2013/02/18

気になる「オスカー」の行方。


先週の土曜(9日)、「新宿バルト9」で観た映画『ゼロ・ダーク・サーティ』。(午後2時上映開始、ほぼ満席)

アカデミー賞の有力候補ということもあり、以前から注目していた作品だが、感想を一言でいえば「オスカーが不似合いな力作」……「面白い!」と単純に賞賛できるようなエンターテインメント性もなければ、熱い感動や共感とも無縁。観終った後も重苦しい余韻が残るだけで爽快感はナッシング。でも、徹底した取材をもとに描かれた事実の重さと見事な表現力に目は釘づけ、胸は混沌、という映画の域を超えた強烈な呪縛力と漲る緊張感が、すべての不満を凌駕する。

で、その内容だが、20115月に実行された、米海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)によるオサマ・ビンラディンの捕獲・殺害ミッションの裏側を、主人公であるCIAの女性分析官「マヤ」の視点を通して描いたもの。物語は9.11の同時多発テロから始まる。

真っ黒の画面に、当時の警察無線だろうか、ワールド・トレード・センター内に残された人々の悲痛な声だけが響き渡る冒頭……否応なしに高まる緊張感の中、さらなる緊張を強いるように明転した映像はパキスタンに飛び、CIAによるテロ容疑者に対する苛烈な「拷問シーン」を執拗なまでに描き出す。
もちろん、観ていて気分が良いはずはないが、「これは、正当な行為だろうか?」と、その是非の判断を観客に迫る映像の力に捉われ目を背けることはできない。

その後、「マヤ」の執念により(と言ってもその心情を理解するのは難しい)ビンラディンの潜伏先が判明し、特殊部隊の急襲作戦によって殺害に至るまで、秘密のベールに覆われたCIAの超法規的な活動がドキュメンタリータッチで描かれ、「この事実の告発を、あなたは、どう考えるのか?」という一貫した問いだけを観客の胸に残したまま、2時間半の「映像によるジャーナリズム」は幕を閉じるのだが、映画館を出た後、さらに湧き出す大きな疑問……「米海軍特殊部隊によって殺害された男は、オサマ・ビンラディン本人なのだろうか?」(いやそもそも、9.11の首謀者は、本当に彼なのか?)

というわけで、制作者の明確な意図と強い意志を感じる刺激的な作品であることは間違いないし、個人的にも文句なしの一本だが、世界的に大きな注目を集めるアカデミー賞受賞作として相応しいかどうかは別問題。いくら「中立的な立場で隠された真実を炙り出した作品」であっても、徹底的に人間の尊厳を侵しつづける拷問シーンに象徴されるCIAの超法規的活動の実態を暴くリアルな映像は、その対象である人々(イスラム圏の反米的な層及び世論)から見れば許しがたいビジュアルであり、燃え盛る憎悪に油を注ぐようなものではないだろうか。その意味で「これがオスカーをとったら、マズイでしょ!?」と、政治状況的に少し危惧しているが、さて?

ちなみに、タイトルの意味は軍事用語で「午前030分」、米海軍特殊部隊がオサマ・ビンラディンの潜伏先に突入した時刻を指すそうだ。




 

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