2022/04/21

友からの手紙


先日、岩手・大船度在住の友人から手紙が届いた。

(「会いたいね」「そうだね、いつか、きっと」などと年賀状でのやり取りだけは絶やさず続けていたが、もう30年以上、彼とは会っていない)

知り合ったのは20代最初の夏頃(彼是50年の付き合い)。高校時代の友人から「面白い男がいる」と紹介されたのだが、その際の印象は最悪。暗に「君と親しくなる気はないよ」という意思を伝えるかのように敵意のこもった眼差しを向け、口を開けば嫌味と皮肉のオンパレード……「とても付き合えるヤツじゃない」と思っていたのだが、あにはからんや、何度か会い、呑み、言葉を交わすうちに、当時の私が胸襟を開くことのできる数少ない友人の一人になった。(思えば、その皮肉と嫌味は優しさの裏返し。鋭さと無邪気さを、若干タレ目の両眼に湛え、いつも静かに微笑んでいるような大人っぽい男だったが、好みの小説や笑いのツボは一緒。性格は全く似ていなくても、感性や価値観は似たところがあったのかもしれない。同姓同士ということもあり、いつの間にか互いを「ミツルちゃん」「マサヒロちゃん」と名前で呼び合う仲になった。大学卒業後、故郷の岩手・大船度に帰った彼の家を訪ねたのは、いつ頃だったろうか…)

そんな彼からの手紙……なんだろう?と手に取ると、かなり厚い。「返信不要」という意味なのか、封筒の裏に名前はあったが、住所は書かれていなかった。(その時点で、イヤな予感はしていた)

開封して、すぐに愕然。「充ちゃんへ」と書かれた便箋(5枚)には、書くことすら苦しそうに、震える文字が連なっていた。

充ちゃんへ

君がこの手紙を手に取るということは、私はすでにこの世におりません。去年11月初旬咳が出たので行きつけのクリニックに行き、中々咳が止まらないのでレントゲン、そしてCTを撮った所、医者が言い放った言葉が、“ガンだ!”の一言でした(定期健診も受けているのにお前は何をしているんだ!)

岩手医大で診てもらったところ進行性の肺ガンでステージⅣで、すでに脳、骨、その他いくつかの臓器に転移しているとのことでした。早速医大で抗ガン剤治療が開始されました。

(中略)

効果とは一切関係なく、私の場合抗ガン剤の効果はほとんど有りませんでした。

苦しみ抜いても効果がないとは、45ヶ月に渡って続けて来た抗ガン剤治療を続けても意味が無いことです。私が選んだ道は緩和ケアです。

緩和ケアとは抗ガン剤の投与を一切止め、体の痛み、吐気、食欲不振、精神的不安定さを取り除くといった方法です(死期は早まるかもしれませんが?)

私にとって一番重要なことは、“私は私である”ということです。最後まで自分が自分のまま静かに最期を迎えたいということです。

ただ一つ心残りは、去年一月それまで介護してた母が亡くなって時間が出来たので、前々から勉強していた中小企業診断士の試験を受け一次試験は去年8月に合格し、さあ二次試験を今年と思っていた矢先に今回の出来ごとです。

何故、この資格と思われるかもしれません。

田舎は貧しい(日本は?)。貧しい上に格差の拡大、差別等数え上げれば切りがありません。そんな世界に小さな風穴を開けることでも出来ればとの思いからです。(少しカッコつけ過ぎ!?)

日本(世界)はどうなっているのだろう?

ジェンダー、SDGsいずれも新たな考え方みたいに言っているけど、20年も前から言われていることで、何を今さらという想いです。

(中略)

今、政治的、社会的最大の問題は何か? 地球温暖化・環境破壊が進んでいることではないでしょうか?

れいわ新選組が打ち出しているグリーンニューデール政策は資本主義(経済成長)を前提としたニューデール政策なのではないでしょうか?

温暖化・環境破壊の解決策は?

グレタが言う資本主義社会のシステム(経済成長)を変える(資本主義を止める)ことではないでしょうか?

(それを)解ってても今の生活を変えることなく人類は破滅の道を辿るのでしょうか?

