2020/11/28

2週間のメモ②

1113日(土)―11月15 日(月)

●アメリカ大統領選

注視していたアメリカ大統領選も10日のバイデン氏の勝利宣言でようやく決着(の見通し)……トランプ氏の悪あがき&彼の「不正選挙だ!」という根拠のない主張を頑なに信じて疑わない人々の姿を見ていると、大統領が変わったからといって、アメリカ社会がその分断・対立を容易に修復・克服できるとは思わないが、とりあえずこの結果にはホッと一息。

にしても、不思議に思うのは「アメリカ第一主義」を掲げるトランプの熱狂的支持者が日本にも数多くいること(米国オンリーで日本のことなどこれっぽっちも頭にないのに…)。私のようにトランプがしゃべるのを見ただけで不快な気分になる人間には、なぜがのめり込むほど彼に惹かれるのか(しかも他国の人間が)、いまいち理解に苦しむが、要は趣味嗜好と同じで政策も理屈も民主主義も関係なし。嘘をつこうが、何をしようが「好きなものは好き」ということなのだろう(7年間、嘘と隠ぺいを繰り返した「安倍晋三」が好きなように)。やはり「分断」の根は深い。つかみようがないほどに。

 ●「韓国ドラマ」

『愛の不時着』以来、「韓ドラ」の凄さ、面白さには「もう、平伏!」と言った感じだが、最近ハマったのが『椿の花咲く頃』(2019 KBS演技大賞で12冠獲得、2020年 百想芸術大賞 受賞作品)……(それ以前は、『サバイバー 60日間の大統領』『トッケビ』『ザ・キング 永遠の君主』『秘密の森』『ピノキオ』など。いずれ劣らぬ秀作揃い)

脚本&演技陣の素晴らしさ&練り上げられた世界観の心地よさ。「韓国ドラマ史に残る名作」と称えられるのもナットク!の素晴らしいドラマだった。

●ウーバーイーツ

最近、買い物がてら駅近くの「モスバーガー」に寄り、入口付近のカウンターで小一時間ほど読書するのが日課のようになっているのだが(ドトールもスタバもエクセシオールカフェもない我が町)、その小一時間の間に、ウーバーの配達員の方と何度か遭遇する。

で、ちょっとギクッとしたのが私と同年代に思える男性や若い女性が度々配達員としてやってくること。(夏頃に街で見かけた配達員は若い男性ばかりだったが)。

ウーバーイーツがコロナ禍での失業者の受け皿になっているのは分かっていたが、その裾野の広がりを目の当たりにした感じで、何ともやりきれない気分に。(たまに出かける池袋や新宿では、アジア系の人たちが自転車の荷台に「Uber」を載せ、凄いスピードで街に散っていく光景をよく目にするし……新型コロナの影響による失業者が7万人を超える中、配達員が増えすぎて仕事の奪い合いになり収入が落ち込んだり、新規参入企業が相次ぎ、さらに報酬が引き下げられる恐れもあるなど、ウーバーイーツの配達員には更なる逆風が吹いているようだ)

1116日(月)

朝日新聞デジタル《学術会議問題、学生118人議論白熱 鹿児島大の授業で――日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題について、鹿児島大学の学生たちが共通科目「日本国憲法」の授業で考えた。「学問の自由」の視点から見てどうか。首相の任命権は形式的か。オンライン上で議論が白熱した》という内容の記事を読みつつ、日本の国立大学生の頭の緩さに愕然&溜息。

「不適切と思っていたが、国民が選んだ首相の任命だから問題ないという意見を聞き、なるほどと思い、決め手があいまいになってしまった」とは……〈国民が選んだ首相の任命〉だからこそ、国民にはその理非曲直を正す義務がある。というのは、50年数年前の中学生なら、すぐにわかったことなのに。

1119日(木)

証明写真機の仕事で集金・納金に伺った某大学生協の女性職員が、「もう、やんなっちゃいますよ」とこぼしていた。

大学はロックアウト状態(来春まで見通したたず)で、4月以降、キャンパスに学生の姿は見当たらない。特に気の毒なのは新1年生。入学した途端にオンライン授業なので、一回も顔を合わせたことがないそうだ。当然、生協の運営にも大きな影響があるわけで、「存続危機」の段階だという。(「キャンパスライフ」無き学生生活……この状況ではバイトもままならないだろうし、「かわいそうに…」と言うほかなし)

