2018/08/22

8月初旬メモ②




87日(火)
午後6時から、養豚協会のMさん、広告営業のJINさんと蒲田駅近くの肉バルで会食。取材・撮影場所として考えていた店だったが、イメージ合わず再検討することに。

その店で1時間半ほど過ごした後、福島へ帰るMさんとは駅前で別れ、JINさんと二人、蒲田名物「羽根つき餃子」の人気店「你好(ニイハオ)」で、一杯。
(餃子、イカと青菜の炒め、ツブ貝の黒胡椒炒めなどをつまみに、ビール&ハイボール2、3杯)

8月8日(水)
翁長雄志・沖縄県知事死去。いまも心に残る言葉あり。
「私は、政治に関心がないと言う若者には何時もこう言っている。君たちが政治や政治家を笑い、馬鹿にして突き放したとて、政治のほうは君たちを逃がしませんよ、と」

子どもの貧困対策にも熱心な方だった。どうぞ、安らかに。


午後、婚姻届の証人欄にサインしてほしいとのことで、愚息とAYUKOさんが連れ立って来宅。
1時間ほどお茶した後、婚姻届提出のため市役所へ……別れ際二人に「おめでとう。これからも仲よく、元気で」と祝いの言葉を送った。

夜は、録画していたTVドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』(フジ、火曜夜9時)を観たのち、寝床で漫画『魔法はつづく』(オガツカズオ)を読みつつ夢の中。

『健康で文化的な…』は、区役所の生活課に配属されケースワーカーとして働くことになった主人公(吉岡里帆)が、様々に困難な事情を抱える生活保護受給者との交流を通じて、社会福祉制度の現実を知ると共に、人間としても成長していく物語――
個人的にも一押しの、今どき珍しい(フジテレビ的にも珍しい)社会派ドラマだが、「自己責任論大国」に蔓延る生活保護への誤解及び昨今の生活保護バッシングなどの影響からか、初回の視聴率7.6%、現在は5%程度と、注目度が低いのはとても残念。
新人ケースワーカーたちの青春群像劇としても楽しめるし、受給者それぞれの人生模様も興味深い。このドラマを観れば、多少なりとも生活保護に関する偏見と無知が解きほぐされていくのでは?と思うのだが……(生活課の上司に田中圭、井浦新、そして同僚に、私も注目している若手演技派女優、元AKBの川栄李奈などを配したキャスティングもなかなかイイ感じ)

短編集『魔法はつづく』(オガツカヅオ)は、読み終わった後、妙にほっこりする何とも不思議なホラー漫画。夢に出てきそうな残虐なシーンもグロテスクな描写もないので、夏の寝苦しい夜などは、特にオススメかも。
(最近読んだものでは、場末スナックのおもてなしギャグ漫画『スナック バス江』も、けっこうシュールで面白かった)

8月10日(金)
広島、長崎、終戦(敗戦)記念日……と続く8月は、どうしても戦争関連の本を読むことや、テレビのドキュメンタリー番組を観たりすることが多くなる。

というわけで、『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』(吉田裕/中央公論社)を読み終え、『餓死(うえじに)した英霊たち』(藤原彰/ちくま学芸文庫)に手をつけたところ。

ドキュメンタリーもNHK「祖父が見た戦場~ルソン島の戦い 20万人の最期~」(11日)から始まり、「“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~」(12日)、「船乗りたちの戦争」(13日)、「ノモンハン 責任なき戦い」(15日)、ETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」(18日)と、目白押し。

22日現在、録画も含めてそのすべてを観終えたわけだが……中でも衝撃的だったのは(というか、呆れ果てたのは)「ノモンハン 責任なき戦い」。
当時の参謀本部をはじめ最高幹部は責任を部下に押しつけて自害させ、自らは何ら責任をとらないまま戦後も生き延び、自決させられた事情を問う遺族の手紙に対しても「記憶にない」「知らない」「わからない」と返答、ひたすら無関係を装い続けた。(その卑劣さ、あさましさ、許し難さ)
また、番組の中で元・最高幹部のインタビュー・テープの声が流れるのだが、ノモンハン事件自体がまるで他人事のように語る、その声のあまりの軽さに、「何なの、コイツら!」と思わず怒りの声が洩れてしまった。

2018/08/18

8月初旬メモ①(本、映画、TVなど)




82日(木)
『どんなことが起こっても これだけは本当だ、ということ。』(加藤典洋/岩波ブックレット)読了。(本書は、第19回信州岩波講座2017「変わる世界 私たちはどう生きるか」での講演に大幅に加筆修正したもの)