(中略)

君はリスベット・サランデル(ミレニアム)を知ってるだろうか?(すでに知っているかもしれませんが)

今まで北欧サスペンスを読んできました(警察小説が中心)ヴァランダーシリーズ、特捜部Q、カミーユシリーズ(ルメートル)、ぺレス警部(アン・クリーヴス。私の最も好きな女流作家)、ラージュケプレルなど好きな作家が多いです。

去年、読む本がなくなにげなく、ホコリを被った本の中から偶然ミレニアムを手に取って読みました。十数年前の本ですが衝撃が走りました。これほどの本は今まで出会ったことがない。

今はジェンダーなんてくそくらえ!と思っているサランデル(もしそういう女性が存在するなら)に会ってみたい。

今の私にはほとんど体に力が入りません。

書く力も残ってません。

この辺で筆を置くこととします。どうか元気で。

最後にルメートルではないけど

天国でまた会おう!    


以上。もしこのブログを今は疎遠になっている昔の仲間が読んでいてくれたら、これを彼の最期の言葉、意思として受けとってほしい。

ミステリーが大好きで、常にユーモアを忘れず、一人故郷で暮らす今も昔と変わらず貧しい人や苦しんでいる人に眼を向け、心を砕き、よりよい世界のために何をすればいいのかを考え続けていた真摯で優しい男のことを忘れないでほしい。と思う。

生涯独身を貫いた「マサヒロちゃん」……最期はどなたが看取ってくれたのだろう。(自分の死を自分で知らせるなんて、そんな韓ドラみたいなこと、お茶目で律儀で、心優しい皮肉屋の君以外に一体誰ができるというのか!)

手紙を受け取って数日経つ今も、ざわざわした心のままにぼんやり君のことを考えている。

「また、会おう」「いつか、きっと!」なんて、言ってる場合じゃなかったね(いま無性に会いたくても時すでに遅し。どうしようないや。やっぱり会える時に会わないと!私を含め同姓代の仲間は、いつ死んでもおかしくない年だもの)

毎年、賀状で「オススメ本」を知らせてくれた君の最期の「オススメ」…『ミレニアム』は、必ず読むよ。多分それまで「どうぞ安らかに」なんて言えない(だって、死ぬ間際まで不条理な世界を憂い、戦い、私に問いかけたくれた君に対して「安らかに」なんて、何だか失礼な気がしてさ)。

君が「会いたい」と言っていた「リスベット・サランデル」に、ちゃんと私も会ってから、改めて何某かの言葉を持って、君の死を弔いたいと思う。合掌。

3月に咲き、4月を待たずあっという間に散った今年の桜……桜は散ってから咲くまでの一年間の気候によって、その年の花の質が決まるそうで、「今年の桜は質が悪い」と、桜守の佐野源右衛門さんが言っていた(桜にも「気候変動」の影響が…)。年々桜の季節が味気なくなるのは年のせいばかりじゃないのかも。

久しぶりの更新が少し重い感じになってしまいましたが、どうぞ皆さんご自愛のほど。



2022/03/03

2月のメモ②


220日(日)

北京五輪閉幕。

習近平とバッハのツーショットなど見たくもなかったが、「チャン・イーモウ演出」につられて、つい見入ってしまった開会式(いい意味で中国らしくない幻想的で美しい式典。聖火リレーの最終走者にウイグル族の女性を起用するという、あざとい政治的演出もあったが、高い技術力を世界に印象づけることができ、イメージ戦略的には成功だったように思う)。

そして、ロシアによるウクライナ侵攻の懸念が高まる中、見る気も失せた閉会式……

期間中、いくつかの競技も見たが、その中で印象に残ったのはスノーボード(「国」じゃなく、自由な「個」が高く宙を舞っている感じがとても気持ち良かった)とフィギュアスケート。平野歩夢と羽生結弦の技量&センスはちょっと次元が違う気がした。  (羽生くん、礼儀正しいのは良いとして、国旗やオリンピック旗にそこまで丁寧に頭を下げなくても…とは思うけど)

222日(火)

