2018/07/23

話題のポスター&映画短評③




先週(13日)、東京メトロ丸の内線の霞ヶ関駅と国会議事堂前駅に掲載された「ケンドリック・ラマー来日決定」の告知ポスター「DAMN.(クソがっ!)」が、WEBメディアやSNS上で大きな話題になっているようだ。
※「ケンドリック・ラマー」はアメリカの人気ラッパー。「DAMN.」は、ラマーのアルバム・タイトルで「クソがっ!」という意味のスラングとのこと。


もともと保守的で過度な忖度体質。時の政治権力を批判することなどご法度中のご法度の広告業界で、政治的なメッセージ性の強い広告を仕掛けること自体が大きなリスクを伴う“冒険”であり、世間の反応を含めてとても勇気のいること。
その一点だけでも十分、尊敬に値するが、現在の日本の“クソさ加減”の象徴とも言える政治問題に、これほど堂々と素晴らしいアイデアでアプローチしながら、広告主体である「ケンドリック・ラマー」の存在感を高めそのパーソナリティを明確に伝えきったクリエイティブの力に、業界の隅っこで広告制作に携わる一人として「お見事!超クールじゃん!」と、只々感服するのみ。

本来のジャーナリズムがその役割を果たしていない今、このポスターが日本における「ブランド・ジャーナリズム」の進化のエポックとなることを期待するとともに、「DAMN.」を手掛けた若い力、自身もラッパーだという24歳の広告プランナーに心から敬意を表したい。


さて、前回から引き続いて「映画短評」……

●『女と男の観覧車』(監督:ウディ・アレン/2017年、アメリカ、101分)
1本のアレン映画、今回も冒頭から舞台劇のように“よくしゃべる!”。しかも心にグサッとくるような言葉の応酬。
舞台は1950年代、ニューヨークにある遊園地「コニーアイランド」。ひと夏の恋に溺れていく中年女性の姿を描いた作品(一言で言えば、苦味たっぷりのドタバタ恋愛劇)……劇作家に憧れる若い男に入れあげ、見果てぬ夢と狂おしい嫉妬の狭間でもがく“頭痛持ち”の主人公ジニーをケイト・ウィンスレットが見事に演じている。

というわけで、コニーアイランドの夕日の静かな輝きにそこはかとない黄昏感が漂う、ちょっと悲しく、そこそこ痛い大人の物語。相変わらずアイロニカルで幸薄い展開の“アレン作品”だが、私的には音楽と美術の良さを加えて“星4つ”といったところ。努々ぬるいハッピーエンドなど期待するべからず。(712日、「としまえんユナイテッドシネマ」にて鑑賞)

●『選挙』(監督:想田和宏/2006年、日本・アメリカ、120)
「東大卒」という肩書だけで、明確な政策もなければ、その土地に思い入れも何もない政治の素人が、いわゆる落下傘候補として自民党の推薦を受け、川崎市宮前区の市議会議員補欠選挙で当選を果たすまでの様を追った「観察映画」。

その観察カメラが徐々に浮き彫りにしていくのは、何と戦っているのか、誰に向かって叫んでいるのかも分からないまま“地盤・看板”という根深い政治システムに操られ、地元権力者・有力支援者の子飼いのように政党の思惑の中に飲みこまれていく立候補者・山ちゃん(山内和彦氏)の姿……もう可哀想やら、バカらしいやら、アホらしいやら(もちろん、“バカらしい、アホらしい”のは、日本のというか、自民党の選挙運動の実態!)なのだが、その展開が思いのほかスリリングかつ滑稽で、実に面白かった。

以上。暑い日は家で映画が一番!(しかも、ずっと観たかった映画がテレビで見られる!)。ドキュメンタリーでありながら、極上の「ブラックコメディ」を味あわせてくれた想田監督と、この酷暑の時期に特集を組んでくれた日本映画チャンネルに感謝。(7月某日、録画鑑賞)

※熱風で顔が歪むほどの暑さ! 今日、東京・青梅では40.8度を記録したとか……
  皆さん!「熱中症」には、くれぐれもご用心の程。

 

2018/07/18

吉祥寺で『港町』&映画短評②




この暑さの中、ほぼ3年ぶりに吉祥寺まで出かけたが、その甲斐あり! 

