2015/11/14

初めての3連勤



先週の6日、バイト仲間のNさんが、持病の悪化により緊急入院。そのため急遽、勤務シフトが変わり11日(水)から3連勤になった。(それより何より「1ヶ月以上の長期入院になりそう」という彼の病状が心配だったが、12日の午後3時頃「昨日、退院しました」とひょっこり笑顔で現場に現れ、「え~っ!?大丈夫なの?」と、その回復の早さにこちらがビックリ。まだ、食事は「おかゆ」中心とのことだが、血色も良く元気そうでホッとした)

で、この1週間どうしたわけか、“職場の敵”であったはずのワガママ中高年女性たちの姿をほとんど見かけない。駐輪場が空いているわけでも、こちらの愛想が良くなったわけでもないのに、来る人、来る人、みんなとても感じがいい。今週はたまたま巡りあわせで、普通に大人の女性ばかりが駐輪場を利用しているのかもしれないが、この前“逆ギレ”した女性まで、ちょっとしたサポートに「ありがとうございます」と、にこやかに言葉を返してくる。(アレアレ?)

う~ん、なんか妙だ。ひょっとして駐輪場の周辺で「アイツを敵に回すな」的な回状でもまわっているのだろうか?……と、変な勘ぐりすら入れたくなるが、仕事的には頗るやり易くなり気分も良好。素直にこの変化(?)を喜びたいと思う。(お陰で、初の3連勤もさほどキツくなかった。明日からもこの調子で……と願うが、油断は禁物)

2015/11/10

最後に神が舞い降りた 〜愛と哀しみのボレロ〜


先週木曜(5日)、今年観たすべての映画の印象が消し飛んでしまうような、凄い映画(というか凄いラストシーン)を観てしまった。(小屋は「恵比寿ガーデンシネマ」)

「人生には2つか3つの物語しかない。
しかし、それは何度も繰り返されるのだ。
その度ごとに初めてのような残酷さで」   ウィラ・キャザー

そんな、字幕から始まる『愛と哀しみのボレロ』(監督/クロード・ルルーシュ、製作国/フランス、製作年/1981年)。

観る前は、「間に5分くらい休憩があればいいのに…」と、185分という尺の長さに多少腰が引けていたが(年のせいか、最近はトイレが近い)、そんな不安も何のその。素晴らしい音楽とダンス、そして緩みなく流れるドラマチックかつリズミカルな展開は、衰えゆく肉体にさえ最後までその長さを感じさせることはなかった。

映画の舞台は、ベルリン、モスクワ、パリ、ニューヨーク――主人公は4人。指揮者「ヘルベルト・フォン・カラヤン」、バレエダンサー「ルドルフ・ヌレエフ」、シャンソン歌手「エディット・ピアフ」、ジャズミュージシャン「グレン・ミラー」らの波瀾の人生をモデルに、第二次大戦前後から現代まで(1936年~1980年)、4人を取り巻く人々とそれぞれの家族の歴史と人生模様を、ヨーロッパ現代史に沿って描いた壮大な群像劇……その「愛と悲劇の系譜」が、生き残った人々と(彼らの子供たちが)選び取った人生によって集約され、ラスト10分、それぞれの運命の結節点であるパリの一つの舞台に導かれる。

その時、まさに「神降臨」。

生まれて、生きて、出会って、愛して、別れて、死ぬ……今は亡き、不世出のバレエダンサー「ジョルジュ・ドン」の踊る「ボレロ」が、冒頭の字幕に象徴される映画と人生のすべてを物語る、このラストシーンの美しさ、素晴らしさ!(久しぶりに体が震えた)


そんな鳥肌モノの「ジョルジュ・ドン」に酔いながら、フラフラと映画館を出て数分、不意に目に飛び込んできたのは「バカラ」の巨大なシャンデリア……「至高の美」に魅せられたばかりの私には、その白い輝きが空しく、とても淋しい光のように感じられた。(人生は短い。そんなに急くなよ、クリスマス!)





