2019/05/22

加藤さんの「思い出」




昨朝、新聞を開いて驚いた。文芸評論家の加藤典洋さんが16日に肺炎のため亡くなったとのこと。享年71歳。(何故か、敬愛する人の訃報を知るのは雨の日ばかり…)

ここ数年、『戦後入門』をはじめ、政治思想史の講義でも受けているような感覚で加藤さんの著作に親しんできた自分にとっては、学ぶべき“師”を失ったも同然の思い。
戦後を語る良心的な思想家・評論家が次から次に亡くなるなあ……と、少しばかり感慨にふけりながら、ふと遠い日の記憶を呼び起こしていた。

加藤さんを初めて知った(見た)のは50年近く前。当時、とある会社のアルバイト(臨時労働者)として働いていた私は、仕事のため毎日のように神保町の会社と永田町の国会図書館を行き来していたのだが、その図書館の出納窓口に、多くの司書の一人として立っていたのが、後に知る加藤典洋さんの若き日の姿だった。
(バイトとしての自分の仕事は、簡単に言うと国会図書館に所蔵されている洋書・洋雑誌の中の記事や論文をコピーして社に持ち帰ること。
会社は、そうして集めた複写物をテーマごとにまとめて製本。新たな「専門書籍」として“再生”させ、DMを活用してメーカーや関連企業に売り込むというビジネスを行っていたわけだが、ほとんどカネをかけずにぼろ儲け……著作権法には抵触しなかったらしいが、バイトの目から見ても、何ともセコイ「情報サービス事業」だったと思う)

で、何故、名前すら知らない彼(=加藤さん)が、特に彼だけが強く印象に残っていたかというと、無表情かつ淡々と業務を遂行している人が多い中、醸し出す体温というか、心の温かさ・深さというか、利用者に応対する際の態度、伝わる雰囲気がそうした人たちとは明らかに異なっていたから。

決して偉ぶることなく、誰にでも常に公平かつ親切。加えてソフトな物腰、穏やかで知的な面差し……「どのようなことに思いを寄せて生きれば、このような雰囲気を醸し出せる人になるのだろう」と、19歳の私が憧れにも似た感情を抱くほど、とにかく群を抜いて印象的で(物静かな人なのに)、超のつくほど感じの良い人だった。

それから約20年(だったろうか?)……ある日の新聞で、気鋭の評論家として加藤さんが紹介され、その記事&写真を見た瞬間、すぐに「あの人だ!」と分かり、「ああ、やっぱり昔の印象通り、深い精神性と洞察力を持つ、とても頭の切れる人だったんだなあ」と、ひとり頷きながら、思いがけぬ“再会”に心が微かに震えた事を覚えている。(穏やかな面差しと個性的な天然パーマの長い髪も当時の記憶のままだった)

昨日、脳科学者の茂木健一郎さんが自身のツイッターで「シャイで、鋭くて、愛が深くて、本質を見つめていらして。。。」と呟きながら、哀悼の意を表していたが、それらの言葉がしっくりと馴染む人だったのだろう。と思う。

本当は、最後の一冊『9条入門』を読み終えるまで、お別れをしたくはないのだが……

合掌。どうぞ、安らかに。

 


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