2019/05/29

痛ましい事件の後で。(&「山本太郎」)




昨日、川崎・登戸駅付近で大人と子供合わせて18人が突然襲ってきた男に刺され、小6の女児と39歳の男性が死亡するという痛ましい事件があった。(加害者の男は50代・無職。18人を刺した後、自らの首を刺し死亡したとのこと)

安倍首相も事件に対して「強い憤り」を表明。(国のトップなら、「強い憤りを覚える」などと一般国民の感情を煽るような発言は控えて、「なぜ、この様な悲惨な事件が起きたのか」という背景に思いを馳せるべきだと思うが……)
ネットニュースのコメント欄などでも「何の罪もない、関係ない人を巻き込むな」「死にたいなら勝手に死んでくれ」という“憤り”と“ため息”が相次いだらしい。

メディアに、巷に、そうした非難の声が溢れる中、NPO法人「ほっとプラス」の代表理事で『下流老人』の著者でもあるソーシャルワーカー・藤田孝典氏が、ヤフーの記事を通して《「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えて欲しい》というメッセージを発した。


私もこの記事を読み、とても大事な事だと思ったが、何故かこれが怒りと反発の声で、あっという間に“炎上”したらしい。

当然ながら、藤田氏の発言は、このような残忍な事件を起こした人間を擁護するものではなく、「死にたいなら一人で死ね」という言葉が、「希死念慮」を抱きながらもギリギリのところで何とか生き続けている多くの人々への「呪いの言葉」「破滅スイッチ」になることを憂慮したものであることは明白。
この記事から、どうしてその程度のことが読み取れないのだろう?と、不思議にさえ思う。故・橋本治の言葉に倣えば、まさに「バカになったか、日本人」……ネット上では相も変わらず「犯人は在日」などというヘイトデマも拡散されているようだ。

で、今日もテレビはこの事件の話で持ちきりだが、痛ましい事件の後に、視聴者の感情・義憤を煽るような番組を見せられることほどイヤなことはない。(個人的には、この手の事件をワイドショーや情報番組で扱うべきではないし、タレントMCや思慮の浅い評論家もどきのコメンテーターに喋らせてはいけない。と思う)

なので、今日は夜までニュース&情報番組はシャットアウト。日々録画している「やすらぎの刻~道」(テレ朝・月~金、昼1230分~)を“まとめ観”しながら、心を鎮めることに。

(夕方、平野啓一郎の小説『ある男』を読みながらうたたね……もう若くはない。こんな日もあるさ)

P.S. 今朝、PCに「山本太郎事務所」から「街頭演説会」(2918時~。北千住駅西口前デッキ)の案内メールあり。
立ち上げから1ヶ月で寄付金1億円以上が集まった「れいわ新選組」を応援する一人としては(もちろん、僅かながら寄付もした)、ぜひとも参加したいところだが、体がだるくて今日は無理。(一昨日、昔の仕事仲間との飲み会が新橋であり、楽しく盛り上がったのだが、酒の飲み過ぎで、若干、頭も疲労気味)
その代わり、以前にストックしておいた「山本太郎」の街頭演説動画を観ながら、改めて彼の主張と政策を確認することにした。

山本太郎の決意・8つの緊急政策


山本太郎「秋葉原」


山本太郎「調布」(「調布の母」とのやりとりが中々面白い)


 

2019/05/22

加藤さんの「思い出」




昨朝、新聞を開いて驚いた。文芸評論家の加藤典洋さんが16日に肺炎のため亡くなったとのこと。享年71歳。(何故か、敬愛する人の訃報を知るのは雨の日ばかり…)

ここ数年、『戦後入門』をはじめ、政治思想史の講義でも受けているような感覚で加藤さんの著作に親しんできた自分にとっては、学ぶべき“師”を失ったも同然の思い。
戦後を語る良心的な思想家・評論家が次から次に亡くなるなあ……と、少しばかり感慨にふけりながら、ふと遠い日の記憶を呼び起こしていた。