わずか70頁ほどの薄い本だが、いま考えたいこと・考えなければならないことに確かな視座を示してくれる“目からウロコ”級の一冊。(「千と千尋」から始まって、「吉本隆明さんとのやりとり」「シン・ゴジラ」「連合赤軍」「攘夷思想の変態力」を経て「憲法九条」へ……という話の流れの中から見えてくるのは、「開かれたかたちで、考える」という指標)

例えば……
加藤さんは「どんなことが起こっても『これだけは本当だ』と言い切れる」腹の底にしっかりすわっている身体実感(地べたの普遍性)と、「こういうふうに考えるのが正しい」という知的確信(イデオロギーとしてより純化された思想領域)の間には必ず不整合が生じるとして、攘夷運動における薩長と水戸藩の違いを語りながら、それを二階建ての建物に例えるのだが(「身体実感」が一階で、「知的確信」が二階という風に)、そこから「護憲論の二階建て構造」という本論の核心に迫っていくあたりはゾクゾクするほど刺激的。表紙の言葉通り《紋切り型の「正しさ」を内側から覆す、新しい思考の流儀》を、たっぷり味あわせてもらった。

夜は、NHKの生中継「長岡の大花火」。まさに壮観、「すごい!」の一言。もう何十年も間近で花火を観たことも、観たいと思ったこともないが、この花火は、いつか生で観たいなあ……と心から思った。ちなみに「長岡花火」は長岡空襲の犠牲者への鎮魂と平和を祈念する目的で始まったとのこと。

83日(金)
以前から楽しみにしていた『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の劇場公開初日ということで、ツレと一緒に隣駅のTジョイへ。

正直、『ミッション:インポッシブル』を除けば、『レインマン』が記憶に残っているくらいで、トム・クルーズの出演作はほとんど観ていないし、彼のファンでもなんでもないが、このシリーズのトムだけは別物&別格。
今回も期待通り、お馴染みの相棒たちを引き連れ、56歳という年齢を感じさせない凄まじいアクションを見せてくれた。(そのアクションシーンたるや“驚愕”を通り越して、もはや“異常”レベル。これがCGなしとは、とても信じられない!)

というわけで、ストーリーの多少の粗さも関係なし。
ハラハラドキドキの連続に、これぞイーサン!これぞミッション:インポッシブル!と、テンション上がりまくりの2時間半。久々に興奮絶頂、気分上々、頭を空っぽにして楽しんだ。
(途中、隣席のツレは、いつも通りに“すやすやタイム”。どんな映画でも寝ちゃえるというのは、習性というより特技と言ってもいいほどだが、後日、本人が言うには「93%は観ていた」とのこと…
なに、その半端な数字?)

85日(日)
新宿武蔵野館で『スターリンの葬送狂騒曲』(監督:アーマンド・イワヌッチ/2017年、イギリス、107分)を鑑賞。

原題は「The Death of Stalin」……1953年の旧ソ連を舞台に、独裁者スターリンの死によって巻き起こった政権内部の争いを辛辣かつコミカルに描き、ロシアで上映禁止となって話題を集めたブラックコメディ。

上映開始から15分ほど。スターリンが虫の息で床に倒れている状況下……「医者を呼ぶには委員会を開いて全会一致が必要」「腕の良い医者はみんな投獄されています」というスターリン政権下の恐怖政治を痛烈に皮肉ったセリフが飛び出し、館内はクスクス笑いに包まれるのだが、そんな“ブラックジョーク”がエンドロールまで続く。

で、エンドロールが流れた後、シニカルな笑いと共に心に残るのは何とも言えぬ薄気味悪さ……映画を通じて、付和雷同と寝返りを繰り返しながら展開される狂った椅子取りゲーム(権力闘争)のあさましさ、おぞましさを存分に見せつけられたせいだろうが、それ以上に、いま世界で起きている現実の政治(ショー)が、本作の呆れるほどのナンセンスぶりを凌駕しつつあるように思えたからかもしれない。









2018/08/09

そうか、自分も「バカ」なんだ。




一昨日(7日)の午後3時頃。西武の三省堂で仕入れた本3冊を手に、1~2時間の読書タイムを過ごそうと、少しウキウキしながら池袋・丸善1Fのカフェ「ほんのひととき」に向かった。(6時から、蒲田駅近くの肉バルでポスター制作の打合せ&福島の豚肉を使った料理を味わう会があり、その前の“本とのひととき”)

