2018/12/24

メリー・クリスマス


ということで、飛びっきりのクリスマスソングを。


ザ・ポーグス&カースティ・マッコール「Fairytale of New York(ニューヨークの夢)」

[Verse 1: Shane MacGowan]
ベイビイ,イヴの日だったよ
飲み過ぎて,ぶち込まれた留置場で
あるオヤジがこう言った
「次のイヴにゃ死んでるな」って
それからヤツは歌い始めた
アイルランドの民謡で「The Rare Old Mountain Dew」っていう曲を
だけど俺は知らんふりして
お前のことを考えてたよ

[Verse 2: Shane MacGowan]
馬で大勝ちしたんだよ
18倍の大穴だ
最高の気分だよ
今年は2人にいいことあるぞ
だからハッピー・クリスマス
ベイビイ,お前が大好きだ
幸せになれるはず
2人の夢が叶ったら

[Verse 3: Kirsty MacColl]
あそこには,バーみたいな車があって
河には金が流れてるのに
ツキがアタシを素通りすんの
若くなくちゃダメなのよ,ここはそういうとこだから
アンタが最初に手を取って
冷え込んだイヴの日に
約束してくれたんだ
ブロードウェイが待ってるぞって

[Verse 4: alternating, then together]
「イケメンね!」「お前だってかわいいよ
ニューヨークの女王だ」
演奏が終わっても,大声でアンコールが続いてた
シナトラはスウィングしてて
酔っ払いも一人残らず,大声で歌ってた
隅っこでキスをして
夜通し踊り明かしたよ

[Hook]
ニューヨーク市警で作る合唱隊が
「Galway Bay」を歌ってた
鐘の音がそこら中から響いてて
クリスマスを祝ってた

[Verse 5: alternating]
「役立たずのろくでなし」
「ヤク中のクソ女
もう半分死にかけたまま
あのベッドで注射器の針の中でくたばれよ」
「この蛆虫のクソ野郎
薄汚いオカマだよ
ハッピー・クリスマス,くたばっちまえ
もう二度と会いたくないね」

[Hook]
ニューヨーク市警で作る合唱隊が
「Galway Bay」をまだ歌ってた
鐘の音がそこら中から響いてて
クリスマスを祝ってた

[Verse 6: alternating]
「こんなハズじゃなかったんだよ」
「ああ,みんなそう言うの
アタシの夢は消えたのよ
あの日アンタに出会ったことで」
「ベイビイ,お前の夢だって,俺は忘れたわけじゃない
それも俺の夢だけど
叶えようと思ったら,俺一人じゃ無理なんだ
俺だってお前に賭けてたんだから」

[Hook]
ニューヨーク市警で作る合唱隊が
「Galway Bay」をまだ歌ってた
鐘の音がそこら中から響いてて
クリスマスを祝ってた

(訳:「およげ対訳くん」より)


2018/12/20

2週間のメモ②




127日(金)
世界中で驚異的な大ヒットを記録している映画『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、2018年)を鑑賞。(小屋は隣駅のTジョイ)

観る前から、友人の絶賛コメントや「映画が始まって5分で泣いた!」という巷の熱い声などを耳にし、そこそこ期待はしていたのだが、聞きしに勝るとはまさにこの作品のこと。クイーンのファンでもない私が、あっという間に彼らの世界に引き込まれ、気がついた時にはすっかり(映画の中の)クイーン(というかフレディ・マーキュリー)の魅力の虜……
特にラスト21分(正確には1330秒とのことだが)は、クイーンのファンであろうがなかろうが胸アツ必至。とてもハンカチorティッシュなしではいられない、本年度一番の感動作だった。
(その日以来、「ママー、うーううう~♪」という伸びやかなフレディの声が絶えず頭の中を流れているような……音楽&映像の力はつくづく凄いと思う)

128日(土)
朝、TBSの「サタデー・ジャーナル」の中で示された〈18歳~29歳男性の内閣支持率73.1%〉という数字に愕然、同時に流れた街の若者たちの声に唖然。