2015/11/05

酒席の話から(思い出の「レティシア」)



先週金曜(30日)、バイト仲間との飲み会があった。

場所は田無駅前の居酒屋「黒潮」。早番のOさんに合わせて、集合は午後4時半。それから7時半過ぎまで、お互いの人生と今の生活にまつわる雑多な話をしながら、3人で楽しい時を過ごした。

その際、「お互いの作品を見せ合おう」という約束通り、私は自分の作品ファイルと刷り上ったばかりのパンフレットを持参。Nさんも自分の作品集(イラスト)を持ってきてくれたので、互いにジョッキと箸を持つ手を休めて暫し見入った。(Oさんも興味津々、横から覗き見)

その絵の印象を一言でいうと「変幻自在」。自分のベースはしっかり守りながら、様々な要望に応えてきたプロとしての高いスキルを感じさせるものだった。中には、普段の優しく穏やかな物腰のNさんからは、ちょっと想像しがたい挑戦的なイラストもあり、思わずニヤリ(最近のモノだとのこと)。ロック系の音楽雑誌に載っていたヴァン・モリソン、ジム・モリソン(ドアーズ)のイラストは、記事も一緒に書いたとか……「へえ~そうなんだ!」と、その多才ぶりにも驚かされた。

で、いつの間にか映画の話になり……『冒険者たち』で、ヒロイン「レティシア」を演じたジョアンナ・シムカスについて3人で語り合うことになった。(1976年、シドニーポワチエと結婚して女優を引退。現在72歳)

何故、斯くも多くの男たちが『冒険者たち』と、そのヒロインに心惹かれるのか? 
たぶん、アラン・ドロン(マヌー役)が振られるから……というのは素直かつ単純な私の意見だが、当たらずといえども遠からず。
憧れの女性が人気絶頂の超二枚目ではなく、タフで友情に厚い男くさい男「リノ・ヴァンチュラ」(ローラン役)を選んだことで、「いい男(イケメン)ばかりモテる世の中はつまらん!」と鬱屈した思いを抱える男たちの溜飲を下げたのは間違いない。(私自身もそうだった)

時が経ち、映画全体の印象がぼやけてしまった今も、テーマ曲「レティシア」の甘く切ない旋律と共に、ジョアンナ・シムカスの美しさが強く胸に残っているのは、そんな心情的背景があるからだと思う。(とりわけ印象的な水葬シーン)

というわけで、飲み会の夜からたびたび聴いている「愛しのレティシア」をプリーズ。歌うは、振られたイケメン「アラン・ドロン」!


※2週間ほどブログの更新が滞ってしまったが、その間、愛猫ジャックが軽い皮膚炎に罹ったくらいで、特に生活や体調面で変わったことはなし。バイト疲れというか、単なる気分的な問題でした。

2015/10/20

災い転じて……



先日のバイクトラブルを契機に、バイト先である駐輪場の仕事が見直され、雇用先の担当者から「不正駐車であっても、バイクを動かしてチェーンロックをかける必要はありません。同様に、自転車の場合も無理にラックに入れる必要なし。(特にバイクには極力手を触れぬこと)」という内容の職場通達が出て、我々整理員の精神的負担が大きく減ることになった。
それで、事の抜本的な解決になるわけではないが、おざなりな態度でトラブルへの関与を避ける無責任な管理会社と、ルールを守らない身勝手な利用者の間で対応に困っていた私たちにとっては、要望通りの業務改善。まあ、実質“抗議の手抜き”と言った感じだが、今できる唯一の自衛手段として素直に評価し、歓迎したい。

(やはり、バイトとはいえ、自分が働く場所は、自分たちの声と手で変えていかなきゃ!……職場の仲間も一様にスッキリした感じ)

ということで、明日も駐輪場。(本業の方は、先週末に印刷入稿して一段落)