1120日(金)

NHKが総務省に実現を求めているテレビ設置の届け出義務化について、日本民間放送連盟の会長が「はっきりと反対だ」と表明したそうだが、私も民放連に「異議なし」。

大体テレビを持っているだけでNHKの受信料を払わなくてはいけないというルール自体が前時代的で不合理。NHKがスクランブルをかければ済む話。(ちなみに、受信料を拒否している私の家に、先日NHKの訪問員の方が……インターホン越しに「公共放送じゃなく政府の広報局だと思っているので、受信料を払う意思はありません」と言ったら、「あっ、申し訳ありません。失礼します」と即、帰っていきました)

続いて、小池都知事に送る《5つの「小」》……

小賢しい・小ずるい・小うるさい・小恥ずかしい・小バカにしすぎ

以上。

※今日(28日)の午後は、Y君の家で「飲み会」(「小人数・小皿・小まめな換気」は守りつつ)。中華料理ということなので、昨日東武で買った紹興酒とチーズ(コンテ)を持参。

 

2020/11/24

2週間のメモ①

 119日(月)

68回目の誕生日。息子夫婦から青いシャツのプレンゼントあり。(ノースフェイスとギャルソンのコラボとのこと)




 

MIYUKIさんとUEちゃんからもHAPPYなお祝いを頂いた。




 

1112日(木)


午前中に仕事(写真機メンテ)を済ませ、その足で光が丘のタワーレコードへ。

先週注文しておいたブルース・スプリングスティーンのNEWアルバム『LETTER TO YOU』を受け取り、再び“その足”で大泉学園の「Tジョイ」に向かい、1420分上映開始の『スパイの妻』(監督・黒沢清)を鑑賞……

今年のヴェネチア・銀獅子賞(監督賞)受賞作。手にしたフライヤーには“黒沢監督が歴史の闇に初めて挑んだ”とあった。が、それはちょっとミスリード。

(関東軍731部隊による人体実験も戦時下における特高の思想弾圧も既に広く知られており、それがストーリーの基軸として描かれているからといって“歴史の闇に挑んだ”的な触れ込みは、観る人のスタンスを狂わせるだけ。案の定、作品の世界観に触れることなく「反日映画」などと評する連中が、うじゃうじゃ湧いてくるわけで…)

鑑賞中及び鑑賞後の印象としては、江戸川乱歩+ヒッチコック風ミステリーエンターテインメントといった感じ。思想性・政治性を抜きに、そういう位置づけで観れば、十分に楽しめるし、とても見応えのある作品(ラストも中々)。とりわけ、役者陣がイイ。蒼井優はもちろんのことだが、私的な驚きは高橋一生。これまでさほど上手いと思ったことはなかったが、初めてイイ役者に思えた。(今のところ、2020年「コトノハ映画賞」邦画部門・主演男優賞決定!か?…次点は『ミッドナイト・スワン』の草彅剛)

 

帰宅後、即『LETTER TO YOU』を聴く……静かに深く、胸に沁みわたる“魂の薬”。








密集した雑木林の下

やっかいな記憶の糸を引くと、過去が一気に飛び出した

私は跪き、ペンをとり

頭を垂れた

心が真実だと思うことをそこから搔き集め

あなたへの手紙に書いて送ろうと思った

 

困難なときや調子よかったときに見出したことを

インクと血ですべて書きだした

魂を深く掘り下げ、心を込めて署名し

それをあなたへの手紙に書いて送った

 

あなたへの手紙の中に、すべての怖れと疑いを

あなたへの手紙の中に、私が見出したすべての困難を

あなたへの手紙の中に、私が真実だと思ったもののすべてを

あなたへの手紙に書いて送った

 

すべての太陽の光と雨

すべての幸福とすべての苦悩

暗い夜の星と朝の青空

それらすべてをあなたへの手紙に書いて送った



 

 

2020/11/10

この世で一番美しい「白鳥の湖」


何とも言えないその美しさに魅せられ、朝からなんだか、胸が熱くて、苦しくて……。

 https://www.youtube.com/watch?v=owb1uWDg3QM

1960年代にニューヨーク・シティ・バレエ団のバレエダンサーとして活躍していたアルツハイマーの女性。記憶を失い、車椅子で生活していた彼女に『白鳥の湖』を聴かせると、当時のままの美しくしなやかな踊りを披露しました》(情報ウェブサイト「エピネシア」より)