「総理歴が結構長い。信頼できるかな」「アベマリオがやっぱ印象強いんで、面白くていい人なんじゃないかな」「安倍さんしかいないので、安倍さんに頑張ってほしい」

……正直、怒りも落胆もなく、ただ力が抜けてしまった。この日本にどんな未来がくるのだろう。

1210日(月)
寒い一日。友人が送ってくれたクイーンのCDを聴きながら、夭折した歌人・萩原慎一郎の歌集『滑走路』を読む。

朝が来た こんなぼくにもやってきた 太陽を眼に焼きつけながら
今日願い明日も願いあさっても願い未来は変わってゆくさ
今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば
未来とは手に入れるもの 自転車と短歌とロックンロールを愛して

屋上で珈琲を飲む かろうじておれにも職がある現在は
ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる
箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず

曇天にメスを入れたし開きたし暗い未来を取り除かんと
湯槽にてしばし忘れるいやなこと「あしたはきっといいことあるさ」
叩け、叩け、吾がキーボード。放り出せ、悲しみ全部。放り出せ、歌。

コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生
夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む

どれだけ頑張っても、どれだけ耐えても、どれだけ思いを尽くしても報われることのなかった32年の人生。誠実に懸命に生きたその姿が三十一文字の声となって胸に突き刺さる。
短歌は彼のただ一つの希望、生きる(生きた)ことのすべて……自ら命を絶ったその日も、いつもと変わらず歌を作っていたという。


あらゆる悲劇咀嚼しながら生きてきた いつか幸せになれると信じて

 

歌集 滑走路

 

 

 

 

 

2018/12/16

2週間のメモ①


入管法(改正)、水道法(改正)、河野太郎(「次の質問」4連発)、菅義偉(「全力で埋め立てを進める」)、そして辺野古(土砂投入)……当然ながら怒り心頭の日々が続くが、そろそろブログも更新せねば、と気を取り直し、「日本は民主国家である」ということがまったくの幻想であることが明確になった2週間のあれこれを。

11月28日(水)
吉祥寺「ココマルシアター」で、『判決、ふたつの希望』を鑑賞。

映画の舞台は中東の小国レバノン。監督は『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』などで日本にもファンの多い映画監督クエンティン・タランティーノのもとで修行を積み、レバノンで活動しているジアド・ドゥエイリ。ドラマは、二人の男(キリスト教徒のレバノン人男性と、ムスリム系パレスチナ難民男性)のささいな諍いから始まる。

で、“ささいな諍い”が侮辱から暴力、さらに裁判へとエスカレートし、遂には国を二分する大事件に発展。二人の尋常ではない「頑なさ」の理由が、裁判の中で徐々に明らかになっていく……という展開になるのだが、その“法廷劇”が実にスリリングで見応えあり。

二人の男の心理を丁寧に描写しながら、レバノン内戦によって生じた歴史的な対立と確執、憎悪の誘発を繰り返す分断された社会の実情など、緊迫感あふれる映像で知らしめてくれる力作だった。
(監督が描こうとしたのは憎悪の誘発・連鎖を打ち砕く“ヒューマニズム”という希望。ヘビーな題材ながら後味が思いのほか清々しかったのは、二人を取り巻く女性たちの理性と誠実さによるものだろう)

12月3日(月)~4日(火)
友人に頼まれ、彼の会社の年賀状を制作。コピーを書き上げデザイナーに。その流れで、自分の年賀状用のコピーも。(今年1月、4歳上の兄を癌で亡くしたが、自分の中ではすでに「喪明け」。年賀状はいつも通り出すことに)

12月5日(水)
デザイナーの友人・ウエちゃんの誘いに乗り、新宿・歌舞伎町の「ROCK CAFE LOFT is your room」へ。(店のコンセプトは「昼は、大音量でロックを味わう70年代のロック喫茶。夜は、おでんを食べながらロックが聴ける居酒屋」とのこと)

