2022/09/28

9.27「国会前」


永田町に着いたのが13時40分。友人のO夫妻と落ちあい「国会前」へ。

既にメインステージの正門前は凄い人だかりで近づくのが難しく、私たち4人は道路を挟んで反対側の歩道に陣取った。(もちろんそこもかなりの人だかり)

午後2時に抗議集会スタート。初めに主催者の方から「今日の参加者15000人!」と発表があり、大歓声&大拍手……一呼吸置き、「今日は午後休をとってかけつけた」という女性の声に合わせて「弔意の強制許さない」「安倍政治を美化するな」「政治とカルトの癒着を正せ」など、シュプレヒコールが鳴り響いた。

その後、国会議員(社民党・福島瑞穂、立憲民主党・近藤昭一、共産党・志位和夫、れいわ新選組・櫛淵万里)や前法政大学学長・田中優子さん、高千穂大学・五野井郁夫教授、ミャンマー国軍の国葬参加に反対する在日ビルマ市民労働組合会長ミン・スイさん等がマイクを握り、その連帯と抗議の声に呼応し会場は一段とヒートアップ。私たちも「そうだ、そうだ!」と、マスク着用のままコロナ禍も忘れて声を張り上げた。

で、ちょっとしたサプライズだったのが、フォークシンガー小室等さんの登場(高校時代、今は亡き友人の家でよく聴いた、ああ懐かしの「六文銭」…)。『死んだ男の残したものは』(作詞・谷川俊太郎、作曲・武満徹)他、全4曲の熱唱に、国会前はまるで「小室等コンサート会場」と化したかのよう。昔と変わらぬその心震わす歌声に集会の熱気が鎮まり、若干たそがれた雰囲気にはなったが、思いがけず「小室等、健在なり」を確認することができた“老老男女”の嬉しそうな、懐かしそうな顔・顔・顔……私も亡き友を思い出しながら、束の間の感傷に浸った。

そして午後4時過ぎ、再度のシュプレヒコールで締めて集会終了。長時間のスタンディンにより重だるくなった足に“喝”をいれながら地下鉄・永田町駅へ。(その後、神保町の中華料理店で打ち上げ。午後8時過ぎ「じゃあ、また!」とO君夫妻と別れ、帰路に就いた)

さて余談。私がコピーを書いて義兄がデザインした「抗議プレート」だが、見知らぬ男性にスマホで撮られ「SNSにあげていいですか?」と聞かれたり(もちろんOK!)、若い女性に“グー”ポーズで挨拶されたり、素敵な高齢女性から「絶対、残しておいた方がいいわよ」と強く推されるなど思いがけず注目の的。報道のカメラマンにもニヤリと微笑みながらレンズを向けられ、「してやったり!」な気分だった。



2022/09/27

アベノ国葬


反対派が賛成派を上回っているにもかかわらず、今日(27日)午後2時から強行される「故安倍晋三国葬儀」。私はもちろん反対派(「大嫌いな安倍晋三だから」というわけではなく、「誰であろうと国葬は反対」という反対派)

何故か?と言えば、国葬は民主主義と相いれないというか(中大・宮間教授いわく「大日本帝国の遺物」)、そもそも「法の下での平等」という憲法の平等原則に反するものだから、というのが主たる理由。

また「国民に喪に服すように求めない」と、いくら政府が言ったところで、「現状追認」「長いものには巻かれろ」的な精神が根深くはびこる日本社会。職場や学校などで黙祷などを求められる可能性もあり「内心の自由」を侵害する恐れも大いにある。(そもそも「国葬」は反対派も巻き込む国家イベント。「喪に服すことを求めない」なら「内閣葬」もしくは「自民党葬」で十分。わざわざ多額の税金を使って国葬にする必要なし!って話)

というわけで、今日は「国葬反対・国会前集会」に友人共々4人で抗議の意思を示しに行くのだが(参加コンセプトは「頑張ろう!」「楽しもう!」)、そのために用意した抗議プレートは2枚(仕様:段ボール板、デザイン:義兄の鉄ちゃん)。コピーはこんな感じ。

1枚目(表面コピー)

アベノ酷葬、国の恥!