明後日からはバイト4連休になるので、久しぶりに新宿で映画を観るつもり……武蔵野館で『ボーダレス ぼくの船の国境線』(製作/イラン)を観るか、K’s cinemaで『名もなき塀の中の王』(製作/イギリス)を観るか、只今思案中。

2015/10/16

浮かない休日…猫と戯れ、本を読む。



予期せぬバイト上のトラブルもあり、ここ4、5日、気分がパッとしない。

(どんなトラブルかというと……仕事中、チェーンロックをかけずに止まっていたバイクを動かそうと持ち上げた瞬間、つかんだ場所が悪く座席の後ろにあるバックライトカバー?を壊してしまった。
不正駐車とはいえ、バイクの扱いに不慣れな自分に非があるのは明白。すぐに“激おこ”の所有者に謝罪し「弁償(修理費)」を約束して会社に連絡。所有者には修理の見積りを会社宛に送ってもらうことで了承してもらい、後は、トラブル時の状況説明と写真を家のパソコンから会社に送り、所有者の女性との交渉を会社と保険会社に委ねた次第。
つい先日も、同僚のNさんが新品の高級自転車を傷付けてトラブルになったばかりで、いずれも不正駐輪・駐車に対応している中でのアクシデント……もちろん、ルールを守らない利用者が一番の問題だが、トラブル処理も含めてすべて下請け会社の整理員任せでルールの徹底を図らない大手管理会社にも問題あり。目立つ場所に“チェーンロック厳守”の警告看板を立てるなど、何らかの対策を講じてほしいものだ)

お陰で、映画を観に出かけるどころか、近くのTUTAYAにさえ行く気にならない。

無類の映画好きが映画を観る気も起きないのだから、コレは軽いウツなのか?とも思ったが、パンフレットの校正&印刷手配など本業の仕切りは抜かりなく、食欲も酒欲も健在……やはり、いつも通り季節の変わり目に引きやすい「心の風邪」なのだろう。

そんな主の「軽い風邪」を知ってか知らずか、わが家に来て丁度3年目になる愛猫ジャックがちょくちょく部屋に顔を出し、「かまってくれよ~」的に、足の当たりをスリスリしてくる。

大した用事もないし、気も紛れるので、束の間、ヤツと戯れる……

まっすぐ私を見上げる時のジャックは、つぶらな瞳のイケメンなのだが、気持ちよさそうに目をつむると、重盛の人形焼みたいな顔になる。それが可笑しくて、「ホント面白いヤツだよなあ、お前は」と頭を撫でてつぶやくと、また薄目を開けて「ニャ~」……

そうこうしているうちに、少し気分も回復(猫はソファで丸くなり)、先日ueちゃんが送ってくれた坂口恭平の日記本『幸福な絶望』をパラパラとめくって読んだ。

躁鬱を繰り返す彼のウツは、すぐ直るようなヤワな「風邪」ではなく、創作活動の源で生じる「自然現象」のようなものと認識しているらしい。

《止まることも仕事なのかもしれない。とてもきついけど。少しだけ言葉が出てきているが、同時に、言葉なんか出てこなくてもいいのかもしれないとすら思った。それよりも、記憶そのものをどうにか蓄積していけばいいのだ。そのときにしか考えられないものを、そのときに感じた全てのことを、そのときにできることで、自分にできることで、奇をてらわずに、ただひたすらに残していけばいいのだ》

《忘れるから、書くのである。忘れたくないから書くのである。心地よい瞬間があったことを、忘れないために書くのである。なぜなら、僕は体で記憶することができないからだ。日々、自動的に刷新され、全く別人になってしまう。それでも僕という体は今も続いている。それを時々、思い出せるように。だから書いていこう。名作を作り上げるために書くのではないのだ。現実からみれば連続しているように見えない、僕の、僕にとっての、独自の連続体を、見つけるために書くのだ。僕は、その分裂の中の連続を、冒険しているのだろう》

