2014/10/22

これぞ映画!『ジャージー・ボーイズ』



フランキー・ヴァリ(「ザ・フォー・シーズンズ」のリードボーカル)が歌い、ボーイズ・タウン・ギャングをはじめ多くのアーティストがカバーしている名曲「君の瞳に恋してるCan't Take My Eyes Off You」を初めて聴いたのは、映画『ディア・ハンター』を観たとき……もう、40年近くも前のことだ。(「君の瞳に恋してる」がヒットしたのは1967年。ベトナム戦争が泥沼化していく頃)

人生で最も輝かしい時間の描写(親しい仲間が集う結婚パーティー)と、次に続く悲惨な戦争描写とのコントラストをより強く印象付ける、華やかな開放感に満ちた曲として、テーマ音楽「カヴァティーナ」の美しくも哀しい旋律と共に今も深く心に残っている。(個人的に、この2つの名曲が映画『ディア・ハンター』を忘れがたい作品にしていると思う)

その思い出深いメロウな曲が再びスクリーンで脚光を浴び、大好きな俳優が脇を固め、敬愛する監督がメガホンを取った映画……と言えば、いま話題の『ジャージー・ボーイズ』。
ブロードウェイの大ヒットミュージカルを基に、1960年代に絶大な人気を誇ったアメリカのポップスグループ「ザ・フォー・シーズンズ」の栄光と挫折、そして再生の実話を描いた作品だ。

監督は、御年84歳の名匠クリント・イーストウッド。主役の4人のうち3人はミュージカル出身、彼らのタニマチ役(ギャングのボス)には、『ディア・ハンター』の熱演が忘れられない名優クリストファー・ウォーケン……作品の舞台は「そこから抜け出すには、軍隊に入るか、ギャングになるか、スターになるしかなかった」ニュージャージーの貧しい町。金も、コネもない4人の若者にあったのは、天性の歌声と、曲を作る才能、そして完璧なハーモニー。ストーリーは、1951というロックンロール黎明期から始まる。





……シネコンTジョイ)という大きな小屋にも関わらず、エンドロールが流れても帰る人がいない映画を、初めて観たような気がする。

2時間超という長尺ながら、中弛み一切なし。映画の神様に魔法をかけられたように、胸が躍り、熱くなり、あっと言う間の130分。そして、圧巻のラスト15分!
出演者揃ってのラストダンスの華やかさ&心地よさ。特にクリストファー・ウォーケンの小粋なステップが溜まらない!(私はふと、映画『ディア・ハンター』の中で、ベトナム出征前の“ニック”が、酒場で「君の瞳に恋してる」を大声で歌うシーンを思い出してしまった)

これぞ、映画! これぞ、クリント・イーストウッド!!

以上、どんな挫折を味わおうと前を向いて生きていく人生にこそ本当の価値があるという、アメリカの栄光と挫折、そして苦悩と希望を見つめ撮り続ける“映画の生き神様”クリント・イーストウッドの変わらぬ眼差しを感じながら、胸一杯に青空を吸いこんだような極上のカタルシスを味わえる一本。超オススメです。



2014/10/17

『ザ・テノール』&「ブラジル戦」雑感



昨日は、新宿で映画。伊勢丹近くのピカデリーで『ザ・テノール 真実の物語』(監督キム・サンマン/製作2014年・日韓合作)を観た。

実話に基づくストーリーの構成は至極単純。意外性なしの予定調和な感動作なので、「飽きずに楽しめ、ラストで泣ける」という以外、気合を込めて書くほどの感想もないが、少しだけ加えると「西洋の舞台芸術(オペラ)を介した東洋人同士(韓国人と日本人)の友情の物語」を通して、日韓のいがみ合いのスケールの小ささ・狭さを感じとる作品である……ということ。反韓・愛国(or反日・愛国)を自認する方々には、ぜひ観てほしいと思う。(主役の二人、ユ・ジテと伊勢谷友介は、なかなか良かった)

で、少し遅くなってしまったが、先日(14日)のブラジル戦の感想をサラッと……

試合前「3-0で、ブラジルの勝ち」と予想だけは立てて見ていたが(正直、初召集の選手が多く、チームとしても固まっていないこの時期の代表戦は全く興奮しない)、結果は想定内の「4-0」敗戦。(ネイマールは、呆れて笑っちゃうほど凄かった)
あまりのやられ様に「怒り心頭」のサッカー関係者やファンも多いだろうが、私はいたって平静。だって、試合前に発表されたメンバーを見た途端(遠征に帯同しなかった香川はもちろん、本田も長友もいない!)、「勝負に行くんじゃなくて、戦力チェック(選手の選考テスト)にこの試合を使う」という監督アギーレの意図がはっきり見えたから……(逆に、ジャマイカ戦から先発を6人も入れ替えたこのメンバーでソコソコの勝負ができたら驚きだ)