猫の日。今年は2022年ということで、「スーパー猫の日」と言うらしく、朝から地上波も衛星も猫・猫・猫(特にBSテレ東は朝から晩まで“猫づくし”)……もちろん、猫好きとして悪い気分にはならないが、「ネコノミクス(経済効果2兆円?)」などと持ち上げられ、ブーム化する(させられる)現状はかなり異様。流行り廃りで飼われたり捨てられたりするのでは、猫も犬もたまったものではない。現に「猫ブーム」といわれる今でさえ、年間約20,000頭もの猫が殺処分されているわけで……(もしブームに乗って「飼いたい」と思うならペットショップなど行かずに、保護猫を!)

ちなみに我が家の「ジャック」も元・保護猫。本人(本猫)が望んだわけでもないのに知らない家に連れてこられ、ハンガーストライキ状態の時もあったが、今では毎朝6時近くになると枕元に来て「ニャーニャー」餌を催促する日々。

時折、ホントに猫なのか?的な仕草で笑わせてくれたり、テーブルの上のティーポットを落としてびっくりしたり怒られたり、「いい仔だね~」と岩合さん口調のジジイに撫でられたりしながら、ゴロゴロ・スヤスヤ「猫ブーム」など素知らぬ顔で生きている。

223日(水)

確定申告のため、東村山にある「青色申告会」の事務所へ。今年も支払う税金はゼロ。当然、還付金もゼロ。

225日(金)

とうとう戦争が始まった……「ロシア、ウクライナ侵攻」

ロシアの侵攻については「旧ソ連時代の意識のままに“帝国復活”をめざして」とか「ウクライナのNATO加盟を阻止したいがため」とか様々な論評があり、正確なところは私にはわからないが、どんな理由を掲げようが「侵略」であることに変わりはないし、何より戦争は絶対悪。命じたプーチンが度し難いほど愚かな政治指導者であることは言うまでもないが(まして核兵器使用を仄めかすなど、狂っている!としか言いようが…)、プーチンの侵攻を止められないどころか、逆に煽り続けたバイデン及び米メディアも「愚か者」の誹りを免れるものではない、と思う。

さらに言えば、ここぞとばかりにいきり立って「今のままでは日本がウクライナになる」「9条で日本が守れるか」「核武装をするべきだ」などと、アホ!としか思えないような世界認識と国防論で危機を煽る日本の政治家や評論家及び彼らを重用するメディアは、それに輪をかけたような恥ずべき愚か者。というほかない。

ロシアの撤退と戦争の早期終結を願いつつ、再度、吉本さんの言葉を噛みしめたいと思う。

《(前略)しかし、文明や科学が発達していく一方で、人間の愚かしさもまた、とめどなく大きくなっていると言っていいかもしれません。

そのいい例が、各国で競うように開発している核兵器です。すでに、アメリカもロシアも相当な数の核兵器を持っています。中国やフランスも、ある程度の数を保有しており、インドとパキスタンも争っています。さらに、北朝鮮は核保有を宣言しました。僕に言わせれば、これはばかな競争です。これは、もしかすると、ひょんな拍子に人間の歴史をふっ飛ばしてしまう事態が起きないとも言えません。可能性はあると思います。

人間の寿命や文明の発達、感覚を鋭敏にするための装置の機能向上は、僕らの考える領域でもないし、僕らがどうとかできるものではありません。でも、核兵器競争みたいなことだけはよせと言いたい。もちろん、日本もそんなものはつくらず、平和だけを積極的に主張するという態勢をとれということです。建設的な利口さはそれしかありません。

僕らが口をはさむ事柄でもないのですが、それぞれの国の指導的な人たちは、そういうばかな競争をしないで、どんどん廃棄する競争をすればいい。それにはまず、核兵器をたくさん持っているところから捨てていけば、ほかは右にならえをしていくのです。持っている国が悪いのですから、初めに持っている国が捨てない限りは、いつまでたってもなくならないでしょう。