その葛藤から生まれる素直な言葉が、ヤワな私の胸に沁みた。

2015/10/08

本田が雄弁にキレた…(&ザッケローニの助言)



10月4日、ACミランがホームでナポリに惨敗した(0-4)。

2試合連続でベンチのまま出番のなかった日本代表FW本田圭佑は、試合後、日本の報道陣にチームの惨状についてコメント……その内容が、各国の言葉に訳され世界中を駆け巡り、あちこちのACミランファン及びサッカーファンの注目を集め、イタリアメディアも大きく取り上げる事態になっている。

本田と報道陣とのやりとりは以下の通り。(Soccer Magazine ZONE webより)

― (ベンチからナポリ戦を観た感想は)

「そうですね。前半は結構いい勝負していて。失点シーンは自分たちのミスから生まれたものだった。その後、どちらかというとナポリの方に勢いがなくなり始めて、同点になるチャンスも何本かあった。そこを決めきれなくて。後半はまったく違った試合になってしまった。個人的にはあんまりというか、問題点が分かりやすくなった。問題点が変わったわけでもないし、問題点が大きくなったというのもないですし。今日の試合でファンや経営陣、選手たちは大きく傷ついて、こういうところで気づく。今日の敗戦、大敗をしっかりと(受け止める)。この敗戦から何かを学ばないと。いつまでたっても再建はほど遠い」

― 次に出られるチャンスは巡ってくると思うか

「というか、なんで出れなくなったか分からない。こういう試合をやっていて出れるチャンスがないのがおかしい。イタリアのメディアの大問題だと思うんですけれど、誰がいい、誰が悪いというのをこういう試合で話すのがナンセンスですよね。ある程度、誰がやってもダメというのは、この3年ぐらいで分かったと思う。そこを今日しっかり学ばないと。(マンチェスター・)シティやパリ・サンジェルマンぐらいお金を使うか、もう少しストラクチャー(構造)の部分で見直していかないといけない。でも、選手が気づいていてもこのチームは変わらない。トップの人間が気づく、経営陣が気づく、監督が気づく。そして、選手たちが気づく。同時にファンたちも気づいていかないと。僕はファンの拍手のタイミングを見ていても、勝つことだけに左右されているファンだなと気づく。内容など見ない。勝てば拍手する」

― 監督は、精神的なものがチームの問題なのではないかと言っている

「それはどういうことなのかな。選手の責任であるという話をしている時点で、ナンセンスだと思う。3年間いろいろな選手を試してきた。その間に(強化に)100億くらい使って、選手たちを今試しているわけでしょ。(世界)トップのプレーヤーではないにしても、少なくとも代表選手が集まっている集団。それでなぜ出ている選手が与えられたポジションで生き生きとプレーできないのか。もう少し構造的なもの、評価基準が重要。評価基準をメディアからファンから監督から経営陣から、全員がもし変えることができれば、大きく再建につながるんじゃないかなと思う」

― 本田選手については、もう少し攻撃的にという声も聞こえるが

「専門的な話になるんで、あれなんですけど、シンプルに言えばヒントは今日のナポリにあると思います。それが分からないようであれば、再建はあと5年 10年かかる。ナポリはサポートが速い? 2年間思っている話。逆にイタリア人に聞きたい。ユーベも危ないでしょ。これでユーベが弱くなったらイタリア危ないですよ。だから、イタリアのメディアにこれを伝えておいて下さい。また散々ぱら僕をたたくでしょうから」