ココマルシアターで上映中のドキュメンタリー映画『港町』(監督の想田和宏氏は「観察映画」と呼んでいますが)、本当に素晴らしかった。島も、海も、猫も、そしてそこで暮らす人々の姿も、その単純な営みも。愛おしくなるほどに素晴らしかった。

生きて、死ぬ。死んで、生きる。……フライヤーに記されたコピーが、ゆっくりと静かに胸に刻まれる珠玉の一本。ぜひ、どこかのシアターで!

というわけで、引き続いて映画の話……

『留学生チュア・スイ・リン』(監督:土本典昭/1965年、51分/16mm
母国・英領マラヤ(現マレーシア連邦)の未来を憂い、日本で暮らすアジアの仲間と共に「イギリスの特殊権益が続く限り本当の独立はない」として抗議の声をあげたことで、文部省から国費留学生としての身分を剥奪され、大学(千葉大)からも除籍処分を受けた留学生チュア・スイ・リン君と、復学を求める彼の闘いを支援する学生たちの姿を追ったドキュメンタリー。(620日、ポレポレ東中野にて鑑賞)

一言で言えば、「日本」という国の冷たさ(&情けなさ)がよく分かる映画ということ。(現在的に問題となっている、東京入管での難民虐待に通じる冷酷さ)
とりわけ当時の千葉大の学長をはじめとする大学上層部の人間たちの陰湿で人を見下した態度は、いまの政権中枢にいる政治家たちと同質のもので、観ているコチラも“怒り心頭”支援する学生たちと一緒に闘っている気分に……
しかし最後は、多くの学生たちの支援を受けた彼の闘いが“半分、勝利”。国費ではなく自費による復学が認められて仲間たちと喜びを分かち合うチュア・スイ・リン君の笑顔にホッと一息。多少“怒り”は残りつつも、悪くない気分でポレポレを後にした。(途中、中国人留学生の音頭により大合唱となるインターナショナルが、何故かとても気持ち良く、新鮮に感じられた)

で、映画の後の帰り道。改めて疑問に思ったのは「(今なお外国人に対して非情な)こんな国で、オリンピックなど開催していいものだろうか?」ということ。しかも酷暑の最中の東京で!?……ボランティアもアスリートも熱中症で倒れる危険性が高いのに、一体どんな「おもてなし」だよ!と、またもや怒りが再燃。

『パンク侍、斬られて候』(監督:石井岳龍/2018年・東映、131分)
原作は町田康(の異色時代小説)、脚本は宮藤官九郎、そして監督が「狂い咲きサンダーロード」の石井岳龍(「聰亙」から「岳龍」に改名したようだ)……当然、凡庸な映画になるはずがない。
で、開始1分、いきなり原作者・町田康が主演の綾野剛にほとんど意味なく斬られる。これはなんの予兆か?と、のっけから“物語崩壊”の不穏な雰囲気が漂うが、そもそも宣伝ポスターのキャッチコピーが「宇宙が砕けますよ」だったではないか。ならば、この程度の不可解さにビビらず、変に構えず、その砕け方を見せてもらおう。存分に楽しませてもらおう。という“謙虚”かつ前向きな姿勢が功を奏し、(多少の中弛みはあったものの)観終った後は気分爽快。この理不尽な世界を覆うすべての既成概念を個人の意思で破壊しようという“パンク”かつアナーキーな思いも、多少は感受しえた気がする。(73日、Tジョイ大泉にて鑑賞)

 

2018/07/16

日々雑感&映画短評①




《今回の災害報道で気がついたが、この政権がやろうとしているのは「命の選別」だと思う。選ばれた一部のエリート以外の庶民の命には価値がないことを繰り返しメッセージとして出してくる。死んでもいいと思っているから、原発事故にも災害被害にも興味がないんだと思う》

というツイートに出会い「確かに…」と、深い憤りとともにその“碧眼”に頷かされた先週。(「赤坂自民亭」は言わずもがな。高プロ制度(過労死法)、種子法廃止、水道民営化、生活保護切り捨て等々。すべて「一部のエリート以外の庶民の命には価値がない」というメッセージに等しいもの)

思えば『基本的人権、国民主権、平和主義を無くしてこそ自主憲法なんです』と息巻いている連中(自民党と日本会議&神道議連)の言葉から窺えるのも、民族主義と選民思想をベースにした“とんでもエリート主義”。各界エリート(気取りorもどき)によって主導される専制的な国家体制の構築こそ、彼らの真意ではないか?と思う。
(動画を見ては、虫唾が走りまくりの安倍政権。ホント、早く終わりにさせないと!)