加藤さんを初めて知った(見た)のは50年近く前。当時、とある会社のアルバイト(臨時労働者)として働いていた私は、仕事のため毎日のように神保町の会社と永田町の国会図書館を行き来していたのだが、その図書館の出納窓口に、多くの司書の一人として立っていたのが、後に知る加藤典洋さんの若き日の姿だった。
(バイトとしての自分の仕事は、簡単に言うと国会図書館に所蔵されている洋書・洋雑誌の中の記事や論文をコピーして社に持ち帰ること。
会社は、そうして集めた複写物をテーマごとにまとめて製本。新たな「専門書籍」として“再生”させ、DMを活用してメーカーや関連企業に売り込むというビジネスを行っていたわけだが、ほとんどカネをかけずにぼろ儲け……著作権法には抵触しなかったらしいが、バイトの目から見ても、何ともセコイ「情報サービス事業」だったと思う)

で、何故、名前すら知らない彼(=加藤さん)が、特に彼だけが強く印象に残っていたかというと、無表情かつ淡々と業務を遂行している人が多い中、醸し出す体温というか、心の温かさ・深さというか、利用者に応対する際の態度、伝わる雰囲気がそうした人たちとは明らかに異なっていたから。

決して偉ぶることなく、誰にでも常に公平かつ親切。加えてソフトな物腰、穏やかで知的な面差し……「どのようなことに思いを寄せて生きれば、このような雰囲気を醸し出せる人になるのだろう」と、19歳の私が憧れにも似た感情を抱くほど、とにかく群を抜いて印象的で(物静かな人なのに)、超のつくほど感じの良い人だった。

それから約20年(だったろうか?)……ある日の新聞で、気鋭の評論家として加藤さんが紹介され、その記事&写真を見た瞬間、すぐに「あの人だ!」と分かり、「ああ、やっぱり昔の印象通り、深い精神性と洞察力を持つ、とても頭の切れる人だったんだなあ」と、ひとり頷きながら、思いがけぬ“再会”に心が微かに震えた事を覚えている。(穏やかな面差しと個性的な天然パーマの長い髪も当時の記憶のままだった)

昨日、脳科学者の茂木健一郎さんが自身のツイッターで「シャイで、鋭くて、愛が深くて、本質を見つめていらして。。。」と呟きながら、哀悼の意を表していたが、それらの言葉がしっくりと馴染む人だったのだろう。と思う。

本当は、最後の一冊『9条入門』を読み終えるまで、お別れをしたくはないのだが……

合掌。どうぞ、安らかに。

 


2019/05/02

4月のメモ②(令和…だとさ)




4月15日(月)
公開を楽しみにしていた映画『麻雀放浪記2020』(監督:白石和彌/2019年)を、隣駅のTジョイで観賞。

原作は阿佐田哲也のベストセラー小説『麻雀放浪記』だが、その映画化は既に和田誠が果たしており、本作は監督自身が「設定を変えるなら、とことんぐちゃぐちゃにしてやろうとは思っていました。和田誠監督の『麻雀放浪記』(1984年)という傑作が既にあるので、原作そのものの設定だと、アレを超えるものはもう作れないから」と語っているように、主人公「坊や哲」はじめ登場人物の設定は同じでも、そのキャラクターは大胆にアレンジされていて、私たちがイメージできる「麻雀放浪記」の世界とは全くの別物。素直に再映画化を望んだ人たちには期待外れの作品だったかもしれない。(でも、私的にはある意味ウルトラC級の作品。奇抜なキャスティングも含め十分に楽しめた)

で、どんな映画かというと(人に勧める気はないのでネタバレ込)……舞台は、東京オリンピックが戦争で中止になり、国民がマイナンバーで厳しく監視され、共謀罪を盾にした言論統制が進む2020年の東京。そこに1945年からタイムスリップしてやってきたギャンブラー・坊や哲(斎藤工)が見たものは、労働がAIにとってかわられ、失業者と老人があふれかえる“75年後の東京”。
変貌した首都の姿にとまどいながらも、偶然に出会った地下アイドル「ドテ子」の助けを得て、ゲーム麻雀の世界に……そこで学ランにフンドシの雀士「昭和哲」として人気を博した彼は、折しも東京五輪の代わりに開催されることになった麻雀五輪に招かれる。舞台は新国立競技場、最大の敵はAI搭載のアンドロイド。そこで繰り広げられる“死闘”の結末や如何に。というかなりブラックなコメディ仕立てになっている。

