2015/08/22

一週間のメモ(8月16日~21日)



816日(日)
先週、デザイナーのueちゃんから「仕事で相談したいことがあるんですけど…」
とのTELあり。「じゃあ、バイトが非番の日曜に会おう」ということで、私の地元駅近くの喫茶店でMIYUKIさんも加わり三者会談。(ueちゃんのおごりで珍しく「クリームあんみつ」を食す)
例のごとく「仕事の話」は1時間弱程度(仕事になるかどうかは?)。3、4時間は「日焼け」「バイト」「愚息」「映画」「小説」「安倍」「安保」「原発」「東アジア(中・韓・北)」などの話。まあ、3人揃ってちょっとした“ガス抜き会”といった感じ。

817日(月)
朝から雨で、仕事(バイト)はヒマ……午後3時過ぎ、私の出勤日ということで、別の現場を回っての帰りに立ち寄ってくれたバイト仲間のNさんと30分ほど立ち話。『イージーライダー』『真夜中のカーボーイ』『俺たちに明日はない』『冒険者たち』などなど、さらに「文芸坐」「昭和館」……といった具合で、映画絡みの話題で盛り上がる。
そのNさんの話によると、職場でよく顔を合わせる駐車場警備員のDさんは元「Mプロ」のアニメーター。今は推理小説を書いているそうで、「かなり面白い!」とのこと。
話の合う同世代の仲間もできたし、互いの人生を思いつつ何気に文化の薫りも漂って、地味に熱い。駐輪場界隈もなかなか捨てたもんじゃない。

818日(火)
隣駅のTジョイで、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』を観る。(上映開始1115分)
チョー面白い!の一言。主演トム・クルーズ(イーサン・ハント役)はもちろん、相棒ベンジーを演じるサイモン・ペッグや新ヒロインのレベッカ・ファーガソンなど脇を固める役者陣も魅力十分。
さすが鉄板エンタテイメント、ハラハラドキドキ気分爽快の132分だった。
映画の帰りは「宏助」で、味玉入り塩ラーメン。「ジュンク堂」で、中村文則の長編『教団X』を購入。夜は、すっかりハマってしまったNHKのドラマ『美女と男子(美女男!)』で気持ち良く〆た。(来週はいよいよラスト!)

819日(水)
パンフレット制作(A4 12頁の施設案内)の打合せで、立川へ。クライアントの所に着くまで1時間半かかったが、結局3時からの打合せは「“あいみつ”を取った上で、総合的に発注の判断をします」ということで、わずか10分程度で終了……地場の制作会社や印刷会社に見積りで勝ち目はないし「やれやれ、くたびれ損かあ…」と、駅へ向かってタラタラ歩いていたら、ポケットの携帯が震えた。
出ると先ほど打合せたOさんからで「まだ近くにいるなら、相談案件があるので再度来てほしい」とのこと。
何だろう?と思いながらクライアントの所(会議室)へ戻ると、「金額より、質と実績を最優先して、〇〇さん(私)に頼むことに決めた」という嬉しい言葉が待っていた。どうやら、クライアント側のトップである施設長の“鶴の一声”で、他社の見積もりが出る前に「総合的判断」をしてくれたようだが、何とも有難い話。再び駅に向かう足取りも心なしか軽くなった気がした。

820日(木)
朝からネットでサッカー三昧。ドルトムントの香川が1G1Aと活躍し、大逆転(03から43)の立役者になった欧州ELプレーオフ「オッド・グレンランド戦」のハイライト動画や関連記事などを見まくる。
チーム状態同様、香川自身も調子が良さそうで、以前のキレが戻っている感じ……先週、レスターの岡崎もプレミア初ゴール、セリエA開幕を控えたミランの本田も17日のカップ戦で1G1Aと素晴らしい活躍。やはり、1勝もできずに最下位に終わった東アジアカップの内容を見ても、ハリルジャパンの主力は海外組。だが、国内組のレベルアップなくしてW杯は戦えない。宇佐美、柴崎、武藤雄樹など、国内組の奮起とさらなる進化を期待したい。(いま個人的に最も注目しているのは、サガン鳥栖の18歳・鎌田大地)