でも、親善試合とはいえブラジル相手なら、メンバーは確実に現時点でのベストを選んで戦うのが当然と考えるのがファン心理。そういう意味では、アギーレの采配と選手の拙さ(若さ)に大きな疑問と不満を抱く気持ちも分からないではない。が、試合後の武藤や柴崎の「初めて世界のレベルを知った。もっと成長のスピードを上げなくてはとても追いつけない」という意味の発言を聞けば、「4-0惨敗」も新生・日本代表が成長を遂げるために通るべき道の一つ。辿りつく目標はまだずっと先にあるし、今から悲観&非難するものでもないだろう。

それより、個人的には少し興味深い兆候を見出した気がする。それは「アギーレ」という指揮官の資質。「ブラジル戦」は、親善試合とは言え放映権料なども含めてサッカー協会にとっては目玉の試合、もちろんテレビ局にとっても高視聴率が期待できる一大イベントのはず。それを、自分の方針を貫き「選考テスト」に利用してしまうとは、かなり肚の座った人物ではないだろうか。
試合の日のテレビ欄で「サッカー王国ブラジルのネイマールだって?それがどうした?日本にはホンダにナガトモにオカザキもいるぞ!カキタニにカワシマに新鋭ムトウもシバサキもいる!W杯後再出発のアギーレ日本が10戦未勝利の黄色軍団相手にガチの真剣勝負!絶対に見逃せない!」と、コチラが赤面するくらい煽っていたテレビ局も冷や水を浴びせられた気分だろう。(私は素直にいい気味だと思う。代表だけじゃなく、取材もせずに海外の受け売り記事や飛ばし記事で紙面を賑わせたり、新戦力をアイドルかスターのようにもてはやすマスコミも成長すべし!)

まあ、そういうメディアや収益を最重視する関係者にとっては「KY」な監督かもしれないが、物わかりの良いイタリア紳士ザッケローニに代わって新しい色・魅力を出すなら、このくらい頑固な指揮官の方がいいような気がする。(まだ、チームは固まっていないが、細貝や森重をアンカーに置いた433の進化も楽しみだ)
当然、今回のブラジル戦のように結果次第で風当たりは強くなるだろうが、私としては、サッカー協会やスポンサーの都合に振り回されることなく着実に前進し、良い結果を出し続けてほしいと願っている。(とりあえず、来年のアジア杯に注目!)

※「ブラジル戦」の選手評価……合格点は岡崎のみ(持ち前の得点感覚はもちろん、足元の技術も驚くほど高くなった!)。落第は川島・田辺・森岡・田中順也(この4人は今後の招集?…まだ、力が落ちるような年じゃないぞ、川島!)

2014/10/14

サイコー!『自由と壁とヒップポップ』



「ヴォンフォン(広東語でスズメバチ)」という名の台風19号が東京を去り、妙に蒸し暑くなった今日。あちこちで「スズメバチ」の被害に遭われた方がいるだろうが、我が家は天窓からの雨漏りくらいで特に問題なし……と思って外へ出たら、大きなゴミ箱の蓋が風に飛ばされ(?)なくなっていた。誰かに迷惑をかけてなきゃいいが。

さて、先週の木曜(9日)、渋谷アップリンクで観た映画の話。

数日たった今も、時折、頭の奥で「誰がテロリスト? 俺がテロリスト?」と、鋭くラップを刻む声が聞こえる。

声の主は、イスラエル領内パレスチナ人地区「リッダ」で生まれた史上初のパレスチナ人ヒップポップ・グループ「DAM」。
映画『自由と壁とヒップポップ』は、その「DAM」と壁を隔てたガザ地区の「PR」を中心とするパレスチナのヒップポップ・ムーブメントを追いながら、占領地の検問所や分離壁といった目に見える分断は勿論、ジェンダー差別や世代ギャップまで、さまざまな壁を音楽の力によって乗り越えていこうとする若者たちの姿を描いたドキュメンタリーだ。(監督は、パレスチナにルーツを持つアラブ系アメリカ人の女性アーティスト、ジャッキー・リーム・サッローム)

