2026/07/14

雑感①


◎「高市内閣」支持率65%超って、本当なの?

今国会で高市がやろうとしていることは

「国家情報局の設置」「国旗毀損罪の制定」「皇室典範法の改正」の3つ。

ものの見事に国民生活に関係ないことばかり最優先でこなしているわけだが(その3つに共通した狙いは恐らく「現憲法の無効化」。つまり「自由民主党」による自由と民主主義の否定・破壊)、唖然・呆然・愕然の高支持率(公約だった消費減税とか、何か我々の生活に役立つことした?)……この数字が本当ならば、ネット上の誰かの言う通り「日本人は貧しくなりたくて貧しくなっている」相当自虐的な民族なのかも?と思うほかない。

※政治及び政治家の劣化のみならず、日本人自体の劣化を示す“65%超”。「近代国家」から戦前の「国民国家」への回帰が急速に進んでいる気がする。


◎「日本会議」主導の「皇室典範改正」

712日の「日刊ゲンダイ」の記事によると、影の総理とも呼ばれる自民党副総裁・麻生太郎が皇室典範改正を急いだ大きな理由の一つは、924日に開催される“日本会議・日本会議国会議員懇談会設立30周年記念の集い”。(それに間に合わせたかったというのが、ホントのところのようだ)

以下、日刊ゲンダイの記事より

《日本会議が戦後憲法の見直しや今回の皇室典範改正案を強力に推進する日本最大の右派・保守系の政治圧力団体であることは周知のとおり。麻生はかつてこれを支援する議員懇談会の会長を務め、現在は特別顧問。メンバーには自民、維新をはじめ、野党の国民、中道、立憲民主などを含め290人ほどが名を連ねている。ちなみに日本会議の現会長は故・安倍晋三元首相のスピーチライターを務めた谷口智彦元内閣審議官。議員懇談会は安倍元首相の父君・晋太郎の外相秘書から政界に転身し、先の自民党総裁選で高市推薦人の代表を務めた古屋圭司が会長である。「東京プリンスホテルに2000人の参加を予定しており、会費は115000円。売り上げはザッと3000万円となりますが、実際には個々の議員が裁く分も含めると、この23倍のカネが動きそうです」(全国紙デスク)》

《「麻生さんにとっては皇室典範改正もさることながら、戦後自民党が一貫して掲げる自主憲法制定を自分の手で成し遂げたいとの思いが強い。しかも安保世代の生粋の自民党 政治家ですから、国民世論の反発、批判や罵詈雑言に本人はますます意固地になるようです」(前出のデスク)》

先日、NHKの日曜討論に出ていた故・安倍晋三のブレーンの一人「百地章」も、日本会議常任理事・政策委員の肩書を持つトンデモ右翼。

(天皇は「君主」であり「元首」であることを憲法に明記するべき、という「象徴天皇制」否定論者。“公正を期す”などと言いながら、よくもこんな公共性に反した戦前回帰の老害学者を恥ずかしげもなく呼んでくるよなあ~、クソNHK!!)

そういえば、日本会議の戦略的シンクタンクであり、「呼びかけ人」として国民運動の旗振り役を担っている「櫻井よしこ」も「国民大会」を呼びかける場でこんなことを言っていたようだ。「今上天皇を礼賛するのは外国人」……

つまり、「戦争を反省し、憲法を守り、国民に寄り添う」今の天皇(家)が邪魔で仕方ない連中(自民党右派、日本会議、神道政治連盟等々)が半“密室”での「皇室典範改正」を企んでいるということ。当然、彼らにとっては「国民の総意」なんて“無視”一択。

※私自身は天皇家に対して特に思い入れもないが、日本社会及び日本人の劣化に伴い、今や「象徴天皇」が「戦後民主主義」の唯一の支柱かも?と思える存在になったのは確か。その意味で「現天皇家」の意思・行動を阻害するような改正案は“阻止”一択。

当然「天皇」が男性でなければいけない理由はないし(あれこれ屁理屈を並べて「女性天皇」に反対している連中は、単に女性が“国の象徴”になるのが嫌なだけ)、「女性天皇」の誕生も“象徴天皇制”及び戦後民主主義の新たな一歩として貴ばれるものだと思う。ただ、それが「愛子さん」個人にとっての幸せだろうか?と問われると何とも……。「女性天皇の賛否」を問うこの機会に「天皇家の人々の人権」についても考えてみるべきでは?と思う。

 

2026/07/10

6月のメモ②


614日(日)―616日(月)

友人夫婦(4人)と6人で23日・山形・米沢の旅へ。

◎旅の記憶①~⑤

①“6人旅“初のカラオケ

旅の初日、山形駅近くの居酒屋「いのこ屋」で呑み喰いした帰り道。誰ともなく「カラオケ行こう!」の声が出て、「いいね!いいね!」の大合唱。ホテル近くのカラオケボックスで2時間近く、一同、ここぞとばかりに声を張り上げた。

私も久しぶりに、ザ・ブルーハーツの『Too Much Pain』(なぜか最近、衰えていた喉が復活した感じ。5月頭にあった中学校の同期会でも同曲を歌い、結構,好評だった)、井上陽水『五月の別れ』、上田正樹『悲しい色やね』等を歌った。(あまりカラオケと縁がない照れ屋のカミさんも『リンダ・リンダ・リンダ』を熱唱。体調不良で少し元気のなかった“まりちゃん”も中島みゆきの『歌姫』をしっとり歌い上げるなど、大盛り上がり。曲に合わせてリズミカルに揺れながら叩き鳴らすO君のタンバリン裁きも見事だった)

②「文翔館(山形郷土資料館)」

英国近世復興様式(ネオ・ルネッサンス様式)を取り入れたレンガ造りの美しい建物「文翔館」は、国の重要指定文化財に指定されており“山形県のシンボル”的存在。

で、驚くことに見学無料(これこそ「文化を守る・次代に伝える」という強い意思の表れ。国立博物館や美術館に「収益目標」を設定しようとしている政府の愚かさが、ここ山形で改めて浮き彫りになった感じ)しかも頼めばガイドさんも付き添ってくれる。ということで、是非行ってみたい所だったが、やはり“大当たり!”。歴史の重みを感じる館内を、老練かつ個性的なガイドさんの“話術”に乗せられながら1時間ほど見学……。二度にわたる「山形大火」(1894年、1911年)、「文翔館」がゴールとなる「花笠まつり」の熱気、皇太子時代(東宮)の昭和天皇が山形市行啓の際、多くの人出で賑わった「七日町通」の様子等々、興味深い話をたっぷり聞かせてもらった。


③そば処「庄司屋」御殿堰七日町店&「米沢牛DININGべこや」

山形市内の「庄司屋」では“天ざる”(初日の昼食)、米沢駅近くの「べこや」では米沢牛カルビ三昧ランチ(2日目の昼食)。山形・米沢は蕎麦も天ぷらも肉も美味い!!(普段は“早飯”の私だが、滅多にない米沢牛との出会い。ビールを飲みつつ、一切れ一切れじっくりゆっくり…誰よりも遅く食べ終えた)

④小野川温泉

2日目の宿は小野川温泉「湯杜 正味庵 山川」(12食付、一人、税込13,350円)。風呂も良いし、メシも美味い。それで「13,350円」はこの時世“格安”と言ってもイイはず。夜8時過ぎ、みんなで“ホタルと星”を見に出かけたのも良い思い出。(翌朝6時過ぎ、一人で行った共同浴場「尼湯」も中々の風情。自販機で200円の入浴券を購入し、入れ違いで風呂を出る地元の人と二言三言、軽く言葉を交わした後、高い天井を見上げながら誰も居ない熱い湯につかった)


⑤「染織工房わくわく館」&「東光酒造」

最初は工房見学のみのつもりだったが、みんな徐々に米沢織に魅せられスカーフ、スカート、シャツなど買い物に大忙し(何も買わない私への哀れみか、カミさんから“栞”のプレゼントあり)。「東光酒造」では酒蔵見学、利き酒を楽しんだ。


620日(土)

◎いきなり腰痛に…。

20日夜、午前中の仕事が特にハードだったわけでもないのに、腰から臀部にかけて(左側)痛みを感じ歩くのも辛くなってきた(狭所での作業、若干不自然な体勢で20分ほど作業していた所為だろうか)。とにかく足を上げると痛むので、ジーンズを履くのも脱ぐのも一苦労。特に寝床から身を起こす朝方は痛みが増し、両手で自身を支えないと立ち上がれないほどだった(ただ立っている分には平気だが“しゃがむ・立ち上がる”がダメ。トイレや風呂もけっこう大変)。

でも、年寄りにはままある事。「あまり深刻に考えず様子を見よう」と2,3日……ストレッチをしながら“様子見”していたが一向に症状は改善せず、24日、ネットで見つけた秋津駅近くの整骨院に行くことにした。

(以後、週2~3ペースで通院。痛みはかなり緩和され、日常生活に不自由さを感じることはなくなった。但し《「再発防止・根本改善」に特化した独自の施術》が“ウリ”の整骨院。継続治療を強く勧められ“言う通り”暫く通う事に……もちろんカラダには良いだろうが、“財布”には決して良くない話。基本的な施術に保険は効くが、保険外の電気治療・ハリ治療併用なので金銭的負担は結構大きく、継続・打ち切りについては自分なりの“見極め”、というか懐事情との相談ということになる)