で、今日は朝から、朝日の世論調査に溜息。「安倍政権が5年半続いている理由は何だと思いますか」と一択で尋ねたところ、「政治姿勢や政策がよいから」「政治に変化を求めていないから」「景気がよいから」はいずれも10%以下で、圧倒的に多かったのは「他に期待できる人や政党がないから(69%)」という理由……猛暑が日本列島を襲う中、お寒い政治状況は相変わらず。(安倍内閣を支持する理由のトップも「他よりよさそう(53%)」)

要するに政治の事は「他人任せ」。自分であれこれ考えるのが面倒だから「現状を容認する」と言っているだけ(それこそ正に「主権の放棄」なのだが)。誰かも言っていたが、ナチス政権下のドイツ国民のように、権威に従属・依存することで安心を得る『自由からの逃走』(エーリッヒ・フロム、懐かしい!)状態に多くの人が陥っているということなのだろうか。
(メディアも酷いが、国民も……ったく、どうすりゃいいのさ、思案橋)

さて、日頃の「愚痴」はこのくらいにして、この間(6月~7月中旬)に観た映画の感想をサクッと。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』(監督:チャン・フン/2017年製作)
19805月に起こった光州事件を題材にした韓国映画(6月某日、新宿シネマートにて鑑賞)。故に、全編を通して緊迫感の漂うシリアスな展開になるのでは……と思ったが、意外にも前半はかなりコミカルな雰囲気。そこから徐々にシリアスというかメロドラマチックな流れになっていくのだが、そのエンタメ的な転調が微妙に感情移入を妨げる感じで映画としての満足度はイマイチ。
まあ、それでもまんまと泣かされてしまうのがコリアン・ムービーなわけで……名優ソン・ガンホの表情を追っているだけで、涙がポロリ。名脇役ユ・ヘジンの人情味あふれる熱い演技で、またポロリ。(韓国内ではその転調による《ユーモアと感動の“糖衣”が奏功》したことで1200万人超を動員する2017年最大のヒット作となったようだ)

ところで《当時はまだ、独裁政権は「事実が広く伝わるとヤバイ」との前提に立って厳しく情報統制や検閲をしたわけだが、現代の問題は「事実が広く伝わってもみんな騒がないので案外ヤバくない」ことにあるように感じる。深刻さが一段階上である》とは、最近この映画を観たらしい映像作家・想田和宏氏の言葉。けだし同感。

●『偲ぶ、中野重治』(監督:土本典昭/1980年製作)
昭和に生きたプロレタリア文学作家、中野重治(19021979)の葬儀・告別式を記録したノンフィクション映像(620日、ポレポレ東中野にて鑑賞)。
葬儀の司会は文芸評論家・小田切秀雄。故人の思い出を語る「知人・友人」は、桑原武夫、臼井吉見、本多秋吾、宇野重吉、尾崎一雄、山本健吉、石堂清倫など、錚々たる顔ぶれ(どの方も故人ですが)……式の終り近く友人代表として挨拶に立った小説家・佐多稲子さん(故人)の凛とした姿と、その言葉の美しさがとても印象的。会葬者の流れに重ねられる「雨の降る品川駅」「わたしは嘆かずにはいられない」の朗読も心に沁みた。

というわけで、青春期に幾度か口ずさんだこともある詩「雨の降る品川駅」……

辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李よ さようなら
も一人の李よ さようなら

君らは君らの父母の国にかえる
君らの国の川はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る
海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる

雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる
君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる
シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ
君らは出発する
君らは去る

さようなら 辛
さようなら 金

さようなら 李
さようなら 女の李


行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰かれていた水をしてほとばらしめよ

日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
さようなら

報復の歓喜に泣きわらう日まで


2018/07/05

祭りのあと。(ベルギー戦から二夜明け)




3日の朝(ベルギー戦終了から3時間後)、仕事仲間のJINさんからスマホにメールあり。

「いや~、素晴らしい闘いを観させてもらいました。ただ、CKからのカウンターはやられやすいので警戒してほしかったです。タイムアップ寸前だったので勝負をかけたんだと思いますが……ルカクにスルーされたら万事休すですね」