で、コーヒーを飲みながら、その中の一冊をチョイスし、開いた。

タイトルは『お釈迦さま以外はみんなバカ』(集英社インターナショナル新書)。
カバーには《稀代の読書家である作家だからこそ見つけられた、思わず唸る表現や、クスッと笑えることばの数々。書いた本人さえも気付いていない、秘められた意味を深堀りしていく。本書を開けば、新しい発見があること間違いなし!》と書いてある。
著者は敬愛する作家・高橋源一郎。(「まえがき」によると、本書はNHKラジオ『すっぴん!』金曜日の人気コーナー「源ちゃんのゲンダイ国語」の活字版とのこと)

その第一章《文章自体が「踊り念仏」》(はてさて何のことやら…と思うが、そこは深く考えずにスルー)の初っ端は「31文字のラブレター」。
大学時代の出会いから40年にもわたり、恋文のように愛の歌を交換してきた著名な歌人夫妻「河野裕子・永田和弘」が綴った“空前絶後の本”『たとへば君 四十年の恋歌』に収められた素晴らしい歌の数々に、心を震わされる一節。
2010年、乳癌で逝った妻・河野裕子が闘病生活の最終局面で詠んだ「一日に何度も笑ふ笑ひ声と 笑ひ顏を君に残すために」(夫・永田和弘の返歌は「一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ」)、そして彼女の絶筆となった歌「手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息がたりないこの世の息が」に、胸がジーンとなってしまった。

しかし、“泣ける!”のはその「31文字のラブレター」だけ。あとは5分おきぐらいに笑いの波が押し寄せ、吹き出す“ぷぷぷっ”を止められない。

例えば「キラキラネーム(もしくはDQNネーム)についての考察」……今も大学で教鞭をとっている源一郎さんだが、一年生の授業に出て困るのは「名簿で名前を呼ぶとすると、半分以上の学生の名前が読めないこと」らしい。そこで彼は「2013年度ベスト・オブ・キラキラネーム」(リクルーティングスタジオ提供)のリストを見ながら、「なぜ、この国で、異様なほどそのような名前が流行るのかを考えてみよう」と思ったわけだが……

その8「今鹿」

一体全体どれだけの人がこの名前を読めるのだろう。イヤ、読める人などいるのだろうか?
「なうしか」なんて!!

その他、12位「本気」(まじ。コレはピンときた)、3位「姫星」(きてぃ。はぁ~?)、2位「黄熊」(ぷう。イメージで分かるけど…)など。
最も難解だった「姫星」だが、「き」はイイとして、なんで「星」が「てぃ」なんだ!!と、一徹さんなら卓袱台を返すところ。自由すぎるのも程がある。

ちなみに「キラキラネーム」栄えある1位に輝いたのは、「泡姫」

本気(まじ)?!さすがにそれはイカンでしょ!……と、一瞬ギョッとしたが、心配無用。「泡姫」は「ありえる」と読むらしく、「人魚姫」を原作にしたディズニーの「リトル・マーメイド」のヒロイン(の人魚)の名前。特殊な風俗嬢の別名ではありません。

というわけで、この「キラキラネーム(もしくはDQNネーム)についての考察」以外にも、アラサ―「ゾンビアイドル」小明(あかり)さんの自虐エッセイに身体を折り曲げて笑った「なんてったってアイドル……アイドル?」。
《夢をつかみたいなら、今日から君はタートルだ!》他、熱血・松岡修造の笑撃的な名言に唸らされる「実篤さん、みつをさん、そして、いまは修造さん!」など、読んで笑えてタメになる面白文のオンパレード。

基本的には多様なジャンルの本を紹介したエッセイ集という色合いだが、「へえー」と唸らされるトリビア的ネタも豊富。また、村上春樹の比喩表現など日本語の美しさと奥深さを再確認できる一文もあり、心の浅い部分でも深い部分でも楽しめる稀有な一冊。そんな本を出してしまう源一郎さんも、やはり、とても面白い人だと思う。

さて、最後に。「お釈迦さま以外はみんなバカ」……といっているのは、著者・源一郎さんではなく、臨済宗のお坊さんで芥川賞作家の玄侑宗久さん。
玄侑さんの著作『さすらいの仏教語』によると、「バカ」という言葉は、もともと僧侶の隠語で、サンスクリットの『モハー』(moha)に漢字『莫迦』を当てたもので、『モハー』とは『痴』の意味(だそうだ)。「莫」は否定の意味であり、「迦」はもちろん「お釈迦さま」の「迦」……つまり、「バカ」=「お釈迦さまではない」となり、人類はみんな「バカ」ということになる(んだってさ)。

