2020/07/22

「れいわ」の、明日はどっちだ!?



 東京では連日3桁の新規陽性者が確認され、第2波の懸念が高まる中、今日(22日)、東京を除外した形でスタートした「Go Toトラベルキャンペーン」。ネット上で誰かが「令和のインパール」と呼んでいたが、正にそんな感じ。
戦後75年。相変わらず日本人は間違っていると分かっていても、一度動き出したものを止められない。責任を誰もとらない。そして、そのしわ寄せは私たちのもとにやってくる。
(この間の政府の迷走は「総理の求心力が落ちたせい」と語る人がいるが、そんなバカな…ドイツのメルケルさんのように有能なリーダーならともかく、憲法改正以外に関心のない無能な総理大臣の求心力が落ちたところで何の問題があろうか。むしろ有能な人間が力を発揮しやすい状況が生まれて“メデタシ”では?と思うのだが、この体たらく……要するに、バカの周りはみんなバカだった。というだけの話)

さて、「れいわ新選組」に激震が走った大西つねき氏の「命の選別をするのが政治」という発言の件。(前回のブログでも少し触れたけれど)

この間、私も「れいわ」の支持者の一人として、事の成り行きを注視していたが、意外なことに支持者の中には、大西氏の発言を「優生思想ではなく、尊厳死に関わる発言であり彼自身の死生観を表明したもの」「多様性を尊重する“れいわ”らしく、その考えの多様性を認めろ」「救急救命のトリアージも命の選別ではないか」等々、アクロバティックな擁護を執拗に繰り返す人が多くいるようで……「こういう人たちと連帯していたわけか」と、正直、ちょっとがっかり&複雑な気分。
(既成政党にない“自由で緩いつながり”が持ち味の政党らしく、色々な考えの支持者がいていいとは思うが、「あなたは生きているだけで価値がある」「生産性で人間をはからせない」という山本代表の強い意志がこもった言葉を、この貧しくも自由な寄り合い所帯の精神的・思想的支柱として、また、生き方も考え方も異なる“無縁者”同士をつなぐ唯一の方針あるいは党是として、それぞれが脳裏に焼き付け、彼らを支持し、歩んできたのではなかったのか?)

というわけで、もう一度、気分が悪くなるのは承知の上で、再度公開された大西つねき氏の発言を確認してみた。
(当初は大西氏自ら「浅はかな発言、大変申し訳ありませんでした」と謝罪。その動画を削除したのだが、彼を擁護する人たちの声に押され罪悪感が消し飛んだのか、「除名処分」が下る前に「自分の言ったことを隠すのは本意ではない」と発言への謝罪を撤回。再び動画を公開……という、“口あんぐり”の展開)

「どこまで高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。なんでかと言うと、介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……とにかく死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち若者たちの時間を使うのかということは、真剣に議論する必要がある。こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。命、選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

あらためて文字に起こしてみても、気分の悪さは変わらない。
特に引っかかるのは「どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち若者たちの時間を使うのかということは、真剣に議論する必要がある」という部分。これは『誰かの貴重な時間と命のためには、別の誰かの命が犠牲になる必要がある』と言っているのと同じこと。延命治療の「尊厳死」の問題とは本質的に異なるし、医師たちが治療の優先度を決めて選別する救急救命時のトリアージの考え方に沿うものでもない。
(もちろん、国民の生命と生活を守ることを最大の責務とするはずの政治家が“真剣に議論”すべきことでもない)

で、さらに驚かされた「高齢の方から逝ってもらうしかない」という一言……「逝ってもらう」とは、まだ生きている人を「死なせる(=殺す)」》ということ。
「生きているだけで価値がある」「生産性で人間をはからせない」と高らかに宣言し、重度障害者の二人を参院選候補者として擁立し、国政の場に送り出した政党のど真ん中に、こういうことを平然と語る人間がいたのだから、山本代表をはじめ党内が揺れに揺れていたのは当たり前。それによって受けたダメージの大きさも計り知れない。

(除籍処分後、大西氏は記者会見の席で「自分はいつ死んでもいいという覚悟なんだ」と、自身の“死生観?”を再度表明していたようだが、公の場で「いつ死んでもいい」などと言うのは、「覚悟」でも何でもない。単に「命」に対して重みを感じていないだけのこと。これほど自分の命を軽く見ている人が、国民の生命を守れるわけがない。彼が今後どういうアクションを起こすかは知らないが、絶対に政治家にしてはいけない人間だと思う)
 