 ※暫くブログ休んでいましたが(特に理由は無いのですが、なんか気が乗らなくて…)、徐々に通常ペースに戻したいと思います。どうぞよろしく。

2020/08/13

久しぶりに美術館へ

先週の木曜(6日)、「東京都現代美術館」(清澄白河駅から徒歩7~8分)に行ってきた。


目当ては、前から観たいと思っていた「オラファー・エリアソン」と、7月26日の東京新聞「カジュアル美術館」で紹介され、とても気になっていた岡本信治郎の「銀ヤンマ(東京全図考)」(「MOTコレクション いま―― かつて 複数のパースペクティブ」で公開中)。


チケットは、企画2展「オラファー・エリアソン」&「もつれるものたち」+「MOTコレクション」のセットで1,450円(シニア料金、65歳以上)


ということで、まずは予期せず観ることになった「もつれるものたち」から……


案内チラシのイメージとしても使われている渡辺行久『不確かな風向』(「風のエネルギーの流れによって絶えず変容する環境を示唆する」作品。とのこと)、ソウル在住のアーティスト・デュオの『(どんな方法であれ)進化する植物、トム・ニコルソン『相対的なモニュメント(シェラル)』、藤井光『解剖学教室』(福島第一原発の事故後、資料館に取り残されていたものを学芸員たちが救出したものたちを集めて展示)などが、少しだけ印象に残ったが、総じて、アートなのか、学術展示なのか、判然としない企画展。それも含めて、もつれるものたちなのだろう。と、納得。


続いて目当ての、『オラファー・エリアソン』……



まずは、ガラスで作られた美しい多面体の作品『太陽の中心への探査』(2017年)。光源がゆっくり回転することで、展示室内は幻想的な光に包まれ、まるで万華鏡の中に入ったかのような不思議な感覚に。(この光と動きは美術館の外部に設置されたソーラーパネルから電力を得て実現しているそうで、「環境への配慮」が表現のベースになっているエリアソンならではの作品)


ところで、私もこの企画展が初の「オラファー・エリアソン」体験なのだが、どんなアーティストかというと……(パンフレットの受け売りですが)

「アートを介したサステナブル(持続可能)な世界の実現に向けた試みで、世界的に注目を集めているデンマーク人アーティスト(1967年生まれ)。光や水、霧などの自然現象を新しい知覚体験として再現するその作品は高く評価されている」


というわけで、次の作品『あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること』(2000年)。白い壁に向かって色付きの光が照射されており、来場者が壁の前に立つと、さまざまな色の影が壁に映る、という仕掛け。大きく手を広げたり、足を高く上げて歩いたり、若いカップルが壁の前で楽しそうに戯れていたので、私も彼らに倣って色々なポーズで遊んでみたが……(やはり、動きに若さなく、佇む写真のみ)




で、今回、私が最も驚かされ、その幻想的な光景に、じっと見入ってしまった2作品……『ビューティー』(1993)と、展覧会のタイトルにもなっている『ときに川は橋となる』(2020





さて、最後は「MOTコレクション いま――かつて 複数のパースペクティブ」。1930年代から近年の作品まで約180点が展示されていたが、やはり、最も印象的だったのはこの絵『銀ヤンマ(東京全図考)』(1983年)



作者は、今春86歳で逝去した岡本信治郎(日本のポップアートの先駆け的存在)。

この絵が東京新聞で紹介された際の見出しは「混じり合う戦争と平和」……一東京上空に浮かぶバカでかいトンボ?と思いきや、それは巨大な銀ヤンマに見立てた、爆撃機B29。市街地に降り注ぐ無数の赤い線は「焼夷弾」が放つ火花を表しているようだ。

つまり、これは下町を焼き尽くし、9万5千を超える人の命を奪った東京大空襲の絵。なのに、パステルカラーで彩られた「銀ヤンマ」は美しく、実にクール。まったくと言っていいほど悲壮感がない。何故だろう?と思い、捨てずにとっておいた「東京新聞」を改めて読んでみた。