◎愛猫ジャック、元気なし…。

5月末頃から、愛猫「ジャック」が餌をあまり食べなくなった。(特に気になるのは、食べる量の減少に加え、今まで食べていたドライフードや大好きなカリカリ“おやつ”を食べにくそうにしていること)

旅行から帰った16日以降、さらに量を食べなくなり(ドライフードをあまり食べてくれないので、ウェットフード主体に)、通常を10とすれば2~3程度に減少。22日午前、黄色い液体(胃液)を吐くに至り、何度か予防接種で利用したことのある近くの病院に連れて行った。

先生の診断は「歯周病が進行していて、餌を噛むと痛いので拒否反応が出ているのではないか?」「全身麻酔をかけて歯を治療することもできるが、既に14歳(人間でいえば80歳)、麻酔は体への負担もかかるし、却って健康を害する危険性もある」「ウェットフードが食べられるなら、それを続けてみれば……」という、あまり前向きなものではなかったが、仰せの通りウェットフード中心の食事で様子を見ることにした。

しかししながら、その後も「ニャーニャー」と朝ごはんの催促には来るもののメインの食事はほとんど食べず、おやつのチャオチュールを喜ぶばかりで、「ジャックこのままじゃダメだよね?」と私たちの不安は募るばかり……その間、飼猫(16歳)の手術経験もあり猫の世話に長けたAYUちゃん(愚息のパートナー)にも相談し、夫婦で考えた結果“セカンド・オピニオン”を受けることを決心。

78日(水)ネットでの評判が良く(診断・手術も的確)、検査設備も充実している練馬区の病院(家から徒歩15分)で受診したのだが、のっけから「14歳なんて、まだまだ若いですよ」という先生の言葉に励まされ、夫婦揃って少し前向きな気持ちに。

「歯周病」もドライフードを噛むのが無理なほど酷いものではなく(但し、噛むことには直接影響はないものの、左側の「犬歯」は腫れが酷く、膿んで取れかかっている状態。抜歯が必要のようだ)、「これで通常の23割程度しか食べないというのは疑問ですね。他に何らかの原因があるかもしれないので、調べてみましょう」と、血液検査・エコー検査・レントゲン検査をしてもらうことに……

で、その結果だが、何と「エコー、レントゲン異常なし。血液検査の数値も気になる点はなく、まったく問題なし!」とのこと。ほっと胸を撫でおろした。

(「犬歯の抜歯」及び「歯石除去」の手術日を決め、この日の診察は終了。先生に「食欲増進」の薬を耳に塗ってもらい、帰宅。その夜、薬が効いたのか、この数週間の「食欲不振」が嘘のように、ドライフードもウェットフードもカリカリ・バクバク食べていた)

※手術日は715日(水)。手術の無事を祈りつつ痛みが取れた後のジャックの“食欲”に期待したい。

 

2026/07/01

6月のメモ①

 

61日(月)

『菜食主義者』(ハン・ガン/訳:きむ ふな)読了。

《ごく平凡な女だったはずの妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否し、日に日にやせ細っていく…その姿を“客観的”な視線で見つめる夫の独白(「菜食主義者」)、妻の妹・ヨンヘを芸術的・性的対象として狂おしいほどに求め、自分自身の描くイメージの虜となってゆく姉の夫の独白(「蒙古斑」)、変わり果てた妹、家を去った夫、幼い息子等々。脆くも崩れ始めた日常の中で、もがきながら進もうとする姉・インへの独白(「木の花火」)……と、3人の“語り手”を通して綴られる連作小説集》

 62日(火)

所沢エミテラス内「Tジョイ」にて『ひつじ探偵団』(監督:カイル・バルダ/2026年製作、アメリカ・イギリス合作)

《ヒュー・ジャックマンが主演を務め、大好きな飼い主を殺された羊たちがその犯人を見つけ出すべく奮闘する姿を描いた異色のミステリー映画。

イギリスののどかな田舎町。羊飼いのジョージは、愛する羊たちに囲まれながらひとりで暮らしている。彼は毎晩羊たちに探偵小説を読み聞かせているが、実は羊たちは物語を理解しており、その時間を楽しみにしていた。そんなある日、ジョージが死体となって発見される。羊たちはこれが事故だと信じようとせず、最も賢いリーダーのリリーを先頭に調査に乗り出す。手がかりを追ううちに、ジョージには巨額の遺産があったことが判明。愛するジョージの無念を晴らすべく、犯人捜しに奔走する羊たちだったが……。(映画.comより)というお話》


タイトルからして、子ども向きor家族向きのB級コメディーを想像させ、全く観る気はなかったが、普段さほど映画を観ないカミさんが珍しく「面白そうだよ。行こうよ!」と鑑賞意欲満々のご様子、「ならば」と軽い腰をヒョイと上げた次第。

(平日の丁度いい時間帯で上映している場所が所沢のTジョイしかなく、午後1時半頃開始のチケットを予約購入……で、上映開始直後「日本語版」と分かり、「ヒュー・ジャックマン」ファンのカミさん「えーっ!?なんでよ~!!」と大ブーイング……「いや~、気づかなかったよ。ゴメン。我慢して」と謝ったが、その怒りの主は20分も経たないうちに爆睡状態……「おいおい」と突っ込む気にもならず、エンドロールまで“放置”した)

さて、肝心の作品に関してだが……アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏によると、アメリカでは「群れに逆らわず、周りの言う通りにする」「自分では考えず、周りの意見に従う」人たちを“don’t be a sheeple(羊っぽい人たち)”と呼ぶそうだ。つまり、この映画の面白さはまず自己矛盾的なタイトルにあり。(「自分で考えず、人や犬の指示通りに動く羊」が殺人犯を探す「探偵」なんてできるわけがない!という多くの人々が抱く当然の疑問が物語の出発点、というわけ……ちなみに、現在アメリカではトランプ支持者の事を“SHEEPLE”と名付けて批判的分析を行う本も出回っているらしい)

で、その羊たちがどうやって「犯人を見つけ出し、彼らの愛するジョージの恩に報いるか」は、映画を観てのお楽しみだが、町山さんの言う通り「シープといっても“一枚岩”ではない」ということが納得できる(&考えさせられる)珍作かつ傑作。実に面白かった。

(犯人捜しの謎解きと共に、キリスト教的死生観とでも言うのだろうか「命をつなぐ」という意味を考えさせられる映画でもあった)


64日(木)

錦糸町で昔の仕事仲間との飲み会あり(午後7時~)。

飲み会の前に、映画でも見ようか……と、午後3時頃TOHOシネマズ錦糸町へ。

染谷将太主演の『廃用身』(監督:吉田光希/製作2026年)を観てきた。

《現役医師の作家・久坂部羊が2003年に発表した同名デビュー小説を、染谷将太が主演を務めて映画化したヒューマンサスペンス。

デイケア施設「異人坂クリニック」に通う高齢者の間では、院長の漆原糾が考案した画期的な治療が密かに広まっていた。コストパフォーマンスに優れた介護を目指すその医療行為は、「廃用身(麻痺などにより回復見込みがない手足のこと)」をめぐるもので、「身体も心も軽くなった」「厳しい性格が柔らかくなった」などと予想外の“好ましい副作用”が現れたという。噂を聞きつけた編集者の矢倉は、老齢期医療に革命を起こす可能性を感じ、漆原に本の出版を打診する。しかし、デイケアに関する内部告発が週刊誌に流出し、さらに患者宅で衝撃的な事件が起こったことで、すべてが暗転していく(映画.com)》。 

「医療と介護」というテーマ的に「他人事じゃない」作品とは思うが、映画の出来としてはどうだろう? 最初から最後まで重いし、暗いし、いたたまれないし……で、後味悪いし。但し“合理性と狂気の狭間へと踏み込む”医師・漆原を演じた「染谷将太」の儚げで虚ろで、一人、別世界にいるような雰囲気を醸し出す演技力は高く評価したい。

飲み会は、刺身の美味い居酒屋『愛魚人』にて(3時間ほどで終了)。(龍ちゃん、ヤブ、ハジメちゃん、ヨーさん、KIUCHIさん……私より10歳以上若い人ばかりだが、みんな元気で!)

