2015/12/17

マリリンモンロー・ノーリターン…

と、昔よく口ずさんでいた覚えがある。(たまに“ノータリーン”と歌詞を変えたが)

先週の水曜(9日)、作家・野坂昭如氏が85歳の生涯を閉じた。

『エロ事師たち』『アメリカひじき・火垂るの墓』『騒動師たち』『てろてろ』など、青春期、最も読み親しんでいた作家の一人だったが、いまも思い出として残っているのは、数多の小説より参院選への出馬。

もう40年以上も前になるだろうか……当時、まだ存命だった祖母が(明治生まれながら「女も家に縛られず、社会に出て自立すべし」という進歩的な考えの持ち主で、自らも「職業婦人(美容師&宝石商?)」として生き、女手一つで子どもを育て、叔父を東大、母をYWCAに進ませてくれた人)、「選挙、誰に入れようかね。お前は誰がいいと思う?」と私に聞いてきたので、即座に「野坂昭如に入れなよ」と言い、「焼け跡闇市派」の“非戦”思考や「火垂るの墓」について暫く話した記憶がある。

それまでは常に自分の意思で、日本共産党に一票を投じ続けてきた生粋の平和主義者の祖母が、なぜ、その時だけ急に二十歳そこそこの孫に意見を求め、それに従おうとしたのかは、未だによく分からないが、「社会のレールには乗らない」と言いつつ腰が定まらず、さしたる知識も技能もないまま“社会運動”にのめり込み、将来の見えない不安定な生き方をしていた私のことを気にかけ、選挙をきっかけに話がしたかったのかもしれない。

そして、祖母は選挙嫌いの私に代わって「野坂昭如」に一票を投じたが、善戦空しく野坂は落選。「ダメだったね」と二人で苦笑いした1974年の夏だった。

その後も「お前の話は面白いね~」「どこか人と違う魅力があるよ」などと持ち上げながら、私の個性と感性を認め励ましてくれた祖母……私もシャキッとした佇まいながら時折とぼけたことを言う彼女のことが好きだった。(キセルで刻み煙草を吸う仕草も、明治女の気骨が感じられてカッコ良かった)

いま、彼女が生きていて、こんな自分と日本の姿を見たらなんと思うだろう。(私に関しては、「とても立派になったとは言えないけど、いい仲間に恵まれて、お前らしく何とか自分を曲げずに生きているようだね~」と笑ってもらえると思うが)

「近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする国にだってなりかねない」

亡くなる数日前、野坂昭如は、盟友・永六輔のラジオ番組にこんな手紙を寄せたそうだ。

 

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