 ♪誰がテロリスト? 俺がテロリスト? ここは俺の祖国だぜ 
 誰がテロリスト? お前だよ お前が横取りしたんだろ 
 先祖を殺し 俺を殺し 法に聞け? 敵のお前が 弁護士で裁判官 
 それで俺は? 死刑囚だ 少数派のままでいろってか?
 求めているのに 平和が遠のく 平和が俺を はじき返す

映画の中で繰り返し流れるこの曲「Who’s the terrorist?」は、2001年にインターネット上に公開するや否や、中東の若者たちを中心に支持を集め、瞬く間に100万を超すダウンロードを記録したという。

ヒップポップにあまり馴染みのない私にも、平和を求めながら不条理な形で拒絶されることへの正当な抗議として、「DAM」のラップはビンビン胸に響く。メンバーの一人ターメルが「俺たちDAMの構成要素は、30%ヒップポップ、30%文学、残りはこれ」と言って、窓の外の現実を指し示すシーンも、攻撃的に煽るだけのラップにはない憤りの深さと思慮を感じさせて印象的だ。(「間違わないでほしいんだ。俺たちは平和に生きたいだけだ。共存でいこう。ただし等分だ。99%も持ってくなんてのはダメ」と彼は語る)

が、「胸に響く」のはDAMのラップや主張だけではない。

「私たちをテロリストだなんて!自分たちはどうなの。この曲が答えてくれる。独創性と勇気がある。他の人もこれを聴けばもっと心を開くし、強くなれると思う」「何かを伝える手段は、暴力より芸術がいい。パワフルだし、一番効果がある。暴力は新たな暴力しか生まない。私は満足だ。息子が音楽を正しく活用しているから」と語る「DAM」と「PR(ガザ地区で活動するラップユニット)」の家族たちの言葉。「ヒップポップは好きだけど(アラブ・ムスリムの娘だから)歌えないなと思っていたら、DAMとかが助けてくれた。男には女の悩みや問題は分かんないでしょ。だから歌うの」「人の言うことを気にしない。私は娘を信じてる。自分自身や自分の信念に誇りを持っていれば問題ない」と話す女性ラッパーとその母の声。「パレスチナ人のラップがあるなんてビックリした。すごいよ、歌詞も覚えた」と目を輝かして話す子供たちの姿……そのすべてが、この素晴らしいドキュメンタリーを輝かせ、観る者の胸を強く打つ(はず)。「DAM」の活動は地域社会にしっかりと根を下ろし、その変化を促しているのだ。(だから、パレスチナの厳しい現実を突きつけられながらも、彼らの強さと優しさの中に、温かい希望の光を感じることができる)

そして、壁を超えてヒップポップの熱い絆が結ばれるラスト……「兄弟よ!」「元気だったかい」と言葉を交わした「DAM」とガザ地区の「PR」が一緒にテーブルを囲む中、こんなナレーションが入る「この世もまだ捨てたもんじゃない」

その一言で、「ク沁みるぜ〜っ!」と、一気に胸が熱くなり、エンドロールで流れる曲「ガリーブ・フィー・ビラーディー(故郷のなかの異邦人)」を聴きながら、静かに涙腺決壊。

というわけで、映画館を出た後「これは、俺が宣伝しなきゃ!」という妙な使命感すら沸いてきた本年度ベストワンのドキュメンタリー。11回、こんな小さな小屋で、たった20人程度の観客だけで味わうような映画じゃない!と声を大にして言いたい必見の一本。(「ヤバイぜ!スゴイぜ!サイコーだぜ!」……と、ラップ調でオススメします)

2014/10/06

TVドラマとフットボールの週末(&台風余話)



台風到来。朝から激しい雨が降っていた。(一転、昼過ぎには快晴に)

御嶽山捜索も中断されたままなのに、また、あちこちで土砂崩れや冠水被害が起きるのだろうか……年々、地球温暖化の影響が強まり、自然災害が大きなものになっているような気がする。