しかし、いまの核拡散防止条約というのは、そういう仕組みになっていません。核兵器を減らせばいいという規定だけがあって、アメリカやロシアの核を捨てて少なくしろという規定はないのです。だから捨てないのです。それどころか、みんなが真似をする。日本にも真似しようというやつがいるくらいで、冗談じゃありません。それこそ本当に人類のばかさ加減を一番表しているものです。

日本には不戦条項が憲法にあるのだから、積極的に、遠慮なしに主張したらいいと思います。もちろん、そういうことは僕らの領分ではなくて、政治家がやるべきことで、国際的にもやるべきことですが、あまりやっているようにみえません。

「ひょっとしたら全滅だ」というところに競い合っていこうとしているのを、日本が真似することはないし、また、そんなものをいいと言う必要はないのです。核兵器を持つことについては、どちらの国が悪い、どちらの陣営がイイではなくて、全部悪いんだというのが正しいと思います》『真贋』(講談社/2007年)P26-27より。


《戦争を知らない世代の人たちは、いかにも日本だけが侵略戦争をやって、向こうは正義の戦争だったなんて信じている人も多いですが、戦争だから双方で殺し合いをしているわけです。前の戦争で負けた国ということで、日本人は恐縮していますが、そんなことで恐縮することはないと思います。でも、だからといって、きちんと戦争ができるように自衛隊を自衛軍にする、憲法九条を見直すといったことに力をいれるのはやめにしろと言いたいのです。

どうしていまの日本人は、戦争放棄といういい憲法を持っているのにもかかわらず、核拡散防止条約をちょっと変えてもらいたいと言うことすら躊躇しているのか。日本人はもともとおとなしいということはもちろんあると思いますが、内心は、日本が世界で孤立するのが怖いのだと思うのです。それが、いまの世代の人に感じる一番の弱点だと思います。それは何の弱点かというと、逆説的な言い方をすれば、戦争を体験しなかった人の弱点だと思います。

国家は建前上何らの理由も立たないことに反対してよその国を圧迫することや、脅かすことはできないということは自明のことだと僕らは思っていますが、戦争体験のない、いまの若い人たちはそういうことを理解できないのだと思います。僕らの世代は戦中、戦後のある時期、飢えて、なけなしの衣類や家財道具とお米とを交換して細々と食いつないだという経験がありますから、何が起ころうともあまり怖くないのです。こういう主張をしても、たとえどんなことがあろうと、僕を干乾しにすることはできない、という強い確信があると言いますか、何をしてでも食べていけるという自信があるからかもしれません。

まず戦争というものをなくすために何ができるか、もう少し真剣に考えてみるべきだと思います。》『真贋』P99-100より

2022/02/28

2月のメモ①


212日(土)

「ブースター接種」の予約日。(1回目と2回目は「ファイザー」だったが、今回は「モデルナ」を選択。交互接種の方が抗体価は高まるというデータもあるようだし、予約も取れやすかった)

10時ちょい過ぎ、自宅から歩いて15分ほどの接種会場(福祉会館)に到着。「モデルナのみ」の会場だったせいか、高齢者の多い地域なのに、同じ時間帯の予約者は私を含めて10人程度(やはり交互接種を不安に思う人が多いようだ)、待ち時間もなくあっという間に接種を終えた。夕方以降、左上腕部の痛みと若干の倦怠感あり。

213日(日)

朝から少し寒気がして「副反応かな?」と思っていたら、午後になって“きっちり”発熱(37度超)。倦怠感も増してきたので、ツレが用意していた解熱剤を飲み晩飯の時間まで2時間ほど床に就いた。(起きた後は熱も下がり倦怠感も解消……やはりブースター接種、とりわけ「モデルナ」は副反応が出やすいと言われていたが、「その通り」のようだ)

※翌日(14日)も上腕部の痛みは続いたが、熱もなく体調回復。(14日に接種を終えたカミさんも15日に発熱。回復は早かったが「モデルナ侮れず」の5日間だった)

218日(金)

2日連続で仕事をした後の金曜日、ちょっとした開放感に包まれて“遠出”……「新宿シネマカリテ」でノルウェー発の青春音楽ロードムービー『ロスバンド』(監督:クリスティアン・ロー/製作2018年、ノルウェー・スウェーデン合作)を鑑賞。(その感想は後日改めて)