というわけで、「大西氏問題」が一応収束した現在も、「れいわ」を支援・支持してきた人間として、「この先、一体、どうなっちゃうんだろう?」と、れいわの“明日”がとても気になっている……(最悪「解党」ということもあるのかもしれないが、今はただ、彼ら自身がイメージしていた「引き裂かれを統合しながら進んでいく力」が、しっかりと備わっていることを信じたい)

2020/07/10

都知事選・雑感ほか

「たどりついたらいつも雨降り」…

懐かしいモップスの歌じゃないが、ここ数ヶ月(というか何年も前から)日本も世界も、そんなことの繰り返し。


                              (バックで弾いている一徳さん、カッコいいね~)

朝の日課だったニュース(「あさちゃん」「モーニングショー」「サンモニ」など)を観るのもイヤになり、NHKはもとより(「チコちゃんに叱られる」もとっくに飽きたし)、最近は地上波の番組は全くと言っていいほど見なくなった。(その分、BSはよく見ている。BBC、F2、ZDF等のワールドニュース、火野正平の「こころ旅」、グレートトラヴァース、世界街歩き、世界ネコ歩き等々)

そんな状況下、人の神経を逆なでするように定期的に送られてくる郵便物「NHK放送受信料払い込みのお願い」……(JCOMと契約している時は「団体加入」なので否応なく口座から引き落とされていたが、2月にテレビとインターネットを「ソフトバンク光」に切り替えたため、個人宛に口座振替申込ハガキや払込用紙が送られてくるようになった)

第2次安倍内閣発足以来、(どの時間帯でも)NHKのニュースには失望と憤りしか感じたことがなかったので、当然のようにハガキも「払込用紙」も、ガン無視。
ただ、このまま黙って支払を拒否し続けるのもイヤなので、先日「NHKふれあいセンター」に電話して、こう伝えた。
「現在のNHKは公共放送ではなく、政府の広報機関(報道局=広報局)だと思っているので、料金を払う意思はありません。もちろん、市民の代表として権力を監視するという本来の役割に基づき、真っ当なニュース・報道がなされるのであれば、ちゃんと支払います」

すると、何か文句を言われるでも、忠告を受けるでもなく、淡々とした口調で「その旨、上に伝えておきます」の一言(私と同じ理由で「支払いを拒否」する人が多いのだろうか。実に事務的な対応)。BS分だけは支払うつもりでいたが、当分、どちらも払う必要はなさそうだ。

さて、7月5日投開票だった「都知事選」の雑感……

大方の予想通りに「テレビによく出ていて、テレビが応援している(としか思えない)」現職・小池百合子の圧勝。
(私も読んだ30万部のベストセラー『女帝・小池百合子』…とても面白かったが、読み終えた後、心に残るのは「虚しさ」だけ。小さな嘘に大きな嘘を重ねてのし上がる人生に何の歓びがあるのか…♪こ~んな女に誰がした~)。
山本太郎と「れいわ新選組」を応援し続けている身としては「ターミナル駅の熱狂」が茶の間に届かない現実を昨年夏の参院選に続き再び突き付けられた感じ。(「れいわ新選組」もそれを見据えて“ネットから地域社会へ”“駅頭からどぶ板へ”的に戦術を立て直さないといけないのでは?)
また今回改めて思ったのは、「弱者への共感に欠けている」(NHKのアンケート調査)と思われている小池百合子が60%以上の票を獲得し、レイシスト中のレイシスト「桜井誠」が18万票近くもとったように、日本は国全体が差別的・排他的国家になりつつあるのでは?ということ。
そんな“いじめ礼賛国家”(生活保護費削減が当前のように容認される国)に生きる人の多くが為政者に求めるものは「弱者への共感」であるはずもない。(しかも「弱者への共感を求めない」という傾向は弱者の側にいる人たちに多いという謎)
そう捉えれば、「弱者を守る政策」を前面に打ち出した山本太郎(と宇都宮健児)が負けるのは必然。と言えるのかもしれない。

まったく、腹立たしいやら、バカバカしいやらだが、“こちら側”に「弱者」以外にアピールする政策が乏しく思えるのも事実。今後「れいわ新選組」が政権に近づくためには、「弱者を守る政策」プラスアルファ(経済的に余裕のある高齢者や所得中間層にも積極的にアピールできる政策等)が、どうしても求められるのではないだろうか。と思う。(国政マターの「所得税減税」を、都知事選でアピールしたのも逆効果だったかも)