821日(金)
バイトの日。特にメモることもないが、「佐野研二郎」氏のデザインをめぐって、何故あんなに騒いでいるのか理解不能。只々バッシングするために無理矢理、似通った作品をネットで探しまわっている感じがしてイヤになる。確かに、スタッフがパクったとはいえ「トートバック」の件はアウトだと思うが、たかが販促品(景品)。事務所と本人の謝罪で十分に済む話ではないだろうか。
騒ぎの発端である五輪エンブレムの件にしても、私などは逆に「パクられるような目を引くデザインでもないのに、あんなんで、よく訴える気になるなあ……単なる売名行為か金目当てじゃないの?」と、訴えた側である「リエージュ劇場」のロゴを作ったデザイナーの感覚・性格・見識を疑うだけ。(ロゴ自体、今回の件がなければほとんど注目されることもない、平凡なモノ)
個人的には、佐野氏および彼がデザインした五輪エンブレムに、さしたる興味も思い入れもないが、このような馬鹿馬鹿しい状況下では佐野氏に肩入れするほかない。五輪エンブレムを撤回する必要など、まったく無し!

以上。来週からは本業とバイトで、久しぶりのフル稼働。頑張らなくっちゃ!(パンフレット制作が無事終わったら、職場のNさん、Oさん、私の3人で、初の呑み会を予定)

『オールド・テロリスト』を読んだ。



このまま何年も、安倍政権のような強権政治によって日本が動かされ、経済格差が今以上に広がっていくとしたら、「積極的平和主義」で他国の戦争に加担する前に、「積極的ニヒリズム」とでも言うような一種アナーキーな空気が国内に漂い、テロの脅威が身近な問題としてクローズアップされる国になってしまうのではないか?(言い換えれば、日本の政治・経済機構から疎外された人間、未来と民主主義に失望した人間にとって、テロリズムが唯一の希望になり得るような社会が生まれてしまうのではないか?)

そんな微かな危惧を抱いていた矢先の「村上龍」……

『半島を出よ』以来、久々に読んだ長編『オールド・テロリスト』は、7090代の老人たちが「テロも辞さず、日本を変えようと立ち上がる」という物語。(『希望の国のエクソダス』で中学生の革命を描いたのが15年前。で、今度は老人のテロ……但し、序盤に起きる連続無差別テロの実行犯は「精神を病んだ」若者たち。その背後に「満州国の人間」を自称する複数の老人がいるという筋立て)
主人公(物語の語り手)は、『希望の国のエクソダス』で中学生たちを追いかけていたフリージャーナリストの関口(本書では、仕事を失い、自暴自棄の果てに妻子とも別れ、一人、雑文を売って暮らす中年フリーライター)。
時代設定は東京五輪を2年後に控えた2018年……そこに描かれる社会は、『希望の国…』以前から作者が言うところの「強固に構築された利害のシステムによって活力を失い、世界から切り離されて、自ら閉じられた円環に収束しようとする《不健康なムード(閉塞感)》が充満する日本」。

というのが、この小説の大まかな輪郭。

はて?と、ソコソコ平和で自由に生きている私(たち)が、今なおそんな社会の危機イメージにリアリティを持てるかどうかはさておき、高度資本主義社会が作り上げた“強固な利害システム”に対抗価値を提示できるのは、「中学生」「精神を病んだ若者」「老人」など、システムの根幹である「生産の現場」から疎遠な者か疎外された者、もしくは退いた者だけだという、いつからか彼の考えの中に芽生えた直観的信念のようなものは理解できる。

というわけで、本書中の「精神科医・アキヅキ」の言葉を借りると「優れた頭脳を持ち、才能に目覚め、それを活かす教育環境に恵まれ、訓練を自らに課した数パーセントの若者」だけが自分の生き方を選ぶことができ、「(システムの中で馴らされ、群れとなって生きるしかない)一般的な若者の劣化が進む」今の日本を、《戦争を体験し、食糧難の時代を生き、現在の社会においても経済的に成功し、社会的にもリスペクトを受ける老人たちの義憤から生まれる戦い》に任せて、一端リセットしてみてはどうだろうか? というのが、この小説の通奏低音……当然、現実的にはメチャメチャ乱暴な話だが、この“老人たちのテロによる戦い”を、作者なりの「憂国」のカタチと捉えれば納得のいくところ。
その意味で『オールド・テロリスト』が「何とか、この国を良くしたい。若者が希望を持てる国にしたい。しかも、できるだけ早く」という心優しき愛国者・村上龍の切なる思いを多少なりとも感じ取ることのできる興味深い長編小説であることは間違いないと思う。