映画の後は、喫茶「らんぶる」でランチ&読書……2月に入って、急に吉本さんの本が読みたくなり(石原慎太郎逝去の報がきっかけ)、何冊か本棚から引っ張り出して特に興味を惹かれた箇所を重点的に再読中。今日もその中の一冊『「ならずもの国家」異論』(光文社/2004年発刊)を手に家を出た。

で、その本の中で、改めて考えさせられた「国家の原則とは何か」という一節を紹介。

《では、国家とは何か。幻想の共同体です。ところが日本人は、確固とした実体のようにおもいこんでいるのです。比喩的にいえば、国家は国民のすべてを足もとまで包み込んでいる袋みたいにおもっている。たしかに国籍を変えたり、よその国に旅行したりすることはできます。でも、国家という袋からは出られないとおもってきたわけです。こういう概念は極めてアジア的です。西欧的な概念とはまったくちがいます。

西欧で国家とは何だといえば、政府のことです。人間は社会をつくってじっさいの生活を行う。国家とはそうした社会の上に聳えている共同の幻想だと考えているわけです。だから彼らは、国民全体をすっぽり包んでいる袋のように国家をイメージすることはない。

いってみれば、国家はぼくらがじっさいに生活している社会より小さくて、しかも社会とは分離した概念だとみなしているわけです。国家が至上概念になって、ぼくらの生活を隅から隅まで規定するなんて考えない。むしろ市民社会のほうが国家や「公」より大きいんだという感覚をもっている。ここが日本と西欧の大きなちがいです。(中略)

「武力攻撃事態法」「改正自衛隊法」「改正安全保障会議設置法」の有事三法や盗聴法が国会を通過して、次は徴兵制かなどと危惧する声があります。徴兵制を敷くかどうかは大問題ですが、日本国憲法では衆参両院の総議員の三分の二以上の賛成があれば国会が国民に憲法の改正案を示す、そして国民投票で有権者の過半数が賛成すれば憲法改正ができる。だからそうなれば、徴兵制も敷かれます。でも徴兵がいやだったら、徴兵に応じなければいいんです。それは罰せられるかもしれませんが、それさえ覚悟していれば徴兵を拒否して逃げまわればいい。

国家が守るべき憲法とか法律は国家が守ればいいわけです。あるいは国家の召使いである官僚が守ればいい。国民一般が守るべき理由はすこしもありません。それは個人の問題です。

先ほど指摘したように、国家は国民すべてを包み込む袋ではないというのが大原則です。こうした基本的なことはきちんと押さえておいたほうがいいとおもいます。そこがわかっていれば変に間違うことはありません。

個人として憲法に違反するとしても、そんなことは一向にかまわないわけです。それに似たようなことは、みんなふだんからいくらでもやっているわけです。たとえば税金はできるだけすくなくなるようにごまかして申告するとか、そんなことはみんな知っているのですから、いまさら忠義面をしても意味はありません。》

 帰途、池袋西武の三省堂に立ち寄り「うむっ!?」と惹かれた4冊を購入。

『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(伊東順子/集英社新書)、『インド残酷物語 世界一たくましい民』(池亀彩/集英社新書)、『わが昭和史』(吉本隆明/ビジネス社)、『夜の果てへの旅』(セリーヌ/中公文庫)

※『韓国カルチャー』と『インド残酷物語』は既に読了。(2冊とも「知らない世界への扉を開いてくれる」超オススメの面白本!)