(確かに、あそこは香川もボールを貰いに行っていたし、ショートコーナーで時間を稼いで、日本のシュートで終わってほしかったなあ……。でも、延長戦になったら体力的に不利と判断したのかもしれないし、本田の頭の中には大迫がヘッドで決めたコロンビア戦のイメージが強く残っていたのかもしれない。そう考えると「勝負をかけた」くなる気持ちも分かるし、それが裏目に出たからといって彼を責める気にはなれないよね、お互いに。特にあんな凄い試合を見せられた後では尚更ね)

というメール的に長い感想は胸に納めて、
「ホント、新しい歴史は刻めなかったけど、歴史(と記憶)に残る素晴らしいゲームだったね。(結果は残念だけど)夢を見させてもらったので大満足です。(それにしても、最初の失点がもったいなかったなあ…)」と返信。サッカーファン同士の悔しさと嬉しさと誇らしさの入り混じった短い“反省会”を終えた。

それにしても、私たちの日本代表は何と素晴らしい戦いを見せてくれたのだろう。

ベルギー戦の前に、「魂のこもったスペクタクルでドラマチックなサッカーを見せてほしい」とブログに書いたが、その願い通りのスペクタクルな試合。結末も(残念ではあったが)、一瞬、息をするのも忘れるほどドラマチックだった。
(ほんの数分だろうが、全ての思考が止まったように「空(くう)」。長い人生の中で、これほど呆然と時を過ごしたことはないように思う)

その試合の熱気と興奮冷めやらぬ中、テレビに「悔いはない。胸を張って帰ります」と語る長友の顔が映った……4年前、ブラジルで涙に暮れていた男の晴れやかな姿に、「本当によく戦った!まさに努力の賜物だね」と心の中で拍手を送りながら、頭の中で日本代表の戦いを振り返り、また少し胸が熱くなる気がした。(そういえば、長友とユニフォームを交換したベルギー代表のFWメルテンスが自身のインスタグラムにその画像を投稿し、「このユニフォームは特別な場所に飾るよ!そして、ピッチの中でも外でも、日本代表のことを尊敬しています」とコメントを残したようだ。やはりサッカーは素晴らしい)

それからしばらく経って、海外のサッカー掲示板のコメントを紹介するサイトを覗いてみたところ、「アジアの誇り」「(日本代表には)素晴らしい未来が待っている」「史上最高の試合の一つ」「ベルギーは試合に勝ったけど、日本は僕らのハートを勝ち取った」等々の称賛コメントが並ぶ中、思いがけず「日本は、ロックだ」という一言に出会った。
私にはそれが、決して守りに入らず、攻撃的・挑戦的に戦ったチームにだけ送られる格別な言葉のように思え、何だかとても嬉しくなってしまった。(そうだ、日本は世界を魅了する“ロックなサッカー”を目指そうじゃないか!と)

で、ベルギー戦の余韻はこんな所でも……

その日の午後、買物に出かけた折、行きつけの八百屋の大将(といっても40代)がベルギー戦の話題に触れ「なんだか、祭りが終わったみたいで…」と言いながら、恥ずかしかったのだろうか、次に続く言葉を忘れたように空に流して「暑い中、ありがとうございます」と、いつも通りの言葉で締めてしまった。

そして、一夜明けた昨日(4日)、本田に続きキャプテン長谷部が代表引退を表明。

私は八百屋の大将の言葉の続きを胸の中で確かめるべく、久しぶりに拓郎の歌を聴いていた。

♪祭りのあとの淋しさが いやでもやってくるのなら 祭りのあとの淋しさは……


と、何度か聴いた後、ようやくベルギー戦から気分をリセット。

また今日から、不寛容な社会に憤ったり、暴走する権力に抗ったりしながら、日々のメシを考える。そんなありきたりな日常に帰ろうと思う。
(当然、W杯は決勝戦まで楽しむつもりだし、今後も日本代表を応援する気持ちにも変わりはない。ただ、W 杯同様、自分の人生に4年後、8年後があるかどうかは分からないけど)

2018/06/29

ポーランド戦・雑感




原口→武藤、長谷部→山口、大迫→岡崎ぐらいの変更はあるかも?と思っていたが、先発メンバーを見て驚いた。

セネガル戦のスタメンから何と6人チェンジ。しかも岡崎、武藤が2トップ気味で、本来サイドバックの酒井高徳が右ウイングという、代表戦ではあまり見たことのないフォーメーション。

