26、27日は、「リクルート用映像制作」のプレゼン及び撮影ロケハンのため先月に続き再び「明石」へ。(今回は、20年来の盟友JINさん、映像プロデューサーのHさん、ディレクターのKさんを引き連れ4人での訪問。当然、3人とも10歳以上年下)
26日夜は、明石の海の幸を堪能できる小料理店「一とく」でJINさんと一杯。(〆の鯛茶が美味かった!)
翌日11時からのプレゼンは期待以上のリアクションで「高評価」。クライアントには3つの映像プランを提出したのだが(8案ほどの中から独断で選んだ3案)、中でも私の一押し、吉祥寺を拠点に活躍するイラストレーター「キン・シオタニ」氏のイラストをベースにした紙芝居っぽい展開案が最も気に入られた感じ。(ポップで独創的。出来上がりが想像しやすく、クライアントの社風にも合っている)
その後、4人で工場2ヶ所を見学して「西明石」16時20分発の「ひかり」に乗り込み帰路に就いた。(途中、新大阪で「のぞみ」に乗換え、隣席のJINさんとビールで乾杯「お疲れ様」。品川に着いたのは19時過ぎ)
さて、そんな「明石出張」だったが、“出張の友”として持参した読みかけの『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(磯田道史/NHK出版)を行きの車中で読了。その感想をサクッと……
20歳そこそこで読んだ『竜馬がゆく』以外に、司馬さんの歴史小説を読んだことのない自分にとって、この本は「司馬遼太郎入門書」のようなもの。
「(司馬遼太郎は)作家であると同時に、歴史について調べ、深く考えるという意味において歴史家でもあった」「しかし、ただの歴史小説家ではなく、“歴史をつくる歴史家”だった」と評する“導き手”磯田道史氏の力を借りて、司馬さんが作品を通じて何を描きたかったのかが、遅まきながら少し理解できた気がする。
その本の中で、特に興味深かったのが≪「鬼胎の時代」の謎に迫る≫と題された第4章。
日本史の連続性から切断された時代という意味で、日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦に至る40年間を指して、司馬さんは「鬼胎(異胎)の時代」と言っているのだが(「鬼胎(鬼っこ)」は、無謀な戦争に突入し敗戦を導いた昭和初期のこと)、なぜそのような「鬼胎の時代」が生まれたのか、磯田氏によると「その背景にはナショナリズムの暴走があると司馬さんはとらえていた」ようだ。その点について、彼は「ナショナリズムとパトリオティズム」という小見出しのついた一節で分かりやすく解説している。
≪ナショナリズムという言葉は、一般には国家主義と訳されるものですが、司馬さんは、お国自慢や村自慢、お家自慢、自分自慢につながるもので、あまり上等な感情ではないと思っていたようです。一方で、ナショナリズムと混同されやすい概念にパトリオティズム(愛国主義)がありますが、司馬さんは、愛国心と愛国者というものは、もっと高い次元のものだと考えていました。
ナショナリズムとパトリオティズムの違いについては、お家自慢のたとえで考えてみるとよくわかります。たとえば、ある地域社会で、自分はよい家に生まれたのだといって誇りに思っている人がいます。その人が家柄を自慢し、他の家を馬鹿にする。何ら自分の努力で手に入れたわけではなく、ただその家に生まれただけなのに他人を見下していると、自分は金持ちなのだから、貧乏人を従えて当然だという考えに陥っていきます。自分がかわいいという感情が、自分の家がかわいいと変形したにすぎず、その「自分がかわいい」を「自分の国がかわいい」と国家レベルまで拡大したものがナショナリズムだというわけです。
対して、「いや、自分はたまたま名家に生まれついたのだから、一層きっちりして、さらに周りから尊敬される良い家にしよう」と考える人もいます。これは言わば「愛家心」ですが、この感情を国家レベルでおこなうのが、司馬さんの言う「愛国心」に近いと思います。自分の家をよくするだけではなく、周りの人たちのお世話までできる家にする――その高い次元の、真の愛国心を持った人が支配層にいる間はまだしも、そうではなくなってきたときに国は誤りをおかします。そんな姿を司馬さんは活写しています。≫
ここ数年、テレビでもネットでも排他的な感情を伴う「ニッポン、すごいですね~」的な自画自賛が矢鱈と目につく日本。それは多分、司馬さんが捉えていた「鬼胎の時代」初期のナショナリズムと同根・同質のもの――隣国などの他者を貶めて優越感を感じる「歪んだ大衆エネルギー」を孕みながら、いつの間にか“「お国自慢」の暴走”によって切断され、定着しないままに踏みにじられようとしている戦後民主主義の危機的姿なのかもしれない。
(ちなみに、司馬さんが作品を通じて描きたかったリーダー像は「国を誤らせない。集団を誤らせない。個人を不幸にしない、ということに尽きる」と、磯田氏は述べている)