4月6日(火)グランドシネマサンシャイン池袋
『ノマドランド』(監督:クロエ・ジャオ/2020年製作、アメリカ)
アメリカにはワーキャンパー(ワークキャンパーの略)といって、キャンピングカーで寝泊まりしながら国中を移動し、広い荒野の只中にあるAmazonの倉庫などで働き日銭を稼いで暮らしているお年寄りがたくさんいるそうだ。
この映画の主人公ファーン(フランシス・マクド―マンド)もその一人。
(リーマンショックによる企業倒産の影響で長年住み慣れた家を失った彼女は、キャンピングカーに家財道具一式を詰め込み、現代のノマド(遊牧民)として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながらも、アメリカの広い大地を“ホーム”として、自由を生きる道を選んだ。というわけ……「私はホームレスじゃなくてハウスレスなの」と、行きずりの子どもに答える姿が印象的だ)
彼女を含め、家も定職もないノマドの暮らしは当然ながら不便かつ厳しいものだが、不思議なことにスクリーンから悲壮感が漂うことはない。寧ろ、行く先で出会うノマドたちとの心の交流を重ねながら、“誇り高き自由の旅”を続ける彼女の凛とした佇まい&アーティスティックな映像美に魅せられ、コチラの気分はシャキッ……
「私たちに老後なんてないのよ!自由に生きればいいじゃない!」というファーンからのメッセージだったのだろうか。エンドロールが流れた後、いつもより軽く、すっくと立ちあがれたような気がした。
※祝・アカデミー賞3冠(作品賞、監督賞、主演女優賞)。とりわけ、主人公フェーンを演じ、企画プロデュースも兼ねたフランシス・マクド―マンドに大拍手!(『スリー・ビルボード』の時も凄い女優だなあと思ったが、今回もすごかった。本作により“動く国立公園”と評されたようだが…)
4月13日(火)新宿シネマカリテ
『街の上で』(監督:今泉力哉/2019年製作)
舞台は下北沢。1人の青年と4人の女性たちの出会いをオリジナル脚本で描いた群像劇(&会話劇)……けっこうシリアスな作品では?と思ったが、さにあらず、ちょっとシュールなコメディといった感じ。(ずーっと、いつまでも観ていられる&聞いていられるような稀有な作品。私は好きです、こういうの)
監督は今泉力哉……これまでその作品を観たことはなかったが、心をくすぐるいくつかのエピソードを矛盾なく自然にまとめあげる構成力&台詞の間とテンポの良さは、見事の一言。(映画好きの若者たちから大きな支持を得る理由も分かる)
俳優陣は「成田凌」以外、名前も知らない役者ばかりだったが、ホントに演じているのか?と疑いたくなるほどリアルで、実に面白かった。
※上映開始までの小1時間、喫茶「らんぶる」でコーヒー&読書。数年前に購入したまま本棚の肥しになっていたミステリー『二流小説家』(デヴィッド・ゴードン著/早川書房)を、ようやく読了。謎解きとトリックが絡まり合って醸し出す不思議な世界観を味わいつつ、訳者の青木千鶴さんの才に幾度も唸らされた。
4月22日(木)池袋グランドシネマサンシャイン
『BLUE/ブルー』(監督:吉田惠輔/2021年製作)
負け続け、夢半ばで引退し、それでもボクシングが頭から離れない男たちの物語。
主演は好漢・松山ケンイチ。テレビでの「ウチの嫁」発言により、人気俳優としての好感度を下げてしまったようだが、やはり「松ケン」! 並みの役者ではなかった。その素朴かつ哀感漂う独特の存在感にノックダウンの一本。(エンディング曲は竹原ピストル『きーぷ、うぉーきんぐ!!』、竹原本人も出演していた)
ところで、彼のように、連れ合いを「ウチの嫁」と呼ぶのは、ウチの近所の八百屋の大将もそうだが、何故か若い世代(30代~40代)の人たちに多い気がする(ちなみに私の周りにはいない)。関西お笑い芸人の影響だろうか?…(照れなのか見栄なのか、よくわからないが、家制度の名残のような、そんな呼び方、いい加減にやめた方がいいと思うけど)
4月24日(土)自宅にて(ネットフリックス)
『君はなぜ総理大臣になれないのか』(監督:大島新/2020年製作)