2022/01/31

最近のあれこれ②(新聞記者&「自分を耕す」)


ドラマ『新聞記者』

113日にNetflixで世界配信が開始され、国内はもちろん、台湾・香港を始め海外でも少なからぬ反響を呼んだドラマ『新聞記者』(脚本・監督:藤井道人)。

テーマが「森友学園問題をめぐる公文書偽造・隠蔽事件」とくれば、個人的にも見逃すわけにはいかず、一気見、必至!…なわけで、ネトフリで日本のドラマを観たのは1本だけ(清原果耶主演『透明なゆりかご』)という私も、配信と同時に観だして全6話を3日で“完走”。真実を暴こうとする人たちと、それを隠蔽しようとする人たちの徹底した攻防戦を、時にムカつきながら、時に歯痒く思いながら、そして時に嘆き、哀しみ、安堵しながら、楽しませてもらった。

もちろん、主人公役の米倉涼子、事件のキーマンで総理夫人付きの官僚を演じた綾野剛(今や日本映画界を代表する俳優の一人と言ってもよいのでは?)をはじめ、役者陣の演技も素晴らしかった。(ユースケ、田中哲治、吉岡秀隆、田口トモロヲ、でんでん……みんなに拍手!)

ただ惜しむらくは、観る者を引きつけるスピード感やスリリングさはイマイチな印象、韓国ドラマのヒット作のように次のエピソードが待ち遠しくなるようなインパクト、爆発力は秘めておらず、恐らく続編もなく一過性の花火で終わる可能性大。(テーマ的にこれで終わるのは、少しもったいない気がするけど)

海外的にも〈ドラマ後半は、日本が国民の無関心によって不正の沼に陥っている国だと明確に示している。より良い政治を求めるなら、一人ひとりが個人として声を上げなければならない、このドラマはそう言っている。〉と、5つ星中3つ星(要するに、普通)を付けた英・ガーディアン紙の評価が一般的だろうし、「日本はこんなにひどい国なのか」「なぜ、大きなデモが起きないの?」的なネガティブな感想・疑問はあっても、それ以上のポジティブな反応は期待できないように思う。

ところで「組織の中では言いたいことも言えないリアルな日本人の姿」(言い換えると「立場主義」)は、世界の人たちにどのように映ったのだろうか……。


 「自分を耕す」一年に。

60代最後の年。といって格別な思いも、これといった具体的な目標もないのだが、かなり前から、人生の節目として「若い頃によく読んだ太宰の小説を今一度、読み返してみるか…」とは思っていた。

で、数日前、古い文庫本やCDを収めている階段棚から『パンドラの匣』をチョイス。 その中の『正義と微笑』を読み始めた。

日記の形式で書かれたこの小説の主人公は資産家の息子で16歳の芹川進。彼には、帝大の英文科に4年前に入ったものの未だ卒業せず、毎晩、徹夜で小説を書いている兄がいる。進はそんな兄を「兄さんは頭が悪くて落第したのではなく、正義の心から落第したのだ」と敬愛しており、彼に教えてもらったマタイ伝(六章・第十六節)の中の言葉に刺激を受け、日記の開始にあたり「微笑もて正義を為せ!」というモットーを掲げる。

というのが、物語のイントロ。そこからつらつらと読み進めると、進が尊敬する中学教師の言葉として、太宰流「学問のすすめ」と言ってもよい箇所にぶつかった。

《勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!》カルチベート=「耕す」「〈才能など〉をみがく、高める、洗練する」

さすが太宰!と手を打ちたくなる含蓄に富んだ一節。今さら「真にカルチベートされた人間になる」のは無理としても、せめて「自分を耕し続ける」一年にしなきゃなあ…と、思う。

 

 

2022/01/29

最近のあれこれ①


オミクロン株「爆発的感染状況」ですが…

「検査受けるな」「病院で受診するな」「コロナ陽性でも家で寝てろ」「無症状なら仕事行け」…って、一体どんな国なんだろう、日本は? と、政府及び新型コロナウイルス対策分科会(尾見会長)の相変わらずの無能・無策ぶりに呆れ、憤っていた矢先、遂に私の周りでも感染者が出た。

埼玉に住む友人のカミさんだが、16日に東京の介護施設に入居中の父親が嘔吐したという連絡を受け、看病に行った際に感染したらしい。もちろん、コロナを警戒してマスクも手洗いも欠かさなかったに…(以下7行、友人の話)

17日に父親のコロナ陽性が判明。父親の周り(介護施設)で感染があったが、保健所の判定で父親は濃厚接触者に該当しないと言われていた。(中略)わかったのは、オミクロンの感染力の強さ。保健所はデルタの感覚で濃厚接触か否かの判断をしたんだろうけど、感染していた。気をつけてね」