それらをトータルに捉えて、党勢拡大のベースとして勝手にイメージしているのは、「反緊縮統一戦線」みたいなもの……人種差別や排外主義も、結局のところ「緊縮財政」と大きくリンクしているわけだから。
(その意味で、同じ野党とはいえ「緊縮財政」に固執する党とは安易に与しえないだろうし、そういう党に期待しても意味はない。元「立憲パートナーズ」としては残念なことだが)

……で、少し前、ネットで知ったのだが、「れいわ新選組」の公認候補にもなっている「大西つねき」が、自身がアップした動画の中で「命は選別しないと駄目。その選択が政治なんです。高齢の方から逝ってもらうしかない」という、“内なる優生思想”駄々洩れのとんでもない発言をしたようだ。(自ら動画を確認したが、確かにそう言っていた)

それに対して、山本太郎代表が「立党の精神と反するもので看過することはできない」としながら、「大西氏を除名するという判断はこちらにとっても簡単なことではあるが、それでは根本的な解決にはならない。多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、光が当たったことを今回はチャンスと捉え、アジャストする責任が私たちにはあると考える」と述べつつ「大西氏には、命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々にレクチャーを受けて頂き、命について真摯に向き合うチャンスを与えたいと思う」という、有権者に対する明確な謝罪なしに、言い訳っぽいかなり甘めの見解を表明していたが、学校や職場の誰かの発言ならいざ知らず、公党の公認候補者による「命の選別をするのが政治」という発言は、どんなに贔屓目に見ても“教育的指導”ではなく、一発レッドカード、即退場が妥当では?
第一、優生思想を持つ人を、再教育して政治家にする必要などあるはずもないし、そんな政治家を誰が欲するだろう。(当然、私は欲しない)

一難去ってまた一難。インターネットでの公開レクチャー後に党として大西氏の処分を決めるそうだが……「れいわ新選組」の明日はどっちだ!?

P.S.
特に理由もないのに、3カ月近くブログの更新が滞ってしまいました。

まあ、「自粛疲れ」&「Netflix(ネフリ)」に時間を取られすぎた為(韓国ドラマ『愛の不時着』に“どハマり”。長時間テレビの前に釘付けだった所為で、ギックリ腰になりかけたことも…)。と、軽く受け止めていただければ幸いです。

2020/04/20

「自粛」の日々の中で。


先日、生物学者・福岡伸一さんのこんな言葉を目にした。

《…つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ》

《その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない》(4/6朝日新聞デジタルより)

言うならば「新型コロナウイルス」は、みんなが忘れかけた頃にふらっと家に帰ってくる「フーテンの寅さん」のようなもので、(感染から身を守る必要はあっても)戦うべき相手ではないということ。世界中で感染爆発が起こり、死者が続出する現状は、何とも辛く、悲しく、不自由なことこの上ないが、「ウイルスと共生する新しい生活」にお互いが慣れていくしかないのだと思う。

さて、外出自粛の日々が続く中、急遽加入した「ネットフリックス(Netflix)」で映画やドラマを楽しむ時間が増えた。(もちろん、朝のTVやネットでのニュースチェックは欠かせず、“ムカムカうんざり”の時間も増えたが…)

映画はすでに『サニー 永遠の仲間たち』(2011年)、『大統領の理髪師』(2004年)、『新感染 ファイナルエクスプレス』(2017年)の韓国映画3本&マット・デイモン主演の「ジェイソン・ボーン」シリーズ3本と『コンテイジョン』(2011年)の計7本。(すべて面白かったが、特にオススメは「サニー」!)

ドラマは主演・小林薫の「深夜食堂」をシリーズ1の頭から観だして、すでに26話目(この時期、こういう奥深い人情ドラマが染みる)……観ているうちに定番の「豚汁」をはじめ、「あさりの酒蒸し」「バターライス」などが食べたくなって、晩メシで“実践”することも。
(「豚汁」はツレの十八番。今までは豚小間で作っていたが、「深夜食堂」を観て豚バラに。ぐーんとコクが増した感じ。「酒蒸し」は刻んだニンニクを入れて蒸すのがコツ。炊き立ての白飯に小さじ1杯ぐらいのバターを乗せ、醤油を少し垂らして食べる「バターライス」も、旨し!)