安倍政権下の2019年、国会で不正統計疑惑を質す姿が注目を集めた衆議院議員・小川淳也(香川1区・当選5期)を2003年、32歳での初選挙から17年間追い続けたドキュメンタリー。
頭も切れるし弁も立つ。そして高い志を持ち、情に厚く涙もろい。という一人の魅力的な政治家が、「総理大臣」どころか、党の要職にも付けないという政治の世界の現実……(選挙区で勝てない政治家は党内における発言権が弱く、権力欲も足りない小川は、家族からも「政治家に向いていないのでは?」と言われてしまう)
まっとうな主張よりも党利党略が優先され、掲げた理念もないがしろにされる中、その志の高さ故に苦悩する一人の政治家の姿に、多くの有権者の無関心・無投票により迷走する日本の民主主義の今が重なる。(安保法制後の国政選挙において安倍政権の圧勝を三度も許したその責任は野党のみならず、当然、私たち有権者にもあるということ)
というわけで、危機を前に右往左往するばかりで何ら打つ手の無い空っぽな政治に、自らの生命をゆだねている今こそ観るべき映画。「君はなぜ総理大臣になれないのか」というタイトルも、言い換えれば「なぜ彼のような人物を総理大臣にすることができないのか」という私たち有権者への問いかけのように思えた。
P.S.
毎週、その取材力及び権力にひるまず立ち向かう姿勢にエールを送るつもりで「週刊文春」を購読しているのだが、今週号のトップ記事の見出しは《「甘いのよ!」小室圭さんを叱った眞子さま暴走愛(全内幕)》……「やれやれ、文春よ、おまえもか!」と、一気に購買意欲が失せた。
元々皇室内の出来事に興味がないせいかもしれないが(もちろん天皇制には関心あり)、本人同士が決めた結婚に、他人がとやかく言うことが(ましてや政治家でも芸能人でもない人間へのバッシングの嵐など)、とても私には理解できない。(「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するという憲法24条1項の規定がある通り、親であっても天皇であっても法律的に二人を邪魔することはできない。なのに、ワイドショー好きの赤の他人が、何をうだうだ……という話。所詮、他人事だろうに)
話は変わって……つい先日、東京新聞の「本音のコラム」で文芸評論家の斎藤美奈子さんが「3度目の緊急事態宣言が発出された東京や大阪はブラック校則に縛られた学校に似ている」と言っていたが、正にその通り。以下、そのコラムより。(実に的確。皮肉もきいて面白い)。
◆要求しかしない教師
「不要不急の外出は控えて」「マスク着用の徹底」「イベントや部活は自粛」「学食は休業か時短」「禁を破った場合は罰則も検討」…学校側は生徒に要求しかしない。だが、ご自分たちはワクチンの確保もできず、検査態勢を整えることもできず、生徒に禁じた会食もし放題。「警戒が必要」式の無能な校長の説教はもう聞き飽きた。
◆体育祭は開催
そうである一方、学校側は学外から選手を招いて行う予定の体育祭に執念を燃やしているのである。「もうやめようよ」「せめて延期だよ」という生徒の声が7割を占めても聞く耳持たず。体育祭運営班は先日、大会期間中、看護師500人を確保するよう看護協会に求めすらした。保健室はもう手一杯なのに。
◆やる気を失った生徒
パチンコ店、夜の街、接待を伴う飲食店。この一年、さまざまな業種がスケープゴートにされてきた。旅行を推奨したかと思えば、てのひらを返したように県をまたぐなと迫られた。その上、気の緩みだ、コロナ慣れだと叱責された。人出が減らないっていうけどさ、変異株を校内に流出させたのは誰のせい?
感染症による死者はついに1万人を超えた。私たちはもうグレそうである。(4/28 東京新聞「本音のコラム」より)
斎藤さん同様、私もグレそうだが(否、既にグレてるか…)、緊急事態宣言下のゴールデンウイーク。どうぞ皆さんも、ほどほどにグレながら、ご自愛のほど。
※GW…私自身は、仕事もあるし、映画館も閉まっているし、で、特に予定なし。桜庭一樹の小説『火の鳥 大地編』とネットフリックスで暇をつぶす感じです。
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