主演の斎藤工をはじめ、出てくる役者も濃い目。竹中直人、小松政夫、的場浩二、そして東京オリンピック組織委員長「杜」役にピエール瀧(杜=森喜朗?)。AIロボット・ユキ役にベッキー、都知事役で何と元都知事・舛添要一(麻雀五輪の解説役まで務めていて笑った)……といった具合。
要するにピエール瀧が出演しようがしまいが、もともとスキャンダラスなキャスティングなわけで、社会の「同調圧力」に屈せず、公開に踏み切ったのも当たり前の話。エンドロール後、ちょっとした解放感を感じるのは、そういう製作姿勢にもあるのだと思う。

というわけで、バカバカしくて、面白い。安倍政権への皮肉たっぷりの痛快エンタメ『麻雀放浪記2020』。個人的な一番のツボは、「ドテ子」の“おっかけ”で、彼女を助けるために電磁パルスを仕掛けるオタクテロリスト役のミュージシャン・岡崎体育。もう出色の存在感&オタク感。(ところで、以前「桜を見る会」に招待された斎藤工だが、今回は招かれなかったそうで……ハハハ)

4月18日(木)
ネットの海で見つけた一枚。

「労働福祉センター」が閉鎖となった大阪・釜ヶ崎(あいりん地区)から「令和」に浮かれる日本に浴びせられた痛切な冷や水。

 

https://pbs.twimg.com/media/D33HmosUIAASpWz.jpg

 

7時のNHKニュース「両陛下は、午後には、皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。」

こりゃ、驚いた!アマテラスオオミカミが皇室の祖先とは?!……いっそNHKもニュース番組から撤退して、放送業界の神話になってしまえばいいと思う。

422日(月)
シアター・イメージフォーラム(渋谷)で、いま話題のドキュメンタリー映画『主戦場』(監督:ミキ・デザキ/アメリカ、2018年)を鑑賞。(単館上映ということもあり、館内は満席)

「慰安婦はフェイク」と喧伝する人たち(歴史修正主義者)と、慰安婦問題に取り組む学者や運動家らがスクリーンの中で、文字通り“激突”するドキュンタリー。

「論点を並べて“どっちもどっちだ”というやり方は、実のところ政治的なスタンスの表明に他なりません。慰安婦問題に関しては、いま日本では右派の主張がメインストリームになっている。そこに挑戦を示さないことは、彼らの言いなりになるということであり、その現状を容認することに他なりませんから。日本のメディアの多くは両論併記を落としどころにしていますが、それは、客観主義を装うことで、語るべきことにライトを当てていないということ。単に並べるだけでなく、比較することで生まれる結論があります」

と、監督自らが述べているように「両論併記」に逃げ込まず、真のジャーナリズムの姿を堕メディアに慣れきった私たち日本人に知らしめてくれる。

「日本軍がこんなことをするはずがないということは、すぐに直観しました」(櫻井よしこ)、「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てないからプロパガンダで日本を貶めている」(杉田水脈)、「(慰安婦は)性奴隷ではなく、売春婦でした」(ケント・ギルバート)、「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い」(藤井俊一)等々……日本スゴイ!幻想を拠り所に「信じたくないものは信じない。信じたいものだけを信じる」という歴史修正主義者及びレイシストの見本のような人たちを見ながら(一人“標本”みたいな人もいたが)、そんな連中の好き勝手に牛耳られている日本の政治&ぶち壊されていく日本の民主主義……そんなあれやこれやを思いながら、怒りと笑いが込み上げる今年一番のドキュメンタリー。とにかく、必見!

以上、令和に持ち越しになった「4月のメモ」はこれにて終了。(「令和」初日に風邪を引き、今日もいくらか熱っぽい。今夜は薬を飲んで早目に寝ます!)