オープン(夜の部)は18時半、ライヴのスタートは19時半……私たちは18時半ジャストに入店。ビール、おでん、鶏モモの唐揚げをオーダー(その後、赤ワイン、フライドポテト、ピザ、ジャックダニエルなど)。ほろ酔い気分で、その夜のゲスト「ムロケン(室矢 憲治)さん」の登場を待った。
(ライヴトークのテーマは「愛と放浪、ロック詩人たちとの出会い NY編」……《ウッドストックからラストワルツ、60-70年代英米ロックシーンをリアル体験してきたロックライターが、珠玉の名盤サウンドに乗って、ロック黄金時代を熱く語る》というもの)

で、19時半から22時頃まで。“心優しきボヘミアン(ムロケンさん)”の興味津々トーク&珠玉の名曲の数々に心も体も揺れて、気分上々。酒の酔いも手伝い(久々のバーボンが効いたのか)、まさに“ロックに心酔”の一夜となった。

ブルース・スプリングスティーン、ルー・リード、トム・ウェイツ、ボブ・ディランなどなど……もちろんすべて感動モノだったが、(私的に)その夜の一番は、レナード・コーエン。15年ぶりのツアー(2009年、ロンドン)の際に歌った曲に心底シビれた。
(その曲名が分からず、後日、ウエちゃんを通じてムロケンさんに尋ねたところ、早速、彼女に返信あり。その文面がコレ…
「😊曲名Bird On The Wireです。このDVD 僕がライナーノートも書かせてもらいました。酔っ払って真夜中の聖歌隊のように教会で⛪️アレンギンズバーグとギリシャの島で歌ったんだって😆💦」

忙しい方なのに、ソッコーで教えてくれるとは、なんてイイ人なんだ!と、ムロケンさんにも心酔)







2018/12/04

韓国3人旅③(非武装地帯へ)


3日目(11/14)

終日自由行動の3日目。事前の計画通り「非武装地帯(DMZ)ツアー」に参加するため(ちなみに「板門店」に行くツアーは現在中止されている)、早目に朝食を取り7時20分にホテルを出発。タクシーに乗り、集合場所となっている明洞近くの「プレジデントホテル」へ。

その7階に催行会社のオフィスがあり、窓口でパスポートを提示して参加手続き完了。少し休んだのち、ホテル前からマイクロバスに乗り込んだ。(参加者は私たちを含め15名ほど、男女比はほぼ半々。単身で参加した女性、大学の友人同士など、若い人たちの姿も)

予定時間より30分ほど遅れて9時出発。ソウルの街中を抜け、左手に漢江を見ながら1時間超……最初の見学場所「臨津閣(イムジンガク)」公園へ。
(道すがら、ガイドの鄭(チョン)さんが、現在の文在寅大統領が兵役期間の短縮を公約に掲げていることに触れ、「母親としては大切な子供を1年半もの間、危険な所で働かせたくはない。いま大学生の息子のことがとても心配」と語ってくれたのが印象的)

ここ「臨津閣」は、軍事境界線から7kmの場所にある平和祈念公園。民間人統制線の手前にあり、現在でも一般の人が自由に行ける最北端の場所ということで、北朝鮮に離散家族のいる人や見学者などが多く訪れるそうだ。
敷地の一角には、望拝壇(北の故郷にある家族の墓を訪ねられない人のために設けられたもの)や、かつて京義線を走っていた列車(朝鮮戦争の最中に被爆し脱線した列車。砲弾の痕が生々しく今も残っている)、爆破された橋の遺構などが残されており、川に面した鉄条網には「祖国統一」「平和」を願うハングルの短冊が無数に結びつけられていた。
(望拝壇の裏側には、1953年に朝鮮戦争の休戦協定が締結された後、戦争捕虜たちが「自由万歳」と叫びながらこの橋を渡ってきたという「自由の橋」があるが、見学時間の関係で行くことができなかった。残念!)





