、早朝のミサイル騒動の気色悪さ・馬鹿らしさも忘れて笑ってしまった昨日。ネットを見ていたら、こんなツイートに出会った。(大山鳴動ネズミ零匹。私的には、今回のJアラートによる警報は、北朝鮮危機を煽りたい安倍政権の度を越したパフォーマンスのように思えたが)

今回のミサイル発射で学んだことは
・できるだけ頑丈な建物に避難してください
 →そんなものはない
・アラームが鳴ったら速やかに避難してください
 →そんな時間はない
結局、戦争が起きれば、国民一人の力は無力
選挙できちんとした政治ができる政党、政治家を選ぶのが大事だと学びました

見知らぬアナタの言うとおり(大体、落ちる場所もよく分からないのに、たった4分で何処に逃げろというのだろう。まして、核を搭載していたら何処にも安全な場所などないのに)。お互い如何に危機的状況に合っても相手の国や人々に対する攻撃的・差別的な言辞は厳に慎み、冷静に考えながら平和のために行動したいものです。

さて、2週間のご無沙汰だが、別に体調や気分がすぐれなかったわけではなく、単に仕事が忙しくて(飲み会も多少あった)ブログに頭が向かわなかっただけのこと。とりわけ明石出張(リクルート用映像撮影)と他の仕事が重なった先週はハードだった。(ちなみに、22日の撮影は8時スタート、18時半終了。10時間以上ほぼ立ちっぱなしの上に、1950分・西明石発の新幹線に乗り、家に着いたのが深夜0時半。口内炎は痛いし、足腰は重いし、疲れが抜けるのに丸2日かかってしまった)

で、今週はちょっと長めの中休み……8月頭に買いこんだ『憂国論』(鈴木邦男×白井聡)、『断片的なものの社会学』(岸政彦)、異色の恋愛小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(燃え殻)、少年犯罪をテーマにした『Aではない君と』(薬丸岳)、ハヤカワ・ミステリ文庫『アルファベット・ハウス(上・下)』(ユッシ・エーズラ・オールスマン)などを2週間ほど前から、その日の気分に合わせて読んでいるのだが、どれもこれも面白く一気読み続出(『憂国論』と小説2冊は読了。今は『アルファベット・ハウス』と『断片的なものの社会学』を並列読み)。そして明日はサッカー日本代表の大一番も控えている。

という感じで、年相応に寝不足気味ながらも楽しく過ごしているのだが、9月に入るとすぐに企画書やラジオCMのコピーを書き上げなくてはならず(中旬には再び明石出張あり)、また忙しい日々が戻ってくる。ますます厳しい(仕事があって少し嬉しい)残暑になりそうだ。

2017/08/15

「カヴァティーナ」



もう何度観たかも分からなくなってしまったが、昨夜、ケーブルテレビ「ムービープラス」で放映されているのを知り、『ディア・ハンター』(監督:マイケル・チミノ/1978年公開)をまたもや鑑賞。

公開当時、ベトナム戦争を扱った映画としては、(数十万の民間人がアメリカ軍によって虐殺されたことには触れず)ベトナム兵が民間人を殺す描写があったり、出てくるベトナム人が共感不可能な野蛮人として描かれていたり、また、そもそも映画の重要なキーであるロシアン・ルーレットが戦争時に横行していた事実がないなど、「ベトナム戦争自体の描き方があまりに杜撰でアメリカ寄り」と批判されることも多かった作品だが、私的にはメリル・ストリープとクリストファー・ウォーケンをこの映画ではじめて知ったこともあり(その魅力に一目ぼれだった)、ブルーカラーに属する青年たちが駆り出された無意味で悲惨な戦争(によるPTSD)と友情を描いた青春群像劇の名作としてとても心に残るものだった。
(『ゴッド・ファーザー』のフレド役でこの映画にも出ている今は亡き名脇役「ジョン・カザール」の恋人がメリル・ストリープだったということも後日知り、何故か妙に嬉しく思ったものだ。二人の婚約中にカザールが癌で亡くなったのは残念だったが)

で、その『ディア・ハンター』のテーマ曲が、心震えるギターの名曲「カヴァティーナ」。昨夜のエンドロールでもじんわり胸が熱くなってしまった。

2017/08/10

『春の夢』



8月に入ると、近くのシネコンの上映ラインナップもすっかり夏休みモード。アニメやエンタメ中心になりイマイチ食指が動かない。
必然、硬派(?)の映画ファンとしては、新宿・渋谷方面、しかもコンパクトな映画館へと足を伸ばしたくなる。

というわけで、先週の水曜(2日)、シネマート新宿・スクリーン2で観た韓国映画『春の夢』(監督:チャン・リュル)……
上映開始1350分。定員60人の館内はほぼ満員で7割方は中高年女性。韓国映画好きの女性が多いのは知っているが、この手の渋い作品にもこれほど人が押し寄せるのかと、同世代の女性たちにもコアな映画ファンが増えていることに少し驚いたが、そういうわけでもなさそうで……本編がスタートして20分ほど過ぎたあたりで、隣席(の女性)から慎ましい鼾の音が聞こえてきた。(早くも“春の夢”の中)

映画の舞台は、ソウル市水色洞(スセク洞)。その街で故郷酒場という居酒屋を営む若い女性イェリ(ハン・イェリ)と、彼女を目当てに入り浸る3人の男たちが織りなす物語(3人の男を演じるのはいずれも韓国の若手映画監督。その一人ヤン・イクチュンは、あの名作『息もできない』の監督&主演)

