2014/02/08

美談は疑え



夜になっても外は猛吹雪。そのせいか、今夜は特にサム…ラゴウチ……

 と寒いダジャレを飛ばしたくなるほど、ここ数日、「現代のベートーベン」と謳われていた全聾の作曲家が、実は作曲家ではなく単なる楽曲プランナーだったという“衝撃の事実”が様々なメディアで繰り返し取り上げられ、世間を騒がせている。

もちろん私も「え~っ?!」と驚いたわけだが、幸か不幸か彼のファンでもなければ、その曲を聴いたことすらないので、それほどショックというわけではない。

ただ、以前NHKの番組で「自分のためでなく、みんなが幸せになれるように曲を書いている」「音楽は無償の愛というべきもの」などと語りながら、自身の壮絶な作曲生活を明かす姿を見て、少し息苦しさを覚えつつも、こんな「聖人」が作る音楽に私のような不謹慎な人間が近づいてはいけない……と、微妙な違和感とともに畏怖の念を抱いたこともあるので残念に思う。

さらにショック&残念を上塗りするように、本当に「耳が聴こえなかった」のは、全聾・被爆2世という「苦難の物語」に魅かれてCDを買い求め、入手困難なチケットを何とかゲットしてコンサートに出向いた善良な人たちだった……という寂しいオチまでついてしまいそうでうそ寒い気分になるが、メディアを含めて誰しも感動話には弱く、簡単に喰いつくもの。私同様、普段クラシックを聴かない人たちが、音楽的評価以前に「物語」(曲を聴く動機や意味)を求めるのは仕方のないことかもしれない。

とはいえ、今回の件で改めて思ったのは、やはり誰もが感動するような(もしくは感動させるような)美談は最初から疑ってかかるのが賢明ということ。とりわけこんなご時世においては……

で、美談と言えば、映画『永遠の0』が大ヒットしているらしい。

私自身は、3年ほど前に「真実と感動の歴史がここに」という帯にひかれて原作を読んだこともあり、その時の印象から(色々な戦記もののカッコいい部分だけを都合よくつなぎ合わせた勝手な「史実」を元に、不誠実かつ浅薄な意識で「特攻」を「感動モノのエンタテインメント」に仕立てた、あざとい作品だと思った)、まったく観る気は起きないが、若い世代の人たちのレビューを読むと「戦争は絶対に起こしてはいけない」「この悲劇を後世に伝えたい」などの感想が多くみられ、映画自体は戦争を知るきっかけとして悪くないデキなのかも?と思ってしまう……でも、やはり戦争に感動もクソもない。いくらフィクションとは言っても、アジア近隣諸国への侵攻を図った「侵略戦争」の愚かさに触れず、「死ね」と命じた者たちの罪と責任を問わず、意図的に「特攻」の悲劇を「祖国と愛するものを守るために死んだ」などと美化してはいけない。

また同時に、世界のどこの国でも、国民が自信を失ってくると安易なナショナリズムが首をもたげ右傾化するそうだが、美談と感動をセットにして、ゆっくりと進行する「愛国エンタメ」ブームの陰で、「日本を取り戻す」などと叫びながら、やりたい放題・言いたい放題に国の仕組みを変え、国民主権を実態的に捨て去ろうとする政治家や某局の経営委員がいることを、忘れてはいけないと思う。

さて、明日は東京都知事選。この雪で投票率も落ちるだろうし、まったく盛り上がりませんね~。

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