では、私同様「悟り」などという境地から遥か遠いところで生きている「バカ」の皆さまへ一言。

残暑お見舞い申し上げます。


2018/08/03

気持ち悪いCM&映画『国家主義の誘惑』




8月初日の話。朝からイヤなものを見てしまった。


空っぽの教室。薄暗い体育館の中を、ほとんど無表情で同じ方向へ走り出す全員制服姿の生徒たち。(BGMは何故かムソルグスキーの「展覧会の絵」)……なに、このセンス!?イメージは正に「学徒動員」。

“灼熱オリンピック(の危険性)”が叫ばれる中、雇用責任を問われないが故に「ボランティア(という名の労働搾取)」に固執する、そのあざとさ・無責任さもさることながら、このCMを見て気持ち悪いと思わないセンスの人たちが“純粋な善意の行為”を募っているという薄気味悪さ。
しかもボランティア募集や研修を担うのは政権の提灯持ちで非正規激増の“立役者”竹中平蔵率いる人材派遣会社「パソナ」とは!?……最早「復興(五輪)」の大義名分などどこ吹く風、見えてくるのはオリンピック憲章と真逆の「国威発揚」と「利益誘導」の思惑だけ。

で、もっと気持ち悪くなりそうなのが、オリンピックに向かうこれからの2年間……
物流と人の移動の統制、学徒動員(大学、専門学校等への休講・授業スケジュール変更等の要請)、国家総動員(無償労働力の提供、木材の無償提供、五輪メダル用金属回収、個人資産の提供など)、メディアの翼賛体制(多額の税金が投入される以上、メディアによる監視と批判は不可欠。なのに、全国紙大手4社が揃ってオフィシャルパートナーでは…)、予算節約を大義名分にした精神論の復活(森喜朗曰く「暑さはチャンス」、小池百合子曰く「打ち水」&「総力戦」)などなど。身を以て1940年代前半の不穏な空気を味わうことになるのかもしれない。

さて話は変わって、先日(730日)ポレポレ東中野で観たドキュメンタリー『国家主義の誘惑』(監督:渡辺謙一/製作国:フランス、2017年、54分)。

《国益・国家の名の下に秘密裏に決裁、反対意見には耳を貸さず、新造語を連発し、嘘を通す――日本社会のいまを浮き彫りにした フランス発ドキュメンタリー。
世界にナショナリズムの風が吹き荒れる中、2015年の公開作『天皇と軍隊』(2009年)で話題を呼んだフランス在住の渡辺謙一が、 国際関係史・地政学の観点から国内外の論客によるインタビューも交え、日本社会を誘う政治の正体、日本人にとってのナショナリズムを問いかける。 果たして、取り戻さなければならないものは何なのか。本当に知らなければいけないことは何か。日本社会を俯瞰することで見えてくるものとは――

と、公式ホームページに作品のあらましが紹介されているが、「取り戻さなければならないもの」も「本当に知らなければいけないこと」も、すべては観た人の胸の中。
映画は、日本の近現代史を改めて紐解くことによって、「何故これほどまでに日本の政治は地に落ちてしまったのか」という問題にコミットする上でのヒントを与えてくれるだけ。
映像を通して見えてくる“人々の政治に対する意識が醸し出す空気”(それを渡辺監督は「国家主義の誘惑」と呼ぶのだが)を、自ら察知できる感性・知性を研ぎ澄ませ、その空気に対抗しうる(あるいはその流れを変え得る)しなやかな論理の力を蓄えよ。という無言のメッセージを添えながら……。
(映画の中で最も印象的だったのは、「生前譲位(生前退位)」を望む今上天皇のメッセージビデオが流れる場面。それに対してフランスの歴史学者ピエール・フランソワ・スイリは、こうコメント。「驚きの状況を前にしています。民主的な自由と平和憲法を、天皇が擁護しようとしているのです。政治による改憲に対抗しています。これは政治的に非常に奇妙な状況ですね。現政権に対して、天皇が唯一の反旗を立てています。日本では他に組織的な対抗勢力がないためです」)