65日(金)~67日(日)

自宅のPCに問題発覚。Outlookが「送受信エラー」で、まったく機能しなくなってしまった。チャットgptにも相談してみてが(3040分ほど)、一向に改善の方向が見えず、一時中断。とりあえずプロバイダーに…ということで、ソフトバンクに電話したが「直接サポートできることはなく、あとで「ヘルプページ」をメールで紹介するので、その手順に沿って試してみてください」という、とても親切・丁寧とは思えない返答。

というわけで仕方なく、一人“アウトルック”を正常稼働させるべく苦闘としていたが、結局改善は図れず、断念&放置。結局、Outlookでの送受信は諦め、今後はgmailでメールのやり取りを行うことにした。(友人たちにはその内アドレスを連絡するつもり)

加えて、遅まきながら「LINE」も始める事に……「災い転じて福」とまでは言えないが、仕事関連のメールも全く来なくなった今、交友関係をシンプルにする上では、これも悪くないかも。

612日(日)

サッカーW杯開幕。

当然、日本代表の活躍を楽しみにしているが、以前に比べ自身の“わくわく感”が乏しい気がするのは、日毎増していく現政権への反発・苛立ちが原因かも。

日本列島がW杯で盛り上がっている間に、「国旗損壊罪」とか「比例45議席削減法案」とか、自由と民主主義の破壊を狙う“悪法”が高市自民と維新の手でごり押し的に衆議院を通過しようとしているわけで……(正に“スポーツウォッシング”の典型)。

というわけで「ガンバレ、ニッポン!」「クタバレ高市(内閣)&自民党!」を胸の中で叫び続ける数週間が始まった。

 

2026/05/29

3月・4月(&5月)の映画たち②


『カミング・ホーム』(監督:マーク・タートルトーブ/2023年製作、アメリカ)

《ペンシルベニア州西部の小さな町に住む79歳の男性ミルトンは、娘デニスに認知症の初期症状を心配されながらも、ひとり暮らしを続けていた。ある夜、空から現れた正体不明の飛行物体がミルトンの家の庭に墜落し、平穏だった彼の日常は大きく揺らぎはじめる。周囲に訴えても相手にされず、ミルトンはともに飛行物体を目撃した同年代の隣人サンディーとジョイスと秘密を共有することになる。それぞれ孤独を抱えていた3人は忘れかけていた人生の喜びを取り戻し、これからの人生と向き合っていく(映画.comより)》というちょっと奇想天外ユーモラスなヒューマンドラマ。原題は「Jules

物忘れの頻度が増しつつある自分にとっても他人事とは思えない作品だったが、意外なほどスッキリした後味。「Jules」と名付けられた宇宙人を匿う3人の孤独な高齢者同士の連帯が何とも微笑ましく、温かい気持ちにさせてくれる秀作だった。(Julesに誘われ、一緒に宇宙に向かおうとした彼らが、自分の居るべき場所に気づき引き返すあたりもまた良し)

で、改めて思うのだが、その全体を通した心地よさの大きな要因は、この作品が世界に蔓延る排外主義(及び排他的な思考)と真逆の位置に屹然と立っているように見えるという点ではないだろうか。「異質」を受け入れることで、お互いが寄り添い連帯し、各々の孤独や孤立が少しずつ薄れていく社会……そんな社会を希求する思いも同時に受け取ることが、本作品に対する礼儀の様な気がした。

 

『済州島四・三事件ハラン』(監督:ハ・ミョンミ/2025年製作、韓国)

3万人近くが犠牲になったとされる無差別虐殺が行われながらも長きにわたり隠ぺいされ続けてきた「済州島四・三事件」を題材に、理不尽な暴力に追い詰められながらも必死に生き抜こうとする母娘の逃避行を描いたドラマ。

194843日、外国勢力による干渉に反発した済州島の一部島民が武装蜂起したことに端を発した「済州島四・三事件」。同年10月より、政府は海岸線から5キロ以上離れた地域を「敵性区域」とみなし、「出入りする者は無条件に射殺する」という布告文を発令した。村人たちは難を逃れるため、済州島の中央にそびえる漢拏山(ハルラサン)を目指す。一時的に村を出ることになった女性アジンは、村に残してきた6歳の娘ヘセンのことが心配でたまらない。その頃、村では韓国軍が老人たちを容赦なく射殺していた。生き残ったヘセンは、母を捜すためたったひとりで山へ向かう。奇跡的に再会を果たした母娘は、生き延びるため命がけの逃避行に出る。(映画.comより)》

ノーベル賞作家ハン・ガンの長編『別れを告げない』のモチーフにもなった韓国現代史最大のタブーと称される「済州島四・三事件」(1948年の武装蜂起に始まり、朝鮮戦争を挟んで1955年に終結宣言が行われたが、政治的な圧力などによって長きに渡り語られることはなかった)。監督ハン・ミョンヒはインタビューに応えこう語った。「(四・三事件は)何の罪もない平凡な人たちが国家権力によって犠牲になった事件。犠牲者たちの声を探し、そこに焦点を当てて映画を作りたかった」「SNSによって人々が攻撃し合う現在は、事件当時と似ている」……

というわけで、映画を観終わり、改めて「国家なんて絶対に信じちゃダメだよ」と、日本の(特に)若い世代に伝えたいと思ったが、「国家情報会議法」もすんなり通っちゃったし、メディアは政府ベッタリだし、何を言っても通じないんだろうなあ、今は(と諦念)……嘘つきとバカ野郎たちが、したり顔で国を牛耳っているほど気分の悪いことはないのにね。

(こういう映画が堂々と作られ、多くの観客を動員する。という点でも隣国の民主主義の現在地が分かる。平和も自由も民主主義も失いつつある日本人の一人としては、羨ましくもあり、寂しくもあり…何とも微妙な気分だった)

 

『サンキュー、チャック』(監督:マイク・フラナガン/2024年製作、アメリカ)

《作家スティーブン・キングが2020年に発表した短編小説「チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ」を、「ドクター・スリープ」のマイク・フラナガン監督が映画化したヒューマンミステリー。

大規模な自然災害と人災が次々と地球を襲い、世界は終わりを迎えつつあった。インターネットもSNSもつながらないなか、街頭やテレビ、ラジオに突如として、「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という謎の広告が大量に現れる。高校教師マーティーが元妻フェリシアに会うため家を飛び出すと、誰もいない街はチャックの広告で埋め尽くされていた。無事に出会えたマーティーとフェリシアが星々を眺めながら終末の到来を感じ、手を握り合っていると、場面は一転して広告の人物・チャックの視点に切り替わり、彼の人生をさかのぼる物語が美しい映像で紡がれていく。(映画.comより)》

「誰だ、このチャックって? 何なの、これ?」という国語教師の発言に端を発し(国語教師のみならず我々観客も「チャックって、誰?」何ですが…)、世界が破滅に向かっていく(世界だけじゃなく宇宙も!)という、摩訶不思議かつ超スケールのSF映画(ホラー要素もある)なのだが、原作は「トランプはホラーストーリー。彼の2期目が弾劾によって終わることを望む」と公言、時の大統領と真っ向対峙の姿勢を堅持する、あのスティーブン・キング。そんじょそこらのSF映画とは格が違うというか、謎めいたストーリーの中に深く胸に響く警句を忍ばせている点で、一線を画しているわけだが、その重要なカギを握るのが19世紀のアメリカの詩人ウォルト・ホイットマン。

で、そのホイットマンの詩の言葉の意味を少年時代のチャックが女性教師に尋ねるシーン……教師はチャックの頭の両側に手を置き、「私の手の間には何があるの?」と問いかける。困惑したチャックは自分の頭か脳だと答えるが、彼女はさらに踏み込み、手の間(つまりチャックの脳)には、「考えたことすべて、知っているすべての人、これから知る、出会う、見るすべての人がある」と言いながら、「私の手の間にはmultitudes(非常に多くの人々や物事)がある」と結論づける。「あなたはmultitudesを抱えているのよ」……(ホラーな場面じゃないのに、普通にゾクっときたなあ)

さて、アメリカの学校ではウォルト・ホイットマンの詩は必ず習うらしい。どういう詩かというと「君よりも素晴らしいものはこの世にないんだ」ってことを訴える詩……「絶対にその君自身を抑えてはいけないんだ。思いっきり生きるんだよ」「どんなルールも無視しろ。君自身の生き方を達成することが一番大事なんだ」と重ねて教えるそうだ。(日本は「ルールを守れ」とか「人に迷惑をかけるな」とか、端から「自由であること」を委縮させるようなことを「(正し気な)教え」として言うから、権力に従順な人間が増えるんだろうかね?)

というわけで、たとえ世界が破滅に向かおうが、「個人の自由」という最も大切な価値観、道徳やルールに縛られず自分自身で「思考」し続けることの大切さを伝えてくれる珠玉の一本、個人的に本年度ベスト1の傑作でした。(何でもチャットGPTに頼ったり、考える過程を踏まず安易に「答え」だけを欲しがったりする今のボンクラ日本人にこそ観て欲しいが、残念ながら“ボンクラ”は絶対観ないだろうなあ…)


以下、「観て損はなし」の3作品

●『ハムネット』(監督クロエ・ジャオ/2025年製作、イギリス)

「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督が、シェイクスピアの名作「ハムレット」の誕生の背景にあった悲劇と愛の物語を、フィクションを交えながら描いたドラマ。 

※所謂“できちゃった婚”で「幸せな結婚」とは程遠い夫婦関係。静かな家庭より心をかき乱す恋を好む芸術家気質……シェイクスピアの創作の源が何だったのか、私には分かりませんが、映画的にはラストで報われ良かったね。という感じ。

 

●『ソング・サング・ブルー』(監督クレイグ・ブリュワー/2025年製作、アメリカ)

ヒュー・ジャックマンとケイト・ハドソンが初共演し、アメリカの国民的歌手ニール・ダイアモンドのトリビュートバンドとして活動した夫婦ミュージシャンの実話をもとに描いた音楽ドラマ。

※ヒュー・ジャックマン、相変わらず歌が上手い!共演のケイト・ハドソン(クレア役)も魅力的。映画終了後も暫く懐かしの「スイート・キャロライン」が耳の奥底で流れているような……映画自体も結構感動モノで、私もちょっぴり泣けました。

 

『シンプル・アクシデント 偶然』(監督ジャファール・パナヒ/2025年製作、フランス・イラン・ルクセンブルク合作)

記憶に残る秀作『人生タクシー』のジャファール・パナヒ監督(イランの巨匠。現在イラン政府から映画製作を禁じられられながらも活動中)が手がけ、2025年カンヌでパルムドールを受賞したサスペンス・スリラー。