正直、「こんなんで、大丈夫なの?(特に香川、乾、大迫を欠いた攻撃陣)」と、かなりリスキーな戦術に思えたが、このメンバーでグループステージを突破できれば、疲労が蓄積しているはずの主力メンバーたちの回復が図れ、フレッシュかつベストな状態で決勝トーナメントに臨める。またベストな状態でなければ、次に対戦する欧州の強豪(イギリスかベルギー)と渡り合えない……そう、西野監督は考えたのかもしれない。「先に進めるなら点がとれなくてもかまわない。とにかく失点しなければいい」と。

その思惑通り(かどうかは分からないが)、前半は川島の素晴らしいセーブもあり(1戦、2戦の不甲斐なさをワンプレイで払拭)、ポーランドを無失点に抑えることができたし、守備と攻撃のバランスも悪くはなかったと思う。(但し、シュートは打ったが、武藤、宇佐美のプレーがもどかしく、そこから得点が生まれる予感はしなかった)

が、後半開始早々、岡崎がリタイア(やはり、まだコンディションが良くないか…)。代わりに大迫が入ったが、連係不足か全くチャンスがつくれず、逆に山口の不用意なファールと酒井高徳(?)のマークのミスで失点。その後は、ポーランドのカウンターに押され、なかなか攻めることができない状態に……

そして残り15分。同時刻に行われているコロンビア対セネガル戦が動いた状況で(コロンビア先制、1:0)、西野監督がとった手段は守備の要であるキャプテン長谷部を投入し0:1のまま試合を終わらせること。(これ以上攻めても、日本が得点するより、相手のカウンターで失点する可能性の方が高いと判断したのだろう。守り切ろうとする中でイエローカードが増える危険性もあったし…)

といって、セネガルがコロンビアに追いつくかもしれず、それはそれでリスクのあることだが、グループステージを争う4チームの戦力を冷静に分析した上で「コロンビアの守備力」と、「日本の得点力」を天秤にかけ、前者をより信用したのだと思う。言い換えれば、自分のスタイルや希望的観測を捨てて勝ち目の高い方に賭けたということ。(西野さんがそれほどの勝負師だとは思っていなかった。見るからに博才のありそうな手倉森コーチの助言でもあったのか?)

で、結果はご覧の通り。
ポーランドには負けたが、イエローカードの差でグループステージ突破……

その「戦わない日本代表」に、スタジアムはブーイングの嵐だったが、これも日本に「勝負と結果にこだわるサッカー」を定着させる上での進化の過程。自国のみならず他国のサポーターやメディアから「恥ずかしいサムライ」「世界的な茶番」などと揶揄されても、決して恥じることではないと思う。(大体、日本代表が未だにサムライやカミカゼという言葉で称賛を受けるのも、それを私たち日本人が喜んでいるのもおかしな話)

というわけで、「見てる方には本意じゃなかったと思いますけど、これが勝負の世界なんで」という長谷部のコメントに尽きるポーランド戦。0:1で負けた試合なのに、コロンビア戦、セネガル戦以上に、確かな“未来の糧”を得た日本代表を見ることができた気がする。

2ヶ月前は応援する気にもなれなかったが、勝負師・西野監督に“あっぱれ”と言いたい。

さあ、次はベルギー戦。今度こそとことん勝負にこだわって、魂のこもったスペクタクルでドラマチックなサッカーを見せてほしい。

 

2018/06/27

20日分のメモ③(W杯開幕、『万引き家族』など)




614日(木)
ロシアW杯開幕。

期間中も何度か、遠くボスニア・ヘルツェゴビナから送られてくる(であろう)メッセージ……日本代表と日本のサッカーファンに対するオシムさんの言葉を心に留めながら、715日までの1ヶ月間、4年に一度のサッカーの祭典を存分に楽しみたいと思う。(以下、Number Webから抜粋した元日本代表監督イビチャ・オシム氏の言葉)

《恐らくはワールドカップが、何か素晴らしいものをもたらしてくれる。国同士の交わり、政治体制を越えた交わりがワールドカップだ。最高のサッカーとそれを実践する国を求めている。そして静かな生活を。あらゆる戦争の可能性、アメリカと北朝鮮の間の緊張感も、サッカーが少しは緩和できるかもしれない……。
自分たちが何を求めているかをしっかりと認識すべきだ。人生において、ただ結果を求めているのか、それとももっと別のものなのか。君たちはサッカーに何を求めるのか? その点で日本はちょっと何かに取り憑かれているように見える》