映画終了後、渡辺謙一監督と鈴木邦男氏(元・一水会顧問)のトークライブあり。

「左翼」「右翼」という言葉の由来とその違い(「心の中に天皇があるか無いかだけで、もともと大差ない」とは鈴木氏の言葉)、日本会議の歩みと現政権への影響など。1時間ほどの語らい。

その際、鈴木氏からも映画の中の論客たち同様「天皇陛下は憲法を守ろうとしている。生前譲位は、そのためのものではないか」との発言あり。それに関連して渡辺監督も「(生前譲位を求める)天皇はちょっとおかしい」「天皇は祈っているだけでいい」という日本会議系の学者・平川祐弘氏の発言を取り上げ、それを耳にした天皇が「ショックだった」と、強い不満を漏らしたという話(新聞記事)を紹介。その天皇の“憤り”に「へえー、そうだったんですか」と鈴木氏も驚いた様子。
(要するに、「日本会議」が崇め、必要としているのは憲法を守る「人間・天皇」ではなく、観念的存在としての「天皇」及び「天皇制」ということ。言わば国体護持のための“操り人形”が欲しいだけ。本音は「操り人形が勝手にしゃべるな。我々の憲法改正を邪魔するな」だろう)

以上、いま観るべき、タイムリーなドキュメンタリー映画。ぜひ、ポレポレで。


2018/07/23

話題のポスター&映画短評③




先週(13日)、東京メトロ丸の内線の霞ヶ関駅と国会議事堂前駅に掲載された「ケンドリック・ラマー来日決定」の告知ポスター「DAMN.(クソがっ!)」が、WEBメディアやSNS上で大きな話題になっているようだ。
※「ケンドリック・ラマー」はアメリカの人気ラッパー。「DAMN.」は、ラマーのアルバム・タイトルで「クソがっ!」という意味のスラングとのこと。


もともと保守的で過度な忖度体質。時の政治権力を批判することなどご法度中のご法度の広告業界で、政治的なメッセージ性の強い広告を仕掛けること自体が大きなリスクを伴う“冒険”であり、世間の反応を含めてとても勇気のいること。
その一点だけでも十分、尊敬に値するが、現在の日本の“クソさ加減”の象徴とも言える政治問題に、これほど堂々と素晴らしいアイデアでアプローチしながら、広告主体である「ケンドリック・ラマー」の存在感を高めそのパーソナリティを明確に伝えきったクリエイティブの力に、業界の隅っこで広告制作に携わる一人として「お見事!超クールじゃん!」と、只々感服するのみ。

本来のジャーナリズムがその役割を果たしていない今、このポスターが日本における「ブランド・ジャーナリズム」の進化のエポックとなることを期待するとともに、「DAMN.」を手掛けた若い力、自身もラッパーだという24歳の広告プランナーに心から敬意を表したい。


さて、前回から引き続いて「映画短評」……

●『女と男の観覧車』(監督:ウディ・アレン/2017年、アメリカ、101分)
1本のアレン映画、今回も冒頭から舞台劇のように“よくしゃべる!”。しかも心にグサッとくるような言葉の応酬。
舞台は1950年代、ニューヨークにある遊園地「コニーアイランド」。ひと夏の恋に溺れていく中年女性の姿を描いた作品(一言で言えば、苦味たっぷりのドタバタ恋愛劇)……劇作家に憧れる若い男に入れあげ、見果てぬ夢と狂おしい嫉妬の狭間でもがく“頭痛持ち”の主人公ジニーをケイト・ウィンスレットが見事に演じている。

というわけで、コニーアイランドの夕日の静かな輝きにそこはかとない黄昏感が漂う、ちょっと悲しく、そこそこ痛い大人の物語。相変わらずアイロニカルで幸薄い展開の“アレン作品”だが、私的には音楽と美術の良さを加えて“星4つ”といったところ。努々ぬるいハッピーエンドなど期待するべからず。(712日、「としまえんユナイテッドシネマ」にて鑑賞)

●『選挙』(監督:想田和宏/2006年、日本・アメリカ、120)
「東大卒」という肩書だけで、明確な政策もなければ、その土地に思い入れも何もない政治の素人が、いわゆる落下傘候補として自民党の推薦を受け、川崎市宮前区の市議会議員補欠選挙で当選を果たすまでの様を追った「観察映画」。