※アメリカとイランじゃ、今は当然イランの肩を持ちたいが、「神権政治」を標榜しつつ自国の民衆の自由を奪い抑圧し続けるイラン政府を支持する気は全く無し。故に「最悪の体制に映画で抗う」名匠パナヒの健在ぶりを嬉しく思うし、心底讃えたいと思う。

2026/05/06

3月・4月の映画たち①


『木挽町のあだ討ち』(監督:源孝志/2026年製作)

《時は江戸時代。ある雪の降る夜、木挽町の芝居小屋「森田座」のすぐ近くで、美しい若衆・菊之助が父の仇討ちを見事に成し遂げた。その事件は多くの人々に目撃され、美談として語られることになる。1年半後、菊之助の縁者だという侍・総一郎が、仇討ちの顛末を知りたいと森田座を訪れる。菊之助に関わった人々から事件の経緯を聞くなかで徐々に事実が明らかになり、やがて仇討ちの裏に隠された「秘密」が浮かび上がる(映画.comより)》というミステリー時代劇。(直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した永井紗耶子の同名小説を映画化)

どこか「オリエント急行殺人事件」(アガサ・クリスティ原作)を思わせる、謎めいた筋立て。主演の柄本佑をはじめ俳優陣もなかなか豪華で好ましく(特に「芳澤ほたる」役の高橋和也、「作兵衛」役の北村一樹)、中弛みなく楽しめる作品だったが、“時代劇離れ”の若者をターゲットにしている所為だろうか、時代劇慣れした年寄りには若干の物足りなさが残る。特にラスト近く、大写しされる書状の文言「じぶんのために生きなはれ」には(そんなことわざわざ言わなくても…)と“どっちらけ”。で、これで興ざめしたのも束の間、さらにエンドロール(に流れた曲)で“あだ討ち”ならぬ追い打ちに合うとは!!…(「椎名林檎」の自己主張ソング「人生は夢だらけ」。彼女のファンには申し訳ないが、絶望的に合わなかった)

 

『金子文子 何が私をこうさせたか』(監督:浜野佐知/2025年製作)

《約100年前に日本の国家権力に全力で抗った虚無主義者・無政府主義者の金子文子を主人公に、死刑判決から獄中での自死に至るまでの121日間を描いた伝記ドラマ。「雪子さんの足音」などの女性監督・浜野佐知が、金子文子の生の声を伝える短歌をもとに、彼女の孤独な闘いを描き出す。(映画.comより》

映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』及びブレイディみかこ氏の著書『女たちのテロル』(岩波現代文庫)を通じて「金子文子」の生涯及びその“人となり”については大まかに知ってはいたが、改めて「金子文子」という人間の無二性&自我の“凄味”を見せつけられたような強烈かつ鮮烈な一本。(エンドロールが流れた後、渋谷「ユーロスペース」館内に何人かの拍手の音が鳴り響いた)

特に印象的だったのは、主演の菜葉菜(なはな)をはじめ、女優陣が互いに連帯しているかのように醸し出す相乗的な存在感が、より個性を際立たせ異彩を放っていたこと。幼い文子を苛め抜いた祖母役の吉行和子(この作品が遺作とは…流石、和子さん!)、元・日活ロマンポルノの女王・白川和子(地元寺の僧侶婦人役)、そして、週刊文春でのキレキレの映画評論で(個人的に)お馴染みの“サバイバー”女優・洞口依子(仏道婦人之会・教誨師役)……とにかく、みんな凄い。色々あって今なお女優として輝き続けているのが凄い!と、心底思えた。

で、“凄い”と言えば、「キナ臭さや排外主義が広がる社会に“金子文子”という爆弾を投げ込む」という強い意志のもと、この作品を世に送り出した監督の浜野佐知(74歳)も然り。女性の居場所など全くなかった昭和40年代のピンク映画界に18歳で飛び込み、セクハラパワハラに立ち向かいながら経験を積み、1971年にデビュー。85年には自身の会社「旦々舎」を設立しピンク映画界の売れっ子監督になった。というのだから“凄い”に「超」がつくレベル(作品数は何と200本以上!)。

「権力を笠に着、それにしがみつく男どもが束になってもひるまない個の尊さ。権力対シスターフッド。最も描きたかったことでした」という彼女の言葉通り、その“爆弾”は見事に男たちの胸で炸裂したように思う。(願わくば、男たちのみならず、“権力を笠に着て”浮かれ騒ぐ女性総理・高市早苗の頭の中でも炸裂して欲しいが…)というわけで、とりあえず今年の邦画ベストワン!

 

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(監督:フィル・ロード、クリストファー・ミラー/2026年製作、アメリカ)

《アカデミー賞7部門にノミネートされた「オデッセイ」の原作「火星の人」などで知られる作家アンディ・ウィアーのベストセラーSF小説を映画化。滅亡の危機に瀕した地球の運命を託された中学の科学教師が、宇宙の果てで同じ目的を持つ未知の生命体と出会い、ともに命を懸けて故郷を救うミッションに挑む姿を描く。(映画.comより)》

「ヘイル・メアリー」って何?誰のこと?と思ったら、「聖母マリア」のことらしく、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」というタイトルを日本語に訳すと「神様助けて!プロジェクト(=一か八かの神頼み計画)」となるようだ(なるほど。正にタイトル通りの展開)……「地球を救え(そのために選ばれたお前が犠牲になれ)」という半強制的なミッションにより、無理矢理12光年離れた星に向かわせられる(帰る術のない「地獄への片道きっぷ」)主人公グレース(ライアン・ゴズリング)の悲惨かつ絶望的状況に同情しつつ、その悪戦苦闘ぶり&宇宙での思いがけない出会い(何と同じ目的を担う異星人がいた!)に、ハラハラ、ニンマリ、ほっこりさせられながらの2時間半。“絶体絶命、1人ぼっち”の状況で、よくそんなに前向きになれるなあ。しかもけっこう楽しそうだし……と、妙に感心させられる一級品のコメディ映画だった。(SFサスペンスだと勝手に思って観に行った自分がバカに思えたが、結果オーライ。ビートルズの名曲『Two Of Us』が、イイ感じで使われていた点も◎)

 

 

2026/03/04

2月中のあれこれ②


213(金)

隣駅にあるTジョイで『クライム101』(監督:バート・レイトン/製作2026年、アメリカ・イギリス合作)を鑑賞。

一切の痕跡を残さず、また誰も傷つけることなく、高価な宝石を鮮やかに盗み取る事を己の美学とする主人公デーヴィスと彼を追う壮年の刑事ルー(地道な捜査で犯人を追う真摯な姿勢。それゆえに組織の中では邪魔者扱い)、そしてふとしたきかっけで事件に関わる事になる保険会社の女性シャロン(女性蔑視の上司によりキャリアの道を閉ざされている)の物語を軸に描かれるクライム・サスペンス。

私の好きな作家ドン・ウィンズロウ作品の映画化ということで「さて、どんなものか?」と半ば疑いながら観たのだが、そんな疑念は無用の良作(私流に勝手に解釈すると「三者三様、それぞれの人生が職業倫理の“一線”を超える物語」といった感じ)、特にラストは「そう来たか…イイね~!」と思わずニンマリする心地よさ。これほど後味の良いサスペンスもあまり見ないよなあ……と、仄かな解放感に包まれながら帰路に就いた。(余談だが…怪しいブローカー役で出演したニック・ノルティの老いた姿に、改めて月日の流れの速さを感じた)

216(月)

憲法改正「賛成」67%、高市内閣「支持」72%(産経・FNN合同世論調査)……

300万の命を失って、戦争に負けて、ようやく立てた平和の誓い(第二次世界大戦における日本の唯一の成果…と言ってもいい「日本国憲法 第2章 戦争の放棄」)。そんなに簡単に手放しちゃっていいわけ?と言うか、「国家権力から国民を守るはずの憲法を、政権の都合のよいように変えることを支持する国民」って一体何なの?