見学後、マイクロバスから専用の大型シャトルバスに乗換え(一般車両は通行不可)、統一大橋検問所へ。そこで身元チェックを受けたあと(バス内に韓国軍の兵士が乗り込んできて、乗客のパスポートと人数を確認)、いよいよ非武装地帯(DMZ)へ。
(DMZは、1953年の停戦協定に基づいてつくられた緩衝地帯。軍事境界線を中心とした南北それぞれ2kmの地帯を指す)

「DMZ」最初の見学場所は、検問所を出て15分ほど走っ所にある「DMZ展示館」。そこでの目玉は、北朝鮮が韓国へ侵攻するため秘密裡に掘削したトンネル「第3トンネル」……1978年、脱北者の証言により存在が明らかになり、板門店(パンムンジョム)南方4km地点で発見されたこのトンネルは、1時間に3万名の武装兵を移動させられる規模とのこと。ソウルまでわずか44kmの距離にあるため、発見時、韓国民に大きな衝撃を与えたそうだ。

ということで、早速、荷物を入口ロッカーに預け、備え付けのヘルメットを被り、シャトルエレベーター(という名のトロッコ)に乗って、長さ1635m、幅2m、高さ2mの狭いアーチ型のトンネルの中へ。(写真を撮りたかったが、トンネル内は撮影不可)

思いのほか長い下りが終わった所でトロッコを降り、そこから足場の悪い(天井も低い)道を中腰になりながらひた歩き、そろそろ眼と鼻の先に北朝鮮が見えるのでは?……と思った辺りで、コンクリートの壁に阻まれ行き止まり。(後で知ったが、そこが軍事境界線まで約200mの地点)
踵を返し、再びトロッコに乗りこんで地上に出ると、未だ戦争が続いている韓国の現実に触れ、“学びの旅”の魅力を実感したのか、ツレたちも興奮気味。「面白かった」と語る義姉の手をふと見ると、その指先が煤で黒く汚れていた。(国連の場でトンネルの存在を韓国とアメリカに追及された北朝鮮は、侵攻の意思を誤魔化すため、「石炭を発掘していた」と主張。壁に炭をこすりつけるという偽装工作を行っていたようだ)

「第3トンネル」を訪ねた記念に、外のモニュメントの石段に座り記念撮影。(モニュメントは、二つに割れてしまった朝鮮半島を一つにしようという、統一に向けた意思を表したもの)……バスの中「統一といっても、(政治体制も違うし)韓国人の多くは同じ一つの国になることを望んではいない。私たちはただ安全で平和な暮らしが欲しいだけ」と語っていたガイドの鄭さんの言葉が胸に残った。



続いてバスが向かったのは、軍事境界線から2km足らず、韓国最北端の展望台「都羅(トラ)展望台」。

建物の上部に黄色い文字で「分断の終わり・統一の始まり」というスローガンが書かれていたが、妙に威圧感のある迷彩柄に塗られた外観は、いかにも軍事施設といった風体で、その言葉とは不似合いな気がした。

で、展望台から北の空を臨むと「北朝鮮の都市が一望できる」という言葉に偽りはなく、北朝鮮の開城(ケソン)市や開城工業団地が肉眼でも視認できるほど近い……とはいえ、そこは7~8km先の街。もっとはっきり見るにはやはり望遠鏡の力が必要というわけで、ほとんどの人が備え付けの望遠鏡を覗く。(もちろん私も)

望遠鏡で見ると、右方向の奥に高く聳える旗(北朝鮮の国旗)と、その下の街並みが見え(実際には人が住んでおらず「宣伝村」と呼ばれている)、左方向には開城の市街地の一部が見える。
(開城市には韓国側の投資で出来た近代的なビルや工場群があるが、望遠鏡で見ても街からは煙ひとつ立たず、人の気配は感じられない。また、金日成の銅像も見えるとのことで、私も探してみたが見つけることは出来なかった)