「法治国家」の名が泣くぜ!!

(裏面)

さあ次は、「ど壺内閣」葬ろう!

2枚目(表面)

見ざる・聞かざる・岸田でござる!

(裏面)

ああ、税金がモッタイナイ!!


では、行ってきます。

2022/09/12

雑感色々②(鹿児島の印象)


新型コロナ「第7波」が急拡大する中、自民党政権とカルト教団のズブズブな関係が日々メディアを賑わした8月もあっという間に終わり、早9月半ば。

この間、私は…といえば、“悪夢のような安倍政権”によってもたらされた分断及びこの国の衰退と荒廃を憂いつつ、相も変わらず仕事(写真機メンテ)と読書&韓ドラの日々(最近のオススメは『私たちのブルース』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』『模範家族』等。ちなみに映画は月4、5本ペース)。                      東京新聞、週刊文春の購読も欠かさず、頭の中はそれなりに忙しいのだが、読む・観る意欲は衰えないものの“書く意欲”は低下の一途。加えて最近は、証明写真機内パソコンの一斉交換(Windows710へ)という超ハードで厄介な作業に追われ、なかなかブログに気が向かわず、未だ夏休みの宿題をやり残したようなモヤモヤした気分で日々を送っている。(早いもので写真機メンテの仕事も既に4年目。大分慣れてはきたが元々苦手な機械いじり…ストレスを自覚する度合いも増し体力的にかなり厳しくなってきた感じ。そろそろ辞める潮時かも、と思っている)

というわけで、2カ月遅れの「雑感色々②」…

かなり“遠い記憶”になりつつあるが、5月中旬に仲間6人で行った「鹿児島」(レンタカーで知覧・指宿・霧島を巡る23日の旅)の印象を幾つか。

「知覧特攻平和会館」

4年前に訪ねた「広島平和記念資料館」同様、以前から「一度は観ておかないと」と思っていた所(陸軍・神風特攻隊隊員の遺影・遺書、絶筆などを中心に収集・展示されている)。

戦争時の映像を含め、約1時間の見学だったが、「ノーモア・ヒロシマ」を強く感じさせてくれた「広島」とは、同じ「平和」を謳ってはいるが似て非なるもの。(遺族や関係者の反発、右翼団体の妨害等を恐れ?)「なるべく解説をしない展示を心がけた」そうだが、展示されている隊員たちの遺書には上官の検閲が入っていること、特攻が事実上の強制だったことなど、最低限伝えるべきことはあるだろうに……と、その展示姿勢に首を傾げざるを得なかった。

(結果、本音とも言えない自己犠牲の精神だけがクローズアップされ、国家に殉じた崇高な死であったかのような印象を与えることになり、若い世代からはこんなメッセージも送られたという。「自分にはできないことをしたすごい人たち」「国を守ろうという使命感を感じた」)

で、出口へ向かう道すがら、その敷地内に石原慎太郎が2007年に建立した“特攻の母”鳥濱トメさんの慰霊碑を発見。知覧を舞台に自ら製作を手掛けた「俺は、君のためにこそ死にゆく」という映画のつながりらしいが、そこに書かれた言葉(「短い青春を懸命に生き抜き散っていった云々」)もさることながら、一政治家(当時、石原氏は東京都知事)の名前が入った慰霊碑が平然と「平和会館」の中に建っていることへの強烈な違和感。「知覧特攻平和会館」が、「日本からの視点のみが説明されており、より多様な視点から世界的な重要性を説明することが望まれる」として、記憶遺産登録申請を却下したユネスコ及び海外メディアから評価を得られないのも至極当然に思えた。

ちなみに、会館から約1キロ、街の中心部を流れる荒川沿いに「富屋食堂」と書かれた民間の資料館があり(残念ながら、私たちが訪れた時は「休館日」。見学は叶わなかった)、そこには軍に渡した遺書とは別に隊員たちが憲兵や上官の目を盗み、食堂の女将鳥浜トメさんらに託した手紙が保存されているそうだ。