という内容……

低迷するミランの10番として、メディアとファンの批判を一身に浴び、スケープゴートにされて叩かれてきた本田が、「勝利至上主義」のセリエAのサポーターと、攻撃面での黒子役、守備面での汚れ役を評価しないメディア、クラブに対して放った痛烈な一撃、といったところだろうか。
(ミラン及びセリエAの華やかな歴史、その栄光にとらわれているサポーターとメディアが今も「ミランの10番」に抱くイメージは、メッシやロナウドに近い存在。そんな意識下、一人でゲームを決めてしまえるような“真のワールドクラス”ではない「10番」が非難の的になるのは致し方ないことかもしれない。だが、現実を直視し、チームへの献身を忘れることなく、汚れ仕事も厭わず、ひたすら再建の足掛かりを築く「10番」こそ、いまのミランには必要ではないのか?それに自分は値しているはず……と、本田は言いたいのだろう)

本田自身「下手なりにも本気でトップを目指している人間として、行動を起こす時には、ただ行動を起こすことはないですから。というのは、目指すところの逆算で行動をとってきているわけですから、それに相応しくない行動は取りたくないというのが自分のフィロソフィーですから。自分の正義をつらぬくことが今後の自分にとっても、自分自身であり続けるためにも必要なことだと思います」と語っているように、相当な覚悟と自負を込めて行った発言だと思う。

熱烈な本田ファンの一人としては、「らしいなあ」と、その発言を支持し、事の推移を見守るのみ。

海外のACミランファンの反応も「よく言ったよ、悲しいが事実だ」「これは本当だ……本田はとても勇敢だ。それ以外の何ものでもない」など概ね好意的。また、ある意味、本田の攻撃を受けたイタリアメディアも、その琴線に触れたようで「普段冷静で思慮深い人物の口からこれらのことを聞くのはインパクトがある」、「この言葉はあまりにも核心を突いている。ミランはこれをどう受け取るだろう?」(ガゼッタ・デロ・スポルト)と、冷静に報じている。

とはいえ、所属選手がメディアにチーム批判をぶちまけるのは、どこの国でもチームでもご法度。クラブの副社長兼CEOのガッリアーニも「最悪」と憤っているようだし、本田にも厳しい処分(多額の罰金?)が科せられるのは必至。加えて早くも、本田の発言を「1月のマーケットでの移籍希望のサイン」と見なし、獲得に動き出すクラブもあるらしく、ミランからプレミアリーグへの移籍話も報じられている。

そんな矢先、7日のクラブ公式番組「ミランチャンネル」内で、ミラン監督を務めた経験もある元日本代表監督、アルベルト・ザッケローニ氏が電話インタビューに応え、外部でクラブ批判を行ったことを諌めつつ、「積極的にクラブを助けようとしたんだ」と本田を擁護した(してくれた!)。

「ケイスケは軽率なことを言う人間ではない。偉大なプロ精神を持っているし、常に自分のことよりチームにとってどうかを考える。ああ言ったということは、きっと誰かに何かをさせたくて、刺激すべきだと考えたのだろう。
しかし、話す場所は考えるべきだというのも事実だ。私は常にこういったことは外部で話すべきでなく、内部で話すべきだと考えている。私もミランにいた3年の間に問題があるときは、常に内部で話し合うようにしていた。
例えばパオロ・マルディーニはキャプテンとして人間的に非常に優れた選手だったが、口を開くときには常に建設的なことだけだった。
選手は外部で批判してはいけない。自分のプレーについてテレビや新聞で自己批判するのはいいが、他人を批判してはならない。内部で話し合ってもいいが、それを外部で批判してはならない。だから彼には賛成できない。
ただ私は彼のことをよく知っている。慣習や文化も異なった国からきた選手だから、我々とは異なったやり方をしたのだと思う。彼は建設的な意味でやったのだろう」

ただの本田ファンである私も、その変わらぬ信頼と正しい助言に「ありがとう。ザック!」と感謝しているくらいだから、本田自身もきっと恩師の言葉を有難く、力強く思っているに違いない。

さて、今夜は、日本代表にとってW杯アジア2次予選1位通過のカギを握る重要なシリア戦。日本の勝利を祈りつつ、いつも以上に、本田のプレーに注目しよう!