という具合に、「外出自粛」をできるだけ前向きに捉え、時折友人たちとメールや電話で情報交換を行い、普段通りに政権・政策を批判しながら、今ある生活をできるだけ楽しむようにしているのだが、世間には「こんな緊急時に政府を批判するな」(いつなら批判すべきなの?)、「責任の追及、糾弾はウイルスが終息してからにしろ」(追及も糾弾もリアルタイムじゃなければ意味ないと思うが?)、「安倍さんも小池さんも頑張ってるんだから…」(「頑張ってるから」といって、間違った方向の努力を肯定しても良いわけ?)などと、70年以上も民主主義体制を採用してきた国の主権者とは思えないような言葉を大っぴらに発信する人たちも多いようで(糸井重里、山下達郎、スガシカオ、太田光、テリー伊藤など)……

 中でも引っかかったのが「責めるな。じぶんのことをしろ」という糸井重里氏の呟き。
(その前にも彼は「わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」と呟き、それに対して“真っ当な”右翼団体・花瑛塾が「それは殺されようとしている民が殺しにかかる権力を責め立てているのです。怒りの抵抗の声です。もっともっとよく感じ、つらくなりなさい」と返していたが……もちろん私は「花瑛塾」に“一票”)

「責めるな。じぶんのことをしろ」などと公然と呟けば、「あなたも私たちにかまっていないで、どうぞ自分のことをしてください」と速攻で返されるのは容易に推察できること。名コピーライター・糸井重里が「自家撞着」という言葉を忘れるはずもないだろうに…やはり駿馬も老いるか……と、がっかりすると同時に、少し淋しくも思った。
(「批判するな」を「責めるな」に置き換えているのも彼一流のレトリックだろうが、「あざとさ」だけが浮き立つ感じ)

というわけで、太宰治『御伽草子・浦島さん』の一節。(「浦島さん」と「亀」の掛け合い)

浦島は苦笑して、「身勝手な奴だ。」と呟く。亀は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着してゐますぜ。さつきご自分で批評がきらひだなんておつしやつてた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるぢやないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちつとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。

要するに、〈個別の批判内容〉を批判するのではなく、〈批判すること〉自体を批判すると、糸井さんのみならず誰もが自家撞着に陥るということ。「心をひとつに」とか「国民(日本全体)が一丸となって」とか、同調圧力が強まりやすいこの時期、特に気を付けないと。

P.S.
最近、「コロナウイルス」関連で、特に印象深かったのは、京都大学・ウイルス再生研の宮沢孝幸先生の「ウイルスの性質を周知することで、感染機会の80%削減を目指し、経済活動の崩壊を防ぐ」という主張。
北大の西浦教授や白鷗大学の岡田先生が言う「接触機会80%減」ではなく、「感染機会80%減」……「この日本で接触機会80%減なんて、どう考えても無理じゃない?」と思っていた矢先、宮沢先生の一連のツイート及び解説動画(なぜか、今は非公開になっているが)を見て“目からうろこ”。とても優れた提案だと思った。
 
 

2020/04/02

雑感(「コロナ」にまつわる色々)


 
映画は我慢(我慢して我慢して、やっと解放された時に、アップリンク、武蔵野館、Ks cinema、シネマ・ロサ、ポレポレ東中野などなど、自分の好きな映画館は残っているのだろうか?早く補償を!)。飲み会は中止。友人に誘われて行くはずだった「ラグビートップリーグ」も「ウーマンラッシュアワー村本独演会」も延期。カラオケ・食べ歩き当然ムリ。まして、海の向こうへ旅に出るなど叶わぬ夢のようなもの……
(なぜか急に、30年前に家族で行った「佐渡金山」の蝋人形の声を思い出した。
「酒も飲みてえー、メシも食いてえー、馴染みの女にも会いてえなー」)

「不要不急の外出」を控えて思うのは、「不要不急」のことこそが人生を豊かにしているということ。

さて、「1日に東京で確認された感染者66人の約7割が40代以下だった」とか、今日もテレビは「コロナ」で持ち切り。
(今なお続く混雑した電車での通勤という日本特有の事情がもたらした結果…だとすれば状況はなお深刻)

中でも驚かされたのは(というか呆れたのは)、1000万人以上が住む東京で、受け入れ可能な病床が500床しかなく、それすらもうほとんど残っていないということ(五輪延期が決まった途端に118床だったことが明らかになり、それからやっと500床……これじゃあPCR検査なんてやれっこないわ)。ここ2ヶ月の間、東京都は一体何をしていたのか?「医療崩壊」以前に行政が崩壊しているとしか言いようがない。