と、改めてその67%に問いたい気分の朝だった。(内閣支持72%に問う言葉は今のところ見つからない。単に自我が弱くて、強い側に付きたい人間が多いだけかもしれないし…)

221(土)

亡き母の「墓じまい」の為(遠方で行くのが大変、墓まで歩くのが大変、さらに近隣地域で“熊”出没情報も……というわけで、長兄が私の同意を得た後、自身の住まい近くの寺に「移設」を決めた)、あきる野市にある「秋川霊園」へ。

(午後1時、五日市線「武蔵増戸」駅で愚息&その妻アユちゃんと待ち合わせ。駅近くの「大勝軒」で昼食をとり、午後2時頃、現地で兄夫婦&息子のTAKESI君と合流)

小さな山の頂上にある墓の周りは綺麗に整えられ、「花粉症?」の坊さんと片付けの方がにこやかに迎えてくれた。「儀式」は15分程度で終了。(私も「おふくろ、場所が移っても会いに行くから心配しないでいいよ」と手を合わせた)

その後は、「社務所」で“一族”揃っての歓談。お互いの息子同士が意気投合している姿に、80歳を越えた兄も嬉しそうに微笑んでいた。

(後日、TAKESI君の要望で、愚息とライン交換……普段“血のつながり”など、ほとんど意識もせずに過ごしているが、こういう光景は何気に嬉しく、また気恥しくもある不思議な気分だった)

222(日)~28(土)

ネットフリックスで韓ドラを見たり、映画を観たり、図書館で借りた本を読んだり…の日々(仕事、日本語ボランティアは通常通り)。

最近の韓ドラのイチ押しは、(私もまあまあ好きな)人気女優パク・シネ主演のちょっとスリリングなコメディ『Missホンは潜入捜査中』。(パク・シネは、相場操作疑惑がある証券会社に20歳の新入社員として偽装就職し、潜入捜査を行う35歳の証券監督官を演じる)

映画のオススメは、綾野剛主演の『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』(監督:三池崇史/2025年製作)。(綾野剛は相変わらず上手いし、負のオーラ漂う柴崎コウはマジ怖いし……で、最後どうなる?という実際にあった事件の映画化)


本は同時並行的に2、3冊読んでいるが、寝際に枕元で読むのがこのところの日課になっている韓国のノーベル賞作家ハン・ガンの『そっと静かに』(音楽にまつわる思い出を綴ったエッセイ集)が特に味わい深い一冊。
その中で強く印象に残った一節「Let it beを抜粋して紹介したい。(彼女には、幼い子供の面倒を見つつ、指・手首の痛みに耐えながら「三年間に三篇の中篇小説を書いた」という相当ハードな生活を続けていた時期があったようで「日常生活を営むのもつらいほどに痛む手で、文章を書こうとする自分が情けなかった。いっそ、書かずに生きてみようと。できないこともないだろうと。物書き中毒に近かった十年間の習慣を封印してしまうと、恐ろしいほどの虚無感に襲われた」と本節で述べている。その時に彼女を“救ってくれた”のが言わずと知れたザ・ビートルズの「Let it be」だった)

以下、本文より。

《その年の秋、ある夕暮れ時。オーディオにCDを入れると、この歌をかけた。最初に二重窓をすべて閉めてから、最大限までボリュームを上げた。どの部屋にも陰ができないように、灯りという灯りをすべてつけた。すると家は港を旅立つ船のように、非現実的な空間になった。よく滑るように靴下をはくと、フィギュアスケートの選手のように床を滑りながら踊りはじめた。どんなダンスでもない、ただ自然と滑り出すダンス。敢えて名前をつけるなら、ぴょんぴょん、ぴょこぴょこダンス?子どもがはしゃいで私と一緒に飛び跳ね、私と一緒に床を滑った。互いの背中を押して、遠くまで滑った。「レットイットビー!」のくだりになるたびに、すーっと床を走る気分と言ったら!

曲に合わせて声の限りに歌いながらたまに泣いたりしたけれど、母親が泣いているのか笑っているのかわからないほどこの状況に興奮した子どもは、その場でジャンプを続けた。(中略)

華やかなシンセサイザーの間奏が入るたびに、狂ったようにくるくるとその場で回りながら目を閉じた。その一つ一つの音が光のようだと、生の光のようだと感じた。閉じた目に押し寄せてくる光、祝福、喜び、そのすべてだと。そう思いながら涙をふいて、またふいて、しまいにはわんわん声を上げて泣いた。あんなに大きな泣き声も、跡形もなく飲み込んでしまう音楽の中で。

(中略)

歌はいつ果てるともなく、繰り返し私に言い続けた。それこそ脳を洗い流して、私を洗脳した。

答えはあるはず。悲しみはないはず。あるがままに。ただ、そのまま、あるがままに。

「あるがままに」のほかに、どんな言葉が当時の私を救えただろうか。答えを聞かせるのではなく、答えはあるはずだという未来形。悲しむなと言うのではなく、悲しみはないはずだという未来形。なんの偽りもない歌詞。そうやって、私の体にのみで刻み込まれたような歌。》

このエッセイ集を読みながら改めて思ったが、ハン・ガンの文章は繊細なのに逞しく、そして瑞々しく美しい。

(まるで時代を過る無数の靴底に踏まれて泥まみれになった精神が、真っ白い砂や風が吹き流す言葉に洗い清められるように)

「陽光ならばいい」という後半の一節の結びも優しく胸に響いた。

《十年ほど前に書いた短編小説で、死ぬ前に三時間与えられるとしたら、太陽の光を浴びる時間に使いたいと書いたことがあった。今もその気持ちに変わりはない。その三時間のあいだ、陽光の中に全身を浸すのだ。ただし、愛するあなたと一緒に。私のいない長い時間を生きてゆくのであろう、あなたの手を握って。》

2026/03/02

2月中のあれこれ①


22(月)

日本領サイパン島の一万日』(著者・野村進/中公文庫)読了。

第一次世界大戦後に日本の委任統治領、太平洋戦争では日米の激戦地となって、五万七千(うち民間人一万数千)もの死者を出した元・日本領サイパン。移民によって開墾され、「南洋の東京」として栄えた、その繁栄と戦禍の歴史を、「楽園」を求めて南の島に渡った二つの家族を通して描いた(一気読み必至!の)傑作ノンフィクション。驚嘆というほかない地道な取材力で、忘れられた歴史を蘇らせた著者に感謝&大拍手。(ちなみに本書の“解説”は「この人が“解説”する本にハズレなし!」と以前から信頼を置いている「池澤夏樹」。やはり今回も当たり!だった)

以下「目次」

第1章 漂着/第2章 獣の島/第3章 南洋成金/第4章 南洋の東京/第5章 北ガラパン二丁目大通り/第6章 南村第一農場/第7章 海の生命線/第8章 軍島/第9章 戦禍/第10章 収容所 エピローグ 解説・池澤夏樹

※南洋開拓の主な参加者となったのは、東北や沖縄など貧困に苦しんでいた“辺境”の人々。移住先のサイパンでも、出身地により内地人→沖縄人→朝鮮人→現地人の順で待遇に差がつけられ、戦局が厳しくなって真っ先に解雇され見捨てられたのは「土人」「三等国民」と呼ばれる日々を送った現地住民(チャモロ人やカナカ人)だったそうだ。正に「大日本帝国の素顔は植民地でこそあらわになった」という証左。

午後は(1時~)、友人の純ちゃんの家で旅仲間6人が集まって「新年会」。今年の旅行は「山形・米沢」に決まった。幹事(主にプラン作成)はワタシ。

27(土)

駅前の図書館で見つけた寺山修司の『ぼくが戦争に行くとき』(1969年に刊行された単行本の文庫化)の中に「土産は、はずれ馬券」というアメリカのハードボイルド文学の先駆者ネルソン・オルグレン(何と、あのシモーヌ・ド・ボーボワール女史の恋人だったとか)との交流が綴られている一節があった。ちょっと長いが書き留めておきたい。

《(前略)ガラクタを集めるのは彼の趣味らしく、中山の競馬場では、レースのあとの散らばっている、はずれ馬券をポケット一杯にしまいこんで「仲間にいい土産ができた」などとエツに入っていた。京都に全く興味を示さないところが、いかにもオルグレンらしく、もっぱら吉原、浅草でヌード・スタジオをひやかしたりしていたが、彼自身の本領は、むしろリチャード・ライトが指摘しているように「歴史的に根こそぎにされ、定まった形を持たない階層、つまり従順で不安定で内的均衡を欠き、どの階級にも属していないが、それでいてしかも熱烈で正直で、盲目的な渇望をいつもいだいている」人たちの怒りを代弁することである。

中山のオケラ街道で、泣き買や香具師をひやかしながら、同時にアメリカのベトナム戦争の責任をきびしく弾劾するオルグレンは、きわめて体温のある作家、肉声的な作家だ、ということができるだろう。

「ジェームス・ボールドウィンをどう思うかって?」と彼はいった。

「彼は、男色家しか友人じゃないと思っているんだ。そのくせ、彼と寝るのは白人ばっかりだ」

この批評は、そのままボールドウィン文学の本質に触れるものがある。

彼にとっては全米図書賞(アメリカで最も権威ある文学賞)や、ヘミングウェイの高い評価はほとんど問題ではなく、むしろ「もはや、文学では出来なくなってしまった」領域の狩猟にだけに魅かれているように見えた。六十歳近くなっても家庭を持たないオルグレン、彼がこの日曜日に立って行った先はベトナムであった。》

読んだ後、無性にオルグレンの作品が読みたくなって、ネットで調べた所、すべて絶版&高額(中古本)。代表作『黄金の腕』(文庫)は、アマゾンで3万円……お手上げ!だった。 


午後、衆議院選の期日前投票。(既に結果は見えているし、強く推したい人もいなくて、あまり投票意欲は湧かなかったのだが)比例は「れいわ」、地方区は“仕方なく”「中道」に。

28(日)

衆議院選挙。結果は予想通り「高市自民(&電通)の圧勝」。所謂「高市鬱(うつ)・選挙鬱」の悪化を避けるべく、選挙特番も見ず、翌朝の新聞も読まなかった。それゆえ特に感想はないが、政権の側からではなく、国民の側から(特に若者の側から)事実上「大政翼賛会(の推進)」を望んだ形になったということ。

今後は恐らく、戦後民主主義もリベラルも平和憲法もあっさり捨てて、軍拡路線まっしぐら。排外主義はさらに蔓延り、スパイ防止法(という名の治安維持法)も成立、その分、福祉や医療・介護はおざなり、個人の自由は制限され、よりあからさまに「反中・親米(というか追従)」へ向かうのでしょう。

(新しい戦前ならぬ新しい大日本帝国の復活。もしくは戦前を模した「天皇を中心とした一つの新興宗教国家」への回帰……どちらにしても“日本沈没”への道の始まりでは?)