「全体主義の国家は最後には敗れる」「明日は自由主義者が一人この世から去っていきます」……二度と、そんな国にしてはいけない。

●「さつま味」

旅の初日、夕食兼飲み会で利用した指宿市内にある郷土料理店(宿は朝食のみで予約)。店に入った途端、老舗の寿司屋のような立派なカウンター(冷蔵ケースにはずらり海鮮ネタ)と、その奥に居並ぶ年配の板前さんたちの姿に「思いのほかすごい店に来ちゃったかも」と期待値バク上がり。予約の際に頼んでおいた「さつま揚げ(熱々!)」と「きびなご」をつまみ、まずはビールで「お疲れ~!」。その後、黒豚の味噌煮、錦江湾で獲れた新鮮な魚介など、美味しい肴に舌鼓を打ちながら、焼酎、焼酎、また焼酎……途中、追加注文をするたびに、何かと面白いことを口走るウイットに富んだ女性スタッフさん(我々と同世代だろうか?)も話の輪に入り、ゲラゲラ、バクバク、楽しい一夜を過ごした。

というわけで、初めての土地、鹿児島・指宿で出会った店の心地よさ! 頼まれもしないのに、こんなコピーが頭に浮かんだ。「さつまの味は、人間味

※今回の旅で最も印象に残ったのは、この「さつま味」に代表される鹿児島の“味”。1日目の昼食『焼肉の白石 中山店』(コスパ最高!)、2日目の『黒豚の館』(本場の黒豚ロースとんかつ絶品!)。本当に大満足の“うまい旅”だった。

「桜島」

旅行に出る前、行きつけの整体院の若いドクター(鹿児島出身)から“オススメ情報”を仕入れていたが、その際、彼がこんな話をしてくれた。「桜島が煙を上げていると、おー今日も元気に生きてるなあ…と、何故か安心するんですよ。逆におとなしいとマグマを溜め込んでいるんじゃないかと若干不安になりますね」「当然、爆発は怖いですけど、相手は桜島ですから……例え大被害を受けようと“桜島なら仕方ない”と、みんな思ってますよ。鹿児島の人間は」……なるほど。「桜島で暮らす、桜島と共に暮らす」というのは、そういうことなのかも。

長きに渡り恐れられながらも、県人の誇りとして慕われてきた「桜島」。旅の2日目、私たちも遠目ながら微かに噴煙を上げるその“元気な姿”に遭遇。一同「おーっ!」と歓声を上げながら、恐らく最初で最後の出会いとなる世界有数の活火山の姿に、暫し見入った。

●「開聞岳」

「薩摩富士」の異名をとり、「日本百名山」にも数えられている「開聞岳」……南薩摩を車で回る今回の旅で最も“目に入った”のがこの山。とにかく行く先々でその円錐形のなだらかな姿を眺めることができ、当地の人同様、私たちにとっても旅のシンボル的存在になった。(遠目に見ても「けっこう低い山だなあ」と思ったが、やはり1000m以下。「百名山」でも最も低い山とのこと)

その他、蒲生八幡神社境内に聳え立つ巨木、樹齢千年を超える「蒲生の大楠」、霧島の自然の中に、様々なアート作品を配置した野外美術館「霧島アートの森」、鹿児島を代表する観光名所で、桜島を望む広大な庭園「仙厳園 薩摩藩島津家別邸」などが印象に残った。



P.S.

国葬反対デモ…831日の「国会前」にも参加したが、国葬当日の927日「国会前」に友人夫妻&ツレと共に参加予定。自作の抗議プレート(コピーはもちろん自分。デザインは義兄の鉄ちゃんに依頼)を掲げて声を張り上げるつもり。          (デモ終了後は神保町あたりで一杯!かな?)

最後に…面白いものを発見!

https://www.youtube.com/watch?v=N7MlY56Gj3Y

哲学者サッカー「ドイツ VS ギリシャ」

(「マルクスはオフサイドを主張」で、思わず吹いた)