そしてバスは、DMZツアー最後の見学場所、京義線「都羅山駅」へ。

駅の入口近くに日本語(及び韓国語、中国語、英語)で書かれた案内看板(見出しは「都羅山駅――大陸に向かう出発点」)があり、まずそれを読む。

「2000年6月15日の南北共同宣言に続き、同年7月31日に南北両政府は京義線鉄道の連結に合意した。そして、軍部隊が先頭に立ち鉄条網撤去や地雷撤去などの難工事の末、2002年4月11日に都羅山駅が新設され、2003年6月14日に南北の軍事境界線において京義線の鉄道軌道は連結された」
「都羅山駅はソウル駅から56km、北朝鮮の開城駅まで17km、平壌駅まで205kmの位置にある。建物の屋根の形は太極模様を利用して南北が互いに手をつないだ姿を表しており、都羅山駅が南北のつなぎ目となることを願う切実な願いが込められている。」とのこと。

駅の中に入った瞬間、その空間の広さと天井の高さに驚かされた。

現在、運行はDMZ観光列車一往復のみで(ソウル~都羅山間)、北朝鮮側には運行されていないが(線路はつながっている)、すでに「平壌行き」の案内表示やイミグレーション(入出国管理)エリアが設けられており、フロアの中央には今年4月に行われた南北首脳会談の様子を紹介する写真が展示されていた。(駅内の土産品売り場で、「北韓名酒」とラベルに記された1本2万ウォンの北朝鮮の酒を購入。帰国後、友人宅での飲み会の折に呑んでみたところ、味も香りも驚くほどインパクトに欠け、すっかり拍子抜け)




13時近く、大満足のDMZツアーが終わり、シャトルバスから再びマイクロバスに乗換え、地元の食堂らしき店でランチタイム。「プルコギ定食」(味は普通)と、「飲みきれないので、どうぞ」と同じツアーに参加した若者に勧められたマッコリを1杯いただく。

昼食後、バスは一路ソウルへ……時折、「日本語を学んだのはアニメとキムタクがきっかけ」と語る鄭さんの話に耳を傾けながら、15時半「プレジデントホテル」前に到着。
夕食予定の18時には間があるので、ロッテ百貨店を覗いたり、カフェでお茶したりしながら、ソウルの繁華街「明洞」をぶらぶら。


ほどよい時間になったので、ガイドさんが(わざわざ)予約を取ってくれていた焼肉店に期待満々で入店。特上の美味しい骨付きカルビを堪能……するはずだったが、期待は儚く散り去った。(これから韓国に行く人のために一言忠告。「美味しい店、教えてもらえますか?」などとツアーガイドやショップの人には決して訊かない事。店と癒着している可能性

4日目(旅の終わり)
朝7時過ぎ、3人揃って路地裏散歩。その流れでホテル近くの老舗お粥専門店「軟粥(ヨンジュ)」に入り朝食。(メインの「牡蠣粥」、小鉢のイカキムチ、黒豆など、すべて文句なし。旅の最後に美味しいものを食べられて良かった)



9時半、ホテル前にバス到着&出発。途中、「韓国食料品店」に立ち寄り、仁川空港へ。



15時半に空港を発ち、18時少し前に成田到着……池袋まではリムジンバスを利用。21時頃、黒猫ジャックの待つ家に着いた。



2018/11/30

韓国3人旅②


2日目(11/13)
5時起床、6時半ホテルロビーに集合。すぐにバスに乗り込み、百済の都「扶余(プヨ)」へ。

途中、ドライブインで朝食。寒い朝だったが、アツアツの「スンドゥブチゲ(豆腐鍋)」を食べ、体ポカポカ。(少し残念な話だが、この「スンドゥブ」が、旅行中に食べたものの中で一番美味しいものになった)