だが、「面白かった!」「文句なし!」と手放しでオススメできるかというと、そうではない。

560頁を一気に読ませる筆力は、流石!というしかないが、読み終えた後の何とも言えない徒労感&ガッカリ感……「なんで?」と聞かれても色々あり過ぎて簡単に答えられないが、決定的に問題なのは、物語の真の主役であるはずの「オールド・テロリスト」たちに、まったく魅力を感じないこと。
「旧満州国の系譜をひく秘密のネットワーク」という設定自体もかなり胡散臭いが、「経済的に成功し、社会的にもリスペクトされている老人たち」が、“義憤を覚えて立ち上がる”という必然性が「安保法案」並みに分からない。どう読んでも私には、彼らが戦争慣れした(もしくは戦争が恋しい)ただの軍事オタク&愉快犯としか思えなかったし、当然、彼らの義憤と決起に対するシンパシーも湧きようがない。
で、途中までかなりミステリアスな展開で引っ張っておいて、最後は在日米軍による老人テロリスト殲滅……というのでは、あまりに陳腐で、只々唖然とするだけ。

以前、加藤典洋(文芸評論家)が『希望の国のエクソダス』を「恐竜のような小説」(図体はデカいが、頭は小さい――物語の外枠を作るのに膨大な力を発揮している割に、小説でしか書けない種類のドラマの部分が少なく展開されずに終わっている。ということ)と表していたが、10年以上経って、私もその意味が分かったような気がする。

※前作『55歳のハローライフ』が、けっこう良かっただけに、かなり残念。龍さんも同世代、もう血  気盛んな歳でもないし、モチーフとしての「革命」や「テロ」も悪くないが、ハローライフの路線で書  いてくれればいいのになあ……と思う。(村上春樹の言葉を借りて言うなら、「壁」を描くことだけ  に力を注がず、「卵」の内面をもっと掘り下げるべし)

2015/08/12

「茨木のり子」と『この国の空』



昔よく読んでいた茨木のり子の詩を、おととい(10日)久しぶりに朗読で聞いた。
『この国の空』という映画のエンドロール中に……詩の声は女優・二階堂ふみ。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

青春の一時期、詩作に傾倒していた私にとって、「わたしが一番きれいだったとき」は、長く心にとどめていた詩の一つ。
戦争の影が漂う何処か淋しげな匂いに導かれながらも“フランスのルオー爺さんのように ね”という最後の一行に、幾多の悲しみと不条理を振り払う、凛とした軽やかな決意のようなものを感じて、幾度も読み返すほど強く惹かれた作品だった。

その忘れられない詩が、ストップモーションの残像(終戦前夜、夜雨に顔を濡らす主人公のクローズアップ)に重なるようにスクリーンに流れた。
戦中と戦後を貫く女の眼差しに添う「里子は、私の戦争はこれから始まるのだと思った」という字幕の後に。

……文句なし。いい映画だった。

舞台は太平洋戦争末期、昭和20年の東京・杉並(善福寺)。戦争で若い男たちがほとんどいなくなった町で、隣り合わせた二つの日本家屋を「愛を知らないまま死ぬかもしれない」一人の女が行き来する物語。
主人公は役所勤めをしながら母と暮らす19歳の娘・里子、隣家には妻子を疎開させた中年男・市毛(長谷川博己)が一人。やがて、空襲で家族を失い、焼け出された伯母が母娘の家に転がり込む。食事をめぐって争う母と伯母、着物と食糧を交換するため郊外に出かける母と娘。
そんな戦時下の日常と非日常の空間演出も素晴らしかった。

昭和の美しい言葉が行き交う路地に咲くたくさんの向日葵。雲一つない青空の下、母と娘が大声で軍歌を歌う河川敷。時折、静止画のように夜空に連なる爆撃機。汗だくの男と女が神社のベンチで頬張るおにぎり。そして不意に、社の樹木の下で解き放たれる「性」……
敗戦間近、じりじりと煮詰まる日々の中で、すぐ近くに感じる「死」よりも、リアルな「生と性」が前面にあることを、じっくりと目覚める女の官能に委ねて描いた異色かつ出色の戦争映画。
「茨木のり子」の詩とともに、長く心に残る一本になると思う。(とりわけ「二階堂ふみ」の演技と圧倒的な存在感!「戦争が私の心に火をつけた」という予告編の中のコピーも良かった)