そういえば、5年前、「2020年までに1990年比で、温室効果ガスの25%削減を目指す」と世界に宣言した国際公約「鳩山イニシアチブ」は、どうなったのだろう?
民主党政権の崩壊を待たずに忘却の彼方へ消え去った感があるが、世界的な経済混迷&先行き不透明感が続く中、次第に環境問題そのものも政治的課題としてクローズアップされなくなってしまった。
要するに、経済的利害が露骨にぶつかり合う問題では新たな国際合意を形成するのが難しく、その結果、世界的な“エコ疲れ”が蔓延し、余計に手が付けられない状況にあるということか。
加えて、終わりなき中東紛争、方々で巻き起こる民族対立・宗教対立……最近、読み始めた本のタイトルではないが、地球も人類も色々な意味でもう、手詰まり(手遅れ?)なのかもしれない。(別に、厭世的になっているわけではないけど)

にしても、『人類が永遠に続くとしたら』(加藤典洋/著)なんて、この時節、妙に頭を刺激するタイトルではないか。(でも、本の内容はかなりヘビーで、弛んだ頭がついていけるかどうか?)

さて本題(と改まるほどの話でもないが)……

「家族狩り」「若者たち2014」に続き、「孤独のグルメ」と「アオイホノオ」も終わり、個人的にテレビドラマ不作の季節に突入。(劇中劇で、つかこうへいの舞台『飛龍伝』の再演もあり、何かと話題になった「若者たち」は、思いのほか残念なエンディング。「家族狩り」もラストは少々拍子抜けだったが、「孤独のグルメ」「アオイホノオ」は楽しく終了)

ニッカウヰスキーの創始者「竹鶴政孝」・「リタ」夫妻をモデルにしたNHKの朝ドラ「マッサン」(テンポが良く、「エリー」の可愛さも◎。でも、中島みゆきの主題歌はイマイチ馴染めず)以外、暫くはドラマと縁がないかも……と思っていたが、先月「錦織圭」観たさに再契約したWOWOWに掘り出し物アリ。

それは、一昨日(4日)、午後5時から10時半まで全5話一挙放送されていた「空飛ぶタイヤ」(制作/2009年)。

原作は「半沢直樹」シリーズでお馴染みの池井戸潤の同名小説。2002年に発生した三菱自動車製大型トラックの脱輪による死傷事故、三菱自動車によるリコール隠しなどが物語の下敷きになっている“ヒューマンサスペンス”だが、地上波のように大手自動車会社などの有力スポンサーの制約を受けない有料放送WOWOWならではの骨太な力作で、とても見応えがあった。(池井戸潤原作のドラマは、ハラハラムカムカしながら最後に溜飲の下がる思いを味わえるのがイイ。10月中旬からは、池井戸潤原作の新ドラマ「株価暴落」、宮沢りえ主演の「グーグーだって猫である」がスタート。今後、週末の夜はWOWOWに決まり)

で、5時間半のドラマを一気に観た後は、ケーブルテレビ(フジテレビNEXT)にチャンネルを切り替え、ブンデスリーガ「ボルシア・ドルトムントVSハンブルガーSV」を生観戦……試合は、「あれあれ、どうしちゃったの?」と言うくらいパスミス&連携の拙さが目立つドルトムントが守備の乱れを突かれ、ホームで0-1の敗戦(故障者続出で、チームの状態は今が底か?)。でも、先発フル出場の香川の調子は上昇モード。孤軍奮闘、スルーパスから何度もチャンスメイクし、抜群の球さばきとキープ力で改めてその実力を示していた。代表戦(10日ジャマイカ戦、14日ブラジル戦)でも期待したい。

セリエAの試合は、「スカパー」に入っていないので、生で観ることはできないが、ネットを通じて見る限り、ミランの本田も好調キープ。キエーヴォ戦では見事なフリーキックでゴールを決め、掌返しの地元メディアから「チェッキーノ(射撃の名手)」という異名が与えられたそうだ。名門ミランの「チェッキーノHONDA」……う~ん、なかなかカッコいい。

そんな本田に関して、監督インザーギのこんなコメント。

「技術的なことももちろん、態度の上でも素晴らしいものを私に見せてくれている。練習には2時間前に来て、終わった2時間後に帰るんだ。本田の意欲は旺盛で、そのことに私はとても満足している。そしてこの素晴らしい資質は、彼が練習合流直後から見せていたものだ。『彼の獲得は失敗だった』などとレッテルも貼られていたが、そういった連中にリベンジを果たしているという意味でも胸が空く思いだ。シーズンはまだまだ長いが、見通しは非常に明るいものになったね」

本田も香川も理解ある指揮官の下で戦うことができて、本当に良かった。

※昨日の楽天ジャパンオープンの錦織圭も素晴らしかった。でも、いつ見てもユニクロのウェア
  は残念!の一言(デザインも、ペタペタ貼られたダサいマークも)