正直、老い先短い?人生。近い将来、徴兵制が導入されようが、トランプ追従で世界から冷たい視線を浴びようが、全国各地の原発がどこぞの国のミサイルやテロリストの標的になろうが「オレの知ったこっちゃないぜ」と、一人ヤケクソ気味に啖呵を切って静かに生きるほか無し……(と思ったが、まずは長い付き合いの「仲間」と楽しく呑みつつ“鬱”を労わり合うのが先決。為政者のみならず世界中の悪意・悪行に屈しないためにもね)

 

2026/02/24

ルシンダ・ウィリアムズの“世界の行く末を憂う”新作。


昨日、友人のY君から「これ、良いよ」と送られてきた「ルシンダ・ウィリアムズ」の新作…早速、聴いてみたら本当に良かった!!

Lu's Worldwide Listening Party

以下、タイトル曲「The World’s Gone Wrong」及びラストナンバー「We’ve Come Too Far To Turn Around」の訳詞。


The World’s Gone Wrong

彼らは毎朝起きて仕事に出かける

彼は車を売り、彼女は看護師

長時間働くことはまるで悪魔の呪い

暮らしは苦しくなっているけれど、まだ最悪ではない

彼女はニュースを無視しようとする

何もかもが理解できず、混乱してしまう

何が嘘で、何が本当なのか

このまま乗り越えられないのではと不安になる

 

さあ、ベイビー、強くいなきゃ

暗い日々がどんどん長くなっている

歌に慰めを求めながら

誰もが知っている、この世界はおかしくなってしまったと

誰もが知っている、この世界はおかしくなってしまったと

 

彼らには状況が悪化しているのがわかる

町じゅうに空き家が増えている

多くの行方不明者は見つからないまま

悪い兆しがあちこちにあふれている

多くの人が路上に追い出され

生活を維持するのはますます困難になっている

彼は毎晩、疲れ切って帰宅し

この苦しみにいつまで耐えられるのかと思い悩む

 

彼女は窓の外を見つめて首を振る

読んだことが信じられない

耳にすることが信じられない

ある日はベッドから起き上がれないこともある

これが永遠に続かないことを願いながら

きっと良くなると信じたい

気持ちを保つのがだんだん難しくなっている

今こそ、これまで以上にお互いが必要なのだ

 

彼女は彼をぎゅっと抱きしめ、やさしく微笑む

悲しい気持ちはひとまず置いて、マイルスをかけましょう

そして裸足でタイルの上を踊ろう

少しのあいだだけでも悩みを忘れるために

 

誰もが知っている、この世界はおかしくなってしまったと

 

We've Come Too Far To Turn Around

私たちはこの試練に疲れ果てている

幾多の苦難に、もううんざりしている

けれど、ここまで来たのだ 今さら引き返せない

 

東から西へ

北から南へ

私たちはあまりに遠くまで来た 引き返すことはできない

 

そして私たちはここにいる

この巨大な病を目撃するために

ここまで来たのだ もう後戻りはできない

 

私たちは悪の目をまっすぐ見つめてきた

悪魔とゆっくり踊ったこともある

その食卓に座り

宴を共にしたこともある

 

その嘘という液体を飲み込み

憎みながらも耐え忍び

その変装に惑わされ

その信念にだまされてきた

 

私たちはその怒りの犠牲者となり

道から外れたこともあった

それでも、ここまで来たのだ 引き返せない

 

私たちは下ろすだろう

憎しみと分断という重荷を

ここまで来たのだ もう後戻りはできない

 

400年以上にわたり

私たちは涙の道を歩んできた

そしてここまで来たのだ 引き返すことはできない

 

私たちは悪の目をまっすぐ見つめてきた

悪魔とゆっくり踊ったこともある

その食卓に座り

宴を共にしたこともある

 

その嘘という液体を飲み込み

憎みながらも耐え忍び

その変装に惑わされ

その信念にだまされてきた

 

私たちはこの試練に疲れ果てている

幾多の苦難に、もううんざりしている

それでも、ここまで来たのだ 引き返すことはできない

 

※歌を聴いた後、ネットでこんな記事を見つけた。

1992年、彼女は『Sweet Old World』(直訳「懐かしの愛しき世界」)というアルバムを出しました。それから34年後、ウィリアムズはニュー・アルバム『World's Gone Wrong』(直訳「世界はおかしくなってしまった」)でぐっと陰鬱な評価を打ち出しています。

今回のリリースに際し、発表されたニュースリリースには、アルバムの主眼がこう綴られています。「止むに止まれぬ思いで書き上げレコーディングされた、粗削りで潔いナンバー揃い。9曲のオリジナル楽曲を通して、ウィリアムズは私たちの生きているこの時代を詳述するのみならず、私たちにその試練を乗り越えてみろと焚き付けているのです」

彼女は『Morning Edition』のスティーヴ・インスキープにこう語ります。「レコード契約を取り付けるまでが大変だったのよ、何しろみんなに私の曲は暗過ぎるって言われ続けてね。でもね、暗さって、それこそが物事を面白くするんじゃないの」

今回の『World's Gone Wrong』には様々なプロテスト・ソングが収められていますが、これはウィリアムズがかねてずっと書きたかったものでした──1960年代のボブ・ディランの作品に対して抱いていた憧れに立ち戻ったのです。ただ、ミュージシャンとして活動を始めて以来、彼女はずっとプロテスト・ソングを書くことの難しさを味わってきました──けれどそれも、ドナルド・トランプがホワイトハウスにやって来るまでのことでした。

「毎日毎日、大統領が何か言ったとか、決断を下したとか、とにかくクレイジーなことに事欠かなくなっちゃったから──必然的にこういう曲が生まれて来たのよ」

アルバムの中にはボブ・マーリーの名曲「So Much Trouble in the World」のカヴァーも収められており、レコーディングにはメイヴィス・ステイプルズも参加しています。ウィリアムズはこの曲について、「“So Much Trouble In The World” は初めて聴いた時から衝撃を受けた曲で、ここ数年ずっとやりたいと思って色々試していたの。で、今回のニュー・アルバムが時事問題を扱うものになるだろうって徐々に形が決まって行き始めた時に、これは絶対レコーディングしなきゃと全員一致で決まったのよ。あの曲はこのアルバムのセンターピースだから、私と一緒に歌ってもらうのに、メイヴィス・ステイプルズ以上の適任はいなかったわ。彼女と2人で一緒に何かやりたいとずっと思っていたんだけど、ようやく叶って本当に嬉しいのよ、それもこんな素晴らしい曲でね」とコメントしています。

なお、2020年に起こした脳卒中の治療をまだ継続中のウィリアムズですが、今はこれらの新曲をひっさげてロードに出る気満々です。

「今も歩く時は結構大変なの。ステージに上がる時も降りる時も、歩く時にはうちのツアー・マネジャーのトラヴィスが腕を支えてくれるのよ。時にはバランスを支えるためにマイクスタンドにしがみつかなきゃならないこともある。でもちゃんと歌えるから。今はギターは弾いてないけど、それはこれからね」》(MUSIC LIFE CLUBNEWS「ルシンダ・ウィリアムズ、新作で世界の行く末を憂う」より)

 

2026/02/11

1月の(結構なが~い)メモ②


116(金)

久しぶりに「ポレポレ東中野」へ。

イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの汚職疑惑の実態に迫ったドキュメンタリー『ネタニヤフ調書』(監督:アレクシス・ブルーム/2024年製作、イスラエル・アメリカ合作)を観てきた。(ドキュメンタリーといっても“主演”は、あのネタニヤフ。年明け早々見るような映画じゃないよなあ…と、若干ためらったが、上映時間・上映場所が丁度良く「いま見過ごしたら、二度と見られないかも?」と、鑑賞を決めた)

で、《ネタニヤフ自らが公開中止を求めて訴訟を起こそうとして、イスラエル国内では上映禁止になった》この作品の注目点は3つ。

①ネタニヤフの鉄面皮ぶりは予想通りだったが、その妻と息子がネタニヤフに輪をかけて傲岸不遜。(どうやらネタニヤフは恐妻家。汚職の原因も我儘放題で贅の限りを尽くす大統領夫人サラ・ネタニヤフに逆らえない故か? また、人格破綻という形容がぴったりの息子ヤニールもかなりの危険人物。現在、公的な役職にはついていないもののネタニヤフのソーシャルメディア戦略における、中心的助言者にして黒幕だと考えられているようだ)

②「友は近くに、敵はもっと近くに」という映画『ゴッドファーザー』の台詞をネタニヤフが引用する場面があったが、イスラエルの敵であるはずの「ハマス」に資金援助を行っていたという衝撃的事実あり。(西岸地区を支配する穏健派ファタハの力を削ぎ、ハマスを“パレスチナの代表”に押し上げるための策略だったとのこと。ネタニヤフにとってハマスは、武力攻撃の口実を付けやすいコントロール可能な“敵”だったようだ)

③(自らの裁判を引き延ばすためなら戦争の長期化すら厭わない)ネタニヤフが政権維持のために手を結んだ極右政党のリーダー格2人(現政権の中枢にいる)が頗るヤバいレイシスト(というか、サイコパス)。この3者揃って“司法改革”の名の下に最高裁判所の“弱体化”を図っていたというから、恐ろしいなんてもんじゃない。(まさに、右傾化に拍車がかかる今の日本が“他山の石”とすべきものだが、司法の弱体化は安倍政権時から進行中で既に手遅れかも?)