脚本・監督は、『さよなら歌舞伎町』『大鹿村騒動記』『Wの悲劇』などを手がけた名脚本家「荒井晴彦」(18年ぶりのメガホン)。

2015/08/06

色々かなしい「エンブレム」



連日の猛暑。お陰で、いわゆる「土方焼け」……サンオイルを腕と顏に塗り込んで仕事(バイト)に行っているのだが、半袖シャツの境目で膚の色を比べると、その差は歴然。「焼けたなあ~」とオイル効果の有無を疑うが、若い頃に戻ったようで気分的には悪くない。
もともと昔はガテン系、肉体労働者とネクタイ労働者の違いをはっきり示す「赤銅色」は、炎天下のキツイ労働の証。「俺もまだまだヤレるじゃん」と、齢60を過ぎてなお照りつける太陽の下で働ける体があることを少し嬉しくも思う。(もちろん、仕事中の水分・塩分補給は抜かりなし)

さて、そんなつましい日常とは裏腹に、世の中は相も変わらず嬉しくなれないことばかり。

先日も、デザイナーの友人ueちゃんが電話口で珍しく憤っていた。
「東京五輪のエンブレムのデザイン料、いくらだか知ってた?色んなアプリケーション込みで、たった100万だよ。冗談じゃないよね、まったく!……」

正直、聞いてビックリ。デザイン開発に要する多大な時間と労力、そして想像力と造形力の価値に無知・無頓着な役人が決めたのかも知れないが、国が推進する「クール・ジャパン戦略」の目玉のひとつでもある日本のデザイン力を世界に示すべき歴史的ロゴの対価が「たった100万!(しかも税込)」、高級腕時計や軽自動車程度の金額とは……国としての文化的レベルが低いというか、グラフィック・デザインに対する認識が甘いというか、呆れて言葉も出なかった。(「どんなに安くても歴史に残る作品になるのだから、多くの有名デザイナーがコンペに参加するはず」という、デザイナーの純粋な(?)創作的野心につけ込むあざといやり方としか思えない)
それに引き替え、新国立競技場の監修料の一部として、国が14年度までに建築家ザハ・ハディド氏に支払った金額は13億円とのこと。
建築デザインの世界をまったく知らないので、その額にケチをつける気など毛頭ないが、世界中の様々なメディアで長期的に使用され、数十億の人が目にするはずのロゴが、一部の競技しか使わない新国立競技場の監修料の「一部」の1300分の1では、「クール・ジャパン」の名が泣くというもの。(グラフィック・デザインの世界から、ますます夢も希望も消えていく)

しかも、「(最低でも)一桁違うんじゃないの?」と目を疑うような、ふざけたデザイン料にも関わらず、自分の作品を世界が注目する檜舞台に乗せたい一心(?)で参加し、何とかコンペに勝利した歓びも束の間、よもやの「盗作疑惑」……グラフィック・デザインとは無縁の人々にネット上でバンバン叩かれたあげく、「在日」といういわれなきレッテルまで貼られては、佐野研二郎氏ならずとも「やってられるか!」という気になるではないか。(まあ、少し意地悪く、理不尽なコンペに参加したツケ……と言えなくもないが)

さらに加えて、ザハ・ハディド氏デザインの新国立競技場にしても今回のエンブレムデザインにしても、その案を採用した側(日本スポーツ振興センターおよび東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会)に、デザイナーに対するリスペクトの姿勢および自分たちが選んだ作品を徹底して守るという姿勢がまったく感じられないのはどうしたことか?
昨日(5日)開かれた佐野氏の記者会見は「盗作疑惑」を払拭するに十分なものだったと思うが、彼に弁明の会見を求める前に、彼のデザインを選んだ審査委員会および組織委員会として示すべき態度があったはず。騒動の責任を一人で被らざるを得なかったデザイナーには気の毒というしかない。