「それにしても、日本の行政は何回同じ間違いをするのかね。保健所はパンク状態で機能していない。(自分も)濃厚接触者に該当するのに、(22日時点で)埼玉・東京どっちからも未だに連絡なし」とのこと。

伝えられるところによると、オミクロン株は従来株のように「ミスト感染(飛沫、接触)」ではなく「空気感染」しやすい変異をしているらしい。となると、日常的に最も有効なのは換気と加湿。分科会・尾身会長は、そのことをいち早く国民に伝え、対策を講じなければならないのだが、元朝日新聞記者でジャーナリストの佐藤章氏によると「分科会の対策は飛沫感染・接触感染を前提していて、空気感染を認めると、これまでのすべての対策が無意味になるという理由で言葉を濁している」そうだ……本当かな?と、俄かに信じがたい話だが、この間の泥縄的対応を見ていると、それも然りと思う。

で、一昨日、友人からメールが届き、自前で抗原検査を行った結果は「陰性」。彼のカミさんも回復に向かっているそうで、まずは一安心。「それは良かった!」と返信しつつ、こんなやり取りをした。

「しかし、濃厚接触者でも自前で検査とは…ついこの前まで「検査と隔離がコロナ対策の原則」だったはずなのに、もうめちゃくちゃだね、この国は。最近は検査せず、症状だけで陽性判定するとか言ってるし」

友人「ホントにメチャクチャ。検査で確定しなければ、基本データである感染者数自体が不正確になるし、濃厚接触者の判定もいいかげんになる。ということは、感染拡大を放置することになる。感染拡大による集団免疫の獲得を目指しているとしか思えない施策。この10日間TVをまったく見ていないので、評論家が何を言っているか知らないけど、そういう指摘はないのかね」

というわけで、今後ますます「受診難民」「検査難民」が増えていくことは確実。オミクロン株は重症化しにくいとは言われているが、「国民皆保険」が蔑ろにされている現状、自分の身は自分で守るほかなし。お互い気を付けないと!

 

NHKの「字幕捏造疑惑」

年末にNHK BSで放映されたドキュメンタリー「河瀬直美が見つめた東京五輪」の字幕捏造疑惑(「五輪反対デモはお金で動員」というデマを流した件)……NHKも東京五輪の公式記録映画製作を任せられた河瀬監督側も、真実を隠すために次から次へ嘘を並べなければならなくなっているようで、何だか森友問題と同じ様相を呈してきた感がある。        (その番組の中で河瀬監督が「オリンピックを招致したのは私たち」 「みんなは喜んだはずだ」 「だからあなたも私も問われる」 「私はそういうふうに描く」と、反対派の声をなきものにして語ったことにも批判殺到……もちろん、私も「怒!」)

で、この問題、突き詰めれば事はデマ・テロップに留まらず、映画自体の取材過程、番組の制作過程、NHKの対応など、疑問が山積しているわけで、本来ならば、公共放送を標榜し受信料を強制的に徴収するNHKの屋台骨を揺るがすほどの大問題になるはず。なのだが、思いのほかテレビ、新聞など大手メディアが騒がない。というか、ほとんど取り上げないのは、一体どうしたことか!?とムカつきながら思っていたら、元朝日新聞記者・ジャーナリスト鮫島浩氏のこんなコメントが…

「大手新聞社の追及が甘いのは、彼らが安倍政権の国策だった東京五輪のスポンサーになったからだ。あれはジャーナリズムの自殺行為だった。五輪スポンサー問題を徹底検証して関係者を断罪しなければ新聞ジャーナリズムの復興はありえない」

今更ながら、あゝ、情けなや。N党の「NHKを、ぶっ壊す」なんて、もう古い。NHKも大手メディアも「ぶっ壊れてる」よね、既に。                    (「メディアと政治の癒着」が常態化している現状…本当に何とかならないものか)