一方、政府はと言うと…相変わらずグダグダと「所得補償」なき「自粛要請」を繰り返すのみで、真っ先に発表されたのは「五輪の日取り」と「五輪の予算の確保」、そして「1住所あたり2枚の布マスク配布」。
(マスク2枚???……昨日、それを聞いたとき、あまりのバカさ加減に、怒りを通り越して、笑ってしまった。「エイプリルフールだったか、今日は!」という感じで。もちろん、嘘でも冗談でもなかったけれど)
 
アメリカ:年収800万円以下の大人1人に13万円、子ども1人に6万円を直接給付(しかも家賃支払い・納税猶予)、
イギリス:フリーランスを対象に、月額33万円を上限に所得の8割補償、
ドイツ:フリーランスに対し最大3カ月間・最大9000ユーロ(約108万円)の給与補償(一例として、フリーランスの日本人夫婦に対し日本円で60万円ずつ計120万円振り込まれたとの呟きあり)、
香港:現金14万円支給、韓国:所得下位70%の世帯に最大9万円支給、
イタリア:30万円以上支給、フランス:休業補償(全額)、スペイン:休業補償(全額)等々。

で、我が日本はマスク2枚(&フリーランス1日あたり4100円)って……
さすが「竹槍でB29を撃墜せん」とした国。「まさにワンチームで」とか言いながら、
コロナとの戦いにも「欲しがりません勝つまでは」の精神で臨めというメッセージだろうか。
(要するに政府及び自民党は、当然果たすべき「生活者支援」を“施し”のように思っている証拠。大体、マスク2枚をそれぞれの住まいに届けるのに、どれだけの費用がかかるのか?なぜ、その金と手間を直接的な生活支援である「現金給付」に回せないのか!)

最早(というか以前から)現政権にとって、国民は主権者ではなく、殴ろうが何をしようが逆らわず、わずかな“施し”で黙って働き、従う「奴隷」のようなものなのだろう。

その「奴隷」の側の一人として言わせてもらえば「もう、我慢の限界」……

(既に負けている)コロナとの戦いを契機に、安倍政権との戦いは「やるか、やられるか」の段階に入ったようだ。
(「民主主義の危機」どころか「生存権の危機」。一日も早く政権の座から引きずり降ろさないと、「自己責任」の名のもとに、こっちがくたばってしまいそう)


 

2020/03/30

続・近況など


 
(昨日は)朝から大粒の雪が舞う、寒い日曜日。

当然ながら私も“外出自粛中”(五輪ファーストの東京都知事の“突然の自粛要請”にはムカついたが、実際、ここで食い止めないと近々ロックダウンを避け得ない緊迫した状態なのだろう)ということで、日がな一日テレビ&ネット漬け。朝から「サンデーモーニング」のコメンテーターの話に耳だけ傾けながら、ネットで記事やツイッターをチェックしていたら、その著書『結婚のヤツ』が評判になっているエッセイスト・能町みね子さんのこんな言葉に遭遇した。

「頭が良い悪人に統治されるのは怖いけど、頭が悪い悪人に統治されるのは生きる気力がなくなる」

う~ん、まさにそんな感じ(「明けない夜はない」というけど、うんざりするほど長い夜が続いているもの)。不可抗力とはいえ、こんな時に国のトップにいる人間も不運だろうが、世界の危機をこの首相で迎えた私たちこそ不運以外の何物でもない。“希望の灯”連発の記者会見(28日午後6時~)も、実に気色が悪かった。

(「世界中を未曽有の不安と恐怖が覆う中で、日本は持ち前のイノベーションの力で希望の灯を灯す存在でありたい」とか「この聖火こそ今まさに私たちが直面している暗く長いトンネルの出口に人類を導く希望の灯であります」とか、誰の作文か知らないが、いま国のトップに出来ることはそんな三文ポエムで国民を鼓舞することではなく、いかに被害の拡大を防ぐかという「ダメージコントロール」だけ……なのに、企業倒産や生活困窮者の続出が懸念される状況で、こんな歯の浮くようなセリフが吐けてしまうのは、国民の保護ではなく、自分と政権の保身を最優先に考えてしまっているからだろう。
その首相の言葉を借りるなら“今まさに”必要なのは、イチかバチかの商業五輪に導く“希望の灯”でもアベノミクスの失敗を隠すための経済対策でもなく、緊急の生活支援策。
お肉券とか、お魚券とかアホなことを言ってないで、早く具体的な数字を示して日本銀行券を配らなきゃ!)