で、計らずものっけからケチがついてしまった「エンブレムデザイン」についてだが……

業界内でも「凡庸で保守的」という声が多く聞かれるように、確かに印象としては「普通」そのもの。色々お疲れの佐野氏には申し訳ないが、オリンピックのエンブレムにしては躍動感がないし、「かっけー!」と目を見張るような新しさや強烈なオリジナリティも感じない。ただ、その分、シンプルで造形的安定感はある(端的に言うと「面白味はないが、普通に上手い」)……という作品ではないだろうか。つまり、もともと独創性に欠けるデザインなので、類似作品が生まれやすい(&見つかりやすい)のは仕方のないこと。故に、佐藤氏が言う「ベルギーに行ったこともないし、(劇場の)ロゴも一度も見たことがない」というのは本当であり、「(盗用は)まったくの事実無根」であると私も思う。
だって、「たった100万円」なのに創造意欲を抑えきれず?多大な時間と労力を使ってコンペ参加した有名デザイナーが「数十億の人が目にする歴史的ロゴ」を盗用制作する意味などあるわけないし、端からそんなバカげたリスクを冒すはずもないから。

では何故、これまで数多くの広告賞を受賞している気鋭の若手デザイナーが、そんな「凡庸で保守的」なデザインを作り上げたのか? その秘密は、どうやら「日の丸」にあったらしい。
まず前提として、2020年東京五輪は国家主義的な色彩の強い安倍政権の下で準備が進んでいくという明白な現実があること。そして最も重要なポイントは、デザイン選定にあたる最高責任者の「審査委員長」に、故・亀倉雄策(1964年東京五輪ポスター制作デザイナー)の盟友であり「日の丸」に強いこだわりを持つデザイン界の大御所・永井一正氏が起用されたこと。そこに“亀倉雄策へのリスペクト(1964年東京五輪ポスターデザインの呪縛)”が加わり、日の丸をモチーフにしたデザインでなければ「勝ち目がない」というのがコンペ参加者の共通認識になっていたようだ。

へえ~……である。

それが事実だとすれば(紛れもない事実だと私は思うが)「盗作疑惑」は、「国家主義的デザインの踏襲」という暗黙の圧力がもたらした予期されるべき「負の遺産」。
寂しい話だが、審査員の好みと時代の空気を敏感に察知した上での「ありふれたデザイン」は、コンペに勝つために古い権威と今の権力になびいた結果の産物だったのだと思う。

で、結論。「100万円」という対価を含めて、そんなコンペに参加してはいけない!

 

2015/07/28

『動物記』を読んで。


「自分のしてもらいたいことを他人にするな。人の好みは違うのだから」とは、イギリスの劇作家バーナード・ショーの言葉。(「青春?若いやつらにはもったいないね」という名言もある)

もっとずっと若い頃にその警句と出会い、実践的に理解しようとしていれば、少しは器の大きい人間になれたかもしれないと思うが、時すでに遅し。
寛容性に乏しいのは持って生まれた性(さが)。誰しも他者の視点や立場でものを考えるのはそう簡単なことではないし、器が小さかろうが何とか社会と折り合いをつけて生きている今の自分が妥当な所ではないか……と納得するほかない。

さて、あまり関係のない前置きになってしまったが本題。
つい先日、部分的に“二度読み”を終えた高橋源一郎の小説『動物記』……タイトル通り、物語の軸になるのは様々な動物たち。人間と異なる彼らの世界観、生命観など、「言葉を持たない動物の視点」で、人間の価値観の外にある世界を何とか言葉で捉えようと試みたユーモラスかつシリアスな短編集だ。

物語は9編。シカのご老公さまが、タヌキのスケさん、キツネのカクさんを率いて森の動物たちの騒動を解決する「動物の謝肉祭」に始まり、言葉を持って生きる人間の悲哀と宿命を描いた総括的な短編(と思える)「動物記」までが収録されている。

その中で特に印象的で面白かったのは、動物に文章を教える教師が主人公という設定で書かれた連作「文章教室13」。

すべて書き写したいほど刺激的で深イイ言葉と思索に満ちた3編だが、とりあえずここでは、主人公(教師)が二か所の「刑務所」を回って、「タンカ」を教えるという設定の「文章教室1」から、動物たちが書いた「ウタ」を中心に少しだけ紹介したい。