その観察カメラが徐々に浮き彫りにしていくのは、何と戦っているのか、誰に向かって叫んでいるのかも分からないまま“地盤・看板”という根深い政治システムに操られ、地元権力者・有力支援者の子飼いのように政党の思惑の中に飲みこまれていく立候補者・山ちゃん(山内和彦氏)の姿……もう可哀想やら、バカらしいやら、アホらしいやら(もちろん、“バカらしい、アホらしい”のは、日本のというか、自民党の選挙運動の実態!)なのだが、その展開が思いのほかスリリングかつ滑稽で、実に面白かった。

以上。暑い日は家で映画が一番!(しかも、ずっと観たかった映画がテレビで見られる!)。ドキュメンタリーでありながら、極上の「ブラックコメディ」を味あわせてくれた想田監督と、この酷暑の時期に特集を組んでくれた日本映画チャンネルに感謝。(7月某日、録画鑑賞)

※熱風で顔が歪むほどの暑さ! 今日、東京・青梅では40.8度を記録したとか……
  皆さん!「熱中症」には、くれぐれもご用心の程。

 

2018/07/18

吉祥寺で『港町』&映画短評②




この暑さの中、ほぼ3年ぶりに吉祥寺まで出かけたが、その甲斐あり! 

ココマルシアターで上映中のドキュメンタリー映画『港町』(監督の想田和宏氏は「観察映画」と呼んでいますが)、本当に素晴らしかった。島も、海も、猫も、そしてそこで暮らす人々の姿も、その単純な営みも。愛おしくなるほどに素晴らしかった。

生きて、死ぬ。死んで、生きる。……フライヤーに記されたコピーが、ゆっくりと静かに胸に刻まれる珠玉の一本。ぜひ、どこかのシアターで!

というわけで、引き続いて映画の話……

『留学生チュア・スイ・リン』(監督:土本典昭/1965年、51分/16mm
母国・英領マラヤ(現マレーシア連邦)の未来を憂い、日本で暮らすアジアの仲間と共に「イギリスの特殊権益が続く限り本当の独立はない」として抗議の声をあげたことで、文部省から国費留学生としての身分を剥奪され、大学(千葉大)からも除籍処分を受けた留学生チュア・スイ・リン君と、復学を求める彼の闘いを支援する学生たちの姿を追ったドキュメンタリー。(620日、ポレポレ東中野にて鑑賞)

一言で言えば、「日本」という国の冷たさ(&情けなさ)がよく分かる映画ということ。(現在的に問題となっている、東京入管での難民虐待に通じる冷酷さ)
とりわけ当時の千葉大の学長をはじめとする大学上層部の人間たちの陰湿で人を見下した態度は、いまの政権中枢にいる政治家たちと同質のもので、観ているコチラも“怒り心頭”支援する学生たちと一緒に闘っている気分に……
しかし最後は、多くの学生たちの支援を受けた彼の闘いが“半分、勝利”。国費ではなく自費による復学が認められて仲間たちと喜びを分かち合うチュア・スイ・リン君の笑顔にホッと一息。多少“怒り”は残りつつも、悪くない気分でポレポレを後にした。(途中、中国人留学生の音頭により大合唱となるインターナショナルが、何故かとても気持ち良く、新鮮に感じられた)

で、映画の後の帰り道。改めて疑問に思ったのは「(今なお外国人に対して非情な)こんな国で、オリンピックなど開催していいものだろうか?」ということ。しかも酷暑の最中の東京で!?……ボランティアもアスリートも熱中症で倒れる危険性が高いのに、一体どんな「おもてなし」だよ!と、またもや怒りが再燃。

『パンク侍、斬られて候』(監督:石井岳龍/2018年・東映、131分)
原作は町田康(の異色時代小説)、脚本は宮藤官九郎、そして監督が「狂い咲きサンダーロード」の石井岳龍(「聰亙」から「岳龍」に改名したようだ)……当然、凡庸な映画になるはずがない。
で、開始1分、いきなり原作者・町田康が主演の綾野剛にほとんど意味なく斬られる。これはなんの予兆か?と、のっけから“物語崩壊”の不穏な雰囲気が漂うが、そもそも宣伝ポスターのキャッチコピーが「宇宙が砕けますよ」だったではないか。ならば、この程度の不可解さにビビらず、変に構えず、その砕け方を見せてもらおう。存分に楽しませてもらおう。という“謙虚”かつ前向きな姿勢が功を奏し、(多少の中弛みはあったものの)観終った後は気分爽快。この理不尽な世界を覆うすべての既成概念を個人の意思で破壊しようという“パンク”かつアナーキーな思いも、多少は感受しえた気がする。(73日、Tジョイ大泉にて鑑賞)