で、扶余に着く前に、ちょっとだけ百済観光の予習……
百済は、高句麗、新羅と並ぶ古代朝鮮の国家(王国)のひとつで、紀元前18年から660年の滅亡まで約700年間31人の王が在位。建国当初は漢江(ハンガン。今のソウル)の中下流に位置する小国だったが、次第に周辺の小国を併合して成長。漢江流域に慰礼城を築いて都を置いたが、その後、国の中興のために熊津(ウンジン。現在の公州)、泗沘(シヒ。現在の扶余)へと都を遷した。(建国から、紀元後475年に高句麗に首都のソウルを奪われて熊津に遷都するまでの時代を「漢城時代」、公州に都を定めた475年からの時期を「熊津時代」、538年に聖王が泗沘に遷都してからの時期を「泗沘時代」と呼ぶ)
泗沘時代には新羅と手を組み、漢城時代の土地を奪還するが、最終的に新羅は百済を裏切り、その土地を百済から奪ってしまい、聖王は新羅との戦いで戦死。その後、武王の時代には高句麗と結託して新羅に攻め込むが、最後の王となる31代義慈王の時代、新羅は唐(中国)と同盟を結び、660年に百済、668年には高句麗を滅ぼす。そうして朝鮮半島は、統一新羅時代(668~900年)へと向かう……

というわけで、滅亡までの間、外国とも積極的に交流を図りながら、高句麗、新羅とともに韓国の古代文化の発展の中核的な役割を果たし、東アジアにおける文化交流を担った百済。その最期の都「扶余」での最初の見学地、百済後期を代表する寺院址「定林寺址」へ。

定林寺は、泗沘遷都後に建立されたとされる仏教寺院。今では、だだっ広い敷地内に五層の石塔と百済滅亡後の高麗時代に造られたという本尊像「定林寺址石仏坐像」(見ていて飽きがこないというか…実に穏やかな佇まい)が残っているだけだが、百済時代には塔、金堂、中門講堂などがあったとか。(石仏に見入っていたら、ツアーに同行している女性カメラマンの李(イ)さんに「韓国のお参りの仕方を教えるからやってみて」と促され、一人、その像の前に跪き、手を伸ばしてひれ伏す羽目に……)




「定林寺址」見学後(見学時間約50分)、次の目的地「宮南池(クンナムジ)」へ。

宮南池は、武王(第30代王)の時代の634年に、王の別邸に造られた韓国最古の人工池(蓮の花が水面を覆い、周囲には柳が植えられるなど、日本の造園技術にも影響を与えたとされる池)を復元したもの。百済末期、王たちはこの池の中央の東屋で酒宴を繰り広げていたそうだが、周りの柳も枯れ、蓮池に花も咲かないこの時期、観光客もまばらで少し寒々とした雰囲気。東屋に向かう橋を渡ってみても、その華やかな宴の面影を感じとることはできなかった。
ちなみに「武王」は、(私は観ていないが)日本でも人気を集めた韓国ドラマ「薯童謠(ソドンヨ)」の主人公・薯童のこと。「宮南池」は、「薯童(ソドン)公園」の名で市民に親しまれているそうだ。




30分ほどの散策後、私たちのバスは扶余を離れ約120キロ先、世界遺産の街「水原(スウォン)」へ。
そこでの見学はただ1ヵ所。世界文化遺産「水原華城(スウォンファソン)」のみだが、その前にまずは腹ごしらえ。昼飯時なのに私たち以外の客がいない少し寂れた店で「サムパブ定食」をいただく。

「サムパブ」は、甘味と若干の辛味のあるタレに漬けこんで焼いた牛肉をサンチュやシソの葉の上に乗せ(好みでニンニクスライス&味噌を加えて)、それを包んで食べると言う料理だが、労多くして功少なし。肉は固いし、タレで手は汚れるし、「肉と野菜が一緒に摂れてヘルシーだね」と言う以外、ほめる言葉が出てこない。(「サムパブ」という料理自体が口に合わないのではなく、この店の「サムパブ」がイマイチ)
添え物のチヂミも見るからに油っぽいし……と、やや気分がダウンしたが、改めて思えば「3泊4日29,800円」の格安ツアー。食事が合計4回付いているだけでも御の字。食材の質や味に文句を言えるような立場じゃない。(でもなあ…)