まず、主人公が用意した最初の“教材”はコレ……

いくら掻こうと思っても肝心な部分に手の届かないクマはつらい

このウタを初めて見た時《いままで、これほど真摯に、これほど素直に、ウタに立ち向かったことがあるであろうか。いや、ウタだけではない。「わたし」という存在に、これほど無垢な思いで、接したことがあったであろうか》と、衝撃のあまり“滂沱の涙”を流した彼は、ウタを高級なものとして思いがちな“受講者”に《「天」とか「世界」とか「クマであることとは何か?」とか「アイデンティティー・クライシスについて書こう》などという「陥りやすい罠にひっかかるな」と警告を発しながら、すぐに次の教材を用意する。

「えっシロクマなのに黄色っぽいじゃん、変なの」っていわれて猛烈にヘコむ

己の体毛の汚染を自分の目で見ることのできないシロクマの素直な心情吐露。その悲しみに触れつつ彼は、「シロクマなのに黄色っぽいじゃん」と“残酷なひと言”を発した見物者たちに目を向け、その「無知と倨傲(きょごう)と傲岸さ」を《そんな状態に、シロクマさんを陥れたのは彼らであるというのに》と、鋭く追及する。

そしてさらに「刑務所」で教えている別の動物たち(ペンギンとサル)の作品を紹介しながら、それぞれのウタの背景に深い洞察力を忍ばせ、ウィットに富んだ絶妙な解説を加えていく……
という展開なのだが、兎にも角にもその「ウタ」が出色の面白さ。時折、俵万智や与謝野晶子を感じさせるような「メイカ」との出会いもあり(当然、模して作っているのだろうが)、クスクス笑いながらも、ついホロっとさせられることも度々。いつしか受講者の一人になったような気分で、言葉の呪縛に捉われた心の解放をめざす独特の小説世界に引き込まれてしまった。

以下、その全十二首(ペンギンとサル分)を紹介。

たくさんのメスのペンギンがいるなかで わたしをみつけてくれてありがとう

「寒いね」と話しかければ「南極より寒いね冷房効きすぎ」と答える友のいるあたたかさ

「刑務所」脱出したし 皇帝ペンギンもアデリーペンギンもマカロニペンギンも

そして「メイカ」とも言えそうな二首……

死に近き卵に添寝のしんしんと遠河の海豹天に聞ゆる

つよく生きろというの檻の中でもつよく 生きてないようなおとなたちが

続いて「サル」バージョン……

ひも状のものが剥けたりするでせうバナナのあれ祖母(ばあ)ちゃん知らなかったの

南京豆の殻を割ったもう死んでもいいというくらい完璧に

恐ろしいのは鉄棒をいつまでもいつまでも回り続ける子ザル

「耳で飛ぶ象のうんこもこわいけどキングコングのうんこはもっとこわい」

女子トイレをはみ出している行列のしっぽが見える人間はたいへんだ

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや芸をする君

雨のサル山あるいていけばなんでしょうかこれはポテトチップの空袋

以上。それぞれのウタの解説も絶妙で読み応え十分、ぜひ『動物記』でご確認のほど(最近は「サンデー・モーニング」に出たり、コラム集『ぼくらの民主主義なんだぜ』が評判だったりしているが、やはり本業が一番。「さすが、源一郎さん」と唸る作品でした)

 

2015/07/27

話題のパロディー動画を見てみた。



改憲マンガで墓穴を掘ったと思ったら、今度は安保法制プロパガンダアニメで思わぬ反撃にあい笑われ者に。自民党・安倍政権が自ら達成しようとする政治的目標の為に作ったツールは、どれも浅薄で突っ込まれどころ満載……
というわけで、いま話題の動画(自民党制作【安保法案】 あかりちゃん VS ヒゲの隊長を皮肉るパロディー版)、【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた を見てみた。


www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8


ヒゲの隊長(自民党・佐藤正久議員)、あかりちゃんの鋭い言葉の連射に、反撃叶わずあえなく撃沈(「そりゃ~大変だ!」)。
ウケる~、笑える、溜飲下がる~。三拍子揃ったスグレもの。「あかりちゃん」と、パロディー版作成者に感謝とともに大拍手!