さて、「続・近況」…

数十年間変わらず購読していた朝日新聞の契約を、先月一杯で打ち切った。「政治関連の記事や社説がありきたりでつまらない」「広告ページが多すぎて中身が薄くなった&読みにくい」など、理由は幾つかあるが、総じて政権に対峙するジャーナリズムとしての姿勢が感じられなくなり、触発される記事がほとんどなくなった事が一番。

そのセンスの鋭さに一目置いている編集委員・高橋純子さんのコラムや時折ビビッとくる「耕論」、思わずニヤリの「朝日川柳」などが読めなくなるのは少し残念だが、抗議の意思を表すためにも一旦リセットすることに…。

というわけで現在は、ニュースなどの情報収集はネット&テレビ中心(『NEWS23』、『報道特集』、BS『報道1930』等、ほぼTBSオンリー)。それプラス、先々週から新たに「週刊文春」が加わった。

きっかけは「森友自殺(財務省)職員遺書全文公開」と題された大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏(元NHK記者)の記事と、赤木俊夫氏が遺した「手記」(326日号)。

12頁。一気に読了。痛ましさと、彼の自死を招いた者たちの悪辣さ、その両方が胸に迫ってくる出色の記事だった。
(私同様「手記」を読んだO君、曰く「文春には参議院に会派が作れるくらいの議席をやりたい。立憲とか国民とかの議席を削ってでも。」…もちろん、異議なし!)

で、前号に対する感謝と応援の気持ちを込めて先週も「文春」(42日号)を買ったわけだが、スクープ記事以外にも、
桑田佳祐「ポップス歌手の耐えられない軽さ」、能町みね子「言葉尻とらえ隊」、
みうらじゅん「人生エロエロ」、宮藤官九郎「いま、なんつった?」、
町山智浩「言霊USA」、福岡伸一「パンタレイパングロス」などなど、
刺激的で面白いエッセイ&コラムが目白押し。

これで定価440円(税込)は、お得!というほかなし……と、「朝日」に代わって、「文春」の購読を決めた次第。(4月からは「東京新聞」も購読する予定)

映画は、317日に新宿武蔵野館で観た『レ・ミゼラブル』(監督:ラ・ジリ/製作:フランス、2019年)が抜群の面白さ。さすが『パラサイト』とカンヌのパルムドールを競った作品、グサッと心に突き刺さる傑作だった。(テーマの重さ・深さは『パラサイト』よりコチラの方が上かも? 特にダイバーシティの難しさ…「多様性が大事」と、口では簡単に言えるけれど、差別感情渦巻く世界の中、中々厄介な問題であります)

当然“超オススメ作品”だが、今は不要不急の外出自粛の時。映画館はガラガラで空調も整っているが(いわゆる密閉・密集ではない)、それでも暫く我慢するのが賢明。(ちなみに「新宿武蔵野館」は、ウイルス対策として奇数席のみのチケット販売だった)

※コロナに気を取られ、ここ2ヶ月ほど、あまり本は読んでいないが、タイ旅行の際に機内で読んだ西加奈子の小説『 i 』は、その圧倒的な筆力にゾクゾクするほどの名作。(一気読み必至)
2019年・馬事文化賞を受賞した早見和真の競馬小説『ザ・ロイヤルファミリー』も、臨場感たっぷりで読み応え十分。(競馬やその世界も知らない人でも楽しめるはず)

自粛が長引きそうな今は、先月に買いだめしておいた3冊…恩田陸の『ドミノin上海』、生物学者・更科功の『美しい生物学講義 感動する生命のはなし』、ドン・ウィンズロウ『ザ・ボーダー』、そして友人のTAKENAKA君が送ってくれた『追わずとも牛は往く――労働義務のない村で――』など順繰りにボチボチ…(まずは『ドミノin上海』からスタートかな?)

P.S.
今朝、仕事に向かう電車内で「志村けん死去」の報(ヤフーの号外)を受け取った。

喜劇人としても人間としても、とても魅力的で愛すべき人だった。享年70歳、残念の一言。(にしても、感染症の流行は恐ろしい!)

それから数時間後……《ネット上では「中国人に殺された」などのヘイトスピーチも広がっている》とのこと。

社会学者・宮台真司の言葉を借りればネトウヨ(およびヘイト)は「知性の劣化ではなく、感情の劣化」。日本を代表する喜劇人の死すら憎悪の言葉で汚して静かに悼むことができないとは、何とも情けない世の中になったなあと思う。

以上。とにかく、みんな元気で!(くれぐれも気を付けましょう。お互いに!)