2016/12/18

年の瀬に…



これほど仕事に追われるのは何年ぶりだろうか。(“最後の一花”かもしれないけれど)

厳しい状況下にある中小広告代理店や制作会社も多いご時世、フリーランスの身分で「仕事が忙しくて…」などとほざけるのは甚だ幸せなことなのだが、この1カ月、他の事にほとんど意識を向けず突っ走ってきたせいか、さすがに少し息が切れてきた。

で、とりあえずコピー制作的に落ち着いたこともあり、気分転換と脳リフレッシュを兼ねて『続・下流老人』(藤田孝典著/朝日新書)を読みはじめたのだが、ほどなく、「明日は我が身」という厳しい現実を突きつけられ暗澹たる気分に……

この本によれば「一億総活躍社会」という一見明るげなスローガンも、「生涯現役社会の実現」という耳触りの良い政策も、裏を返せば年金・介護など社会保障制度の脆弱さに手をつけられない(つけたくない)政府の無策さを体よく表しただけのこと。“総活躍”どころか「高齢者が死ぬまで働き続けなければ社会を維持できない“総疲弊”社会」が間近に迫っていることを改めて思い知らされてしまった。

つまり、退職金もなければ、貯蓄もさほどない下流老人予備軍である私(たち)に余生はない(言い換えれば「働かなくてもいい自由」がない)ということ。私もアナタも病気で働けなくなったら、即、貧老にまっしぐら。のんびり趣味に生きるセカンドライフなど、まぼろし~!…というわけだ。

ああ無情。

ちなみに、「社会保障が整備されていない国ほど、高齢者の就業率が上昇する傾向にある」そうで、OECD(経済協力開発機構)の「高齢者の就業率の国際比較」(2013年調べ)によれば、高齢者の就業率はフランス2.2%、ドイツ5.4%、イギリス9.5%、アメリカ17.7%、そして日本は20.1%で実にフランスの9倍以上。いまの日本では「高齢期になっても働くのが普通になりつつある」が、どうも世界的に見ると“普通”ではないらしい。

そんな国で暮らしていながら、減らされる年金に文句も言わず「こんな年でも働ける場所があるだけ、幸せじゃないか」などと、時給1000円にも満たない安い賃金で働く自分を納得させている日本の高齢者は、なんと健気なことだろう。
(賃金についても、20135月に国連の社会権規約委員会から「日本の最低賃金の平均水準は、最低生存水準および生活保護水準を下回っている」懸念が表明され、最低賃金の再検討を求められたとのこと)

というわけで、今さらながら「ったく、どうなってんだ、この国は!」と、腹も立ってきたが、おかげで数年後の自分のテーマが見えてきた感じ。早速、旧知の仲間が集まる忘年会あたりで「下流老人の抵抗・反乱はどうあるべきか」を一緒に考えてみたい気がする。(まあ、楽しい酒の席。何を話し合おうが、酔いが回ってすぐに忘れるだろうけど)


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