《岡本はかつて、自分たちの世代を「不信の時代」と表現した。戦中は軍国少年。敗戦前日まで、竹槍で米兵を殺す訓練をしていた。だが「一億層玉砕」と叫んでいた校長は、玉音放送の翌日に「民主主義社会の建設を」と言い始めた。捕虜になるぐらいなら死ぬべきで、特攻隊で若者が大勢死んだ。それが今度は「国体護持」だった。少年は「きったねえな」と思った。だからこそ「単なる悲劇的な意識で空襲を捉えるのではなく、喜劇でもあるし悲劇でもある」という視点に立った》(7/26、東京新聞より)




明後日は75回目の敗戦記念日……残りの人生、少年少女に「きったねえな」と思われる生き方だけはしたくない、と思う。


「美術館」の後は、『深川釜匠』でランチ。ざっくりネギと油揚げを、あさりと秘伝の出汁で煮込んだ「深川どんぶり」を食す。(卵黄2個入り。「これでもか、これでもか」と言うぐらいに、汁とご飯とあさりの量が半端ない。いつの間にか会話も忘れ、ツレと二人、ただ黙々と口に運ぶのみ……何とか平らげ半ば放心状態で店を出た




2020/08/10

韓国ドラマが面白すぎて、凄すぎて。


昨日(9日)は75回目の長崎「原爆の日」。哲学者の内田樹さんがこんなことを呟いていた。

《どうして日本政府は「核兵器禁止条約」に署名しないのか、いろいろ法制的・外交的な言い訳が語られていますが、一番にべもない理由は「機会が来たら核武装したい」と内心思っている人たちが政権の座にいるからでしょう。自分で自分の手を縛ることはないと思っている》

さて、本題。

新型コロナウイルス感染の流行下、見慣れた世界が一変する中、私の日常もコロナ以前とはかなり様変わり。今まで一度も観たことがなかった「韓国ドラマ」が、生活の一部になってしまった。

きっかけは世界的大ヒットとなった『愛の不時着』……(全16話。時間にすると約22時間。それを2カ月(5月~7月)の間に4回“通しで観た”わけだから、もうマニアと言うよりフリーク…否、“中毒”のレベルかも)

どんなドラマで、その何が凄いかと言うと…まずはタイトルに関わるこんなセリフから(第14話、リ・ジョンヒョクの心の呟き)

兄がいた 

彼を亡くしつらい日々を送った そして心に決めた

誰も失わない人生を送ろうと 淡々とした人生を送ろうと

未来を夢見ぬ人生を―― 黙々と送ろうと


それ以来―― ぐっすり眠ることもなく 冗談も言わず

ピアノを弾くこともなかった そして誰も愛さなかった

 

ある日 僕の世界に不時着した―― 君に会うまでは


というわけで、幕開けは偶然の事故から…《韓国財閥の令嬢で自らも起業家として活躍中のユン・セリ(ソン・イェジン)が、ある日、パラグライダーで飛行中に突然の竜巻に巻き込まれたあげく、非武装地帯(DMZ)の北朝鮮側に落下。木の枝に引っ掛かっていたところを、北朝鮮の特殊部隊中隊長のリ・ジョンヒョク(ヒョンビン)が助けたことから始まる、笑いあり、涙あり、ハラハラドキドキもちろんあり!の波乱万丈・絶対極秘のラブストーリー》

なのだが、映画にしろTVにしろ、“基本、恋愛モノは観ない”自分が、何故ここまでハマってしまったのか……我ながら「どうしちゃったんだろ、オレ?」と、不思議に思うが、とにかく何度観ても飽きないし、面白いし、観ているだけで気分が良くなるのだから止められない。(正に、中毒!)。

 当然「何度観ても面白い」のは、脚本と演出の素晴らしさによるもの。「あっ、このセリフがあの場面につながっているわけだ!」的な伏線が随所に張り巡らされていて、それを発見する楽しさ、予期せず沁みるセリフの数々など、そのクオリティの高さで観る者の心を逃さない。加えて主役の二人をはじめ、ジョンヒョクが率いる中隊の隊員たち(との兄弟的なつながり)、ユン・セリが出会う北朝鮮のお母さんたち(との不思議な連帯感)、主役の二人と関わりながらドラマに深い味わいと強い余韻を残してくれる「サブ・カップル」の存在(ソ・ダンとク・スンジュン)等々、多彩なキャラクターを配したキャスティングが、これまた超絶妙。その誰もが個性的で感情表現豊か。役どころにふさわしい見事な演技で、しっかり脇を固め楽しませてくれる。その中でも主役の二人、特にユン・セリ役のソン・イェジンの演技力・表現力は感動もので、「凄いなあ、巧いなあ」と何度唸らされたことか。一躍、大ファンになってしまった。

で、さらに「観ているだけで気分が良くなる」のは何故か?