ならば、一市民として、ささやかな抵抗を続けるのみ。その①今後もNHKの受信料の支払いは拒否。②大手新聞社の有料ニュースは買わない・読まない。③カンヌで賞を取ろうが、カンヌの審査員に選ばれようが、五輪映画はもとより、河瀬直美の作品は一切見ない!こと。

(まあ、勝手に言わせてもらえば、彼女の作品は映画というより「映像ポエム」のようなもの。国際的にはその「芸術性」が高く評価されているようだが、その分、大衆性・娯楽性は皆無(と言っていいほど)。私的にも退屈であまり面白くないので、何かと話題になっても観る気が起きない。故に“抵抗”とは言えませんが) 

2022/01/24

2021面白本ベスト5


三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』『三体Ⅲ 死神永生』(劉慈欣)

文化大革命から始まり、異星文明との戦いを経て宇宙の興亡へと突き進む……という、中国の歴史と天体学、物理学を組み合わせることで生まれた壮大なスケールのSF超大作&大傑作(総頁数2000超)。そのボリュームと耳慣れない科学・物理用語のオンパレードにたじろぎ、何度か挫折しかけたが、「黒暗森林」半ばぐらいから一気に引き込まれ、ほぼ半年かけて読了。(にしても、驚くべき想像力&構想力。この作家の頭の中はどうなってるんだろう?)


他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ』(ブレイディみかこ)

内面から湧いてくるシンパシーではなく、認知的なエンパシー(意見の異なる他者を理解する知的能力)を掘り下げた良書。エンパシーには相手の気持ちを感じすぎてしまう負の側面もあり、アナーキーな独立した自己とエンパシーはセットで必要なもの、と説く。

 「たった一つでなければならず、たった一つであることが素晴らしいのだという思い込みから外れること。そうすれば人は一足の自分の靴に拘泥せず、他者の靴を履くために脱ぐことができるようになるのかもしれない。言葉はそのきっかけになる。既成概念を溶かして人を自由にするアナーキーな力が言葉には宿っているのだ」…(理解は易し「身につける」は難し)


岸恵子自伝』(岸恵子)

副題の「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」とは、「居心地のよい生活を壊してでも、未知の世界に踏み入ってみろ」というフランスの諺(ことわざ)。人生で3回「慣れ親しんだ卵を《えいっ》とばかりに割った」と言う著者が求め続けた心の自由とは?……その人生の「潔さ」と「豊穣な孤独」に魅了される自伝本。(御年89歳。「国際ジャーナリスト」としても活躍…とは、ちょっとびっくり)


死をポケットに入れて』(チャールズ・ブコウスキー/訳・中川五郎)

1994年に73歳で亡くなったアメリカの作家&詩人ブコウスキーが、その死の3年前から前年まで書き留めた日記風エッセイ。競馬場を日々の居場所にしながら、死と人間存在、長編小説や詩へのこだわり、大好きな酒と女とクラシック音楽&大嫌いなハリウッド映画など、独特の視点で見つめ、語り、魂の果てへと思考の羽根を広げて飛んでいく彼の言葉に魅了され、幾度となく寝際に読んでいた一冊。厭世感満載なのに実に痛快で頗る心地よい読後感は何故?と思う。この日記を書いた頃のブコウスキーの年齢に近づいたせいだろうか…(時折入る、ロバート・クラムの挿絵も味わい深く、心惹かれる)


同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬)

アガサ・クリスティー賞受賞作。《第二次世界大戦時、最前線の極限状態に抛りこまれたソ連の女性狙撃手セラフィマの怒り、逡巡、悲しみ、慟哭、愛が手に取るように描かれ、戦争のリアルを戦慄とともに感じさせる傑作》(ロシア文学者・沼野恭子)、《復讐心に始まった物語は、隊員同士のシスターフッドも描きつつ、壮大な展開を見せる。胸アツ》(翻訳家・鴻巣友季子)という帯に書かれた二人の言葉に惹かれて購入。  その期待通り、読み出したら止まらない超ド級の戦争冒険小説。(彼女たちの戦いは、私たちの戦いと地続き…という意味で、とりわけ若い人たちに読んで欲しい一冊)