というわけで「サムパブ」の余韻を喉の辺りに残しつつの世界文化遺産見学となった。

水原の街の中心部に高く聳える水原華城は、朝鮮王朝後期の1794年、第22代王・正祖(チョンジョ)が、37万人の労力と2年9ヶ月の月日をかけて建てた歴史的建造物(1997年に世界文化遺産に登録)。広大な敷地(総面積130ha)の中には、華城行宮(ファソンヘングン)を中心に全長5.7キロにおよぶ城郭と4つの城門(東の蒼龍門、南の八達門、西の華西門、北の長安門)、砲台、兵士の休憩所、訓練所などデザインと形の異なる50の建築物があるとのこと。
故に、城郭を一周するだけで3~4時間かかるらしく、見学時間30分ほどの私たちが観たのは、ほんの一部。青色の旗がなびく城郭の斜め下方、市内を一望できる高台からの眺めは素晴らしかった。




「水原」を離れ約1時間、バスは再びソウルの街に。

夕方から夜にかけてのソウル観光&ショッピングということで、バスが最初に停まったのは、ベンツ、BMWなど高級車が駐車場に並ぶ建物(ホテル併設型カジノ店)の前。その華やかなエントランスから中に入り約40分の「カジノ体験」……のはずだったが、ゲームのやり方が分からないし、レクチャーしてくれる人もいないし(元々ヤル気もなかったが)、無料のジュースを飲み、ツレと駄弁りながら、ルーレットに興じる人たちを眺めていただけ。その「体験」の感想はただ一言、「カジノなんて、日本にはいらない」
(内外の富裕層が集まっているのかと思ったが、見た目も地味で普通の労働者っぽい人がほとんど。どのテーブルも余裕でゲームを楽しんでいるような風情はなく、どこか異様な空気が漂っていたが、それもそのはず。「バカラ」というトランプゲームでは1回に50万円以上も賭ける人がいて、1分足らずの勝負で数百万の金が動くとか??……あな恐ろしや、すぐにでも「カジノ法」を廃止すべし!)

カジノの次は、免税店でのショッピング。何も買うつもりはなかったが、試食して美味かった高級韓国のりを土産用に購入。その後、街中の大きな居酒屋風の店で「海鮮チゲ」を食べ、ホテルに着いたのは20時頃。少し部屋で休んでから、ツレとホテル近くの路地裏散歩……
ホテル前の道路を横切り、細い路地に足を踏み入れ1、2分。すると、狭い道の両側に、古い韓屋を改造したカフェやレストラン、焼肉の煙が立ち上る大衆酒場や露店居酒屋が立ち並び、閑散とした表通りからは想像もできないほどの熱い賑わい。すれ違う若者たちの楽しげで活気あふれる眼差し(特に女性たちの眼の力)、路上に響く男たちの言葉の激しさに、ようやく、ソウルに来たという実感が湧いてきた。








2018/11/27

韓国3人旅①


11月12日から15日まで、3泊4日の韓国(ソウル+百済)ツアー。(同行者はツレと義姉)


1日目
11時過ぎのジンエアーに乗り、仁川国際空港に着いたのは14時半頃。着後、ツアーバスに乗り1時間ほどでソウル市内へ。(ツアー客は総勢25名。男性は私を含めて4人、予想通り圧倒的に中高年女性が多かった)

車窓からソウルの街を眺めると、まず目に飛び込んでくるのは看板広告・案内板・店舗の窓などにデカデカと書かれたハングル文字。一瞬、不思議な記号の中にいるような気分になるが、メチャメチャ幅の広い道路を無数の車が凄い勢いで行き交う様や小さなエリアに密集して立ち並ぶ高層マンション(こちらでは「アパート」と呼ぶ)の姿など、東京とさして変わらない風景が眼前に広がり、外国に来た感じがしない。(郊外に小さな山が幾つか見えたが、街には緑も少なく、PM2.5の影響だろうか遠くの空が霞んでいた)