ネットの記事で「7回観た」という女性が「ジェンダー的安心感がある」と語っていたが、「なるほど、そういうことか」と思う。やはり二人の間に漂う空気感がとてもイイのだ。

旧いタイプの男と女(の恋愛)ではない「対等な男女の恋愛」……決して自分の考えを押し付けることなく、お互いを心から思いやり、(南北に引き裂かれる状況下)全身全霊、愛する存在を守ろうとする二人の姿そのものが、観る側の“心地よさ”を誘う強烈な磁力となって全編に行き渡り、ドラマの魅力を一層押し上げている気がする。(それ故、私たちの感性と理性もより解放された状態で、二人(の純愛)と向き合うことができ、その壮大なファンタジーに心置きなく酔いしれることができる…というわけだ)

その意味で『愛の不時着』は、「フェミニズムが盛り上がっている」と言われる韓国エンタメ界が目指す方向性がはっきり表されたドラマであり、そこに私たちが見慣れたステレオタイプな男女(の恋愛)など出てくる余地はない。だからこそ「心地よい」し、“基本、恋愛モノは観ない”はずの自分もどっぷりハマったのだと思う。

ということで、今日の〆は、前出の“リ・ジョンヒョクの呟き”と対になる、第5話でのユン・セリの印象的な台詞と、IUが歌う『愛の不時着』のOST『心を差し上げます(Give You My Heart / 마음을 드려요)

https://www.youtube.com/watch?v=7PjmLRG0UyU

インドではこう言う

“間違って乗った電車が時には目的地に運ぶ”

 

私もそうだった

私の人生は―― 乗り間違いの連続

だから一度は途中で 全て投げ出したくて

どこにも行きたくなくて―― 飛び降りようとした

 

でも今の私を見て

とんでもない乗り間違えで、

なんと38度線を越えちゃった

 

でもね

思いどおりにいかなくても―― 将来を考えてみて

私は 私が去ったあとも―― あなたには幸せでいてほしい

どんな電車に乗っても――  必ず目的地に着いてほしい


P.S.

その他オススメは、『愛の不時着』の挿入歌を歌った歌手「IU」と、映画『パラサイト』にも出ていた俳優イ・ソンギュンがダブル主演を務める『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』(ソウルの下町を舞台にした、社会派ドラマ。タイトルからして、とても地味に見えるが、出てくる町に、店に、部屋に、仕事場に、人の情けが沁み込んでいるような、実に奥の深い感動作……にしても、韓国の俳優は皆、素晴らしい!と唸りっぱなしの全16話)

そして、もう一つ。イ・ビョンホン主演の『ミスター・サンシャイン』(全24話)。舞台は20世紀初頭、李朝末期の漢城(現ソウル)。自国朝鮮の主権を守るために「日本軍」と戦う義兵たち(その中に、ヒロイン「コ・エシン」も)と、朝鮮に生まれながら身分的迫害により「奴婢」の両親を失い、幼くして国を逃れ、黒髪の米軍将校として母国に舞い戻った「ユジン・チョイ」(イ・ビョンホン)、そして、それぞれのアイデンティを賭けて戦う人々の物語。(言うならば、名もなき者たちの抗日戦争史。その中に、笑いあり、涙あり、LOVEあり……私的には「コ・エシン」役の女優キム・テリの魅力に圧倒&メロメロ。「いい役者は、顔のみならず、声がいい!」と改めて思った)

 

2020/07/22

「れいわ」の、明日はどっちだ!?