といって、韓国映画的な恋愛模様も復讐劇もなければ、何かドラマチックな出来事が巻き起こるわけでもなく、モノクロ画面に映し出されるのは他愛のない日常の1コマばかり。合間に小さな事件は起きるのだが、3人のぐだぐだな日々は一向に変わらないまま……という脱力感満載のゆる~い映画だが、一人“異界”にいるようなヒロイン「イェリ」の不思議な存在感がスクリーンにほどよい緊張感を醸し出す。

その包容力に満ちた女神のような「イェリ」が、冴えないけれど妙に味のある3人の男たちに寄り添い、あてどない時間を共に過ごす中で浮かび上がるやるせなさや哀しみ、そして深い優しさとささやかな幸福感など、じわ~っと染みてくる独特の雰囲気がこの作品のたまらない魅力。ラスト近く、死の気配を漂わせながら踊る「イェリ」の姿に魅せられながら、まるで白昼夢をみているような心地よさで“異界”へと誘われてしまった。

※一昨日(8日)、ようやく秩父の社会福祉法人の総合案内パンフを印刷納品。配布された各施設での評判も上々とのことで、気分良し。
昨日は、ぞっとするような暑さ(37℃!)の中、仕事の打合せで神保町へ。その道すがら、暫くぶりに覗いた「書泉グランデ」はビックリするほど冴えない本屋になっていた。
明日は、「山下洋輔が出るから、観に行かない?」とY君に誘われたコンサートを観るため、初台の「東京オペラシティ」へ。(帰りはその流れのまま、池袋で飲む予定)

 

2017/08/08

昼は「明るいイラスト」、夜は『黒い雨』



昨日、イラストレーターのキン・シオタニさんとの打合せがあり、文京区・根津の映像制作会社まで出かけた。(明石のクライアントに依頼された「リクルート用映像制作」の仕事が着々と進行中。私の役回りは主に構成・台本チェック&総合ディレクション。8月後半には現地での撮影が控えている)

飄々とした風貌のキン・シオタニさんは、とてもポジティブで話し好きな人。「詩人になりたかった」自分の経歴や現在の仕事などを問わず語りで一気に話した後、次々に飛び出してくるアイデアをその場ですぐに絵で表してくれるサービス精神旺盛なイラストレーター。
1990年代から自身が住む街・吉祥寺を創作活動の拠点にしているそうで、商店街の中にある本屋「ブックス・ルーエ」のブックカバーやタウンマップ、そしてユニクロ吉祥寺店とのコラボ(人文字イラスト「キンシオフォント」を利用したオリジナルTシャツ制作)など、街の様々な場所で彼のイラストに出会うことができるとのこと。
また、10年程前に「ドローイングシアター」という独特のパフォーマンスを生み出し、現在、ライブハウス等で披露中。落語やコントの脚本も手掛けていることから落語家・立川志の輔との交流&コラボもあるそうだ。(「ドローイングシアター」とは、流れる音楽をバックに、彼が作ったストーリーやセリフを話しながら絵を描き、それをリアルタイムにスクリーンに映し出すというもの)

という感じで、現在も即興性を前面に押し出した「ドローイングシアター」で観客との双方向コミュニケーションを追求する行動派イラストレーター、キン・シオタニさん。そのスピード感あふれる絵の力を借りて作る映像の出来上がりが今からとても楽しみ。

夜は、9時からケーブルテレビの「映画チャンネルNECO」で『黒い雨』(監督:今村昌平/1989年)を鑑賞。(原作は井伏鱒二の同名小説。公開当時の宣伝ポスターのキャッチコピーは《死ぬために、生きているのではありません。》)
イトル通り、原爆による黒い雨を浴びたために人生を狂わされた一人の若い女性(田中好子)とそれを見守る叔父夫婦(北村和夫と市原悦子)のふれあい、そして被爆の後遺症に苦しむ人々の姿を静かに淡々と描いた作品だが、鬼才・今村昌平が突きつけるものは戦争の狂気そのもの。身近な人間が狂い、心を取り乱して死んでいく様に、改めて戦争と原爆の恐ろしさと愚かしさを思い、何度もやるせないため息をもらさざるをえなかった。

また、被爆者として苦しみながらも、未だに国からの支援を受けていない人たちが多くいることに加え、昨年、福島県から横浜市に自主避難した中学1年生の手記により陰惨な「福島差別」「被災者差別」が発覚したように、無知と無理解に起因するいじめや差別が、戦後70年以上を経た今でも続いている現実を改めて思い起こし、何ともいたたまれない気持ちにもなってしまった。

ちなみに、この作品は原作者・井伏鱒二の意向により、原爆の悲劇をソフトに訴えるため、カラー作品にせずモノクロにしたそうだが、監督・今村昌平は後日談的なエピソードを映画のラストに付け加える予定でいたようだ。
40分に渡るこの今村監督オリジナルのエンディングは、構想のみにとどまらず撮影も行われたが、悩み抜いた末の決断として本編に加えられることなくカットされたわけだが(デジタルニューマスター版DVD版に収録)、昨夜、そのエンディング映像が本編終了後に流された。

モノクロの本編とは異なるカラー映像で映し出されたのは、年老いた矢須子(田中好子)の巡礼姿。そして、豊かになった日本を白装束で旅する彼女に向けられる蔑みとからかいの視線……戦争の傷を抱えた老人を道連れに巡礼の旅を続け、既に他界している叔父夫婦らの幻影に迎えられながら徐々に狂気の表情を漂わせる矢須子の姿に、今村昌平が投影したものは何だったのだろう。「忘れるな、日本人!」という叱咤の思いなのか、戦争と原爆で命を失った人たちへの深い鎮魂なのか。
明確な答えが出ないまま、映像の中の矢須子は苦渋に満ちた生涯を閉じるという何とも重い結末の中、只々、今は亡き田中好子の姿に魅せられ、その演技の凄さに驚嘆するだけだった。

明日は長崎原爆の日。