最初の見学場所は「北村韓屋村(プクチョンハノクマウル)」。
北村(ブクチョン)は、世界遺産になっている『昌徳宮(チャンドックン)』と『景福宮(ギョンボックン)』という王宮の間にある街並みのことで、韓屋(ハノク)と呼ばれる伝統的な作りの民家が多く残る場所。現在は一般の人が生活する住居地域だが、朝鮮王朝時代は王族や高級官僚たちの住居街だったそうだ。
近年は、「冬ソナ」をはじめドラマのロケ地としても知られ、多くの韓流ファンからも注目を集めているとのこと。見学時間は約20分と少し短め。坂道と外国人観光客の多さ、そして豪華なチマチョゴリ(を着た女性たちの姿)だけが印象に残った。




次に向かったのは、ソウルの中心部を流れる人工河川「清渓川(チョンゲチョン)」。
人工といっても、もともとは人の手で造られたものではなく、約40年前までソウル中心部の西から東に流れていた立派な川だったが(全長約8キロ)、李氏朝鮮(朝鮮王朝)時代から市民の生活排水を流す川でもあり下水の臭いや洪水などの問題が常にあり、何度も工事を繰り返したものの改善されず1978年に暗渠化。その後、ソウル市民の復元を求める声の高まりの中、2002年4月のソウル市長選で「復元」を公約に掲げた李明博〈イ・ミョンバク〉が当選したことを機に復元事業が始まり、2005年に世界的な注目を集めた大工事の末、復元したそうだ。(ここも20分ほどの見学・散策……“ソウル市民の憩いの場”らしいが、この日は私たちを除いて人影もまばらで、どこか寒々とした印象。噴水もオブジェも水の流れも“作り物っぽさ”満載で、観光スポットとしての面白味は薄く感じた)


その後、ツアーバスは“韓国のアメ横”と称される「南大門市場(ナンデムンシジャン)」へ向かい、降りるとすぐに夕食タイム。
市場に向かう人波を縫いながら、ガイドの申さん(自称、昔は「吉永小百合」、今は「岸本加代子」似の50代の元気な女性)の案内で入った所は、ちょっとノスタルジックな「大衆食堂」……韓国語(ハングル)・日本語併記のメニューを見ながら3人が頼んだのは「石焼ビビンバ」「餅いり餃子鍋」「海鮮チヂミ」&ビール。3品とも価格通りに(1品あたり7000~10000ウォン。10000ウォン=約1000円)至って普通の味で、特に“美味い!”と感嘆するものはなかったが、キムチやナムルなど小皿に盛られたおかず(パンチャン)はすべて無料で“おかわり自由”。その気前良さが実に嬉しく、十分に満たされた気分に。食後は、20分ほど市場を散策しながら時折カメラでパチリ、パチリ…。










ライトアップされた「南大門」をバックに記念撮影した後、バスに乗り込み、向かった先はソウルの夜景を一望できるという「北岳スカイウェイ」。

途中、交通渋滞に巻き込まれ、申さんから「韓国では毎日のように市民デモがあり、その影響で車が渋滞する事が多い」とのアナウンスあり(韓国の人たちにとってデモは日常的な光景であり、それによる渋滞もごく自然に受け止めている様子)。さすが、学生・市民の手で軍事政権を倒して民主化を勝ちとった国。
政権の欺瞞性に気づきながら、それを追及せず、抗うこともしない自らのだらしなさを棚に上げ、「野党がだらしないから(政権を追い込めない)」と、その責任をすべて野党に押しつけることで、政権及び与党の支持率維持(&上昇)に加担している日本の世論やマスコミとは大違い。旅の束の間、隣国の民主主義と市民のパワーがとても羨ましく思えた。

で、北岳から見たソウルの夜景だが……都会のイルミネーションに慣れきっている人間からみれば、ごく普通の街の輝き。同行者たちも「この寒さの中で夜景を見せられても、あまり嬉しくないよね~」という感じで、これまたお年寄りご一行様にとっては魅力に欠ける場所。5分かけて展望台に上り、僅か23分で観賞を終え、冷気に体を震わせながらバスの中へと急いだ。


20時過ぎ「イビスアンバサダーホテル仁寺洞(インサドン)」着。22時過ぎ就寝。