 東京では連日3桁の新規陽性者が確認され、第2波の懸念が高まる中、今日(22日)、東京を除外した形でスタートした「Go Toトラベルキャンペーン」。ネット上で誰かが「令和のインパール」と呼んでいたが、正にそんな感じ。
戦後75年。相変わらず日本人は間違っていると分かっていても、一度動き出したものを止められない。責任を誰もとらない。そして、そのしわ寄せは私たちのもとにやってくる。
(この間の政府の迷走は「総理の求心力が落ちたせい」と語る人がいるが、そんなバカな…ドイツのメルケルさんのように有能なリーダーならともかく、憲法改正以外に関心のない無能な総理大臣の求心力が落ちたところで何の問題があろうか。むしろ有能な人間が力を発揮しやすい状況が生まれて“メデタシ”では?と思うのだが、この体たらく……要するに、バカの周りはみんなバカだった。というだけの話)

さて、「れいわ新選組」に激震が走った大西つねき氏の「命の選別をするのが政治」という発言の件。(前回のブログでも少し触れたけれど)

この間、私も「れいわ」の支持者の一人として、事の成り行きを注視していたが、意外なことに支持者の中には、大西氏の発言を「優生思想ではなく、尊厳死に関わる発言であり彼自身の死生観を表明したもの」「多様性を尊重する“れいわ”らしく、その考えの多様性を認めろ」「救急救命のトリアージも命の選別ではないか」等々、アクロバティックな擁護を執拗に繰り返す人が多くいるようで……「こういう人たちと連帯していたわけか」と、正直、ちょっとがっかり&複雑な気分。
(既成政党にない“自由で緩いつながり”が持ち味の政党らしく、色々な考えの支持者がいていいとは思うが、「あなたは生きているだけで価値がある」「生産性で人間をはからせない」という山本代表の強い意志がこもった言葉を、この貧しくも自由な寄り合い所帯の精神的・思想的支柱として、また、生き方も考え方も異なる“無縁者”同士をつなぐ唯一の方針あるいは党是として、それぞれが脳裏に焼き付け、彼らを支持し、歩んできたのではなかったのか?)

というわけで、もう一度、気分が悪くなるのは承知の上で、再度公開された大西つねき氏の発言を確認してみた。
(当初は大西氏自ら「浅はかな発言、大変申し訳ありませんでした」と謝罪。その動画を削除したのだが、彼を擁護する人たちの声に押され罪悪感が消し飛んだのか、「除名処分」が下る前に「自分の言ったことを隠すのは本意ではない」と発言への謝罪を撤回。再び動画を公開……という、“口あんぐり”の展開)

「どこまで高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。なんでかと言うと、介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……とにかく死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち若者たちの時間を使うのかということは、真剣に議論する必要がある。こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。命、選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

あらためて文字に起こしてみても、気分の悪さは変わらない。
特に引っかかるのは「どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち若者たちの時間を使うのかということは、真剣に議論する必要がある」という部分。これは『誰かの貴重な時間と命のためには、別の誰かの命が犠牲になる必要がある』と言っているのと同じこと。延命治療の「尊厳死」の問題とは本質的に異なるし、医師たちが治療の優先度を決めて選別する救急救命時のトリアージの考え方に沿うものでもない。
(もちろん、国民の生命と生活を守ることを最大の責務とするはずの政治家が“真剣に議論”すべきことでもない)

で、さらに驚かされた「高齢の方から逝ってもらうしかない」という一言……「逝ってもらう」とは、まだ生きている人を「死なせる(=殺す)」》ということ。
「生きているだけで価値がある」「生産性で人間をはからせない」と高らかに宣言し、重度障害者の二人を参院選候補者として擁立し、国政の場に送り出した政党のど真ん中に、こういうことを平然と語る人間がいたのだから、山本代表をはじめ党内が揺れに揺れていたのは当たり前。それによって受けたダメージの大きさも計り知れない。

(除籍処分後、大西氏は記者会見の席で「自分はいつ死んでもいいという覚悟なんだ」と、自身の“死生観?”を再度表明していたようだが、公の場で「いつ死んでもいい」などと言うのは、「覚悟」でも何でもない。単に「命」に対して重みを感じていないだけのこと。これほど自分の命を軽く見ている人が、国民の生命を守れるわけがない。彼が今後どういうアクションを起こすかは知らないが、絶対に政治家にしてはいけない人間だと思う)
 
というわけで、「大西氏問題」が一応収束した現在も、「れいわ」を支援・支持してきた人間として、「この先、一体、どうなっちゃうんだろう?」と、れいわの“明日”がとても気になっている……(最悪「解党」ということもあるのかもしれないが、今はただ、彼ら自身がイメージしていた「引き裂かれを統合しながら進んでいく力」が、しっかりと備わっていることを信じたい)