 

2014/09/23

余談(前回「マグリット」の流れで…)



ところで、いつから広告やグラフィックがつまらなくなったのか? ソフトバンクのお父さん犬が茶の間の人気者になった頃からだろうか?CM自体は革新的だったと思うが) 佐藤可士和がもてはやされるようになったあたりか?(ユニクロのマークにしろ、明学大のブランディングにしろ、どこがいいのかさっぱり分からん) それとももっとずっと以前からか……その辺は定かではないが、いつの間にか「マーケティング」が「クリエイティブ」の上に立って仕切り、「とにかく金をかけずに、商品寄りで分かりやすく」とクライアントが言い出し、「イメージ」より「ストーリー」&「即効性・廉価感」が常に優先されるようになり、街にはベタなコピーと毒にも薬にもならないビジュアルが溢れ、金のかからない版権フリーの写真やイラストが氾濫。広告表現における「イメージ」の衰退と共に、力のあるイラストレーターやカメラマンの仕事は激減し、巷のデザイナーの仕事もルーチンに変わってしまった。(もちろん、広告コピーも疲弊中)

一方、CMはどうか? 「ソフトバンクみたいなCMを作ってよ」と数多のクライアントが異口同音に言っているのかどうか知らないが、トヨタ、ダイハツ、ダイワハウスなどなど、有名タレントを惜しげもなく(金に糸目もつけず?)使ってストーリーを組み立てる手法は、いずこも同じ秋の夕暮れ……商品と企業広告を合体させたトヨタの「ReBORN」などは、ソフトバンクの「ホワイト家族」を手がけたプランナーとクリエイティブチームが作っているのだから何をか言わんや、我が世の春。まさに大手代理店専属クリエーターの独り勝ち状態だ。
私的には、挿入歌「黄昏のビギン」以外、まったく好きな所はないので、「何がReBORNだよ!」と悪態をついて即、チャンネルを変えたくなるが、不思議に好感度は高いらしい。(rebornは、トヨタと日本と過去の英雄の転生をつなぐ言葉。「トヨタも生まれ変わりたい」というのは分かるが、転生した英雄に改革を期待する・語らせるっていうのが、そもそも古いコンセプト。CM自体をrebornしてほしいくらい)

でも、紙媒体(新聞広告やポスター)よりは、まだテレビCMの方が元気に見えるし、もちろん中には「オッ、面白いじゃん!」と唸らせてくれるものもある。例えば、サントリーの「BOSS(宇宙人ジョーンズシリーズ)や、中居クンと「電車おじさん」の掛け合いが笑える「ヒューマントラスト」など。(「BOSSCMも「ReBORN」と同じプランナーが手掛けたものなので、あまり誉めたくはないが)
そしてもうひとつ、好感度はさほど高くはないだろうが(むしろ、低いか!?)、「美容整形なんて、端から胡散臭いと思われているんだから、逆に堂々と正面突破で“胡散臭くても幸せな生き方”や楽しんでいる姿を見せてやろうぜ」みたいな強烈な個性とバイタリティを感じるYES!「高須クリニック」のカオスなCM。(普通の視聴者には「ナニこれ?」とウケなくても、「整形」を一歩手前で躊躇っている女性たちには「思いのまま、もっと、自由に生きようよ」と肩を押してくれるメッセージに思えるはず。つまり、自分の存在全肯定のYES!なのだ)

そういうCMを見ると、イミフに見えて考えが深いなあ、訴求力あるなあ……と、素直に評価したくなるが、自分がそういうものに「関わりたい・作りたい」と思わなくなったのは、広告制作に対する情熱が年と共に薄れてきたからだろう。(まだ、いいコピーを書きたい!とは思うけど)

……というわけで、広告における「イメージの衰退(=想像力の衰退)」を嘆きながら、CMの好き嫌いみたいな、まとまりのない話になってしまったが、「余談」なのでお許しあれ。

では、また。

明日からは、デザイナーのUEちゃんに頼まれたロゴマークの「コンセプト作り」に集中。彼岸明けの金曜日は墓参りの予定。

2014/09/21

黒板ジャック&マグリット



先週の土曜13日)の朝、「ズムサタ」(日テレ)を観ていたら、美大生が中学校の黒板にチョークで落書きして回る「黒板ジャック」の話が紹介されていた。(武蔵野美術大学の学生による「旅するムサビプロジェクト」の一環らしい)

