2日目(11/13)
5時起床、6時半ホテルロビーに集合。すぐにバスに乗り込み、百済の都「扶余(プヨ)」へ。
途中、ドライブインで朝食。寒い朝だったが、アツアツの「スンドゥブチゲ(豆腐鍋)」を食べ、体ポカポカ。(少し残念な話だが、この「スンドゥブ」が、旅行中に食べたものの中で一番美味しいものになった)
で、扶余に着く前に、ちょっとだけ百済観光の予習……
百済は、高句麗、新羅と並ぶ古代朝鮮の国家(王国)のひとつで、紀元前18年から660年の滅亡まで約700年間31人の王が在位。建国当初は漢江(ハンガン。今のソウル)の中下流に位置する小国だったが、次第に周辺の小国を併合して成長。漢江流域に慰礼城を築いて都を置いたが、その後、国の中興のために熊津(ウンジン。現在の公州)、泗沘(シヒ。現在の扶余)へと都を遷した。(建国から、紀元後475年に高句麗に首都のソウルを奪われて熊津に遷都するまでの時代を「漢城時代」、公州に都を定めた475年からの時期を「熊津時代」、538年に聖王が泗沘に遷都してからの時期を「泗沘時代」と呼ぶ)
泗沘時代には新羅と手を組み、漢城時代の土地を奪還するが、最終的に新羅は百済を裏切り、その土地を百済から奪ってしまい、聖王は新羅との戦いで戦死。その後、武王の時代には高句麗と結託して新羅に攻め込むが、最後の王となる31代義慈王の時代、新羅は唐(中国)と同盟を結び、660年に百済、668年には高句麗を滅ぼす。そうして朝鮮半島は、統一新羅時代(668~900年)へと向かう……
というわけで、滅亡までの間、外国とも積極的に交流を図りながら、高句麗、新羅とともに韓国の古代文化の発展の中核的な役割を果たし、東アジアにおける文化交流を担った百済。その最期の都「扶余」での最初の見学地、百済後期を代表する寺院址「定林寺址」へ。
定林寺は、泗沘遷都後に建立されたとされる仏教寺院。今では、だだっ広い敷地内に五層の石塔と百済滅亡後の高麗時代に造られたという本尊像「定林寺址石仏坐像」(見ていて飽きがこないというか…実に穏やかな佇まい)が残っているだけだが、百済時代には塔、金堂、中門講堂などがあったとか。(石仏に見入っていたら、ツアーに同行している女性カメラマンの李(イ)さんに「韓国のお参りの仕方を教えるからやってみて」と促され、一人、その像の前に跪き、手を伸ばしてひれ伏す羽目に……)
「定林寺址」見学後(見学時間約50分)、次の目的地「宮南池(クンナムジ)」へ。
宮南池は、武王(第30代王)の時代の634年に、王の別邸に造られた韓国最古の人工池(蓮の花が水面を覆い、周囲には柳が植えられるなど、日本の造園技術にも影響を与えたとされる池)を復元したもの。百済末期、王たちはこの池の中央の東屋で酒宴を繰り広げていたそうだが、周りの柳も枯れ、蓮池に花も咲かないこの時期、観光客もまばらで少し寒々とした雰囲気。東屋に向かう橋を渡ってみても、その華やかな宴の面影を感じとることはできなかった。
ちなみに「武王」は、(私は観ていないが)日本でも人気を集めた韓国ドラマ「薯童謠(ソドンヨ)」の主人公・薯童のこと。「宮南池」は、「薯童(ソドン)公園」の名で市民に親しまれているそうだ。
30分ほどの散策後、私たちのバスは扶余を離れ約120キロ先、世界遺産の街「水原(スウォン)」へ。
そこでの見学はただ1ヵ所。世界文化遺産「水原華城(スウォンファソン)」のみだが、その前にまずは腹ごしらえ。昼飯時なのに私たち以外の客がいない少し寂れた店で「サムパブ定食」をいただく。
「サムパブ」は、甘味と若干の辛味のあるタレに漬けこんで焼いた牛肉をサンチュやシソの葉の上に乗せ(好みでニンニクスライス&味噌を加えて)、それを包んで食べると言う料理だが、労多くして功少なし。肉は固いし、タレで手は汚れるし、「肉と野菜が一緒に摂れてヘルシーだね」と言う以外、ほめる言葉が出てこない。(「サムパブ」という料理自体が口に合わないのではなく、この店の「サムパブ」がイマイチ)
添え物のチヂミも見るからに油っぽいし……と、やや気分がダウンしたが、改めて思えば「3泊4日29,800円」の格安ツアー。食事が合計4回付いているだけでも御の字。食材の質や味に文句を言えるような立場じゃない。(でもなあ…)
というわけで「サムパブ」の余韻を喉の辺りに残しつつの世界文化遺産見学となった。
水原の街の中心部に高く聳える水原華城は、朝鮮王朝後期の1794年、第22代王・正祖(チョンジョ)が、37万人の労力と2年9ヶ月の月日をかけて建てた歴史的建造物(1997年に世界文化遺産に登録)。広大な敷地(総面積130ha)の中には、華城行宮(ファソンヘングン)を中心に全長5.7キロにおよぶ城郭と4つの城門(東の蒼龍門、南の八達門、西の華西門、北の長安門)、砲台、兵士の休憩所、訓練所などデザインと形の異なる50の建築物があるとのこと。
故に、城郭を一周するだけで3~4時間かかるらしく、見学時間30分ほどの私たちが観たのは、ほんの一部。青色の旗がなびく城郭の斜め下方、市内を一望できる高台からの眺めは素晴らしかった。
「水原」を離れ約1時間、バスは再びソウルの街に。
夕方から夜にかけてのソウル観光&ショッピングということで、バスが最初に停まったのは、ベンツ、BMWなど高級車が駐車場に並ぶ建物(ホテル併設型カジノ店)の前。その華やかなエントランスから中に入り約40分の「カジノ体験」……のはずだったが、ゲームのやり方が分からないし、レクチャーしてくれる人もいないし(元々ヤル気もなかったが)、無料のジュースを飲み、ツレと駄弁りながら、ルーレットに興じる人たちを眺めていただけ。その「体験」の感想はただ一言、「カジノなんて、日本にはいらない」
(内外の富裕層が集まっているのかと思ったが、見た目も地味で普通の労働者っぽい人がほとんど。どのテーブルも余裕でゲームを楽しんでいるような風情はなく、どこか異様な空気が漂っていたが、それもそのはず。「バカラ」というトランプゲームでは1回に50万円以上も賭ける人がいて、1分足らずの勝負で数百万の金が動くとか??……あな恐ろしや、すぐにでも「カジノ法」を廃止すべし!)
カジノの次は、免税店でのショッピング。何も買うつもりはなかったが、試食して美味かった高級韓国のりを土産用に購入。その後、街中の大きな居酒屋風の店で「海鮮チゲ」を食べ、ホテルに着いたのは20時頃。少し部屋で休んでから、ツレとホテル近くの路地裏散歩……
ホテル前の道路を横切り、細い路地に足を踏み入れ1、2分。すると、狭い道の両側に、古い韓屋を改造したカフェやレストラン、焼肉の煙が立ち上る大衆酒場や露店居酒屋が立ち並び、閑散とした表通りからは想像もできないほどの熱い賑わい。すれ違う若者たちの楽しげで活気あふれる眼差し(特に女性たちの眼の力)、路上に響く男たちの言葉の激しさに、ようやく、ソウルに来たという実感が湧いてきた。