以上。現在のイスラエル&ネタニヤフ一族を知る上で、非常に見ごたえのある一本だった。(まあ、観ていて気持ちのいい映画でもないし、時間があれば…というくらいで特にオススメはしません)

121(水)

ぜひ映画化してほしい圧巻の歴史ミステリー(文庫本にして770頁余りの長編。ナチの戦争犯罪人=女性暗殺者「ハントレス」を追う男女3人のナチハンターの物語)『亡国のハントレス』(著者ケイト・クイン、訳・加藤洋子/ハーパーコリンズ・ジャパン刊)読了。疲れた、痺れた、超面白かった。


123(金)

午後3時、大江戸線・練馬春日町駅近くの病院「豊島園 大腸肛門科」にて大腸内視鏡検査あり。(5ミリ程度の小さなポリープが見つかり即、切除。1週間の安静及び食事制限を申し受ける)※後日、組織検査の結果は「良性」と知らされたが、「ポリープを切除したので、1年後、また検査しましょう」とのこと。やれやれ…

125(日)

NHKドキュメンタリー「戦慄の占領地」を見る(報道は全くダメだが、ドキュメンタリーとドラマは文句なしのNHK)。戦時下とはいえ、人間はここまで酷いことを平然とやれる生き物なんだなあ…と、底知れぬ虚しさと怒りが交差する衝撃的なドキュメンタリーだった。

129(月)

ブルース・スプリングスティーンが急遽、新曲をリリース! 只々、沁みた!!

B・スプリングスティーン:「この曲は土曜日に書き、昨日レコーディングし、今日皆さんに公開しました。ミネアポリスを襲っている国家テロへの対応として。ミネアポリスの人々、私たちの罪のない移民の隣人、そしてアレックス・プレッティとレニー・グッドに捧げます」

https://www.bing.com/ck/a?!&&p=898efaaf9d2764101a5698c3efb65b293e3a1f2a940ef7408a34312352ab8da5JmltdHM9MTc2OTU1ODQwMA&ptn=3&ver=2&hsh=4&fclid=25723f26-8df9-66dc-363a-2af98c85674d&psq=Bruce+Springsteen+Releases+ICE+Protest+Song+%e2%80%98Streets+of+Minneapolis%2c%e2%80%99+Slamming+%e2%80%98King+Trump%e2%80%99s+Private+Army%e2%80%99+and+%e2%80%98State+Terror%e2%80%99&u=a1aHR0cHM6Ly92YXJpZXR5LmNvbS8yMDI2L211c2ljL25ld3MvYnJ1Y2Utc3ByaW5nc3RlZW4tc3RyZWV0cy1vZi1taW5uZWFwb2xpcy1pY2UtcHJvdGVzdC1zb25nLTEyMzY2NDM1Mzgv

※アレックス・ブレッティとレニー・グッドは、共にトランプ肝いりのICE(国境警備隊のエージェント)によって射殺された市民。

※後日、友人が訳詞を送ってくれた。

冬の氷と寒さを越えて

ニコレット・アベニューを下り

炎に包まれた街は 火と氷の中で抗っていた

占領者のブーツの下で

DHSに属する「王トランプ」の私兵

コートの腰に銃を下げ

「法を執行するためだ」と言いながら

ミネアポリスにやって来た――それが彼らの言い分だ

煙とゴム弾に抗い

夜明けの最初の光の中で

市民たちは正義のために立ち上がり

その声は夜を貫いて響いた

だが 慈悲があるべき場所には

血に染まった足跡が残り

雪に覆われた通りに、二人の遺体が置き去りにされた

アレックス・プレッティと レネー・グッド


ああ ミネアポリスよ 霧のような血の中から

あなたの声が聞こえる

この土地と私たちの中にいる“よそ者”のために

私たちは立ち上がる

ここは私たちの家 彼らが殺し 歩き回った

2026年の冬

私たちは忘れない、通りで命を落とした者たちの名を

ミネアポリスの街路で


トランプの連邦の暴力装置は

彼の顔と胸を打ち据え

やがて銃声が響き

アレックス・プレッティは、雪の中で息絶えた

彼らは「正当防衛だ」と言う

だが どうか 自分の目を疑うな

それは私たちの血であり 骨であり

笛の音と スマホの記録

ミラーとノームの汚れた嘘に対抗する唯一のもの


ああ ミネアポリスよ。血に煙る霧の中で

あなたの泣き声が聞こえる

私たちは忘れない、通りで命を落とした者たちの名を

ミネアポリスの街路で


彼らは言う。「法を守るために来た」と

だが 彼らが踏みにじるのは、私たちの権利だ

肌の色が黒でも 茶色でも、友よ、あなたは呼び止められ

その場で尋問され、あるいは 追放される


ICE は出て行け」という叫びの中で

この街の心と魂は生き続ける

割れたガラスと 血の涙を越えて

ミネアポリスの通りの上で


ああ ミネアポリスよ。血に煙る霧の中で

あなたの歌声が聞こえる

ここは私たちの家。彼らが殺し 歩き回った

2026年の冬

私たちは立ち上がる。この土地と

私たちの中にいる“よそ者”のために

私たちは忘れない、通りで命を落とした者たちの名を

ミネアポリスの通りで

私たちは忘れない、通りで命を落とした者たちの名を

ミネアポリスの通り

 

午後は池袋へ。「グランドシネマ・サンシャイン」で中国映画『長安のライチ』(監督:ダー・ボン/2025年製作、中国)を鑑賞。

唐の時代、経理の計算しか取り柄の無い下っ端役人が、上司の策略に乗せられて、皇帝が楊貴妃の誕生日にプレゼントするライチを届けるために奮闘・苦闘する(謀略、友情、裏切り、さらに「走れメロス」的な切迫感もある)極上の歴史エンタメ。

「人生は短く、この世は儚い」…仄かな寂しさ&侘しさが胸に迫るエンディングも“納得”の一言。そしてエンドロール。誰もが抱く“儚さ”を愛おしむように、励ますように流れる歌2曲も秀逸(特に詞が)。思いがけず、強く胸に響いた。

https://note.com/shannon301/n/na8172dabaae7

鑑賞後、池袋西武の「三省堂」で、『ブラック・スノウ 東京大空襲と原爆投下への道』(著者・ジェームズ・M・スコット、訳・染田屋茂/みすず書房)を商品券(年賀状制作の謝礼として友人から頂いた)で購入し帰路に就く。

 

2026/02/08

1月のメモ①


日に日に世界が悪くなる 気のせいか そうじゃない

そんなじゃダメだと焦ったり 生活しなきゃと坐ったり

ハンバートハンバートの歌「笑ったり転んだり」が妙に胸に沁みる今日この頃。皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

さて、年も明け、早2月……まずは1月中のあれこれを。


11日(祝)

11時過ぎ、息子夫婦来宅……玄関に立つ愚息の姿を見て少しギョッとした。去年より更に大きくなっている(というか、めっちゃ太っている)!! 

このご時世、経済的に多少ゆとりがあって食べたい物を好きなだけ食べられる。というのは結構なことだが、明らかに好物のラーメン、パスタ等、炭水化物の過剰摂取(という体型)。若いと言っても既に40代突入、成人病のリスクも高まるし、「スタイリスト」なら、自分のスタイルも何とかしろよ!と思うが、本人もパートナーのアユちゃんもあまり頓着していない様子。親の心配をよそに「美味しい、美味しい」と、我が家の“年一”料理をパクついていた。

1月3日(土)

「アメリカがベネズエラを攻撃」「マドゥロ大統領を拘束」という衝撃的な見出しが、各メディアのトップを飾った。暴君トランプによる「モンロー主義」の復活(本人曰く「ドンロー主義」だそうだ)。悲しいかな、時代が完全に逆回転してしまったようだ。

※それから何日か経って、こんな記事を読んだ。

https://www.japan-aala.org/wp/wp-content/uploads/2026/02/20602.pdf

羽場久美子氏(青山学院大学名誉教授)の「ベネズエラ攻撃の国際的影響と日本の針路」

15(月)

初仕事。9時半に家を出て、仕事終了13時。

(年明け早々、本部から「75歳定年」を告げられたが、「まあ、そうだろうなあ…」と、特に異議はなし。夏場の熱中症リスクの高さ、急ぎのクレーム対応、狭所でのパソコンやストロボ交換、重い荷物を持っての“通勤”等、年寄りには結構キツイ仕事。自分も「精々あと2年」と思っていた)

16(火)

初詣。3年連続で行った新宿・花園神社はやめて、東伏見から西武新宿線で「新井薬師前」へ。

長蛇の列に並ぶこともなく、10分程度で参拝(&お札・おみくじ購入)終了。静かで落ちついた雰囲気の心地よい神社だった。引いた御籤も夫婦そろって「吉」。


帰り道、地域で有名な精肉店「ニシジマ」に“ちょい寄り”。牛すじ(煮込み用)、松坂牛ステーキ(超特売!1枚千円)、海老フライ、メンチカツなどを購入。

110(土)