「ジャック」と言っても、きちんと学校の許可を得て真面目に描いているし、「落書き」自体もかなり本気度を感じさせる力作ばかりなのだが、殺風景な教室を、さながら街の小さな美術館に早変わりさせるその行為が何ともユニークで楽しそう。
もちろん、生徒たちは事前に何も知らされていないので、教室に入った途端に目がテン! 他の教室の「黒板」を覗きに行ったり、大袈裟にのけ反る子もいたり、そのリアクションの面白さも一緒に楽しめるというワケだ。(好きだなあ、こういうの)

黒板に描かれた絵は、授業が始まる前に美大生と生徒の手により「せ~の」で一気に消されるのだが、「え~~っ」「もったいな~い」とどよめく教室の名残惜しげな雰囲気を、束の間残した夢の跡とばかりに、スパッと断ち切る感じもまたイイ。(退屈な日常をぶち破るアートの力ここにあり!といった意気と自負を感じる)

というわけで、テレビを観ながら「旅するムサビプロジェクト」にエールを送ったわけだが、そんな「黒板ジャック」に刺激を受け、翌日は“家でグウタラ”の予定を急遽変更。ウチの「黒猫ジャック」に留守番を言いつけ、Bunkamura25周年特別企画『だまし絵Ⅱ 進化するだまし絵』展を観に、渋谷へ出かけた。

好天に恵まれた日曜日(14日)。渋谷の街は丁度「金王八幡宮例大祭」とかで、凄い人混み。お決まりの「麗郷」でランチを取り、練り歩く神輿と路肩に腰を下ろして休んでいるハッピ姿のお兄さん・お姉さん(オバサン、オジサンもチラホラ)を横目に文化村へ着いたのだが、「だまし絵」という言葉の“ふしぎ発見”的な親しみ易さ(&面白さ)に惹かれるのか、宝探しにでも来たような、あまりアートと縁の無さそうな家族連れも多く、会場は老若男女入り乱れて渋谷の街以上の大混雑。(「シュールレアリスム」や「トリックアート」という言葉では、これほど人は集まらないだろうに…)
とてもゆっくり観ていられるような状況ではなかったが、目当てのアルチンボルドの2作品(「司書」「ソムリエ」)、ダリの「海辺に出現した顔と果物鉢の幻影」、マグリットの「赤いモデル」「真実の井戸」「白紙委任状」などは何とかじっくり目に収め、1時間ほどで鑑賞を終えた次第。

で、何が印象に残ったかと言えば、やはり「ルネ・マグリット」。絵も不思議だが、タイトルも不思議……先端に指の生えた片足だけの長い靴の絵を「なんで、真実の井戸なの?」と聞かれても、答えられるわけがない。
が、その「なんで?」という違和感、言葉で説明できない不思議さこそが「言葉とイメージ」の問題を追求し続けたマグリットの魅力。観る側の常識的観念に奇抜な発想で問いかけ、眠っている想像力を掻き立てる強烈な力がある。

さすが「イメージの魔術師」と言ったところだが、そんなマグリットの生涯は、同じくシュールレアリスムを代表する画家ダリのような波乱や奇行とは全く無縁……3LDKのアパートで、幼なじみの妻と生涯連れ添い、犬を飼い、絵を描くときも常にスーツにネクタイ姿、時間に正確で夜10時には就寝する「平凡な小市民」だったという。(逆にこれだけキチンと生活する「平凡な小市民」もいないと思うけど…)

それまた不思議。斯様に意識的な(?)「小市民」ぶりを知り、尚更、マグリットが魅力的に思えてくるのは何故だろう。

シュールレアリスムは、新兵器・大量殺戮兵器(毒ガスなど)が大々的に使用され、非戦闘員(民間人)の死者数が1000万人に及んだ第一次世界大戦後、人々の心の壊れの表現として生まれた芸術運動。マグリットは、戦争によって奪い尽くされた「普通の生活」にこそ人間の在るべき姿があるとでも言うように、平凡な市民として実生活上の“真実”を体現しながら、時折「死」の気配すら漂わせるその心の「壊れ」を絵の中に隠し、無限のイメージの世界で自由に生きようとしたのだろうか……

まだ広告が元気で、ビジュアルも刺激的で楽しかった頃、事あるごとにマグリットの絵を眺め、ビジュアルのヒントを探していた自分を思い出しながら、そんなとりとめのない事を考えてしまった。

もう、秋ですね~