《忘れてならないのは、問題を問われているのはその国のサッカー文化であるということだ。どこに原点があって、どこへ行こうとしているのか――そして誰のためにどんなプレーをするのか。
この世界には様々な問題が存在するが、サッカーの問題は、そういう分かりにくい問題ではない。北朝鮮やイラク、イラン……もう十分だろう。もっとサッカーの話、ポジティブな話を皆でした方がいい。
あなた方日本人は旅が好きだろう? ロシアを旅するのは、それだけですでに何か得るものがある。日本人の多くが、何か大事なものをロシアから得られるはずだ。旅好きはそれだけでポジティブなのだから。
ヨーロッパはすでに知っているわけだから、今度はロシアの人々と親交を深め、彼らの人柄やメンタリティー、国を理解する。どんな文化がそこにあるのか、それを知るいい機会ではないか》

615日(金)
昼は『万引き家族』、夜は『LET IT BE』。

血縁に因らない社会的弱者の共同体としての「家族(の絆)」をテーマに、経済大国・日本の首都「東京」の片隅に横たわる“知られざる現実”(万引き、DV、ネグレクト、ワーキングプア、障害者の風俗通い、売春でお金を稼ぐ高校生、少なすぎる年金で暮らす高齢者等々)を描き出し、カンヌでパルムドールを受賞した映画『万引き家族』。

その「社会性」と世界観、そして映画の出来を思えば、スリランカの内戦とフランスの移民問題を描いた『ディーパンの闘い』、イギリスの地方都市の貧困をテーマにした『わたしは、ダニエル・ブレイク』など、年々「社会派作品」が高い評価を受ける傾向が強くなっている世界的映画祭での最高賞受賞は、快挙であってもそれほど驚かされることでもない。(先進国、途上国に関わらず、それだけ世界が様々かつ共通の問題を抱えてのっぴきならない状況になっていることの証左でもあるし…)

が、自国の歴史的事実や抱え続けている問題と客観的に向き合うことを避け続けているこの国の中で、一人の高潔な映画監督の「内部告発」によって「見えなかった人々(否、見ようとしていなかった人々)」の姿が可視化され、その受賞を契機に“多くの国々が羨望する平和で豊かな国・日本”の貧困と差別と暴力の現実(つまり多くの国々と同じ現実)が世界中に知れ渡ることになったのは、お互いが抱える問題を認識・共有するという意味でパルムドールそのものよりはるかに重く意義深いことだと思う。(もちろん、作品自体が素晴らしいのは言うまでもない。特に、見えない花火を「家族」揃って縁側から見上げるシーンが、とても温かで美しく、いつまでも心に残るものだった)

「権力とは距離を保つ」と言って、文科相の祝意を辞退したことと併せて、是枝監督に心から拍手を送りたい。リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林、そして子役の二人……素晴らしすぎる俳優陣にも大拍手。(加えて一言。安藤サクラは天才だ!)

『万引き家族』の後は、別行動で「柚木沙弥郎の染色展」(日本民藝館)を観に行っていたツレと渋谷で合流。マークシティのスペインバルで軽く腹ごしらえして「ヒカリエ」の東急シアターオーブへ。ザ・ビートルズのトリビュートバンドの来日公演『LET IT BE』を鑑賞。

40曲近くの名曲で綴るライブショーは、衣裳やパフォーマンスなど時代を追って当時のビートルズを忠実に再現しており、そのリアルなステージは来場者を魅了し続けています。各時代の関連映像も交えた構成で、1960年代にタイムスリップしている様な気分をご体感頂けます》

という主催者側の触れ込みにのりチケットを獲ったのだが、ステージに4人が並んだ瞬間は「もろ、ニセモノじゃん……あのジョンは誰よ?」という感じで、「ホントに楽しめるのかね?」と先が危ぶまれたが、時が経つにつれ目も耳も慣れ(演奏も歌も寧ろ本物より上手いくらいだし)、ほとんど違和感なく1960年代のビートルズの世界へ。
後半は総立ち状態の中、けっこうノリノリでダル重い体を揺らしてしまった。