2019/09/09

水戸で「ビル景」を観てきた。



6日(金)、以前から気になっていたアーティストの絵画展「大竹伸朗 ビル景 1978-2019」が「水戸芸術館」で開催中ということで、ツレとプチ旅行がてら水戸へ。

上野から特急「ひたち」に乗り、水戸駅へ着いたのは11時過ぎ。そこから市内循環のバスに乗り10分ほどで「水戸芸術館」に到着……
まず目に付いたのが、三重らせんが空に向かって伸びる高さ100mの「シンボルタワー」。それを仰ぎ見ながら館内に入ると、上野や六本木にある美術館の混雑・喧噪が嘘のような静けさ。
600点以上にも及ぶ作品を、ほぼ貸切状態で観賞することができた。(とにかく観客が少ないので、美術館のスタッフの仕事も必然的に私たちに集中。その目が少し煩わしかった)





で、会場に入った瞬間、目に飛び込んできたのが「Catholicism with Pagan」(1986)と題された、写実的な家と透明な十字架が印象的な絵画。「いいなあ、これ…」と思わず洩れた感嘆の声を宙に投げ、それから1時間半あまり、一人の画家が描いたとは思えないほど多様な表現と心象に満ちた刺激的・魅力的な「ビル景」にどっぷり浸かった。




解説によると、大竹が絵のモチーフとして「ビルディング」を意識し始めたのは、1979年9月から80年代前半にかけて度々訪れた「香港」でのことだという。
《蒸し暑い真夏のある日、何気なく見ていた中景の「ビル」が自分自身と強烈に同期したように感じた。屋上正面に社名の立体文字が設置された素っ気ない「白いビル」だった。内側から強くせき立てられ、自分を包み込む香港の空気や湿気、熱波、匂いやノイズすべてを絵の中に閉じ込めたいと思った。鉛筆で一気に描いたその「ビル風景」の絵を見たとき、内と外が合体したような感覚を覚えた》そうだ。


【以下、上から「ビルと男」(1985)、「東京-プエルト・リコ」(1986)、「ヒロシマ/上空」(1991)、「窓」(2003)、「青いビル1」(2001)、「壁/ビルと青空」(2003)、「ビル景A」(2019)】











それから40年余り、65歳の大竹伸朗はこう述べている。
「30才頃のことなんだけど、それまでアーティストというのはいろんな人のコピーとかを経てひとつのオリジナルスタイルに行き着く、それが基本だと思っていた。僕もいつか、自分のスタイルに行き着くんだろうと思っていた。ところがいくらやっても自分の中から統一されたものが出てこない。昔からレコードを作ったり絵を描いたり、立体も作る。矛盾したものが出てきてばらけちゃう。その繰り返し。でも違うスタイルに共通して出てくるのがビルのシリーズだった。60才を過ぎて気がついたんだけど、40年続いてることはスクラップブックと『ビル景』しかない。『続ける』ものではなくて『続いてっちゃう』ものはあらゆる理屈を超える」

なるほど。理屈を超えて目に飛び込んでくるから、これほどに心を奪われる……。現代アートが持つしなやかな想像力と、アーティストの長く孤独な営為に、ひたすら“脱帽”の午後だった。





※「ビル景」を観た後は、「五鐡」という軍鶏料理の店で親子丼を食べ(店名は鬼平犯科帳に出てくる軍鶏鍋屋「五鉄」から)、駅ナカで息子夫婦への土産(納豆とプリン)を買い、15時前の特急「ときわ」で水戸を発った。


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