2020/07/22

「れいわ」の、明日はどっちだ!?



 東京では連日3桁の新規陽性者が確認され、第2波の懸念が高まる中、今日(22日)、東京を除外した形でスタートした「Go Toトラベルキャンペーン」。ネット上で誰かが「令和のインパール」と呼んでいたが、正にそんな感じ。
戦後75年。相変わらず日本人は間違っていると分かっていても、一度動き出したものを止められない。責任を誰もとらない。そして、そのしわ寄せは私たちのもとにやってくる。
(この間の政府の迷走は「総理の求心力が落ちたせい」と語る人がいるが、そんなバカな…ドイツのメルケルさんのように有能なリーダーならともかく、憲法改正以外に関心のない無能な総理大臣の求心力が落ちたところで何の問題があろうか。むしろ有能な人間が力を発揮しやすい状況が生まれて“メデタシ”では?と思うのだが、この体たらく……要するに、バカの周りはみんなバカだった。というだけの話)

さて、「れいわ新選組」に激震が走った大西つねき氏の「命の選別をするのが政治」という発言の件。(前回のブログでも少し触れたけれど)

この間、私も「れいわ」の支持者の一人として、事の成り行きを注視していたが、意外なことに支持者の中には、大西氏の発言を「優生思想ではなく、尊厳死に関わる発言であり彼自身の死生観を表明したもの」「多様性を尊重する“れいわ”らしく、その考えの多様性を認めろ」「救急救命のトリアージも命の選別ではないか」等々、アクロバティックな擁護を執拗に繰り返す人が多くいるようで……「こういう人たちと連帯していたわけか」と、正直、ちょっとがっかり&複雑な気分。
(既成政党にない“自由で緩いつながり”が持ち味の政党らしく、色々な考えの支持者がいていいとは思うが、「あなたは生きているだけで価値がある」「生産性で人間をはからせない」という山本代表の強い意志がこもった言葉を、この貧しくも自由な寄り合い所帯の精神的・思想的支柱として、また、生き方も考え方も異なる“無縁者”同士をつなぐ唯一の方針あるいは党是として、それぞれが脳裏に焼き付け、彼らを支持し、歩んできたのではなかったのか?)

というわけで、もう一度、気分が悪くなるのは承知の上で、再度公開された大西つねき氏の発言を確認してみた。
(当初は大西氏自ら「浅はかな発言、大変申し訳ありませんでした」と謝罪。その動画を削除したのだが、彼を擁護する人たちの声に押され罪悪感が消し飛んだのか、「除名処分」が下る前に「自分の言ったことを隠すのは本意ではない」と発言への謝罪を撤回。再び動画を公開……という、“口あんぐり”の展開)

「どこまで高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。なんでかと言うと、介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……とにかく死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち若者たちの時間を使うのかということは、真剣に議論する必要がある。こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。命、選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

あらためて文字に起こしてみても、気分の悪さは変わらない。
特に引っかかるのは「どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち若者たちの時間を使うのかということは、真剣に議論する必要がある」という部分。これは『誰かの貴重な時間と命のためには、別の誰かの命が犠牲になる必要がある』と言っているのと同じこと。延命治療の「尊厳死」の問題とは本質的に異なるし、医師たちが治療の優先度を決めて選別する救急救命時のトリアージの考え方に沿うものでもない。
(もちろん、国民の生命と生活を守ることを最大の責務とするはずの政治家が“真剣に議論”すべきことでもない)

で、さらに驚かされた「高齢の方から逝ってもらうしかない」という一言……「逝ってもらう」とは、まだ生きている人を「死なせる(=殺す)」》ということ。
「生きているだけで価値がある」「生産性で人間をはからせない」と高らかに宣言し、重度障害者の二人を参院選候補者として擁立し、国政の場に送り出した政党のど真ん中に、こういうことを平然と語る人間がいたのだから、山本代表をはじめ党内が揺れに揺れていたのは当たり前。それによって受けたダメージの大きさも計り知れない。

(除籍処分後、大西氏は記者会見の席で「自分はいつ死んでもいいという覚悟なんだ」と、自身の“死生観?”を再度表明していたようだが、公の場で「いつ死んでもいい」などと言うのは、「覚悟」でも何でもない。単に「命」に対して重みを感じていないだけのこと。これほど自分の命を軽く見ている人が、国民の生命を守れるわけがない。彼が今後どういうアクションを起こすかは知らないが、絶対に政治家にしてはいけない人間だと思う)
 
というわけで、「大西氏問題」が一応収束した現在も、「れいわ」を支援・支持してきた人間として、「この先、一体、どうなっちゃうんだろう?」と、れいわの“明日”がとても気になっている……(最悪「解党」ということもあるのかもしれないが、今はただ、彼ら自身がイメージしていた「引き裂かれを統合しながら進んでいく力」が、しっかりと備わっていることを信じたい)

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