2018/11/11

11月初旬メモ

11月2日(土)「寺山修司展」鑑賞
朝9時半に家を出て、副都心線に乗り池袋・渋谷経由で(みなとみらい線)元町・中華街駅へ。
地上5階の6番出口(アメリカ山公園内)から、ゆっくり歩いて20分(途中「港の見える丘公園」で横浜ベイブリッジを望み、園内の「バラ」を眺めつつ)。大佛次郎記念館の横「霧笛橋」を渡ったところに「神奈川近代文学館」があった。





文学館入口へ続くスロープの脇には円柱が並んで立っており、一本目に「失いし」という言葉が書かれていた。その次の柱には「言葉がみんな」、さらに三本目には「生きるとき」。そうして柱を辿り、言葉を繋げていくと短歌になる。

失いし 言葉がみんな 生きるとき 夕焼けており 種子も破片も

初期歌篇『十五才』の一首だが、「定型という枷が僕に言語の自由をもたらした」と語った若き日の寺山の心象を表す言葉によって、訪れた人の想像力を掻き立てながら展示室へと誘うという仕掛けが何とも“らしく”思え、少しニンマリしながら館内へ。

寺山の秘書兼マネージャーを務めた田中未知氏が長年収集・管理してきた資料を中心に構成された展示室は、俳人、歌人、詩人、小説家、脚本家、作詞家、劇団主宰、映画監督、競馬評論家等々、1960年代から80年代初頭のカルチャーヒーローとして、多彩な顔を持つ「寺山修司」にふさわしく、部屋全体が彼の脳内世界といった感じの空間。
有名な一首「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」など、天井からも紙に書かれた言葉が垂れ下がり、時折、吹き流しのように観客が歩く微かな風に揺れていた。
(短歌、小説、シナリオ等のほか、展示物の中には、大学時代の友人で脚本家の山田太一からのハガキ、自ら作詞しミリオンセラーになった「時には母のない子のように」のシングルレコード、競馬観戦のために愛用した双眼鏡なども…)






そうして1時間ほど寺山の世界に心地よく浸った後はランチを兼ねて“横浜散歩”。文学館を出て「港の見える丘公園」を抜け、外国人墓地脇の坂を下ったあたりが元町エリア……ということで、元町商店街をそぞろ歩きしながら中華街へ。「鳳林」で石焼XO醤焼きそばを食べ、「華正樓」で土産の大月餅(黒餡)を買い、いきなり降られた雨に濡れながら帰路に就いた。

11月5日(月)
隣駅のTジョイでマイケル・ムーアの話題作『華氏119』を鑑賞。

映画の中で、アメリカ国民は基本リベラル左派であるとムーアが語っていたのが印象的。LGBT、移民、中絶、大麻、国民医療保険等の単一論点(シングルイシュー)では6割以上がリベラルな立場をとるそうだ。ではなぜ議会、大統領、最高裁は保守派なのか? 
ムーアには、リベラリズムが「リベラルエリート」という新たな支配層を生んでしまったという危機意識があるようで、そうしたリベラルエリートたちの欺瞞(誤魔化しの政策)や利益優先の行動がトランプの道を開いたと、現大統領を斬った刀で民主党のエスタブリッシュメント(主にビル・クリントン、ヒラリー・クリントンに代表される中道派)やトランプを見くびっていた大手メディアを痛烈に批判していた。
(現在、民主党内部は、トランプが人種、民族性、ジェンダーなどについて保守的・反動的な発言を繰り返すことへの反発として党内左派が活気づいているが、ムーア自身もバーニー・サンダースへの共感が強いようだ)

で、映画の中でマイケル・ムーアが最もシンパシーを抱き「反トランプ」の象徴として肯定的に描いていたのは、今年2月に起きたフロリダ州高校銃乱射事件の生還者となった高校生たちが始めた草の根銃規制運動と民主党の保守性に呆れて立ち上がった革新系活動家たちの姿。

ムーア監督曰く「いま求められているのは、希望を語ることではなく、行動する事」。銃規制運動の象徴的存在となったエマ・ゴンザレスの怒りと悲しみに満ちたスピーチが強く胸に響いた。

※明日(12日)から3泊4日の韓国旅行(ソウル+百済)。オプションで「自由の橋」「統一展望台」にも行く予定。



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