13時~新年会あり。新宿の居酒屋「京町恋しぐれ」(馴染みの映画館「新宿武蔵野館」のあるビルの7F)に9人の仲間が集まった。

まず、年の瀬に(簡単な)手術をしたO君の「(切ない)持病」の話から始まり(同病相憐れむ…というわけでもないのに、手術や病気の話で盛り上がるって何なのかね?)、続いて暴君トランプ(の“新たな植民主義”)へ……さらに高市、野田など…(「松下政経塾」出身の政治家にロクな奴はいない)という話になり、酒がほど良く回ったところで、私が「映画」の話(『黒川の女たち』『   TOKYOタクシー』『国宝』等)に切り替え…といった具合で鍋をつつきながら話が途絶えることなく“ぎっしり”2時間、楽しく語り合った。(やはり、このメンバーとの飲み会は格別且つ特別なもの)

2次会は6人の仲間と「カラオケ」……私は玉置浩二の「メロディー」と、島倉千代子の「愛のさざなみ」の2曲を歌ったが、思うように声が出ず、沈没。

※後日、新年会にも出席していた友人のK君から自作の句が書かれて葉書が届いた。

付合ひは五十余年や新年会

115(日)

「高市総理大臣、衆議院解散の意向」という報あり。

そんな中、ネット上で見知らぬ誰かの“つぶやき”に触れた。

《選挙が始まるとオンラインはまた聞くに耐えないフェイクやヘイトやYouTuberの閲覧数稼ぎの蛮行に溢れテレビなど地上波は「中立」という名の沈黙をする。最後は太田光とかの開票特番が流される。選挙とはそういう怒涛のように押し寄せる愚かさに耐えることでしかなくなっている》

けだし同感。

新聞を読むのもニュースを見るのもバカバカしくなって、本棚から吉本(隆明)さんの本を取り出した。

タイトルは『世紀末ニュースを解読する』(1996年、マガジンハウス発行)。

その中の165P「世界史的未来からみた憲法九条の現実性」という小見出しがついた対談形式の一文に目が留まった。

――(インタビュアー)「国際間国家」のことでいえば日本とアメリカの経済摩擦が激化するなかで、日本が軍事力を強化し核武装でもしなければ、アメリカと対等になれないという主張もありますね。

(吉本さん)こんな言い方はしたくないのですが、核武装するといっても、米ソをはるかに超えるような軍事力をもつ以外にはその考え方はまったく意味のないことになります。そんなことは100%不可能です。どこに未来性があるかといえば、九条を非暴力・非戦力の理想の原則として、そこから世界の軍事力の解体のほうへ、もっていくというやり方のほうが、はるかに現実的だと思います。

その吉本さんの言葉から30年が経ち、「軍事力強化」「核保有」が政権内から発せられる今、改めて「憲法九条」の価値を(平和戦略的に)問い直す必要があるのかもなあ…と思った。

2026/01/07

勝手にコトノハ映画賞④(邦画)


●最優秀作品賞

『敵』(監督:吉田大八、主演:長塚京三)

※筒井康隆の同名小説を『桐島、部活やめるってよ』等の吉田大八監督が映画化。


主人公は、仏文学者で大学教授の職をリタイアし、祖父の代から続く日本家屋に一人暮らす渡辺儀助77歳(妻とは死別)……と書くと、寂しい独居老人の姿を思い浮かべるだろうが、質実剛健という言葉を久しぶりに思い出すほどの整った暮らしぶり。加えて料理は上手いし、蓄えもまあまあ豊富。孤独とも無縁そうで、時には友人と酒を酌み交わし、教え子を招いてディナーも振る舞う。正にイケおじならぬイケ爺といった風情だったが、物語中盤、書斎のパソコン画面に突然「敵がやって来る」という不穏なメッセージが流れた辺りから、整った”雰囲気は一変。普段はインテリらしいプライドの高さによって抑え込まれていた煩悩が、彼の妄想の中で顕在化、哀しくも可笑しい“夢と妄想の人”儀助さんの余生が描かれる……という「さすが筒井康隆!(&吉田大作)」的展開。その筋立ての面白さに拍手し(もちろん心の中で)、ほど良いユーモアに包まれながら、現世の煩いや執着から離れて「穏やかな死」を迎えることの難しさを、改めて思い知らされる作品だった。(というわけで、日本アカデミー賞は恐らく『国宝』が選ばれるだろうが、私的には十分匹敵できる傑作だと思う。儀助を演じた長塚京三はもとより、儀助の現実と妄想を行き来する3人の女性「瀧内公美、河合優実、黒沢あすか」も実に個性的かつ魅力的。とりわけ瀧内公美)

 

●優秀作品賞

TOKYOタクシー』(監督:山田洋次、主演:木村拓哉、倍賞千恵子)

本作が91本目の監督作となる山田洋次が、倍賞千恵子と木村拓哉を主演に迎え、2022年製作のフランス映画「パリタクシー」を原作に描いたヒューマンドラマ。

監督・山田洋次、主演・木村拓哉……ということでイマイチ食指が動かず「さて、どうしようかな?」と少し観るのをためらった映画だったが、やはり変な先入観は禁物。      御年94歳、山田洋次監督の集大成(キムタク運転のタクシーが最初に“すみれさん”倍賞千恵子を乗せる場所は「葛飾柴又・帝釈天」…言わずと知れた「寅さん」の町)とでも言うべき、監督自身の使命感と映画愛に満ちた傑作。年の瀬を飾るにふさわしい絶品の味わいだった。

で、この作品のテーマは何かと言うと、ずばり「戦後史の継承」(忘れちゃいけない「昭和」、ここにあり!)……東京大空襲から戦後の復興、そして高度経済成長期までの東京及び日本(19451960年代)を、映画を通して「若い世代」に伝えること。そういう意味では「違う世代の人間が車に乗って旅をする」珠玉のロードムービー『幸せの黄色いハンカチ』と同じ構成だが、「新しい戦前」とも言われるこの国の今、「伝えたい思い」は本作の方がより強く感じた。(戦後復興の只中で生まれた私も、より若い世代の人たちに観て欲しいと思う)


●最優秀ドキュメンタリー作品賞

『黒川の女たち』(監督:松原文枝/2025年製作)


戦時下の満州で黒川開拓団の女性たちに起きた「接待」という名の性暴力の実態に迫ったドキュメンタリー。

193040年代に日本政府の国策のもと実施された満蒙開拓により、日本各地から中国・満州の地に渡った満蒙開拓団。日本の敗戦が濃厚になるなか、19458月にソ連軍が満州に侵攻し、開拓団の人々は過酷な状況に追い込まれた。岐阜県から渡った黒川開拓団の人々は生きて日本に帰るため、数えで18歳以上の15人の女性を性の相手として差し出すことで、敵であるソ連軍に助けを求めた。帰国後、女性たちを待ち受けていたのは差別と偏見の目だった。心身ともに傷を負った彼女たちの声はかき消され、この事実は長年にわたり伏せられることになる。しかし戦争から約70年が経った2013年、黒川の女性たちは手を携え、幾重にも重なる加害の事実を公の場で語りはじめた》(映画.comより)

戦争は人を狂わせる。改めてそう思い知らされる作品。被害の事実を語り始めた女性たちの勇気もさることながら、戦後に生まれた「黒川開拓団」の人々のご遺族・ご子息の真摯な姿勢と確かな認識。とりわけ「被害」の歴史と共に「加害」の事実もきちんと刻むことを明言し、碑文の建立に力を注いだ遺族会の4代目会長の姿には、頭が下がる思いだった(その正しい歴史認識と真っ当な精神が、この映画の価値をより高めているように思う)。また、同じく遺族会の男性(犠牲になった女性の息子さん)の「未だあの戦争の総括を誰もしていない」という言葉も胸に残る。(そう、あの戦争の責任を誰もとっていないまま戦後が始まったのだ。私たちはそのことを忘れてはいけない)

もう一つ、映画の中で被害女性の一人が、インタビューに答えて「戦争反対の女性政治家が出てくることを期待して女性にいつも投票している」と語っていたことも印象的。(逃げた関東軍も男、接待に活かせた大人も男、帰国後の彼女たちを中傷し隠そうとしたのも男。そして何より、馬鹿な戦争を始めたのは男たち。

やはり今でも「戦争は女の顔をしていない」……はずなのだが、さて、高市早苗さん、「軍拡路線」まだ続けます?)

2026年元旦、「必見だよ」と以前この映画を勧めた友人からこんな俳句が書かれた賀状が届いた。

敗戦忌まだ語られぬこと多し

《この句は、「黒川の女たち」を見て作ったものです。私も涙が止まりませんでした》とのこと。10日の新年会で彼と会うのが楽しみ。


その他、邦画実写歴代1位の興行収入を達成、社会現象にまでなった『国宝』(吉沢亮も良かったが、何といっても田中泯)。そして同様の大ヒットが期待されながら何故か動員数も興収も伸びず低迷した『宝島』(妻夫木聡、窪田正孝、広瀬すず…みんな良かった)も、しっかり心には残っているが、正直、みんな知っている映画だろうし、特に書きたいこともないので、コトノハ舎的には「選外」としたい。(ただ、同じ「宝」の付く2作品。これほど世間の評価に差が生じるとは?……私的には、テーマ重視で『国宝』より『宝島』推し。いま私たちが目に焼き付けるべきは「藤娘」より「コザ暴動」ではないだろうか)

 

以上。「勝手にコトノハ映画賞2025」でした。